私の一日
雨が降っている。
ひどい雨だった。
目を開けているのもつらいほどの雨が、私と彼に容赦なく降り注ぐ。
彼は動かない。
何度名前を呼んでも、返事がない。
伸ばした手が、赤く染まっていた。
これが正しかったの?
これしか方法がなかった?
そもそも、なぜこんなことが起こった?
なぜ、彼を連れてきてしまった?
私が選んだ。
私が殺した。
私が。私が。私が。私が--。
◇
「っは、はぁはぁ…。」
嫌な汗が顔から滴る。手のひらを見る。何もついていない。けれど、その手は震えていた。
「また、あの夢か…。」
そう言って、汗をぬぐい、服を着替えた。
ふと、鏡に映った自分の顔を見る。
「……しっかりしなさい、シア。」
両頬を軽く叩く。いつまでも過去に囚われているわけにはいかない。その思いを胸に部屋を出た。
◇
屋敷の門を出ると朝日はまだ上がりきっておらず、あたりは薄暗い。その中で、一人で体操をしているユスがいた。ユスは私に気がついたのか、ストレッチを止めた。
「おはようシア。」
「おはようユス。じゃあ今日も始めましょうか。」
そう言って、私たちはまだ薄暗い街へと駆け出した。
◇
「そう、昨日の夜も問題はなかったと。いつもお疲れ様。」
「いえいえ、これが私の仕事なんで。」
屋敷の門から、街中を駆け、市場を抜けて城門まで、ついでに夜勤の門番さんに状況を聞き、元来た道を走る。時間にして1時間ほどのランニング。トレーニングを兼ねた私の日課だった。
「はぁ、はぁ。やっと追いついた。」
報告を聞いていると、遅れてユスが辿り着いた
「やるわねユス。昨日よりも早くなってるわ。よし!じゃあ今日は休憩なしで帰るわよ!」
「えぇ、ちょっとそれは…」
「ほら、強くなるんでしょ!頑張って!」
「はぁい!!」
膝に手をつき、肩で息をしながら返事をする。
「それじゃ、お疲れさま。何かあったらすぐに連絡をお願いね。」
「了解しました。ほら兄さんも頑張れよ。」
そう言って門番はユスの背中を叩く。
「ありがとう…ございます。」
そうして私たちは来た道を引き返した。
王の謁見が終わってから、もう一週間ほどになる。あの日からユスの顔つきが変わった。今までは優しいが少し頼りない青年だったが、トレーニングに真剣に向き合う顔はまさに勇者のそれだ。私が知らない間に何かがあった。そして、ユスは変わろうとしている。
そんな姿が私には眩しく見えた。
「はい、ゴール。お疲れ様。」
ゴールについたと同時にユスは地面に手をついた。
「おつ…かれ…。」
最後の方はほぼ聞こえない。
「確かに昨日よりは早くなっているわ。でも、まだまだってところね。」
ちょっと得意顔でユスに言った。
ユスは息をするのが必死で何も答えない。
「まぁ、今はこれで十分よ。ほら、食事が待ってるから汗を流しにいきましょう。」
「はぁーい。」
そう言って門を通ろうとした時、ユスの横にナビが現れた。
「本日もご協力ありがとうございます。シア様。」
相変わらず、突然出てくる奴ね。
「別にあなたに感謝言われることはないわよ。」
ナビを一瞥しつつぶっきらぼうに返した。
「いえ、あなたのおかげです。今はただ感謝を…」
落ち着いた声で、感謝を述べるナビはどこか神秘的な存在であった。
でも、もう遅い。
「…今更そんなキャラクターを作っても無駄よ。私の中ではあなたは、寝坊助キャラで定着してるんだから。」
「はぁ!?だから私は寝坊助では…!」
「はいはい、あんたもいくわよ。勇者を一人にしてもいいの?」
ナビは声にならない声を上げ、激しく上下に揺れながらユスの後に続いていく。地団駄でも踏んでいるのだろう。
ま、あんな奴でもユスのことを思っているのよね…。
そもそも、彼が参加するようになったのも彼女がきっかけだった。
◇
「シア、僕もトレーニングに混ぜてくれないか?」
夕食から部屋に戻る時ユスにお願いされた。
「え?っていうより、どうしてそれを?」
すると、ユスの横に光が現れる。
「申し訳ありません。私が教えました。」
思わず身を構える。
「お久しぶりね。ナビ…だったわね。あの日以来かしら。」
