13話・ダンスレッスン
次の日の朝、オールヴェルニュ家に着いてアレクシ様と顔を合わせるなり、彼は不満そうに眉を顰めた。
「軍部に出向いたらしいね」
「どうしてそれを……」
「君に護衛をつけているから」
「それ、護衛ではなく監視ではないかしら」
アレクシ様が肩を竦めて私を部屋に案内する。
私が入ったことのある場所に関しては間取りを段々覚えてきたので、応接室に向かっていることが分かった。ブシェ先生はまだ来ていないらしい。
「アレクシ様、今日は仕事ないの? ……あ、休日か」
「そう。だから今日はリュシルのダンスレッスンの相手役をしようと思ってね」
アレクシ様が私の向かいに座って、使用人に用意させた紅茶を嗜む。私も同じようにティーカップを持ち上げると、アレクシ様が口を開いた。
「それで? どうして軍に行ったの?」
「……リュシルが前に軍に協力していたと、うちの使用人から聞いたのよ。だから軍部の人に会えば前の私のことがわかる かと思って」
「……リュシルは記憶を取り戻そうとしなくていいって言ったよね?」
アレクシ様が顔を険しくさせる。アレクシ様の意にそぐわない返答だったみたいだ。
そもそも、アレクシ様がそこまで記憶を取り戻すなと言うこと自体、釈然としない。私はリュシルではないということはすでに知っているのだから、アレクシ様にとっては好きなリュシルを取り戻すためには私とリュシルが元に戻る必要があると分かっているはずだ。だから記憶を取り戻す、という表現自体が間違いだと分かっているはずなのに。
でも、何かが引っかかる。私は日本の記憶があってリュシル・ナミュールではないはずなのに、まるで皆私とリュシルが同一人物であるみたいに、私の性格とリュシルの性格が酷似していると言う。
「アレクシ様は、どうして……」
私が言いかけたところで、部屋にブシェ先生が入ってきて、アレクシ様に訊くタイミングを失ってしまった。
ダンスレッスンは、自分でも気味が悪くなるくらい順調に進んだ。
音を聞いただけで、どう身体を動かせばいいのかなんとなくわかるのだ。なぜ分かるのかや理論は何一つ自分でも説明できないのに、礼儀作法と同じように身体が覚えていた。
リュシルはダンスレッスンをとてもよく練習したのかもしれない。一つの動きも間違えないように身体に叩き込んだから、別人である私でも踊れるくらい身体が覚えているのかも……。
「リュシル、元々はダンス上手くなかったんだよ。僕の足をよく踏んでいたし」
「え?」
アレクシ様にエスコートされながらターンをして、再び彼の腕が私の腰に回る。
私の足はアレクシ様の足を踏むことなく、まだ教わってもいないのに正確な動きでダンスを続ける。
「リュシルはさほど運動が得意なわけではなかったから、ダンスを習得するのにとても苦労していた。今ではこんなに綺麗に踊れるのにね」
「いや……私は……」
「それとも、”君”もダンスを習っていたの?」
アレクシ様が唐突にこちらを見る。リュシルの中に存在する私を指してきて、私は言葉に詰まった。
アレクシ様はずっと私の存在を無視していた。あくまでもリュシルは記憶喪失だと自分に言い聞かせるような言動をしていた。
しかし、私のことを認識はしているらしい。なら、リュシルになっている私のことはどう思っているんだろう。
軍に出向くのも、記憶喪失になったリュシルではなく私に対して勝手な行動をするなと言うなら、意味が分かるような気がするのだけれど。
「いえ……私は習ってません」
「そうだよね」
アレクシ様が納得したように薄く微笑んで、会話が止まる。
音楽だけが流れてお互いに淡々とダンスを続けていると、アレクシ様がふいに喋り出した。
「パーティーに出る時は、いつも僕がリュシルのエスコートをしていたんだ。婚約者だから僕と踊るのが道理だと主張して、リュシルのダンスの相手を独占していた。僕は楽しかったけど、あの時リュシルはどう思っていたんだろう。本当は僕以外と踊りたかったんじゃないか」
「…………」
私はリュシルではないから、その答えを持っていない。
彼の口ぶりから察するに、少なくとも直近では、リュシルとアレクシ様の間に何らかのすれ違いが起きていて、ぎくしゃくした関係になっていたのだろう。あるいは、すれ違いではなくリュシルは本当にアレクシ様に愛想を尽かしていたのか、心変わりしたのか。
