勇者として。僕として。
完全に不意をついたはずだった。
全力の一撃のはずだった。
それなのに。
「かはっ…!!」
魔王は振り向いたと同時に僕の首を掴んでいた。何が起きたのか分からなかった。
僕の拳は、確かに魔王の背中を捉えていたはずだ。
なのに、気づけば足が床から離れている。
魔王は僕を片手で持ち上げていた。
ローブから伸びた腕。肘から先は鱗に覆われ、猛禽類のように鋭い爪が首に食い込んでいる。
呼吸ができない。
「あらあら〜。不意をつけば、勝てると思った?」
アルカがにやけ顔でこちらを見つめる。
身を捩って逃れようとするが、腕はビクともしない。
「あまり暴れないでくれるかしら。そうね…」
不意に視界が反転した。
次の瞬間、頭に凄まじい衝撃が走る。床に叩きつけられたのだと理解したときには、視界が霞み始めていた。ぼやけた視界の向こうで、魔王が僕を見下ろしていた。
ローブの奥から、その素顔が覗く。
――え?
心臓が大きく跳ねた。
知らないはずだ。
初めて会ったはずだ。
それなのに、どうして。
「……き、みは……」
頭が割れるように痛む。
何かを思い出しかけた。
でも、それが何なのか分からない。
僕の意識は、そこで途切れた。
◇
「ほら、ユス君。起きて起きて。」
体を揺すられ、目を覚ます。意識がはっきりすると、慌てて上体を起こし、周りを見回す。
すると、横でビクターが笑顔を浮かべていた。
「いやー、ユス君も寝坊助さんだね。そうそう会議も終わって、君の処遇が決まったんだよ。喜んでくれたまえ、当分うちの--。」
「まお--。」
ビクターの話を遮り、言葉を発したが、途中で声が出なくなる。
「どうしたんだいユス君?」
彼は驚いた表情をして僕を見つめる。口をぱくぱくさせていると、僕の隣にナビの姿が現れた。
「初めましてビクター様。案内人のナビと申します。この度は、ユスのお世話をしていただきありがとうございます。」
「あ、いやー、どうもどうも。報告には上がっていたが、本当にいたんだね。勇者の伝承通りだ。こちらこそ私の兵を守ってくれてありがとう。」
「いえ、全てはユスが判断したことです。敬意なら彼だけにお願いします。」
「いやいや、そんな謙遜しなくても大丈夫だよ。その、良かったらなんだけど、いつかお話しさせてもらっても?ユス君のこと、できるだけ知りたいんだよ。」
「……私に勇者の情報を流せと?」
「いやいや、そんな警戒しないでくれよ。あくまで、ユス君のことを知りたいだけさ。今後の生活や冒険のサポートをより良くするためにね。」
「……前向きに検討しておきましょう。」
ビクターとナビの会話を聞いていると、ナビの念話が聞こえた。
『ユス、申し訳ありません。少し声を封じさせてもらいました。今は魔王のことは伏せましょう。ここは王都の中心。もし、情報が漏れてしまっては混乱を招きます。ユスが眠っている間に、部屋は修復しました。侍女からも、先ほどの出来事に関する記憶を消してあります。今は何事もなかったように、扉の前で待機しています。』
そうか、良かった。
でも、僕の意思とは関係なく声を封じられたことには、少し引っかかった。
すると声が出るようになった。
「あ、あの!」
その様子を見て、ビクターが歩み寄る。
「大丈夫かいユス君?」
「ユスはどうやら、行きの馬車の疲れが出ていたのか、部屋に着いてからずっと寝ていました。寝起きだったため、声が出にくかったのでしょう。」
ナビが僕の代わりに答える。
「そうか、すまないね。本当は転移魔法で行ければすぐなんだけど…僕はあれが苦手でね。それに道中の風景が好きなんだ。帰りは転移魔法にするかい?」
ビクターが僕と目を合わせる。
「いえ、大丈夫です。」
僕は無意識に視線を逸らしながら、短く返した。
「…そうかい、外でシアも待たせてある。さっさとこんなところを出ようか。」
◇
「--って感じでね。あの時のシアの顔はすごかったね。確か、幼い頃に勝手に置いてたお菓子を食べた時以来かな。おっと!この話は内緒にしておいてくれよ。シアになんて言われるか分からないからさ。」
揺れる馬車の中、ビクターが陽気に話す。
「……そうなんですね。」
何も考えられない。あいつらの言葉、光景が頭を巡った。
「……ユス君、何かあったのかい?」
「すいません。でも…大丈夫です。」
ビクターは少し大きめに息を吐く。
「あーあ、シアも最近冷たいし、とうとうユス君も僕の元を離れちゃうのか〜。さみしいなー。お父さんさみしいなー」
と言いながら、座席にぐったりと身を投げ出す。
「いや、その…。ってお父さんじゃないですよね!?」
「お、少しは元気が出たかい?それなら良かった。」