「……お久しぶりです。シア様。」
「それより、私のトレーニングのことをどこで?」
「周囲を警戒しているときに拝見しました。」
「ふーん、そう。」
私たちの行動は監視されているということですか。私は腕を組んだ。
「ユス、トレーニングには参加してもらって構わないわ。むしろ大歓迎よ。」
「シア、ありがとう。」
「でも、これだけははっきりさせて。」
私はナビを睨んだ。
「ナビ。あなたの目的は何?」
「どうしてそのようなことを?」
「…あの日の夜のことを忘れたとは言わせない。私はあんたのことを信用していない。あの時あなたは勇者を見殺しにしようとした。あなたは本当にユスの味方なの?」
ゆくっりとナビが答えた。
「私は、勇者を導くもの。それ以上でも、それ以下でもありません。」
「そう、あくまでその態度でくるわけね。」
「ですが、勇者を裏切るようなことは致しません。」
…嘘を言っているようには思えない。
でも、だからといって信用できるわけではない。
「シア、僕からも頼む。ナビはそんな奴じゃないと思うんだ。」
ユスが諭すように話した。
真剣な目で私を見つめている。
……まったく。この子は本当にお人好しね。
「まぁ、いいでしょう。今はあなたの言葉を信用しましょう。今後共よろしくね、ナビ。」
「ご厚意ありがとうございます。」
「私はあなたを信用したわけじゃない。それだけは覚えておいて。」
「承知しております。」
「ありがとうシア。」
「じゃあ、明日から早速始めましょうか。」
そのあとは軽く段取りを決め各々の部屋に戻った。心に残った不安はとりあえずは捨て置くことにした。
その後、ユスからナビについていろいろ教えてもらった。
どうやら、以前ナビが眠り込んでしまったことがあるらしい。
「……寝坊助だったの?」
「違います! あれは特殊な事情があって……!」
「ふーん。寝坊助ねぇ。」
「だから違いますってば!」
……意外と、からかいがいのある奴なのかもしれない。
◇
朝食を済ませ、一息ついたところで騎士団の訓練場へ向かった。目的は、ユスが今後使う武器を選ぶことだ。ここには練習用の武器が多数用意され、現在も他の団員がここで訓練している。
「ユス、これなんてどう。」
私の身長ほどもある長い棍棒を手渡してみる。
「やっぱり、武器は扱える方がいいのかな?」
少し弱気な声でユスが尋ねた。
「そうね。たとえ民間人であったとしても自衛の手段として扱える方がいいわ。魔物に盗賊、この世界は意外に物騒なのよ。それに、幼い頃にこう言った訓練を受けている人は意外に多いのよ。」
「やっぱりそうか。でも、これってどうやって使うの?」
ユスは持った棍棒を、練習用の木人に振ってはみるものの、棍棒の重さに振り回され、左右によろめき、しまいには自分の足にぶつけてしまう。痛みにうずくまっている彼の横に置かれた棍棒を手に取った。
「ほら、こうやって使うの。」
棍を握り直し木人と相対する。
勢いよく一歩踏み込む。
大きく振りかぶり、頭を狙うと見せかけ、左の脇腹に一撃。
すぐに弧を描くように逆の脇腹に一撃。
その後、頭、胴、足、様々な箇所に連撃を叩き込む。
攻撃の衝撃と音が訓練場に響く。
最後に一歩引き、胸を一突き。
木人は後ろに倒れた。
久しぶりに扱う武器だったが、身体は動きを覚えていた。
すると、周りから拍手の音が聞こえた。
どうやら、他の兵にも見られていたようね。
なんだか、見せつけていたようで少し恥ずかしい…。
「すごいよ、シア!僕もやってみたいよ!」
「そう、ありがとう。じゃあ練習あるのみね!」
そう言って渡してはいいものの…
「さすがにこれはなしね…。」
「…僕もそう思う。」
そう言いながらユスは私に棍棒を返した。
わずか数分で、ユスの腕と足にはあざが増え、頭には大きなたんこぶまでできていた。
「なかなか、自分に合った武器が見つからないわね。」
「まさか、自分がこんなにセンスがないとは…。流石に落ち込むね。」
武器探しをして今日で1週間。ユスにしっくりくる武器が見つからない。
私もそんな時期はあったが、ここまで苦戦したっけ?
