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勇者と魔王

「どーも、勇者ちゃん!魔王様が挨拶に来たよ!」


言葉が出ない。呼吸が浅くなる。

見た目は普通の人間。背の高さも同じくらい。フードを深くかぶって顔はよく見えない。

でも、本能的に分かってしまう。あいつらは普通じゃない。


「まぁまぁ、待ってよ。ただ挨拶に来ただけなので。それにほら。ゲストも用意してるよ〜」


すると後ろから、扉の外で控えていたらしい侍女が目に涙を浮かべ、絶望に染まった表情で入ってくる。背筋はピンと伸びているが、歩き方が明らかに不自然だった。


「た、助け…」


「黙れ」


さっきまで明るい声で喋っていた彼女からは想像できないほど低く、恐ろしい声。

その声に、侍女はびくりと身体を震わせ、口を閉ざした。

ローブをまとった女は、すぐに笑顔を取り戻し、僕の方へ顔を向けた。


「ねぇ、勇者君?この部屋を血で塗りたくはないでしょ?魔王様も無益な殺生は望んでおりませんので。ね?どう、ちょうどよくティーセットが置いてあることですし…」


「無益な殺生?どの口が!」


思わず反論してしまった。

すると、さっきまでの笑顔が消え、口角が下がる。


「はぁ?何?文句あるっての。じゃあ、さっさとやる?開始の合図は、メイドちゃんの血しぶきということで。」


その瞬間、侍女の右腕が不自然に跳ね上がった。

手のひらが自分の顎を掴み、もう片方の手が後頭部を押さえる。

そして、ゆっくりと首を捻り始めた。


「あ……がっ……!」


侍女の目から涙が溢れる。

違う。自分の意思で動いているんじゃない。

このままじゃ、本当に首が――!


「やめろ!!」


「アルカ、よしなさい。」


静かな声が響いた。

それまで一言も発しなかった、もう一人の声だった。


「でも、あいつが……」

「アルカ。」


ただ名前を呼んだだけ。

それなのに、あれほど横暴だったアルカと呼ばれた女がぴたりと動きを止めた。


「……はーい。」


不服そうに返事をするアルカをよそに、その人物はゆっくりと僕に向き直った。


「……ねぇ勇者君。今回私たちが来たのは、ほんの挨拶よ。危害を加えるつもりはないわ。」


透き通るような、綺麗な声だった。

その穏やかさが、今はひどく不気味に感じる。

少し頭痛がする…。

それに、この声……どこかで……。

いや、今はそれどころじゃない。


「……わかった。でも、絶対に手を出さないと約束しろ。」


強がってはみたものの、声はわずかに震えていた。

これが、今の僕にできる精一杯の抵抗だった。


「さっきからそう言ってんだろ。わかったならさっさと座れ。ささ、魔王様、どうぞこちらの席へ。」


同時にアルカが手を叩いた。

すると、侍女の腕がようやく下ろされた。

侍女はその場に崩れ落ち、何度も咳き込んだ。

……結局、従うことでしか彼女を助けられなかった。


悔しさを押し殺し、拳を握りしめる。

そして僕は、黙ってソファに腰を下ろした。


◇


「ん〜いい香り。ぜひうちの城にも欲しいですね。」

「お茶会なんて興味があるのはあなただけでしょ。まぁ、別にあってもいいけど。」

「でも、あいつなら興味があるんじゃないですか?」

「あいつ?あぁ、彼なら確かに好きかもしれないわね。」

「てか、うま!このケーキは格別だね!よし!このパティシエを攫っちゃいましょう!」 

「やめなさい。今日はそういうのは無しって約束でしょう。」


目の前では2人の内輪話で盛り上がっている。

侍女は目に涙を浮かべたまま、傍らに控えていた


アルカは少し不機嫌そうに息を吐いてから、フォークを机に置いた。

そして笑顔をつくり、僕に顔を向ける。


「では改めまして。私は魔王様の側近のアルカです。」


フードを脱ぐと、オレンジ色の短い髪がふわりと揺れた。顔にはそばかすが散っており、見た目だけなら明るく元気な女性だ。ただ、その瞳だけが異様だった。白目の部分が黒く染まり、その中心に黄色い虹彩が浮かんでいた。その瞳だけが、明らかに人間のものではなかった。