顔だけこちらに向け、ニヤッと笑った。それだけ、僕のことを心配してくれていたのか。
「実は、王宮で…」
「ユスさっきも伝えましたが…」
ナビが言葉を遮った。
「分かってるよ。でも、いいだろ。ここは王都じゃない。それにビクターさんには隠し事はしたくないんだ。」
「まあ、いいでしょう。ビクター様、今から話す内容は秘密にしていただきたいです。人払いをお願いできますか?」
「……ああ、分かった。」
ビクターは顔つきを少し変えた。窓を開け、隣に付いていた護衛に指示する。そして、小瓶を懐から取り出し、中に入っていた粉を振りまく。粉は光り輝きながら部屋に広がり、姿を消した。
「これは?」
「気にしないでくれ。声が外に漏れないようにする魔道具だ。この粉が馬車の床や壁に付着することで簡易的な結界を作る。友人の傑作でね。重宝してるんだ。これなら、どんな大きな音を出しても、外には聞こえないよ。」
空になった小瓶を懐に入れて姿勢を正した。
「では聞かせてくれ。あの時何があった?」
「……実は、魔王がきたんだ。」
「魔王が!?」
ビクターは思わず周囲を警戒する。その後すぐに近づき僕の両肩を掴んだ。
「ユス君、怪我は?彼女らの目的は?」
思わず彼の勢いにビクついてしまった。
「っと、すまない。」と言ってビクターは座り直す。
「…反撃はされたけど、今は大丈夫です。目的も、挨拶としか言ってなかったのですが。ただ、その……」
目を伏せる。とても顔を合わせられない。
「僕は何もできなかった。」
肩が震える。
「ただ人質を取られて奴らの要求を飲むことしかできなかった。反撃しても全く歯が立ちませんでした。」
握った拳に力が入る。
「それに、どうやら僕は他の勇者と違って…。弱いみたいで。バカにされて、でも何もできなくて。こんな僕が、勇者でいる意味なんてあるんでしょうか……。」
意思に反して、声が震える。
自分がこの世界に存在する意味すら、分からなくなっていた。
「なるほどそういうことか。」
ビクターが深く息を吐く。
「大丈夫だ、君は強くなれる。なんて言っても慰めにもならないよね。」
ビクターは窓の外を見る。
部屋の空気が重い。ガタガタと馬車の揺れる音が響く。
ビクターは姿勢を正し、僕と向き合った。
そして、何でもないことのように言った。
「それなら、勇者なんか、やめちゃえば良い。」
そして笑顔で僕に顔を向ける。
「え?」
「勇者?使命?そんなもの、誰が決めたんだい?」
ビクターは肩をすくめる。
「誰がなんと言おうと、これは君の人生なんだ。使命だとか運命だとか背負う必要なんかない。
君が最弱なら、魔王討伐なんて、他の強い勇者に任せようじゃないか。」
「でも、それじゃ…僕の意味は?」
「使命とか肩書きなんか全て忘れて、自分の中を空っぽにして、それでも自分の中に残っているもの。そのためだけに命を燃やすと良い。君は勇者という人形なんかじゃない、君は君なんだ。」
そう言って、頬杖をつきながら優しい目で僕を見つめる。
「ユス君。君のやりたいことは何だい?」
すぐには答えられなかった。
勇者の使命。
魔王の討伐。
それらを全部取り払ったら、僕には何が残るんだろう。
ふと、シアの顔が浮かんだ。
あの日、傷だらけになりながらも助けようとした彼女。
そして、僕に笑いかけてくれた街の人たち。
アイやティアの顔も思い浮かぶ。
僕は、あの笑顔を失いたくない。
そうだ。
あのときも、誰かに命令されたわけじゃない。
僕が、そうしたかったんだ。
「……僕は」
自然と言葉がこぼれた。
胸の奥が熱くなる。
「僕は、大切なみんなを守れるくらい、強くなりたい。」
これは、勇者の使命なんかじゃない。
僕自身が選んだ、僕の願いだ。
「そうか。君の意思が本物なら、その意思が君をどこまでも連れて行ってくれる。期待してるよユス君。」
「はい!!」
「よし、それでこそ我が息子だ!」
「いや、だから息子じゃ…。」
まぁ、いいか。
ありがとう、お父さん。
その時、ふと気になったことを口にする。
「ビクターさんにはやりたい事ってなんですか?」
「ん? 僕かい。僕は……」
ビクターはしばらく考え込んだ。
「……なんだろうね。色々あったんだけどね。もう忘れちゃったよ。いやー、歳は取りたくないもんだね。」
いつもの調子で笑い、頭を掻いた。
「思い出したら教えてくださいね。」
「あぁ、その時が来たら教えてあげるさ。」
魔王の顔が、ふと脳裏をよぎる。あのとき感じた胸の痛みは、まだ消えていない。
それでも、今は前を向こうと思えた。
◇
私は二人の会話を見ていた。ユスも元気を取り戻したようで結構。ビクターもとりあえずは信用しても良さそうです。
それよりも私の心に引っかかる存在。
アルカ。あいつは何者?
