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さよならの先も、恋に溺れて

作者: 花散ここ
掲載日:2026/10/02

「好きです! 学園を卒業するまででいいので、お付き合いをしてください!」


 深く頭を下げてから、やってしまったと後悔した。

 告白してしまった。こんな困らせるつもりじゃなかったのに。


 恐る恐る顔を上げると、わたしの好きな人は、困惑したように目を丸くして口元を手で覆っていた。

 ……やっぱり顔がいい。好き。


「えーと……君は?」


 戸惑いが低くて滑らかな声に乗っている。

 小さく首を傾げる姿さえ格好よくて、仕草全てがわたしに突き刺さる。撃ち抜くためにやっているのだとしたら、お見事としか言いようがないくらい。


「すみません。わたし、グロリアといいます。ライネス子爵家の次女です」


 頭の中が騒がしいけれど、それを全部淑女の仮面に隠して、わたしはにっこりと微笑んで見せた。

 今からでも挽回できるなら、しておきたいのが乙女心。気持ちを伝えてしまったのだから、あとはどうにかやるしかないのだ。


「俺はルイス・ドゥランだ」


 存じております……!

 伯爵家の次男で、騎士科に所属。剣術に優れ、学園を卒業後は王宮騎士団に入団されることが内定。それだけでなく成績優秀、何でも出来てまさに文武両道の素敵な人。

 少し長めに整えられた銀色の髪も、煌めく黄色の瞳も、何もかもが綺麗だ。


「どうも。別に何でも得意なわけではないんだけどな」

「……口から出ていましたか?」

「全部」


 恥の上塗りとはこのことらしい。

 でも言ってしまったものは仕方がない。それだけお慕いしていると、いい風に受け取ってもらえたら非常に有難いんだけど。


「君は俺のことをよく知っているんだな」

「好きな人ですから! ……あの、お付き合いしてほしいと言いましたが、学園を卒業するまででいいんです。わたしの思い出作りにお付き合いいただくというか……」

「それは俺にメリットがあるのか?」


 腕を組み、首を傾げたルイス様は少し笑った。

 好きな人に笑いかけてもらったので、今日はもう記念日として認定してしまっていいのではないだろうか。

 手帳にしっかり記入しておかなければならない。


 また脱線して忙しくなる脳内を何とか押し止め、わたしは自分の胸元に手を当てた。


「ルイス様にはたくさんの秋波が送られていますよね。いま現在のお付き合いから、結婚を見据えた婚約まで。しかしルイス様はそれに応えることがないと伺っています」

「そうだな。面倒くさいんだ」

「それならわたしを女性避けに使ってはいかがでしょうか。お付き合いしている人がいると言えば、大きなアプローチは減るのでは?」

「……君はそれでいいのか?」

「もちろん。言ったじゃないですか、思い出作りだって」


 ルイス様は腕を組んだまま考え込んでいる。

 こんな突拍子もないお付き合いの申し込みなんて、今までにはなかったのかもしれない。


 貴族子女の結婚といえば、政略的なものが多いけれど……最近は恋愛結婚も増えている。

 婚約者がいないのなら、恋愛は自由。一線を越えないというのが前提であるが、交際をしてから婚約を結ぶことだって多々あること。

 だから学園は、出会いの場のひとつでもあった。


 その中でルイス様は人気が高かった。

 見目もよく、文武両道。男性陣と一緒にいる事が多いけれど浮ついて遊んでいる様子もなく、真面目である。

 時折辛辣な面も覗かせるけれど、それだって彼の魅力を損なうものではなかった。ルイス様を慕う令嬢は非常に多い。


 しかしルイス様は、誰に告白をされてもお付き合いすることはなかった。

 婚約の申し込みも、丁寧に断られているという。未来を共に歩む約束は決してしない。


 だから気付いてしまった。学園時代の思い出作りなら、卒業と共に絶対にお別れするのなら、もしかしたらお付き合いしてもらえるのでは?