「そして、お隣にいますのが我が主人魔王様でございます!!」


アルカが隣に腕を伸ばし、大袈裟な動きで紹介をする。


「…急にお邪魔しちゃってごめんなさいね。」


対照的に、魔王は静かな声で答えた。

いまだにフードをかぶっているが、顔に所々鱗が生えているのが見える。


「何しに来たんだ?」

「さっきも言ったでしょ?魔王様がどうしても勇者の顔を見ておきたいって言っててね。」


アルカが魔王の方に顔を向ける。すると、それに同意するように魔王は頷く。


「それよりも…さて!君がこの国の勇者と言うわけだけど…」


と言いながら紅茶を飲み、ぷはーっと息を吐いた。

アルカは僕を値踏みするように見つめた。


「ぶっちゃけ弱いねー君。本当に勇者なの?」


「な!?どういうことだ?」


「そのままの意味だよー。力もない、覚悟もない、殺意もない。ちょっと頑張った一般人レベル?いやーよく勇者を名乗れるね。うん、こんな勇者は初めて見たよ。一応ね、君以外の勇者は全員見てきたから確信して言えるね。まさに最弱の勇者!!いい称号だね。ね?魔王様。」


ケラケラと笑う。


「えぇ。私もそう思うわ。」


魔王もそれに続く。


全身の毛が立つ。肩が震える。でも、今の状況が、アルカの言葉を何よりも証明していた。相手の指示に従って、反論もしない。そんな自分の弱さにも、無性に腹が立つ。


「でも…」


魔王がカップを口から離し、僕の目を見る。


「殺されるなら貴方がいいわね…」


そんなぽつりと発した言葉が部屋に響いた。


「え?今、なんて…?」


僕は思わず聞き返した。

すると、アルカが勢いよく立ち上がった。

その拍子に、テーブルのカップが倒れた。


「ちょちょ! 魔王様!! そんな滅相なことを言ってはいけませんよ!!」

「……どうしてかしらね。ふと思っただけよ。」

「だめだめだめ!!魔王が殺されたいなんて!!私たちには世界を滅ぼすと言う、崇高で!尊くて!素晴らしい使命を背負っているのですよ!!」


大きく身振り手振りをして熱弁するアルカを横目に魔王は静かに紅茶を飲む。


「使命…そうね。」


そう呟き、紅茶の水面を眺めている。


「魔王様、ダメですよ!死んじゃ!絶対!絶対に!!ダメなんですからね!!」


アルカの動きが、次第に激しくなる。

そんなのを気にせず魔王は紅茶を飲む。

するとアルカの動きが、ぴたりと止まった。


「……そうだ。」


そう言って、腕を大きく上に広げた。


「もう今すぐ始めましょう!!」


その目は大きく見開いていた。


「始めちゃいましょう!世界の黙示録を! 終焉を! この世界を、この国を、今すぐにでも!!!」


すると急に両手で頭をかきむしり、身体をくねらせ身を捩る。アルカの様子が、次第におかしくなっていく。



「あは……あははは……!」


笑っている。

なのに、顔は苦痛に歪んでいた。

口元から唾液が垂れ落ちる。

そして、彼女の身体から黒い靄のようなものが溢れ始める。


「……っ!?」


思わず身構える。

部屋の空気が、急に重くなる。

アルカの見開かれた瞳が、僕を捉える。


「全部……全部、壊してしまえばいいんですよ……!」


部屋の空気が震える。

……やるしかないのか?

拳を握りしめる。

いいさ。やってやる。

今すぐにでも、今ここで--!!

