11話・銀髪の魔法使い
それから一日を終えて次の日、使用人たちにも話を聞いて回った。
しかしメラニーを含めて誰も、私がなぜ倒れたのかは教えてくれなかったのだ。
誰かに口止めされているのか。だとしたらこの家の最高権限を持っているのはお父様だから、やはりお父様が口止めをしたということだろうか。
特に収穫はないかと思われたけれど、厨房を出て廊下を出たところで、茶髪ボブのアニーに呼び止められた。
「あの、お嬢様」
「あら、アニー。どうかした?」
「先ほど聞かれた時は皆の前でしたので言えなかったのですが……お嬢様は記憶がなくなる前のお嬢様のことを調査しているんですよね?」
「ええ」
私が頷くと、アニーが周囲を見回して誰もいないことを確認してから、私に顔を寄せて小声で言う。
「お嬢様は、度々この国の軍事部に顔を出されていました。ほら、ナミュール家は代々軍事最高司令官の役職を担っていて軍需産業でも有名でしょう」
そういえばそんな話を授業でも聞いたけれど、令嬢であるはずのリュシルも軍部に顔を出していたのか。顔を出して……リュシルは何をしていたんだろう。
「だから、もしかしたら軍事部に行ってみれば何か話を聞けるかもしれません」
「アニー、ありがとう。さっきはどうして……」
私が言いかけた時、廊下の向こうに黒髪のエミリーが見えてアニーがさっと私から離れた。
「アニー? 何してるの?」
「エミリーごめん、今行くわ」
アニーがエミリーに大声で言ってから、私に向き直ってお辞儀をしてから駆け足で去っていく。
アニーがこっそり教えてくれたということは、本来は口止めされていたことなのかもしれない。
どうしてアニーが教えてくれたのか分からないけれど、お父様に言って軍事部に行ってみよう。
お父様は誰に聞いたのかと驚いたけれど、アニーだとバラすのも彼女にとって良くないかと思い、はぐらかした。
お父様はその場で難しい顔をして暫く逡巡したのち、最終的には私が軍部に行くのを許可してくれた。
軍部、と言ってもどこに行けばいいのか分かっていなかったけれど、どうやら宮廷の中にいわゆる司令官役の官吏がいて軍の事務的な仕事をこなしている部屋があるのと、宮廷のすぐ近くに駐屯所を構えるルーべルージュ軍が日々訓練をしているらしい。
基本的にはリュシルは前者の部屋に顔を出して事務的な仕事を手伝って戦略に意見を出しつつ、後者の訓練の見学にも行っていたようだ。
メラニーにいつ行けるか聞いてみたところ、メラニーは一瞬だけ顔色を険しくしてから薄く息を吐いて、前のリュシルは特にアポを取って行っていたわけではなくふらりと行っていたし、今日はちょうど授業がないから行ってみますか? と提案してくれた。
馬車の中で、メラニーが妙に真剣な面持ちで私に言い含める。
「このことをオールヴェルニュ家ご子息には絶対に言わないでくださいね。あの方はお嬢様が軍に顔を出すのをとても嫌がっているんです」
「それはどうして?」
「それは……。お嬢様に軍と関わって欲しくないのですよ。軍と……というか、国の仕事に関わって欲しくない、と言いますか」
メラニーが言い淀む。
確か、オールヴェルニュ家は代々宰相の役職を継いでいる公爵家だったはずだ。婚約者であるリュシルが軍や国の仕事に関わったら何か不都合があるのだろうか。例えば、政治と軍事が近くなりすぎると差し障りがあるとか……。
それとも、現代日本とは違った世界観だから、そもそも女性が公の仕事に関わること自体が忌避されているとか?
なんにせよ、アレクシ様に言わない方がいいなら言わないでおこう。せっかくリュシルのことを調べられる機会なのだから、このチャンスを逃すわけにはいかない。
「分かったわ、言わないでおく」
「それがよろしいかと思います。……まあ、無駄かもしれませんが」
メラニーが何かぼそりと言ったけれど、聞き取れなかったので伝えるつもりで言ったわけではないのだろうと思って訊き返さないでおいた。
馬車が宮廷に到着して、メラニーにエスコートされて馬車から降りる。
ナミュール家やオールヴェルニュ家も充分豪奢だけれど、宮廷は流石にこの国一番だろうと比べなくても分かるくらい圧倒的だ。
端から端が見えないくらいの土地面積にロココ調の宮殿が立ち並び、白を基調とした細かな装飾が彫られている。ところどころ玉のように浮彫になったところが碧く光っていて、何か特殊な塗装をしているようだ。
「最初は宮廷内の司令部でいいですか?」
「ええ。メラニーも来たことがあるの?」
「はい、お嬢様にお供させていただいていたので」
メラニーの案内に従って進んでいく。
途中門番がいたりしたけれど、特に身分を証明する必要もなく通された。前のリュシルが頻繁に出入りしていたからだろう。
でも、顔が同じだとしてもなりすましの危険とかはないのだろうか。この世界ではそういう技術はまだ発展していない?