 ……いや、だいぶ……飛躍した考えだというのも自覚しているけれど。


 でも、裏庭で偶然会ってしまって……気持ちを抑えることが出来なかった。

 伝えてしまったなら、思いの丈をぶつけてしまうしかない。


「俺は君を好きじゃないけど、それでいいのか?」

「もちろんです。ルイス様がわたしを好きというのは、ちょっと解釈違いなので」

「どんな解釈なんだ、それは。君のいうお付き合いって、どんなことだ?」

「そうですね……時々お昼を一緒に食べられたら嬉しいです。それから時間が空いたらこうしてお喋りをするとか、勉強を教えてもらったりとか……」

「健全すぎる」

「健全で困ったことなんてないでしょう」


 わたしの言葉にルイス様がおかしそうに肩を揺らす。

 好きな人がまたわたしの前で笑っている。わたしだけの記念日に留めてしまっていいのだろうか。国民の休日にした方がいいかもしれない。


「絶対に卒業したらお別れだな?」

「契約書を作ってもいいですよ。約束は絶対に違えません」

「はは、いいだろう。では学園卒業まで、俺達は恋人だ」


 ルイス様が手を差し出してくる。

 握手ということなのだろうけれど、わたしは両腕でバツを作って首を横に振った。


「触れるとかはちょっと無理ですね」

「はぁ?」

「この距離が精いっぱいなもので」


 呆れた顔をしたルイス様が、無理やりわたしの手を掴む。ぶんぶんと力任せに振られてしまって、わたしは顔が一気に赤くなることを自覚した。

 人の温もりを感じたのは、久し振りだった。


 ***


 ライネス子爵家の、裏門から敷地内に入る。

 裏門近くにある使用人棟にわたしの部屋はある。粗末なベッドと、小さな机が置いてある狭い部屋。

 手早くお仕着せに着替えたわたしは、急いで本館へと向かった。もちろん、本館に入るにも裏口からだ。


「ただいま戻りました」

「グロリア様、ステファニー様がお呼びですよ」

「分かりました。行ってきます」


 帰ってきて早々、義姉に呼び出されるとはついていない。

 わたしは零れそうになる溜息を飲み込んで、足早に廊下を進んだ。もちろん真ん中を歩いてはいけない。使用人が歩くのは、目立たない端っこだけだからだ。


「ステファニー様、お呼びでしょうか」


 ノックをすると、入室の許可が下りる。

 部屋に入ると、義姉のステファニーが床にドレスを積み上げているところだった。


「遅いわ」

「申し訳ありません」


 謝罪の言葉を口にしながら、わたしは周囲に目を向けた。

 日当たりのいい、豪華な部屋。ここは──元々、わたしが使っていた部屋だ。


 お気に入りだった天蓋付きのベッドも、猫足が可愛らしくて好きだったテーブルも、貝殻みたいな形をしていた青色のソファーも、もう何もないけれど。

 義姉の好きな家具と全て入れ替えられている。

 それでも壁紙だけは変わらないクリーム色。それがなんだか懐かしくて、そして悲しい。


「このドレスに飾りをつけておいて。明日のお茶会に着ていくの」

「かしこまりました」


 義姉付きの侍女が、ドレスと仕様書を渡してくる。

 仕様書を一瞥して、眩暈がしそうになった。


 これはもう、ドレスを新しく仕立てた方が早いのではないかと思うくらいのアレンジだ。

 少しレースを足すような、そんなものとは異なっている。


 でも、わたしに拒否権はなかった。


「お預かりします」

「明日は侯爵家でのお茶会なの。あたしに恥をかかせないようなドレスにしてよね」

「承知しております」


 金の髪に緑の瞳をした美しい義姉は、わたしにゆっくりと歩み寄る。

 手にしていた扇でわたしの顎を持ち上げながら、くすくすと笑った。


「あんたと違って、あたしはお呼ばれが多くて大変だわ。お茶会にも行ったことのないあんたに、この苦労は分からないだろうけれど」


 何も返事が出来なかった。

 わたしが社交に出ていないのも、本当のことだからだ。


 扇の先を強く上に持ち上げられると、飾りが刺さってじんじんと痛む。

 それを押し隠して、ただわたしは黙る以外に出来なかった。


「下がりなさい。あんたを見ているとイライラするわ」

「……失礼いたします」


 わたしはドレスと仕様書をしっかりと持ち直し、頭を下げてから部屋を出た。



 裁縫室で改めて仕様書を確認する。


「……このレースは編まないといけないわね。まずは必要な飾りを全部作って、それからだわ」


 溜息をつきながら、必要な材料を籠の中に入れていく。

 レース糸に刺繍糸、シフォンの布も必要だ。

 数時間で終わるものではないけれど、明日の朝までに作らないとお茶会には間に合わない。


 他の使用人には手伝ってもらえない。

 以前、手伝ってくれた使用人は、義姉と義母の逆鱗に触れて解雇されてしまった。

 それ以来、わたしは手伝いを拒んでいる。元々ライネス家に仕えている使用人たちは、わたしの事を痛ましそうに見るけれど……これはもう仕方ないのだ。


 静かな部屋でレースを編みながら、何度目になるかも分からない溜息を零した。



 全てが変わったのは、一年前のことだ。

 母が亡くなって一週間、まだ悲しみの渦の中に取り残されていた夜のことだった。


 新しい家族だよと、父が屋敷に連れてきたのが──義母と義姉だった。

 義母は父が心から愛する人で、義姉は父の実の娘だという。父は、わたしと母がいながらわたし達を裏切っていたのだ。


 しかも、まだ喪が明けていないうちに、義母と義姉を連れてくるなんて。

 その時に強い抗議をしたのが、問題だったのだろうか。


 機嫌を悪くした父と義母に、わたしは使用人棟に押し込まれてしまったのだ。

 お気に入りの部屋も、美しいドレスも、輝いていた装飾品もすべて義姉に奪われて。わたしは──使用人と同じ扱いを受けることになった。

 念願叶って義母と義姉と暮らせることに浮かれている父は、わたしが虐げられても気にならないようだった。わたしはもう、目に入っていないのだ。


 わたしが何かを訴えたら、この子爵家は終わると義母に言われている。

 代々続いてきたこの家を、わたしの我儘で潰すのかと言われたら……黙る以外に出来なかった。

 まだ我慢が出来ているのは、人としての生活が出来ているからだろう。


 みすぼらしく痩せ細ったら疑われるからと、食事も出して貰えているし、学園生活に必要なものは与えられている。

 もしわたしが騒ぎ立てたら、この家はお取り潰しになり、身寄りのないわたしは平民になるか修道院に入ることになるだろう。それよりは使用人としてでもこの家にいた方がいい。