「アルカ。」

魔王の静かな声が響いた。


「アルカ。」


すると、魔王の静かな声が響く。


「……落ち着きなさい。」


「……はい。」


すると、靄は収まった。

アルカも静かにはなったが、荒い息を吐きながら、何も言わずに座った。

ふと、テーブルの横で侍女が倒れているに気がついた。急いで駆け寄り、顔を覗き込む。胸が小さく上下していた。


……よかった。生きている。


恐怖で気を失ってしまったのだろう。僕は彼女を抱き起こし、そっとソファに寝かせた。


その様子を見て、ゆっくりと魔王がカップを机に置く。


「あなた、名前は?」


魔王が僕に声をかける。


「僕はユスだ。」


「そう…じゃあユス。あなたに聞きたいことがあるの。

あなたは魔王討伐を掲げていると思うけど…どうして?」


「それは、それが勇者に与えられた使命だからだ。」


「そう…勇者らしい答えね…

でも、それはあなたの意思?それとも勇者としての意思?」


「え?何を言って…」


「あなたは、なぜ、私を倒したいの?」


「なぜって、それは…。」


「勇者だから…。それ以外の答えを聞きたいわね。」


「…。」


言葉が出ない。それらしいものも浮かばない。

魔王は勇者の敵で、だから戦う必要があって。

…でもなんで勇者の敵は魔王なんだ。

……僕はなんで、戦わなくちゃいけないんだ。


「……悩んでくれるのね。」


魔王は小さく微笑んだ。


「目の前の誰かを気遣って、自分の使命についても考えようとする。」


彼女は静かに僕を見つめた。


「あなたは、ちゃんと人間なのね。」


すると、静かに立ち上がった。


「急にお邪魔して、悪かったわね。アルカ、もういいわ。帰りましょう。」

「…はい、承知しました。」


疲れ切った声で返事をし、僕を睨みつけて魔王の後ろに続く。

扉までの道中、魔王は一度だけ、僕を振り返った。


「……それじゃあ、ユス。お互い生きていたら、また会いましょう。」


出口に向かう。ようやく終わった。良かった犠牲は出ていない。


…本当に良かったのか。

これが最善だったのか。

胸が熱くなる。呼吸が荒くなる。


弱い? 僕が?

勇者になれたのに、結局弱いままなのか?

――また、守れないのか。


「……え?」


今、何を考えた?

また?

何のことだ?


「ユス、抑えてください。今のあなたでは――」


ナビの声が響く。同時に、足が動かなくなった。


またか。

また、僕の邪魔をするのか。


うるさい。


目の前には魔王がいる。


僕は勇者だ。


戦う理由なんて、それだけで十分だ。


今なら、やれる。動け。やれ!殺せ!!


今度こそ――。


「ユス、やめな――!」

身体が動いた。


拘束を振り切り、魔王に向かう。空中で姿勢を整え、右腕を振りかざす。

声にならない雄叫びをあげる。届く。あと少し。


そのとき、魔王と目が合った。


「勇者の誕生は、まさに我が国の希望! 盛大に祝うべきです!」

「馬鹿な! 勇者の誕生を公表すれば、魔王復活の脅威を民に思い出させるだけではないか!

