ep.11 勇者と案内者と…
「ではユス様、こちらで会議が終わるまで、しばしお待ちください。
外に侍従を控えさせております、何かあればご用立てください。」
「その、どうも、ありがとうございます。」
後ろで、扉の閉まる音がした。
「これが、王宮の客室。」
一軒家が丸ごと収まりそうなほどの広さ。高い天井には、陽光を受けて煌めくシャンデリア。大きな窓からは城下町が一望できた。部屋の中央には、金の装飾が施されたソファが置かれている。ローテーブルも、奥に見えるベッドも、僕には値段すら想像できないものばかりだった。テーブルにはティーポットとカップ、それにケーキスタンドまで用意されている。美味しそうなケーキを見て、思わず生唾を飲んだ。
そもそも、王城に来ることになったのも突然だった。
◇
「え?王都に行く?明日?」
「詳しいことは道中で話すよ。準備しといてね。よろしく!」
日課になっていた、シアの街案内を終えたある日のことだった。どうやら、以前から僕を王様に会わせるよう命令が下っていたらしい。けれどビクターは、僕の精神的な負担を考慮して、謁見を先延ばしにしていたという。……本人はそう言っていたけど。
しかし、一向に僕を連れてこないビクターに痺れを切らした王国から命令され、泣く泣く連れていくことになったらしい。
「だって面倒なんだよ!報告してるからいいじゃん!なんでわざわざ会わさないといけないんだよ!!」
と道中の馬車の中で駄々をこねていた。
◇
僕一人しかいない部屋。とりあえずソファに座ると、思わずあくびが出る。あぁ、あの店のビーフシチューがまた食べたいな。街に出ていた日々が恋しく感じる。おもむろに、用意されていたカップに紅茶を注ぐ。芳醇な香りが鼻をくすぐる。その時、紅茶に映った、自分を見つめ、さっきの謁見の様子を思い出す。
謁見は決して気持ちいいものではなかった。
「勇者ユスよ。そなたがこの国の希望よ。」
僕に語りかける国王の瞳は、優しいものだった。僕が勇者であることを、心から喜んでくれているように見えた。でも、その周りは違った。値踏みするような視線。何かを恐れるような視線。中には、明らかに僕を睨んでいる人もいた。同じ勇者を見ているはずなのに、誰一人として同じものを見ていないような気がした。あの人たちは、僕に何を求めているんだろう。早くここから出たい。カップを持つ手が少し震えた。
「ユス、おはようございます。」
突然、懐かしい声が聞こえた。小さな光が目の前に浮遊する。
「久しぶり、ナビ。」
ナビだ。あの戦い以来、姿を見せなかった彼女が戻ってきた。彼女は僕の返事には答えず、ふわふわと辺りを飛ぶ。部屋の様子を見ているみたいだ。
「ここがビクター家のお部屋ですか。伯爵と聞いていましたが、これほど豪華とは。」
「え?ここは王城の一室だよ?」
「ん?…なるほど。では、あの後、すぐに王国に運ばれたということですか。」
何かがおかしい。まるで話が噛み合わない。
「それより、腕の傷を見せてください。」
「ん?ほら?」
腕を見せた瞬間、ナビの動きが止まった。
「え?治ってる?傷は残っていますが…もう治ったのですか?」
「いや、これはアイに治してもらって」
「アイ?それは…一体?」
急に口数が少なくなった。心なしかナビが震えているように見える。
「ユス……いえ、ユス様。つかぬことをお聞きしますが……ガルムを撃退したあの日のことは覚えていますか?」
「うん、覚えているけど…」
「あれは何日前でしょうか…」
「確か二、三週間くらい前?」
「……」
僕の疑いは確信に変わる。明らかに動揺している。
「そういえばナビは今まで何をしてたの?」
「…いえ、その、街の様子を監視しておりました。ユスに危害を与える存在がいないか確認済みです。ここはいい街ですね。」
「さっきおはようって言ってたよね?」
食い気味で返す。すると、さっきよりも揺れが激しくなる。左右だけでなくて上下にも揺れている。
「そんな、私が、この私が…」
光がだんだん小さくなっていく。
「……寝て、いました」
「え?」
「私は……今の今まで、眠っておりました。本当に、申し訳ありません……」
全身から絞り出したような声での謝罪。光は今にも消えそうなほど小さくなっていた。初めて出会った時の威厳も、凛とした雰囲気も、今の彼女には欠片も残っていなかった。
「そ、そんな、そこまで気にしなくても大丈夫だよ!そうだ!よかったら今まで起こったことを教えてあげるよ。今後のためにも必要でしょ?ね?」
「……えぇ、そうですね。ぜひ教えていただけますか……?」
相変わらず、ナビの光は弱々しい。
少しでも元気になってくれればいいんだけど…
「任せてよ。まずね……」
◇
「…って感じかな。」
あらかた話終え、すっかり冷めた紅茶を一口啜る。
「私が不在の間、満喫してたようで良かったです。それに、私がいなくても、問題なかったようですね…」
「そ、そんなことないよ!」
「ですが、現に私は何も……いっそもうこのまま消えてしまえば…」
また光が小さくなる。
「…そんなのダメだよ。」
彼女の震えが止まる。
「ナビがいなかったら、僕はここにいなかったよ。」
「君が僕に名前をくれたんだろ?