 そう自分に言い聞かせて……一年が経ってしまった。

 自分で何かを変えるだけの勇気はない。平民として生活していくだけの手腕もない。

 現状を維持する以外に、わたしに出来ることはないのだ。


 これを話すと、「感覚が麻痺している」と友人の男爵令嬢であるレラに泣かれてしまうのだけど。


 しかし大きな不便だとか身体に障る何かがあるわけではないのだ。

 社交に出ていないから、レラ以外の友人はいないけれど。

 お茶会にも出たことがないから流行りの話題についていけず、クラスメイトに遠巻きにされているけれど。


 でも、生きている。生活できている。

 これ以上の何かを求めてはいけないと、わたしはちゃんと弁えている。


 そんなことを考えながら針を動かしていたら、目的のレースが半分ほど編み終わった。

 時計を見ると、すでに二時間が経っている。


 急がないと間に合わない。

 同じ姿勢だったから、肩も背中も固まっている。

 一度大きく伸びをしてから、わたしはまたレース糸と針を手に取った。


 それにしても、今日はとてもいい日だった。

 まさかルイス様とお付き合いができるなんて。


 断られても当然だと思っていた。

 期待はしていなかったから、受け入れられた時には驚きの方が強かった。


 今でも夢なんじゃないかと、思っているくらいに。


 わたしが【学園を卒業するまで】と期限を決めたのには理由がある。

 絶対にそれを守ると誓えるのには、ちゃんと理由があってのことなのだ。


 わたしは──卒業したら義母の知り合いの商人に嫁ぐことが決まっている。

 裕福なその商人に嫁げば、この子爵家は潤うのだという。

 その商人の妻はわたしで四人目だというけれど……わたしの前の三人がどうなったのかを聞く勇気はなかった。


 だから、ルイス様とのお付き合いは思い出作り。

 これから何があったとしても、その思い出があれば幸せに暮らしていけるだろうから。


 口元が綻んでいることに気付いて、わたしは首を横に振った。

 ちゃんと隠さないと。

 そう思いながら、わたしはドレスのアレンジに取り掛かった。


 すべてが出来上がったのは、もう夜が明ける頃だった。

 わたしの瞳とお揃いの、朝焼け色が眩しかった。


 ***


 家での暮らしが辛くないわけじゃない。

 失くしたものを思うと、悔しくなる時だってある。

 そんな時は、ただ膝を抱えて丸くなって眠るのだ。そんな気持ちになるのは大概が夜だから、そうやって小さくなっていればいつの間にか朝になっているもの。


 変える力を持たない者。勇気がない者。

 そんなわたしは……ただ流されるままに生きていくしかないのだ。

 何も気にしていないふりをして、自分はまだ恵まれていると思い込んで。


「なんだ、ぼーっとしてんな」


 不意に掛けられた声に瞬きを繰り返す。

 顔を上げると、ルイス様がわたしの顔を覗き込むようにしていた。

 ベンチに隣り合って座って、一定の距離を保っていたはずなのに、いつしかわたしとルイス様は寄り添うような近さに居る。


「わー! ルイス様、だめです! 距離を保ってください!」

「俺に近付いて喜ぶところじゃないのか、これは」

「わたしが溶けてしまってもいいんですか」

「人は溶けない」


 からかうように笑うルイス様は、長い足を組み替えた。

 ベンチに背を預けてのんびり寛ぐその様子は、まるで猫のようだ。


 折角のルイス様との時間なのに、今日も朝まで掃除をしていたから意識が飛んでしまっていたらしい。

 使っていない広間の掃除を言いつけられたのは、日が変わる直前のこと。義母の思い付きで作られた仕事をわたしに告げに来た侍女は、申し訳なさそうに肩を丸めていた。


「疲れているのか?」

「いいえ。夢見心地って、本当にぼーっとしてしまうんですねぇ」


 わたしの言葉に、ルイス様が呆れたように笑う。

 お付き合いを始めて二週間。

 最初はまだ警戒をしていたルイス様だったけれど、わたしがあまりにも変わらないものだから、段々と慣れてきたらしい。


 ルイス様のいう【健全なお付き合い】は楽なものだったらしくて、今のところ嫌な顔も見せずにわたしのお喋りに付き合ってくれている。


 他愛もないお喋りをしていると、ルイス様の銀髪に赤い葉っぱが付いていることに気付いた。

 わたし達が座る裏庭のベンチの近くには、赤く色づき始めた大樹がある。そこから葉っぱが落ちてきたのだろう。

 なんだか可愛らしく見えて、わたしは思わず笑みを零していた。


「ルイス様、頭に葉っぱがついていますよ」

「どこだ?」


 ルイス様は頭を触るけれど、中々葉っぱを落とせないようだ。


「もう少し右……あ、ルイス様から見て左……いきすぎです」

「面倒だ。取ってくれ」

「いえ、触ってはいけないと鉄の掟がありますので」

「なんだそれ」


 そう言うとルイス様は、わたしの手を取って銀髪へと寄せてしまった。

 突然のことにわたしが動揺していると、それがおかしかったのか悪戯っぽく笑っている。


 わたしは顔が赤くなることを自覚しながら、赤い葉っぱをつまんだ。