「ならば、我が領地で保護しましょう。勇者様には不自由のない暮らしを保証いたしますぞ。」


……まったく。

会議は踊る、されど進まず。昔の人はうまく言ったものだ。


顔を合わせての会議は今回が初めてだが、これまでも水晶を通じて何度となく議論してきたはずだ。これだからお偉いさん同士の会議は嫌いなんだ。


議題の内容は勇者ユスの処遇についてだ。


勇者ユスを讃えようとする者。

勇者を災厄の象徴として、排斥しようとする者。

自分の領土に取り込もうとするもの。

思わずため息が出る。


ふと、後ろで控えているシアに視線を移すが、すぐに視線を戻して頭を抱える。

怒りに満ちた目。今にも不敬な者を斬り捨てそうな勢いだった。


おいおい、勘弁してくれよ…


まぁ、でも。そこまでユス君を思ってくれてるとは…

君を彼の護衛につけてよかったよ。


「ビクター伯爵、そなたの意見を聞きたい。」


収拾がつかなくなったのか、王が僕を指名した。弱り切って疲れ果てている国王。あなたはいつもそんな表情だな。視線が僕に集まる。


「あー…

私としては、このまま私の領土で匿いたいと思っております。勇者の存在の告知は安定してきた国民の不安を再度煽ってしまいます。勇者ユスには、まず二、三週間ほど私の領地で過ごしていただき、領民との交流を深めてもらいたいと考えております。幸い、すでに領民とも良好な関係を築きつつあります。それに、魔王軍が真っ先に狙うのは、おそらく王都ではなく周辺の貴族領でしょう。私の領地は各貴族領への距離が比較的近く、もし急な襲撃にも出向かせるには都合がいい。…いかがでしょうか。」


最もらしい意見を述べてみたが…


「一つよろしいでしょうか?」


やっぱり来た…。聖女アリア。正直、こいつが一番厄介なんだよな。


「勇者様には是非王都にて滞在していただき、国民の希望の象徴となっていただきたいと思っております。現状魔王が復活して1ヶ月程。国民も落ち着きを取り戻しつつありますが、どうしても不安はあるでしょう。ですが、勇者がこの国にいる。それがあれば国民の支えになるのではないでしょうか?」


「つまり、ユスの存在を告知して王都に留め置くということでしょうか。」


「はい、おっしゃる通りです。」


「…それには反対です。勇者は希望の象徴でありながら、魔王復活の証明にもなってしまう。そのため勇者と言う存在を毛嫌いするものも多い。それに今の国民の支えはアリア様、貴方だ。それで問題ないのでは?」


「あら?ビクター様は国民から勇者という希望を奪うと言う事ですか?」


「そんなことは言ってない。ただ今の状況ではまずいと言うだけで…」


「魔物の脅威に怯える民にとって、勇者の誕生がどれほど大きな意味を持つか、分からないあなたではないと思いますが?」


「わかっていないのは、あなたの方だ。ユス君は、あなたが思っているほど……」


「……ほど?」


アリアがわずかに目を細める。


「何でしょう? ビクター様。」


……しまった。これ以上はまずい。


「いや、何でもない。」

「そうですか。」


アリアは微笑んだ。だが、その目は笑っていなかった。


そのとき、一人の男が口を開いた。


「もうよい。」


低く、よく通る声だった。それまで騒がしかった会議室が、ぴたりと静まり返る。王のすぐそばに控えているベル侯爵。長年、国王の右腕としてこの国を支えてきた男だ。


「お二方の意見は十分に伺いました。陛下、そろそろご裁可を。」


「……ベル。そなたは、どう考える?」


「僭越ながら、申し上げます。」


ベルは静かに立ち上がった。


「勇者ユスの存在は、当面公表を控えるべきでしょう。」


会議室がわずかにざわつく。


「彼は目覚めたばかりと聞きます。まずはビクター伯爵の領地にて保護し、勇者としての育成を進めるべきかと。」

「ですが、それでは民に希望を示せません。」

アリアが口を開く。

「もちろん、アリア様のお考えも理解しております。」

ベルは穏やかに頷いた。

「国情が安定し、勇者本人の準備が整い次第、王都に迎え、その存在を正式に公表する。いかがでしょうか。」


頷いて同意する者、首を傾げる者、まるで関心を示さない者。反応は様々だった。

まぁ、荒れてはいないということは賛成ということだろう。

流石ベル侯爵。もうあんたがこの国王様だよ。


「そうか、其方がそこまで言うのであればそれが正しいのであろう。良いか?皆のもの。」

まばらな拍手が起こり、ひとまず異議なく了承された。

アリアも微笑みながら拍手しているが、口元がピクついている。


とりあえずは終わった。

シアに視線を向けると、相変わらず鋭い表情だが、先ほどまでの殺意はない。

よし、ユス君を迎えに行こう。

それから屋敷に帰って、ゆっくりするとしようか。

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