「特に何も確認されていないけれど、こんなにすんなり入れていいものなのかしら」
メラニーに訊くと、メラニーは私の方を向いて少し思考を整理するように視線を逸らしてから私の方に向き直る。
「前に魔力がある人とない人がいるとお伝えしましたよね」
「ええ」
「正確には少し違いまして、誰しも極微量の魔力は流れているんです。その魔力を認識する装置が門に設置されていて、誰が通ったかを認識しているんです。お嬢様と私はすでに登録されているので、門を通れるんですよ」
「なるほど……」
サーモグラフィー的なことだろうか。いや、サーモグラフィーじゃなくて個々を認識できるようだから、遺伝子検査の進化したバージョンみたいな……、いやそんなことはどうでもよくて。
なんとなく日々生きていると重量のあるドレスとかヘアセットとか、魔力で沸くお風呂とかに慣れてきてしまったけれど、改めて口にすると不思議だ。
廊下ですれ違う役人らしき制服の人が、私の姿を見て何か慌てたように礼をしてから駆け足で去っていく。
リュシルが記憶喪失になったことはどこまで知られているんだろう、とメラニーに訊こうと口を開いたところで、メラニーが扉の前で足を止めた。
「ここです。お嬢様」
「ありがとう、メラニー。ところであの、私の記憶のことって……」
「あぁ……。社交界では相当有名になっているので、さっきすれ違った官吏さんたちもご存知かと思います。司令部の皆様はお嬢様を心配してお見舞いの品を送ってくださっていましたよ」
「そうなのね、それならお礼は言わなきゃ」
軍の司令部ってどんな人たちがいるんだろう。リュシルはどんな感じで話していたんだろう。記憶喪失だと知られているなら多少は前と違っても大目に見てもらえるかな。
息を吐いて扉を控えめに叩くと、扉の奥からバタバタと足音がして勢いよく扉が開いた。
「あわわわわ只今! えっナミュールご令嬢!?」
「おいリュシルが来たって!?」
おどおどした若い男の子を押しのけて、長い銀髪を雑に一つ結びにしたひょろっとした長身の男性が顔を覗かせた。
「あ……えっと、貴方は……」
「ああ、そうだった。リュシルは記憶喪失になったんだろ? 俺はアドラー。軍部所属の魔法使い」
「アドラー様……よろしくお願いいたします」
「やめろよリュシル、俺たちの中でそんなよそよそしい呼び方」
彼が無遠慮に肩を組んできて、そのまま部屋の中に連れていかれる。
この世界で目が覚めてから誰も彼もリュシルに対して丁寧な態度だったから、こういう人は新鮮だ。前世の庶民の感覚だとむしろこういうフランクな人の方か接しやすい。前のリュシルはどう思っていたんだろう、でも仲が良かったような口ぶりだし、リュシルも好ましく思っていたのかも。
部屋の中は書類で散らかっていて、中央には何か駒とボードが置かれている。部屋の端の方に申し訳程度に応接用らしきソファとテーブルが置かれていて、そのテーブルの奥には明らかに女性が選んだ感じの繊細な意匠のティーセットが食器棚に片付けられている。
「そこ座れよ」
「失礼します……」
「リュシルが敬語なのって変な感じするな。初めて会った時ぶりだ」
「……前のリュシルはどんな風に喋っていたんですか?」
アドラー様なら前のリュシルのことを話してくれるんじゃないかと思ったのだ。もし仮に前のリュシルのことを私に話してはいけないと箝口令がどこかで敷かれていたのだとしても、彼はそういう決まりを気にしなさそうだと、このほんの短い間の時間でも感じた。
「前のリュシル? 変なこと言うんだな、お前はリュシルだろ。前も何もない。ただちょっと記憶がなくなっただけ」
「前とは……違うと思いますが」
「ふーん、”今の”お前はそう思ってるってわけね」
アドラー様は何か納得したような納得していないような神妙な顔をして、この話題を終わらせた。端的に興味を失ったのかもしれない。
「それで、その変な喋り方やめろよ。いつものリュシルの喋り方してみろ」
「え? ええっと……そう言われましても」
「あー、じゃあまず敬語やめてみて」
メラニーをちらりと見て助け舟を求めようとすると、メラニーは黙って首を振った。アドラー様を止めるのは無理みたいだ。