 それを受け取ったルイス様は、わたしの頬にその葉っぱを寄せながら目を細めた。


「お前の顔の方が赤いな」

「~~っ! 仕方ないじゃないですか……!」

「はは、本当に俺のことが好きなんだ」

「好きです。大好きです」

「いや、即答されるのは怖い」


 こうやって揶揄うくらいには、もしかしたら……気を許してくれているのかもしれない。

 だからわたしは、今日も元気にルイス様への想いを告げるのだ。


「好きですよ、ルイス様!」


 それに対してルイス様が呆れたように笑うから、なんだか嬉しくなってわたしも笑ってしまった。


 ***


 お付き合いをして一か月も経てば、わたしとルイス様の関係は学園中に知れ渡った。

 わたしを見てひそひそと何かを話している人もいれば、直接「ルイス様には釣り合わない」と言ってくる猛者もいる。


「……グロリア、大丈夫?」


 猛者に何とかお帰りいただいて、一息ついたわたしに声をかけたのは友人のレラだ。

 心配そうにその表情を曇らせている。

 わたしは大丈夫だと、大きく頷いて見せた。


「心配させてしまったわね」

「ええ。でもあなたがルイス様とお付き合い出来て、嬉しいのよ」

「期間限定だけどね」


 レラには全て話してある。

 このお付き合いが、学園を卒業するまでの期間限定だということ。ルイス様はわたしが好きなわけではないということ。

 彼女はわたしの事情も全て知っているから、話しても大丈夫。


「……何か力になれたらいいんだけど」

「その気持ちだけで充分よ。でも、お願いだからルイス様には内緒にしていてね」

「分かっているわ」


 わたしが抱えている事情は、ルイス様だけには知られたくない。

 学園のことは家と切り離して、綺麗なものであってほしいから。


「それよりも、待たせてしまってごめんなさい。行きましょうか」


 わたしとレラは、昼食を取るために学園内のカフェに向かって歩き出した。


 廊下を歩くだけで、今までにないほどの注目を浴びているのが分かる。

 わたしを見て内緒話をする人も多い。

 でも……悲しいことに、元々クラスメイトにも遠巻きにされているくらいだから、あまり気にならない。


 社交に出ていない、影の薄い子爵令嬢がルイス様とお付き合いをしたとなれば、噂にもなるだろう。

 何を言われても構わない。

 あと、五か月だけなのだから。


 日替わりのランチを持って、端っこの席につく。

 日差しが強い窓際の席に座りたがる人は少ないらしく、賑わうカフェの中でも比較的静かな場所でお気に入りだ。


「おい」


 掛けられた声に振り返る。

 そこに立っていたのは、まさかのルイス様だった。


「えっ!? なっ、ええっ!?」

「はは、驚きすぎだろ」


 ルイス様は笑いながら、わたしの頭をくしゃくしゃと撫で乱す。


「あっ、だめです! 溶けます!」

「溶けたことないだろ」


 ルイス様は一頻りわたしを揶揄って満足したのか、テーブルの上に綺麗な包みを置いた。


「やる。友達と食べるといい」

「あ、ありがとうございます」


 去っていくルイス様を見送って、わたしは改めてその包みを手に取った。

 カフェで販売されている、クッキーのようだ。甘いものはいつだって嬉しい。


「一緒に食べましょうね」

「ええ。……なんていうか、本当に付き合っているのね」


 どこか呆けた様子でレラが呟くから、わたしはにっこりと笑って見せた。

 期間限定だけどね、と思いながら。


「分かってるけど。でも、少しほっとしちゃった」


 わたしの考えを読んだみたいに、レラが笑う。

 彼女の言葉の意味を問えず、わたしは包みを開いてクッキーを一つ口に入れた。


 ほろほろ崩れるクッキーは、甘くてすぐに溶けてしまう。

 まるで、残り少ないわたし達の時間みたいに。


 ***


 お付き合いして三か月も経てば、ルイス様はわたしを見ると表情を緩めるようになった。

 四か月目に……とうとう、名前を呼んで下さった。

 夕暮れの教室、一つの机を囲んで勉強を教えてもらっている時だった。


「グロリア、そこ間違ってる」


 あまりの衝撃に、ペンを落として固まってしまった。

 そんなわたしを見て、ルイス様は堪えきれないというように吹き出した。

 お腹を抱えて笑う姿を、どれだけの人が見た事があるのだろう。


「驚きすぎだろ」

「お、驚きもしますよ。だって……今までずっと「おい」とか「ちょっと」とか呼んでいて……わたしはそれも好きだったんですけど」

「お前の感性はやっぱりちょっと変わってるな」


 落とした拍子に床まで転がってしまったペンを拾ってもらい、わたしは深呼吸を繰り返した。


 自分の名前が、こんなにも美しいものだと知らなかった。

 ルイス様が呼んでくださっただけで、目の前にちかちかと光が舞っているように感じてしまう。


 彼とお付き合いをしてからというもの、手帳には記念日がたくさん刻まれている。

 今日ももちろん記念日として制定しなければ。国民の休日とするだけでは足りないから、お祭りも開催するべきだろう。