「ビクター様、魔王はアルカという従者を連れて現れました。この名前に聞き覚えは?」
「アルカ……。」
ビクター様は一瞬だけ考え込んだ。
「いや、この街ではよくある名前さ。でも、魔王の側近としてか…こちらでも調べておくよ。」
魔王はこの世界に1人、その力も魔王しか持たないはず。
でも、どうして、あいつは…
私の脳裏に、王宮でのやり取りが蘇る。
◇
「なぜ、魔王の力を持っているの? アルカ、あなたは何者? 目的は何?」
私は去ろうとする二人を引き止めて問い詰めた。するとアルカは不気味な笑顔を浮かべ振り向く。
「さぁーて、私は何者なんでしょうね?ねぇ?魔王様?」
すると、魔王はアルカの肩を引き寄せた。
「…ナビゲーター。この子は私の大切な仲間。ただそれだけよ。」
「それじゃ、答えになっていな--。」
「ごめんなさいね。時間切れだわ。それじゃごきげんよう。」
「ばいばいナビゲーター。ユス君によろしく。」
アルカは楽しげに手を振った。
そして、二人の姿は扉の向こうへ消えた。
◇
「ナビ。おーい?」
その声が私を現実へ引き戻す。ユスが私の顔を覗き込む。
「え?はい?」
「いやー、アルカって子の特徴を聞いていたんだけどね。返事がないから、どうしたのかと思って。」
ビクター様が困ったように笑う。
「え、あぁ、そうですね。良いでしょう。お伝えします。」
「ナビ、もしかしてまた寝てたの?」
ユスが目を細めている。
「寝てません!!それに今それについては…」
「寝てたってどういうことだい。」
「いや、ナビはね、こう見えて…。」
「ユス!!」
「もしかしてお寝坊さんか?」
「そうなんだよ、今まで出てこなかったのも居眠りしてたみたいで…」
「はっはっは!睡眠が好きな子に悪い奴はいないさ。」
「あーもう!」
まったく、この二人は……。
私のため息も気にせず、二人は楽しそうに笑っている。
そんな騒がしい時間を乗せて、馬車は街道を駆けていった。
ギギギ、と軋む音を立てて扉が開いた。
見慣れた大広間が目に入る。
天井を支える石柱には、紫色の炎を灯した松明が並んでいる。
相変わらず不気味な色ね。誰の趣味だったかしら。
広間の中央には、大きな円卓。
今は三人しか席についていないようね。
アルカを先頭に、私たちは部屋に入った。
「たっだいまー!魔王様のご帰還でーす!」
「今戻ったわ。」
「おぉ、姉御!戻ってきましたか!!」
「おっつー。」
「…おかえり。」
それぞれが声を返した。一人は豪快な声を上げ、一人は本を読みながら、一人はこちらに顔だけを向けた。
そのうちの一人、グールが巨体を揺らし、どしどしと足音を響かせながら私に近づき、片膝をついて顔を上げた。
「どうでした?めぼしいやつはいましたか?」
「そうね。それなりに楽しめるんじゃないかしら?」
「ほほぉ、そいつはいいですね。楽しみですなぁ。」
満面の笑みを浮かべ私のローブを預かってくれた。
私とアルカは自分の席に着いた。
「私が留守にしていた間、何かあった?」
「…報告がある。見て。」
ササが静かに立ち、片手を前に突き出した。すると、彼女の背後から何かが飛び出し、円卓の上に投げ出された。一人の人間だった。全身から血を流し、無惨な姿だった。腕は後ろで拘束され、足は折られてあらぬ方向を向いている。でも、獣のような目は光を失わず私を捉える。
「…だれ?この人?」
「ちょっと魔王様。こいつはカトゥス王国の勇者じゃないですか?忘れたんです?」
「ごめんなさいね。興味ない人は覚えていないの。で、勇者がどうしてここに?」
「魔王様を殺しにきたんじゃないですかね?入ってくるなり、魔王はどこだ!!出てこい!なんて。何か挑発でもしたんですか?」
本から視線を外し、リディはニヤニヤしながら私を見つめる。
「さあ、何て言ったかしら。それより、ここまで来たということは被害は出たの?負傷者は?」
グールが素早く立ち上がった。
「はっ! 報告します! 警備に当たっていた兵の約四割が戦死。それに、カタリが……」
「カタリが?大丈夫なの?」
「…大丈夫。ただ肩を捻ったって。今は自室で休んでる。」
ササが短く答えた。
「そう、良かった。後で詳細を聞かせて、対策を考えるわ。」
