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ガラス越しに見えた嘘、俺は全てを捨てて歩き出す  作者: ledled


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第4話:名古屋で再起する男

名古屋での最初の三ヶ月は、ひたすら働いた。


フリーランスとして田村に紹介してもらったWeb制作会社との契約を足がかりに、誠司は少しずつ仕事の幅を広げていった。システム開発の案件、APIの設計、小規模なアプリのリリース補助。技術力は確かだった。広島にいた頃、誠司は会社でも「地味だが仕事が確かな男」と言われていた。フリーランスになっても、それは変わらなかった。


昼間はクライアントの仕事をこなし、夜は自分のWebサービスの開発を進めた。睡眠は削ったが、苦にならなかった。仕事に集中している間は、余計なことを考えずに済んだ。


名古屋での生活は、思いのほか性に合っていた。広島より少し大きく、東京より少し小さい。誠司にとって、その「ちょうどよさ」が心地よかった。


引っ越してひと月が経った頃、近所を散歩していて一軒のカフェを見つけた。


「珈琲と焼き菓子 さきかぜ」


店の外から見ると、白い壁にウッドの看板、窓際には観葉植物。こじんまりとしているが、清潔で落ち着いた雰囲気だった。入ってみると、カウンター席が四つ、テーブルが二つ。店内はBGMもほぼなく、静かだった。


「いらっしゃいませ」


カウンターの中から声がした。


顔を上げると、三十歳前後の女性がエプロンをつけて立っていた。肩まである黒髪を一つに束ね、眼鏡をかけている。笑顔は穏やかで、でも媚びたところがない。


「一人です」とだけ言うと、「どうぞ」とカウンターの席に案内された。


コーヒーを注文し、スマホで仕事のメールを確認しながら飲んでいると、店主が話しかけてきた。


「この辺、お引っ越しされましたか?」


「ええ、ひと月ほど前に。近くのマンションに」


「そうなんですね。私もこの辺の出身なので、よかったらわからないこと何でも聞いてください」


押し付けがましくない言い方だった。誠司は少し肩の力が抜けた。


「木村咲と申します。この店、二年前に一人で始めました」


「北山誠司です。ITの仕事をしてます」


それが、咲との最初の会話だった。


それから誠司は、週に二、三度この店に来るようになった。仕事が煮詰まったとき、一人で昼を食べたいとき、気分転換に散歩がてら。咲は毎回同じ穏やかな表情で迎えてくれた。世間話をすることもあれば、何も話さずにコーヒーを飲んで帰ることもあった。どちらでも咲は気にしなかった。


「お仕事、楽しそうですね」


ある日、誠司がノートパソコンを広げてカウンターで作業していると、咲がそう言った。


「楽しいかどうかは分からないですが、好きではありますね」


「それ、一番いいと思います。好きなことで食べられてるって、すごいことですよ」


咲は笑った。誠司も、少し笑った。


そのとき、スマホにTwotterの通知が入った。共通の知人のアカウントで「おめでとう」「うれしい」というコメントが並んでいた。何かと思ってリンクを開くと、大輔と奈緒の交際報告の投稿が表示された。


二人のツーショット写真。笑顔。「これからよろしくね」というキャプション。


誠司は画面を見て、一拍おいて、スマホを伏せた。


「どうかしました?」


咲が訊いた。誠司は「いえ」と首を振った。


「ちょっと昔のことが出てきました。でも、もう大丈夫です」


「昔のこと、か」


咲は少し考える顔をして、新しいコーヒーを入れ始めた。


「昔のことって、時々思い出すより、急に目の前に来る方がきついですよね」


「そうですね」


「でも、目の前に来たってことは、それだけ遠くなったってことでもあるかもしれない」


誠司はその言葉を、少し時間をかけて飲み込んだ。


確かに、怒りはなかった。痛みも、以前より薄かった。大輔と奈緒が一緒にいることを、自分は怒るべきだろうか、と考えて、そうでもないと気づいた。別れたのは自分だ。二人の関係がどうなろうと、もう自分には関係がない。


「ありがとうございます」


「何もしてないですけどね」


咲は笑いながらコーヒーカップを誠司の前に置いた。


誠司のWebサービスが形になってきたのは、名古屋に来てから半年が経った頃だった。


「スケーリル」という名前をつけた、スキルアップを記録して共有できるプラットフォームだ。プログラミング学習者や資格試験の勉強者が、自分の進捗を可視化しながらコミュニティでフィードバックし合える仕組みになっている。誠司が長年感じていた「独学の孤独さ」を解消したくて、少しずつ作り続けてきたものだった。


最初は知人に使ってもらうだけのつもりだった。しかし、口コミが広がるのは想像より早かった。三ヶ月で登録ユーザーが二千人を超え、半年で一万人に達した。


「すごいじゃないですか」


咲にその話をしたとき、彼女は目を丸くして言った。


「まだビジネスとしては小さいですけどね」


「でも、人が必要としてくれてるってことでしょう。それって、ものすごいことだと思いますよ」


誠司は少し照れながら、コーヒーを飲んだ。


この街で、少しずつ根が張り始めていると思った。広島を出るとき、自分がどこへ向かうのか分からなかった。でも今は、なんとなく、ここが正しい場所だという感覚があった。


前の生活で失ったものは、確かにあった。でも今の誠司には、仕事があり、この店があり、咲との静かな会話があった。それがどういう意味を持つのか、まだはっきりとは分からなかったけれど、悪くない、とだけは思えた。


秋が深まり、さきかぜの窓際に小さなクリスマスの飾りが置かれるようになった頃、誠司は初めて咲を店の外に誘った。近くの商店街に新しいラーメン屋ができたと聞いて、「一緒に行きますか」と声をかけた。


咲は少し驚いた顔をして、それから「はい、行きましょう」と笑った。


帰り道、二人並んで歩きながら、誠司はふと「広島を出て正解だったかもしれない」と思った。


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