「おい、泣くなよ」


 少し慌てたようなルイス様の声がする。

 ハンカチを目元に当てられて、わたしは自分が泣いていることを知った。


「まさか……名前を呼んでもらえると思っていなくて」

「これから呼ぶ度に泣かれてたら、俺が困るぞ」

「呼んでくれるんですか?」

「恋人の名前くらい呼ぶだろ」

「今まで呼んでくれなかったくせに」

「溶けるかもしれなかったからな」

「これは涙じゃなくて、わたしが溶けている証拠かもしれません」

「怖いこと言うな」


 ハンカチをお借りしてわたしは目元を拭った。深く息を吐いて、軽口の応酬が出来ていることにほっとする。

 だって、こんなに嬉しいことがあると思わなかったから。

 気を抜けば嗚咽も漏れてしまいそう。今はだめだと、お腹に力を入れて必死に我慢した。


「お前もそろそろ、その敬語をやめないか。同い年なんだし」

「もうこれが定着しちゃいましたからね。ちょっと難しそうです」


 距離が近付いて嬉しいのに、これ以上はいけないと心が叫ぶ。

 お別れ前提で、さよならが決まっているからこそ、ルイス様は側に居ることを許してくれているのだ。


 これ以上心を寄せてしまったら、戻れなくなってしまうかもしれない。

 思い出作りだと笑えているうちに、この距離を保たなければ。


 でも……幸せだと感じた。

 好きな人が笑いかけてくれる。気持ちを受け取ってくれる。

 わたしの名前を呼んでくれる。触れてくれる。


 この思い出があれば、わたしはもう──何があっても大丈夫。


 ***


 今年の冬は寒さが厳しいけれど、気持ちがぽかぽかしている。なんて言ったら、ルイス様は呆れた顔で笑っていたけれど。

 お付き合いをして五か月目、舞い落ちる雪を校舎の窓から眺めていた時だった。


「やる」


 短い言葉と共に、ルイス様がわたしの手に小さな包みを乗せる。

 なんだろう、お菓子かな? ルイス様はよくわたしに甘いものを下さるから。


 そんなことを思いながら開けたら、現れたのは小さな髪飾りだった。

 黄色の石があしらわれた、お花みたいな髪飾り。コームがついていて、髪に挿せるようになっている。


 震えそうになる手を、なんとか抑えることが出来た自分を褒めたい。

 こんな素敵なものを、いただけるなんて思ってなかった。


「綺麗……」

「昨日、たまたま目に留まった」

「……いいんですか? いただいてしまって」

「ああ」


 ルイス様は「ちょっと触るぞ」と言って、わたしの髪に触れる。

 肩下までのわたしの髪をハーフアップにしてくれているらしい。

 思った以上にその手付きが不器用で、それがまた愛しくて笑ってしまった。笑わないと泣いてしまいそうだったから。


「出来た」


 わざわざ用意していたのか、手鏡を二枚合わせ鏡にして、ルイス様が後ろ髪を見せてくれる。

 黒髪に咲いた黄色の花。少し傾いているそれが愛しくて、嬉しくて……泣きたくなかったのに、涙が零れてしまった。


「泣き虫だな」

「ルイス様のせいですよ」

「そうだな」


 最初よりも、言葉も声も柔らかい。

 それだけルイス様の心に近付けていると自惚れてしまうくらいに。


「ルイス様」

「ん?」

「好きです」

「知ってる」

「大好きです」

「ああ」

「わたしがお伽話の魔法使いなら、この世界もルイス様に捧げるのに」

「それはいらない」

「残念」


 わたしの涙をハンカチで拭いながら、ルイス様が笑う。


 本当はね、愛しているの。

 好きでも、大好きでも、まだ足りない。

 何でも捧げたいって気持ちは本当なのよ。それくらいに愛しているの。


 それを全部笑顔に隠して、わたしはまた囁いた。


「大好きです」


 ルイス様が笑ってくれる。

 わたしの気持ちを受け止めてくれる。

 恋も愛もない関係だけど、このぬるま湯みたいな恋人の時間を……ルイス様も楽しんでくれていたらいいな。

 そう、願った。



 幸せな気持ちで帰路につくと、義母に呼ばれてしまった。

 急いでお仕着せに着替え、髪飾りを外す。義母達に装飾品を見られたら、取られてしまうから。


 サロンでは、珍しく機嫌のいい義母と義姉が待っていた。

 父の姿はない。私に対して父は一切関わろうとしないのだ。本当に興味がないのだと思う。


「お前の結婚が早まったわ。卒業を待たずして、嫁に欲しいんですって。そこまで求められるなんて嬉しいことね」


 くすくすと笑いながら義母が告げる。

 義姉も同じ顔をして、楽しそうに笑っていた。


「貴族子女なら学園を卒業するものだけど、商人に嫁ぐのならそれはもう関係ないものね。明日で退学するよう手続きを進めるから、準備をしておきなさい。出発は明後日よ」

「……かしこまりました」


 一礼して、サロンを出る。

 わたしが嫁ぐことで手に入る支度金で何を買うかを、二人が話しているのが聞こえたけれど……もうそれも、どうでもよかった。


 あと一か月あると思っていたのに。

 まだルイス様の傍に居られると思っていたのに。