そう言って、机の上の勇者を睨む。
「こんにちは、勇者さん。ご機嫌いかが?」
「お前なんか……俺が必ずッ!」
挨拶くらい返せないのかしら。イライラする。
「そこまで私が憎いのね。どうして?」
「決まっている! 俺は勇者だ! お前を倒すために、この世界に生まれたんだ!」
あなたの答えはそれだけなのね。つまらないわ。
「で、使命に駆られて一人で来たというわけね。ナビゲーターは?…そう、いないのね。憐れね。一人で勝てると思ったのかしら?」
それでも彼は息を荒げながら私を睨んでいた。
「まぁ、いいわ。リディ、こいつを国の前にでも置いておきなさい。」
「えぇ!僕!?めんどくさーい」
「本ばっかり読んでいると、体に悪いわ。少しは運動しなさい。」
「はーい。でも、いいの魔王様?」
リディがにやけてこっちを見る。
本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。
「これじゃ、この勇者やカトゥスに舐められるよ。それに、勇者と魔王の戦い。
勝敗が決したのに、街に戻されて再スタート。そんな生ぬるいオチでいいの?」
「何が言いたいの?」
「ずばり!勇者の処刑と国の破壊!どうでしょう?」
「おぉ!!」
他の三人から感嘆の声が聞こえ、同時に勇者から息を飲む音が聞こえた。
「流石リディ!やっぱり天才だったか!!」
「…ん。賛成。」
「それがいいですよ。魔王様!」
グール、ササ、アルカが口々に賛同する。思わずため息を吐いた。
「私は別にそんなのは望んでいないんだけど?」
「でも、ここで勇者を返せば、また次の勇者が来ますよ?負けたら国が滅びる、そうすれば次に挑もうとする勇者も、少しは考えるんじゃないですか?」
「……つまり、見せしめにしろと?」
「そういうこと!」
周りを見渡す。皆、まるでおもちゃをねだる子供のような目をしている。
なら…仕方ないわね。
「わかったわ。この勇者とカトゥスのことは任せる。好きにしなさい。」
「おぉ!!」
「そしてアルカ。あなたに指揮は任せる。今日までついてきてくれたご褒美よ。」
すると、アルカの顔がぱっと明るくなった。
そして、軍人さながらに敬礼した。
「わっかりました!!ありがとうございます!!
カトゥスを必ず滅ぼします!女子供、農民、商人、貴族関係なく!
今まで生きてきたことを後悔させるほど!
自分から死を望むほど!
悲惨に、残酷に、凄惨に、滅ぼします!!」
アルカの声が部屋全体に響き渡る。
その宣言に呼応するように、幹部たちが一斉に動き出した。
「よしじゃあ作戦会議だ!!地図を持ってこよう!!」
「飲み物は?お菓子もいるよね?とりあえず取りに行かないと。」
「……私も手伝う。お前、もう、邪魔。」
ササが片腕を上げると、勇者が机から叩き落とされ、私の横に落ちた。
皆、それぞれ準備のために部屋を出ていく。
まるでハイキングに行くようにはしゃいでいる彼ら。
「あなたたちの方がよっぽど魔王らしいわね。」
ふと呟き、部屋の外に出ようとした。でも、私の胸の奥に残った不快感は、まだ消えていなかった。
すると、横から声が聞こえた。
「こいつら、狂ってやがる。くそ!くそ!俺がなんとかしないと!!お前らなんか!お前らなんか!!」
私の横で勇者がイモムシのように動いている。その瞳が、徐々に赤く染まっていく。
「もう遅いわ。それに…」
そう言って、勇者の頭を掴んだ。
「え?」という間抜けな声を出す。
そのまま、床に叩きつけた。
轟音が響き、石床に亀裂が走る。
そして頭を引き上げる。顔は潰れ、夥しいほどの血が流れる。
先ほどまでの威勢は消え失せていた。
「これでも私、かなり怒っているのよ。……よくも、私の大切な仲間を傷つけてくれたわね!!」
握る手に力が入る。もう、このまま殺してしまおう。こいつは私の敵だ。
「あぁー!!ちょっと、魔王様!!私の楽しみを取らないでくださいよ。」
アルカが両腕いっぱいに荷物を抱えて戻ってきた。その声にふと我に返った。
「……ごめんなさいね。つい。じゃあ後は任せるわ。」
そう言って私は部屋を出る。
そして数日後。
全世界から、カトゥス王国からの通信が途絶えた。