それに君が僕の行く道を示してくれた。
魔物に襲われた時は、意見が合わなかったけど……
それでも、最後には僕の意思を尊重してくれた。
そのおかげで、いろんな人に出会えた。
ありがとうナビ。」
ナビに手を差し伸べる。触れることはできなかったが、それでも、不思議と温かさを感じた。
「あなたは、優しいのですね。私も…。」
「ん?私も?」
ナビは手から離れ、僕と向き合う。
「いえ、なんでもありません。ですが、今後は私の指示に従ってもらいますよ。私も金輪際こんな失態を犯さないように、気を引き締めて参ります。」
さっきまでの弱々しい彼女はもういなかった。もう大丈夫かな。
「はいはい、よろしくね。」
「返事は一回!まったく、あなたという人は……」
ナビがため息をついた。
「でも、いいでしょう。これからもよろし――」
ナビの言葉が途切れた。小さな光が、扉の方へ向く。コンコン。扉を叩く音がした。
「ん? 会議でも終わったのかな?」
「はーい、どうぞ――」
「ユス!!」
突然の叫び声に、思わずナビを見る。
「離れてください! あれは――!」
扉がゆっくりと開いた。そこには、深くローブを被った二人組が立っていた。
「どーも、勇者ちゃん! 魔王様が挨拶に来たよ!」
一人が、親しい友人と再会したかのように笑う。
なのに、身体が動かない。息を吸おうとしても、肺が言うことを聞かなかった。
「本当に治っているのですね。」
向いに座って、触診するアリアがぽつりと呟いた。
「……治療が必要であれば、いつでも申し出てください。
それでは、失礼します。」
「えっ?」
「では、ごきげんよう。」
と言い放ちながら、荷物を手に持つ。
「待って、アリアさん」
「……どうかしましたか?」
「その、前にかけてもらった魔法のことなんだけど……」
「……アイさんから、何か聞いたのですね」
少しため息をつき、僕の腕を優しく手に取った。傷を優しくさすりながら話し始める。
「気づいているかもしれませんが、先日かけた魔法はただ痛みを消すだけのものです。治療のものではありません。」
「やっぱり、そう…なんですか…。」
「…ですが、必要なことだったのです。」
「…え?」
「傷が癒えることと、身体が回復することは、必ずしも同じではありません」
「どういうこと?」
「詳しいことは、また、いずれお話しします」
アリアはそれ以上答えようとしなかった。
「アイから、私のことを聞いているのでしょう?」
「えっ……いや、その……」
「ふふっ。隠さなくても結構ですよ。彼女が私をよく思っていないことは知っていますから。」
「……怒らないの?」
「怒る理由がありません」
アリアは少しだけ視線を落とした。
「それに、私は……」
しかし、続く言葉はなかった。
「いえ、過ぎたことです。」
そう言い放った彼女の目はどこか遠くを見つめていた。
「それでは、ユス様、ごきげんよう。」
先ほどまでの陰りが嘘だったかのように、アリアは美しい笑みを浮かべた。そして、足早に部屋を去っていった。