 自室に戻り、ハンカチに包んでおいた髪飾りを手に取った。

 ぽたりと涙が黄色の石に落ちる。もう、涙を堪えるなんて無理だった。


 一か月が早まっただけ。

 五か月も一緒に居られたのだから、感謝をするべきだ。


 分かっていながらも、気持ちが追い付いてくれない。

 しかも明日、お別れを告げなくてはならないなんて。


 何もかも諦めて、仕方ないと受け入れていたはずなのに。

 心が痛くて堪らない。


 辛い。

 苦しい。

 悲しい。寂しい。どうして。


 隠していた気持ちが溢れ出そうで、気持ち悪い。


「ルイス様……っ!」


 お別れは分かっていたはずなのに。

 思い出だけで生きていこうと思っていたのに。


 それが綺麗事だったと、思い知らされる。

 離れたくない。お嫁になんて行きたくない。

 わたしから全て奪ったあの人達が嫌い。


 でも、一番嫌いなのは……何も出来ないと諦めていた自分自身。

 動いていれば、何か変わったかもしれないのに。


 もう、すべてが遅いけれど。


 ***


 翌日、義母の用意した退学手続きに関する書類を先生に提出した。

 先生は驚いていたし引き留めて下さったけれど、書類に不備がないのだから受け取るしかなかったようだ。


 レラにお別れを告げて、その時までは……笑っていられた。

 だからこの先も、大丈夫。


「ルイス様!」


 放課後の、裏庭を臨む廊下の端っこ。

 待ち合わせをしているわけではないのに、いつもルイス様はそこに居てくれる。

 そこでわたしの事を待ってくれているのだ。


 ルイス様はわたしのことを見て、表情を和らげる。

 最初とは全然違う、穏やかな表情。もしかして、少しは好いてくれているのではないか……そんな勘違いをしてしまいそうなほどに。


「グロリア」


 わたしの名前を呼んでくれる。

 それだけで胸が弾む。


「見てください。自分でも上手に着けられましたよ」


 ルイス様に背中を見せて、後頭部を指で示す。

 自分で結ったハーフアップに、黄色の石の髪飾り。学校に来て、すぐに着けたのだ。


「似合ってる。まぁ俺のセンスがいいからな」

「わたしの為に選んでくれたものですからね。似合うのも当然ですよ」

「たまたま目に留まったって言っただろ」

「ふふ、そうでした」


 言葉を交わすだけで嬉しくて、笑いかけてくれたら幸せで。

 この優しい時間がずっと続けばいいのにと、夢なら覚めないでほしいと何度願ったことか。


「ねぇ、ルイス様」

「ん?」


 わたしはルイス様に向き直り、笑って見せた。

 最後は、笑ってお別れをするって決めていたから。


「わたし……学園をやめる事になったんです」

「……は?」

「だから、期間限定の恋人も今日でおしまいです。今までお付き合いしてくださって、ありがとうございました」


 震えそうになる声を、必死で押さえつける。

 ルイス様は驚きに目を瞠り、わたしをまっすぐに見つめている。


「お前は、それでいいのか」

「……卒業までの時間が、少し短くなってしまっただけです。もちろん寂しいし残念ですけれど……でも、わたし、すごく楽しかったです」


 礼をして、踵を返す。

 このままだと泣いてしまいそうだったから。


「グロリア!」


 走り出そうとした瞬間、ルイス様に腕を掴まれる。

 こんな時でさえ、触れられた場所が熱を持つのだから、わたしはもう恋に溺れてしまってどうにかなっているのだろう。


「……ごめんなさい」


 その腕を振り解き、わたしは駆け出した。

 未練も、恋心も、何もかもを置き去りにするつもりで。


 ***


 翌日、わたしは花嫁衣裳を着せられて、商人の家に運ばれた。

 見送りに出てきた義母と義姉はひどく楽しそうで、父はやっぱりいなかった。

 わたしは泣きはらして目元が大変なことになっていたけれど、義母たちにとってはそれも愉悦だったらしい。


 わたしが苦しむ姿を見るのが好きなのだから、最後まで楽しめたことだろう。



 運ばれた先で、わたしは買主である商人の男と初めて対面することとなった。

 身形がよく、温和そうな表情をしている。だけど、にこにこと微笑むその顔がどうにも好きになれないのは……その目が笑っていないからだろうか。


 この男の前にいるのが、ひどく恐ろしく感じる。

 わたしはきっと酷い目に遭わされるのだろうというのを肌で感じるのだ。


「式は挙げませんが、構いませんね。大々的にあなたを妻と紹介したら、いなくなった時に困ってしまうので」


 穏やかな声色。

 なのに、話している事は恐ろしいものだった。


「そんなに怯えた顔をしなくても。あなたが従順にしていれば済むだけの話ですよ」


 にんまりと笑う男は、軽く手を振って部屋を出ていく。

 入れ替わるように侍女が入ってくるけれど、彼女はわたしを見ようとしない。ただ淡々とお茶の準備をして、わたしの前のテーブルに用意する。


 それから何を言うでもなく、壁に控えた。


 これから、わたしはどうなるのだろうか。