「これでいいかしら」
「……なあ、それ本気で言ってる? リュシル、お前は記憶をなくしたんだよな? まさか、同じように……」
アドラー様が顎に指をあてて沈思する。
なんだか彼が何を求めているのか分からないけれど、身なりだけの印象で言えば頭がよさそうな方だし私の想像には及ばないことを考えているのかもしれない。そのまま私の記憶喪失……もとい、人格の入れ替えも治してくれればいいのだけれど。
「あー……じゃあ、分かった。うん。その喋り方、お前の本来の喋り方じゃないだろ? お前が頭の中で独り言とか思考を回す時の喋り方はしてみなよ」
メラニーをもう一度ちらりと見る。見つかりたくなかったけれどメラニーはじっと私を見守ってくれていたせいで目が合ってしまった。
メラニーにすら本来の——前世の私の喋り方は披露していないのだ。本来の私でって、アドラー様は一体何を考えているんだろう。もし前世の私の喋り方をして、お前は別人だろとなってしまったら……。
「なんか色々考えてるのかもだけど、それ全部無駄だからな」
「…………」
あっけらかんとした顔で足を組んでソファにどっかりと座るアドラー様を軽く睨みつけながら、観念することにした。
もういい、知らない。どうにでもなれ。どうにでもなっちゃ困るけど。
「もう、貴女が何を求めてるのか知らないけど、私にも私の立場ってものがあってね? もう少し考えて…………あ」
「あーこれこれ! いつものリュシルの口調になった! 俺の呼び方もアドラーでいいからな」
アドラー様が満足そうに腕を組んで頷く。
「これが前の私の口調……?」
「あ? ああ、いつもここに来る時はリュシルはそんな感じだったぞ。まあ、最初はいかにもお嬢様らしい口調で喋ってたが、途中からやめてたな。それもお前が十二歳くらいの頃だから、今から六年前とかか?」
あの時はこーんなちっさかったのにな、と親指と人差し指で米粒みたいなサイズを表現されたけれど、そんなんじゃなかったでしょ、と威勢よく返せるような過去の記憶は私にはないので困る。流石に人間はそんな米粒みたいなサイズになることはないから言い返したっていいのだけど。
メラニーはどう思っているのか気になって視線を向けると、メラニーは感情が読めない無表情で、棚に仕舞ってあったティーセットを取り出してお茶の用意を始めていた。
「あ、すまんすまん、なんか聞きたいことがあって来たんだろ? 聞いてやるよ。俺が答えられることならな」
「えっと…………」
聞きたいことが何個か出てきて思考を巡らせる。
アドラーは私の台詞を待ってくれていて、その間にメラニーがお茶を用意してくれた。
メラニーが用意してくれたアールグレイティーを一口飲んで、考えがすっきりとしたので口を開く。
「前のリュシルのことが知りたくて来たの。屋敷で前のリュシルのことを訊いても、誰も答えてくれなくて。アレクシ様も話したがらないようだったから。でも、ここに来たら何か教えてもらえるかもと思って」
「なるほどね」
「前のリュシルはどんな人だったのかとか、どうしてリュシルはここに出入りしていたのかとか、知りたいことは沢山あるけど、一番知りたいのは、リュシルがどうして倒れたのか」
アドラーとメラニーが目を見開く。メラニーが大袈裟なくらい狼狽えていて、胸元を両手で掴んで俯くメラニーに駆け寄る。
「どうしたの、メラニー」
「知らなくていいです。お嬢様はあんなこと、あんなことを思い出すくらいなら…………」
肩を震わせて泣き出すメラニーを抱き寄せて背中をさすりながら、アドラーの方を見ると、彼は肩を竦めて見せた。
「残念だけど、最後の質問には俺も答えられないよ。それは俺も知らないことだからね。ただ、酷い怪我をしていたらしいことは知ってる。軍に繋がりのある有名な治癒師から聞いた」
「怪我…………」
「とりあえず彼女泣いてるし、その話はまたにしよう。他のことには答えてやるからさ」
毛先が少し痛んで跳ねている銀髪をアドラーは邪魔くさそうに手で払って、足を組みなおした。
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