それに他の人とは違う。そう思えるほど、ユスにはセンスがなかった。
「ま、まぁ、今大事なのは体の基礎を鍛えるのが大事だし!力がついたら自分に合う武器が見つかるわ!!」
「そ、そうだよね!きっと見つかるよね!」
「うん、きっとそうよ。」
「…シア、どうして目をそらすの?」
目は口ほどに物を言う。そう改めて実感してしまった…
◇
午後は基本自由行動だが、今日はビクターにおつかいを頼まれ、二人で行動している。お互いに荷物を腕いっぱいに抱えて帰路につく。
「全く、どんだけ買わせるんですか。」
思わず愚痴が出てしまう。ただでさえ出費を抑えてほしいのに…ユスは苦笑いしながら、こちらを見る
「でも、色々買ったね。書籍に魔道具、それに薬草。これって何に使うんだろう。」
「ビクター様はああ見えて研究熱心なの。魔術や魔道具、薬品にも精通しているわ。論文とかも書いていて、時々学会で発表もしてるのよ。」
「へー、ほんと見かけによらないな。」
「でも、そのせいで屋敷は常に金銭不足…
この前はどうしても欲しい魔導書の購入のために屋敷の一部を売却しようとしてたの…。もちろん、止めたわ。当て身で。」
ユスが苦笑いする。
「でも、少し分かった気がするよ。ビクターさんのやりたいことってもしかして、これだったのかな?」
無邪気な顔で私の顔を見る。
私は思わず視線を逸らした。脳裏に、あの日のビクター様の表情が浮かぶ。
「…えぇ、そうなのかもね。」
「どうしたの?シア?」
「ううん、気にしないで。」
そんな会話を交わしながら、夕暮れの街をゆく。
◇
誰もが寝静まった夜。
私は一人、屋敷の室内訓練場にいた。
手には愛刀。
目の前には、魔力によって動く訓練用の木人。
その動きは不規則で、いつ攻撃を仕掛けてくるか分からない。
ゆっくりと鞘から刀を抜き、正眼に構える。
目を閉じた。
深く息を吸い、意識を研ぎ澄ませる。
余計な音が消えていく。
自分の呼吸、心臓の鼓動。
やがて、それすらも遠のいていった。
木人が微かに動くのを感じた瞬間。
――今だ。
目を開くと同時に、剣を振り抜いた。
鋭い風切り音が響く。
一瞬の静寂。
動き出そうとしていた木人が、ぴたりと動きを止めた。
一拍遅れて、木人の身体に幾筋もの亀裂が走る。
次の瞬間、木片となって床に崩れ落ちた。
木片が床に散らばり、乾いた音が室内に響いた。
私はゆっくりと息を吐き、刀を鞘に収めた。
「精が出ますね。シア様」
不意に背後から声がした。
振り返ると、そこにはビクター様の秘書兼専属メイド、マリーが立っていた。
「ありがとう、でもまだまだね。」
そう言って、私は足元の木片を一つ拾い上げた。
「その理由は?」
目を伏せたまま理由を聞かれる。
「大きさがバラバラ。それに、断面も荒い。何より、斬ったときの感触が重かった。」
私は手にした木片の切断面を指先でなぞった。
「それはどうしてですか?」
ゆっくりとマリーが私に近づく。
「刀は軽く、切れ味に優れている。その反面、繊細な操作が求められる武器。力任せに振るえばいいわけじゃない。刃筋を整え、余計な力を抜く。そうすることで初めて、本来の切れ味を発揮できる。」
私は腰に差した愛刀に手を添えた。
「では、なぜそれができなかったのですか?」
気づけばマリーは私の目の前にいた。
そして私と視線を合わせる。
「それは……。」
思わず視線をそらした。言葉が詰まる。
技術の問題ではない。身体が鈍っているわけでもない。そんなことは、自分が一番よく分かっている。
「……私に、まだ迷いがあるから。」
持っていた木片を強く握り締める。
マリーは少しため息をついた。
「まぁ、いいでしょう。及第点といったところでしょう。」
そう言って、私に持っていたタオルを手渡す。
「……相変わらず厳しいわね。昔から。」
タオルを受け取り汗を拭き取りながら、愛刀を腰から外して壁に立てかけた。
「申し訳ありません。不器用なもので。」
「いいのよ。そのおかげで強くなれたんだし。」
「それで、私を呼んだ理由はなんでしょうか?」
「……分かっているでしょう?」
私はマリーに向き直った。
そして、事前に壁際に立てかけてあった二本の木刀を手に取る。
「手合わせをお願い。」
一本を投げ渡し、もう一本を握る。マリーは小さく息を吐いた。
「まったく。昔から変わりませんね、あなたは。」