 一昨日までは幸せな気持ちでいっぱいだったのに。……ううん、幸せだったからだ。

 幸せだったから、今が辛く感じてしまうんだ。


 あの家から抜け出せたと、これを幸せだと思えば……。


 そんなことを考えて、涙が一粒、レースの手袋に落ちて吸い込まれていった。


 幸せなんて思えるわけがなかった。

 わたしの幸せは、ルイス様と一緒に過ごしたあの時間なのだから。

 これからもずっと、あの時間に想いを馳せて、あの時間に恋焦がれて生きていくのだろう。


 だって、忘れられるわけがないもの。

 口の中だけで囁いたルイス様のお名前が、なんだかいつもよりも苦々しかった。



 淹れてもらったけれど飲む気になれなかった紅茶が、湯気をなくしてすっかり冷めてしまった頃だった。

 不意に、屋敷が騒がしくなった気がする。


 人の言い争う声。

 何かが壊れる音。


 もしかして、この屋敷ではこれが日常なのだろうか。

 そう思って侍女を見ると、彼女も不安そうに扉の方へと目を向けているのが分かった。


 ……戸惑っている?

 では、何かがあったということだろう。


 胸騒ぎにドレスの胸元をぎゅっと握りしめる。震える呼吸を細く逃がしていると、この部屋に向かってくる乱暴な足音が聞こえた。


 そして、勢いよく扉が開く。


「グロリア!」


 ああ、やっぱり……この人の声で紡がれるわたしの名前は美しい。

 いえ、そんなことより。どうして彼がここに居るのだろう。


「ルイス様……?」


 いつも綺麗に整えている髪は乱れ、目の下にはうっすらと隈が出来ている。

 ルイス様はわたしの元に駆け寄ると、その腕の中にわたしを閉じ込めてしまった。


「……これは夢、ですか? わたしが、あまりにもルイス様を恋しく思って……」

「夢になんてさせるかよ、馬鹿」

「お口が悪いです、ルイス様」

「お前のせいだ」


 わたしのことをぎゅうぎゅうに抱きしめたルイス様が震えた声を漏らす。

 それがなんだかひどく愛おしくて、わたしは彼の背に両腕を回して抱き着いた。


 伝わる温もりも、震える吐息も、自分とは違うリズムで刻まれる鼓動も何もかも。

 すべてが愛おしくて、どうしようもなかった。


「こんなに好きにさせといて、勝手にいなくなるな。……俺と一緒に居ると言ってくれ。俺のことを好きだと、いつものように……」

「……っ、すきです……!」

「知ってる」

「だいすきです……っ!!」


 気付けば涙が溢れていた。

 震えて、嗚咽に塗れて、情けない声で想いを紡いだら、ルイス様は嬉しそうに笑った。


「俺も」


 そう言ったルイス様はわたしの事を簡単に抱き上げてしまった。

 涙に濡れた頬に口づけをしたルイス様は、美しい黄色の瞳を細めて笑う。


「俺も好き」


 夢ならこのまま溺れていたい。

 でも、この胸の切なさは夢なんかじゃないって伝えてくる。


 わたしはルイス様の首に両腕を絡めて、ぎゅっと抱き着いた。

 そうしないと幸せ過ぎて、意識を飛ばしてしまうと思ったから。


 ルイス様が応えるように、わたしを抱く腕に力を込める。


 ねぇルイス様。

 わたし、今なら本当に……世界のすべてをあなたに捧げられる気がしているわ。


 ***


「もう、本当に怖かったんだからね!」

「はい……」


 二週間後。諸々のことが終わって学園に戻ったわたしは、レラにお説教を受けていた。

 退学届けは保留となっていたらしい。それも全部、ルイス様が掛け合ってくれた結果だと聞いている。


 解放されている温室の隅にあるベンチで、レラと一緒に並んで座る。

 レラはわたしの手を両手でぎゅっと握りしめ、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「ドゥラン様がすごい剣幕で私の所に来たと思ったら、『知っている事を全部吐くように』って凄まれて……」


 思い出したのかレラがぷるぷると震えている。


 わたしがルイス様に別れを告げた翌日のこと。

 登校してきたレラを待ち構えていたルイス様は、全てを話すように促したらしい。

 あまりの剣幕に、レラは全部話してしまったと言っているけれど……きっと、わたしの事を案じてそうしてくれたのだろう。


 わたしが、家で使用人として過ごしていたこと。

 義母と義姉に虐められていたこと。父が無関心だったこと。

 卒業したら商人に嫁ぐことが決まっていて、それが早まったということ。


 全部、レラはルイス様に話したらしい。

 そして……それを聞いたルイス様は、伯爵家の伝手を使ってライネス子爵家の内情と、わたしが嫁ぐ商人について調べて下さったそうだ。


 その結果、あっという間にわたしの元へ辿り着いたそうなのだけど……。


「その商人は捕まったんでしょう?」

「ええ。わたしの件が人身売買にあたると判断されたそうよ。元々、違法取引をしているとマークされていたそうだし……重い処罰が下るみたい。私の前に嫁いだ三人の奥さんの行方不明にも関わっているから、もう日の目を見ることは出来ないだろうってルイス様が言っていたわ」

