10.5話・氷の花(アレクシ視点)
アレクシ視点です。
ああ、これは夢だとすぐに分かった。
これはリュシルが”一回目に”倒れた日だ。
僕はこの日久しぶりにリュシルと二人きりで会えて嬉しくて浮かれていて、ここ最近モヤモヤしていたこととかは一旦水に流してリュシルとのデートを楽しもうとしていた。
リュシルに貰ったリボンは今でも僕の宝物で、少女用のものだから社交の場には付けていくわけにはいかないが、リュシルと二人きりで僕の家の庭ならリュシルも大目に見てくれるはずだ。彼女は優しくて、僕にそのリボンをつけないでと言うのだって僕の社交界での立場を気にしてのことだから。
リュシルはとても優しい。僕はそれを、リュシルは僕のことが好きだから優しいのだとばかり思い込んでいた。自惚れていたのだ、愚かなことに。
リュシルは透き通った青色の長いさらさらした髪を持ち、エメラルドの瞳を髪色と同じ青い睫毛に縁どられている。人見知りがちであまり人前で笑わないのもあり、容貌だけなら冷たい印象を受ける。実際、社交界では【花氷の姫君】なんて呼ばれている。
しかし、彼女は全く笑わないわけではないし、情に薄い人でもない。
両親のことを大切にしていて、使用人に対してもいつだって丁寧な態度を崩さない。
それに、一人娘で両親の役に立ちたいからと、ナミュール家現当主が指揮を執っているこの国の軍にも顔を出している。そこで軍師としての才能が認められて、最近は軍事会議にも参加している。この国の軍需産業や他国との貿易にも、担当官吏が度々リュシルに意見を求めに来るほどだ。
人との交流がないわけではなく、むしろこの国の価値観に則って言うならば、他のご令嬢よりもよほど顔が広いほうだ。当代きっての才媛として褒め称えられ——むしろ崇め奉られている。
それなのにリュシルはいつも遠慮がちで、自分の居場所なんてどこにもないといったような顔をして、淡々と自分の意見を述べては、「あくまでも小娘の言うことだとお捨て置きくださいませ」と締めて壁の花になろうとする。……まあ、誰も彼もがリュシルを放ってはおかないから、本当に壁の花になれたことなどただの一度もないのだが。
僕はリュシルを取り巻く周囲の環境そのものがただでさえ不満だった。しかし、それに加えて僕とリュシルの仲を引き裂く輩が現れ、リュシルの態度が段々とよそよそしくなっていったのだ。
「リュシルももうすぐ十八歳だね」
僕がそう呟くと、その話の切り出し方自体は疑問に思わなかったらしいリュシルは、僕の胸元のリボンタイをちらりと見やってから庭の花々に視線を向ける。
今日も庭の花は絢爛に咲いていて、リュシルに見せるに相応しい出来だ。
「アカデミーも卒業だと思うと寂しいわ」
——そんなことを言うのは、アカデミーで僕よりも懇意な男が出来たからなんだろう。
今日はこんなことを考えないようにしようと思っていたのに。
リュシルの心が見えなくて、疑って、勝手に憤って、リュシルを困らせてまたリュシルの心が離れていくのを感じて——馬鹿みたいだ。
今日はリュシルと二人で楽しく過ごすと決めたのだから、こんな話題を口にするのはやめよう。
気にしていないとアピールするみたいに笑みを作る。うまく笑えているだろうか。
「……それより、結婚式のことだけど」
リュシルが僕の声に反応せず、長い睫毛を震わせて緩やかな抵抗をしてから瞼を閉じる。
「――リュシル? リュシル!!」
ふっ、と唐突にリュシルの身体が傾いて椅子から崩れ落ちた。
リュシルの身体が地面に叩きつけられる前に咄嗟に抱きかかえて、その身体の細さに驚きながらリュシルの名前を何度も呼ぶ。
「リュシル! どうしたんだ、リュシル!」
僕が名を叫んでいると、離れたところに控えていたリコが状況の異様さに気づいたらしく、暫くしてオールヴェルニュ家お抱えの医者がやってきた。
目が覚めたリュシルは、目覚める前よりもさらに僕を避けるようになっていた。
僕がお見舞いに行った時も、僕の顔を見ようとせずか細い声で短く返事をするのみだった。
直前に会話していたことに悪い点はあったとは思えない。しかしリュシルが何を考えていたのかは分からないから確信があるわけではない。
……ここ最近、ずっとそうだった。
昔はリュシルも僕のことを好いてくれているのだと信じられた。
人見知りであまり人に笑顔を見せないリュシルが、僕を見つけるなり花開くように笑みを浮かべて安堵を露わにするのが嬉しかった。リュシルの秘密だって教えてもらえた。
しかしリュシルがアカデミーに行き始めて、あの留学生と交流し始めてからリュシルの態度がおかしくなっていった。
リュシルは僕に対してよそよそしくなって、あまり笑わなくなって、結婚の話を避けるようになった。
きっとリュシルは僕への気持ちが冷めてあの留学生のことを好きになったんだ。だから僕と結婚したくなくなって、僕から逃げようとしているんだ。
——だから、あの日だって。
リュシルがどれだけ僕のことを嫌いになったんだとしても、僕は今更リュシルを手放せない。
花が氷に覆われてもう二度と直接触れられないんだとしても、僕はリュシルを他の誰にも渡したくない。
——あの崖から飛び降りた後のリュシルが”二回目に”目を覚ました時、リュシルは全ての記憶をなくしていた。
好都合だと思った。世界が今更僕に慈悲をかけ始めたのだと錯覚すらした。
リュシルが「記憶喪失ではない」と言い出した時、「リュシルが記憶喪失になった」と確信を得た。
リュシルが記憶を取り戻してしまったら、またリュシルは僕のことを嫌いになって、あの留学生を好きになってしまう。
だからリュシルは二度と記憶を取り戻さなくていい。極力僕としか関わらないようにして、リュシルが自然と僕を好きになるまで待てばいい。
リュシルと過ごした日々をリュシルが覚えていないのは寂しいけれど、リュシルが僕から逃げていくのに比べたら受け入れられる傷だ。
幼い頃思い描いていたハッピーエンドではなくても、隣にリュシルがいてくれるならそれだけでいいんだ。
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