マリーが木刀を構えて私に鋭い視線をむけた。
「では、久しぶりに稽古をつけて差し上げましょう。」
私も木刀を構える。
「……お願いします。先生。」
次の瞬間、二人が床を蹴る音が重なった。
◇
「勝負あり、と言ったところでしょうか。」
仰向けに倒れた私の喉元に、木刀の切っ先が突きつけられていた。
「やっぱり、さすがマリーね。全然敵わない。」
持っていた木刀を手放し両手を上にあげる。壁に掛けられた時計に目を向けた。時間にして10分ほどか…
私はやっぱりまだまだね…
「ここまで振るえるのであれば、人間相手では問題はなさそうですね。」
そう言いながらマリーが落とした私の木刀を拾い元あった場所に戻そうとする。
「……ですが、魔物相手ではどうでしょうね。」
「それは……。」
言葉が出てこなかった。
マリーはそれ以上、何も言わなかった。
「今日はもう終わりです。それではおやすみなさい。」
「マリー、待って。もう一勝負お願い。」
「いつも言っているでしょう。休息も訓練のうちだと。今日はもう休みなさい。」
「はい…。」
木刀を片付け終えてマリーは帰ろうとする。
「待って。」
思わず彼女を呼び止めてしまった。
「教えて。私は、どうしたらいい?」
自分でも驚くほど、弱々しい声だった。
「……それは、ご自身で見つけるものです。今までもそうするように教えてきましたが?」
マリーは足を止めずに淡々と返した。
「……そうよね。」
分かっていた。
そんなことは、ずっと前から分かっていた。
それでも、誰かに答えを教えてほしかった。
「ですが。」
そう言って、マリーは立ち止まり振り返った。
「迷える弟子を導くのも師匠の役目。ヒントを差し上げます。」
正直驚いた。今まで、マリーは私に問いを投げかけるだけだった。
でも、今回は違った。私は身を乗り出した。
「先ほど、私は及第点と申し上げましたね。」
「ええ。」
「では、なぜ満点ではなかったのでしょう?」
「それは……迷いがあるから。」
「では、その迷いとは何ですか?」
「……。」
「何を恐れ、何をためらっているのです?」
私は答えられなかった。
「シア。『迷いがある』という言葉だけで、分かったつもりになってはいけません。」
マリーは静かに続けた。
「何に迷い、何を恐れているのか。まずは、それを言葉にしなさい。」
「はい…」
何も言い返せなかった。
考えようとするだけで、あの日の光景が蘇る。
だから、いつもそこで考えるのをやめてしまう。
……怖かった。
「心の傷は簡単には癒えません。焦らず、答えを探しなさい。」
「……はい。」
「それに、ユス様と過ごす時間が、あなたに何かを教えてくれるかもしれません。」
「ユスが……?」
「ええ。ビクター様も、そうお考えなのかもしれませんね。」
そうして私たちは訓練場を後にした。廊下には、夜の静けさが広がっていた。ふと、自分の手のひらを見る。あの夢の中では、真っ赤に染まっていた手。今は、何もついていない。
それでも、あの日の感触だけは消えてくれなかった。
「やぁ、マリー。お疲れ様。」
「ビクター様。またこんな時間まで研究を?」
「え、まぁ……そんなところかな。」
「また、私に無断で素材を購入されましたね。」
「あはは……いや、その、申し訳ない。」
「構いません。しばらくビクター様のお食事と嗜好品を減らせば済む話ですので。」
「はは……本当に君は手厳しいな。」
「ところで、研究の成果はいかがですか?」
「ん? まぁ、ぼちぼちといったところかな。」
「そうですか。ですが、最近は研究の方向性が変わったようですね。」
「……それをどこで?」
「購入品を確認すれば、おおよその見当はつきます。」
「はは、さすがマリーだね。君には隠し事ができないな。」
「ビクター様。」
「なんだい?」
「私はあなたに仕えるメイドです。あなたの意思を尊重し、研究を止めるつもりもございません。」
「……あぁ。」
「ですが……。」
「……。」
「いえ、蛇足でした。お忘れください。」
「……そうかい。」
「それでは、私はこれで失礼いたします。」
「マリー。」
「はい、何でしょう?」
「……いつもありがとう。」
「……私は、私の務めを果たしているだけです。」
「はは、そうだったね。」
「それでは、おやすみなさいませ。ビクター様。」
「……おやすみ、マリー。」