「日の目を見れないのは、あなたのお父様たちもよね?」

「そうみたい」


 先程よりも少し落ち着いたらしいレラが、目元に浮かんだ涙を拭っている。

 ふぅと小さな息をついた彼女は一転して、口端に笑みを乗せた。


「グロリアがもう辛い思いをしないのが嬉しいわ」

「ありがとう」


 父と義母は、わたしへの虐待と、娘を売ったということで懲役刑を受けるそうだ。

 義姉は人身売買には直接関与していないけれど、虐待に加担していたとのことで辺境にある修道院で下働きをすることが刑になるらしい。

 三人とも子爵家から籍が抜かれている。


 あの三人と離れることになって、自分でも意外なほどに何も思わなかった。

 義母や義姉に対して感傷的になるほど、関係を深めてもいないからだ。

 でもそれは……父に対してもだった。あの人がわたしに無関心だと思い知る度に、わたしも父に対しての気持ちを失っていったのだ。


 彼らが反省しても、罪を悔いても、それももう……どうでもいいと思った。


「そんなことより、婚約おめでとうを伝える方が先だったわね」

「ふふ、ありがとう。告白をして期間限定のお付き合いをしてもらった時には、こんな未来が訪れるとは思わなかったけれど」

「そう? 私はドゥラン様があなたにクッキーを渡した時から、そんな予感がしていたわよ」

「それは後出しがすぎないかしら」


 二人で顔を見合わせて笑い出す。

 こうやって親友と笑い合う日常も、ひどく愛おしい。


 温室のガラスの向こうでは、はらはらと雪が降っている。

 まるで花びらにも似た雪がゆっくりと落ちていくのが綺麗だと思った。


 冬の終わりも近い。

 暖かい日も増えているから、この雪も日ごとに溶けていくのだろう。

 卒業まであと一か月。だけどもう、その日が来ることを寂しく思う必要はないのだ。


 ***


 卒業を間近に控えた、休日の午後。

 わたしとルイス様はライネス子爵家のサロンでお茶を楽しんでいた。


 あの人たちがいなくなって、わたしは屋敷の中を元に戻した。

 母が生きていた頃の、落ち着いた雰囲気の内装に。


 まったく同じにはならなかったけれど、居心地のいい場所になっていると思う。


「そういえば……ルイス様、聞いてもいいです?」

「ん?」


 わたしの隣でお茶を飲んでいたルイス様が、カップを静かにソーサーに戻した。

 ソファーに座るわたし達の距離は近い。以前よりもずっと。


「ルイス様は、いつからわたしの事が好きだったんですか?」

「今更それを聞くのか?」

「聞いてないなって、思っちゃったので」


 わたしを助けに来てくれたあの日から、ルイス様はわたしに想いを告げてくれるようになった。

 そう、今ではわたし達は両想いで……期間限定ではない恋人なのである。


「はっきりとは分からないけど、あれだけ毎日好き好きって言われてたら、可愛いなとも思うだろ」

「可愛い!? もう一回言ってください!」


 ルイス様に可愛いって言われた!

 今日の日記のトップニュースはそれに決まりだ。全てを書き留めておけるように、ルイス様の全てを目に焼き付けて──


 そんなことを考えていたら、不意に世界が回った。

 ルイス様の顔が近い。彼の肩越しに天井の灯りが見える。

 ……わたし、ルイス様に組み敷かれている……!?


 それに気付いたら、顔が真っ赤になったのが分かった。燃えているのかと思うくらいに熱くて、恥ずかしい。


「いくらでも言ってやる。だからもう、勝手に離れるな」


 声が出なくて、わたしはこくこくと頷く以外に出来なかった。


 ふ、と笑ったルイス様がわたしの前髪をそっと避ける。

 露わになった額に唇が押し当てられる。


「ルイス様……!」

「敬語も様もなしだって、何度言ったら分かってくれるんだか。な、婚約者殿?」

「は、はい……」

「敬語を使ったり、様付したりする度にキスしてやろうか」

「婚約者を殺す気ですか!」

「はい、一回」

「~~~っ!!」


 心臓がもたない。

 本当にこのままだと死んでしまう。

 顔の色だって戻らないどころか、火が出ているんじゃないかと思うほどに熱くて堪らない。


「……はは、可愛い」

「うぅ……すきぃ……」

「知ってる。俺も好き」


 間近な距離でくすくす笑うルイス様はちょっと意地悪だ。

 それなのに、そんなところも好きで、格好いいと思ってしまうんだから、もうわたしはだめかもしれない。

 それならもう、想いのままに気持ちを告げた方がいい。……いつも通りといえば、そうなのだけど。


「好き。大好き」


 わたしはルイス様の首に両腕を絡めながら、想いを乗せた言葉を紡ぐ。

 嬉しそうに笑うルイス様の黄色い瞳がとても綺麗に煌めくから、またこの恋に溺れていった。


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