リュシルはアレクシ様のことをどう思っていたんだろう。メラニーとかに聞けば教えてもらえるだろうか。
「あの頃に戻りたいな」
「……アレクシ様」
「君が僕のことを好きでいてくれているって、信じられた頃に戻りたい」
アレクシ様が慈しむような視線を私に向けるけれど、彼が見ているのは私ではなく遠い記憶の中にいる昔のリュシルだ。
私ではどうやっても彼の心の隙間を埋められないのだろうか。私はリュシルの代わりにはなれないのだろうか。
アレクシ様の寂しげな表情を見ていたら、何故だかそんな気持ちが湧いてきてしまった。リュシルが戻ったとしても、リュシルがアレクシ様を拒絶してしまったら、彼は幸せになれないのではないか。こんなにもリュシルを愛しているのに。
「…………アレクシ様」
私が呼ぶと、アレクシ様は嬉しそうに口角を上げて「なに?」と小首を傾げる。
リュシルの声だから嬉しいのだろう。私が呼んだからじゃない。
「……なんでもないですわ」
好きと言えるほどアレクシ様のことを何も知らないけれど、私じゃだめなんだ、と僅かに胸が痛んだ。
家に帰って、お風呂上りにメラニーに髪を梳かしてもらいながら話を振る。自分の真っ青な髪色にも見慣れてきた。
「アレクシ様のことなのだけれど」
「……お嬢様」
私が話を切り出すと、メラニーが何か言いたそうにするので、鏡越しにメラニーを見る。
「アドラー様にお話ししていたみたいに話してもいいんですよ」
「それは……言葉遣いのこと?」
「そうです。今のお嬢様の話し方が間違っているというわけではないのですが、今のお嬢様の話し方は余所行きの話し方で、以前のお嬢様が親しい方に話される時の話し方とは違います。以前のお嬢様はアドラー様に話すような感じでした。お嬢様にお考えがあって、今の話し方をしているなら、差し出がましいことを申し上げました」
「いえ……それは、記憶喪失でこんな見た目になったから、お嬢様らしい話し方をしなきゃいけないかなって思っただけで……。でも、前のリュシルもお嬢様らしい話し方じゃなかったんだね」
「そうですね。そういえば昔のお嬢様も、外でお話をするときはあえてお嬢様らしくしていた記憶があります。どうしてかお伺いしたら、きちんとしていた方が大人に舐められないから、と仰っていました」
見た目での先入観で、お嬢様らしい口調にしなければと思った私と、外に舐められないようにきちんとしようとしたリュシル。そもそもの境遇が違うから全く同じなわけではないけれど、確かに思考は似ている気がする。
「じゃあ、メラニーの前ではアドラーみたいな話し方をしてもいいかな」
「……! はい!」
メラニーが嬉しそうに力強く頷く。彼女が喜んでいると私まで嬉しくて、笑みが零れた。
メラニーもまたリュシルを慕っているのであって私のことを見ているわけではないのだろうけれど。
「あ、お嬢様も何かお話されようとしていましたよね? 遮ってしまって申し訳ありません」
「いいよ。アレクシ様のことについて聞きたかったの」
「オールヴェルニュご子息のこと……ですか」
メラニーの表情が曇るので不思議に思いつつ、私は話を続ける。
「アレクシ様はリュシルのことが好きだったんだよね? 前のリュシルはアレクシ様のことをどう思ってたの?」
メラニーが口を開きかけて言い淀む。
彼女が髪を梳かしてくれる感触を楽しみながら、メラニーの言葉を待っていると、彼女は躊躇いながら口を開いた。
「記憶がなくなる前のリュシルお嬢様は、たしかにオールヴェルニュご子息のことを愛しておられました。大切だから、守りたくて、アレクシ様から遠ざかろうとしたのです」
「守りたくて……?」
メラニーの言葉に引っかかりを覚えて首を傾げる。
守りたくて、ということはアレクシ様が何かに狙われているということ? それを守ろうとしてアレクシ様から離れようとした結果、彼はリュシルに愛されていないと勘違いするようになってしまったのか。
「なんだ、それならやっぱり元のリュシルが戻ってきた方がいいんじゃない」
私が納得して一人呟くと、メラニーは何とも言えない表情をしながら私の髪にバラの匂いのオイルを塗った。
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