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茜色の家  作者: 大神みや
増えたもの

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15/19

二人分の茶碗

十二月に入ると、丘の上の朝は白かった。


工事中の家の脇に霜が降りている。新しい部屋の床が張られ、壁の下地が見え始めていた。


大工道具の音は、朝のうちは低く、昼になると少しずつ近くなった。古い家と新しい部屋の間には、まだ人が一人通れるほどの隙間がある。そこを風が抜けるたび、床に置いた木くずが細く動いた。


茜はアパートから、小さな段ボールを一つ運んできた。


「仕事道具ですか。ここへ置いても大丈夫です」


先生が訊く。


「全部は置きません。これは、ここで使う分だけです」


中には定規とスケール、使い込んだ鉛筆、それから学生の頃から使っている製図用の三角定規が入っていた。


「アパートに置いてある分もあります」


「では、ここでは使う分だけでいいですね」


「はい」


茜は、新しくできる机の場所に段ボールを置いた。


まだ壁もない。けれど、午後になればここへ光が入ることを、図面は教えてくれる。


茜は段ボールの蓋を閉じた。


「ここで図面を広げるなら、作業台の向きも変えた方がよさそうです」


「先生の作業台を取ってしまいませんか」


「今の台は、古い台所の方へ寄せられます。新しい部屋は、茜さんの作業場所を確保しましょう」


段ボール一つでも、職人の動線と先生の作業場所を考え直す必要があった。


*


昼休み、磯崎たちは家の脇で火を焚いた。


女将が持たせた白菜と豚肉の鍋を、茜が温める。にしさんのところから届いたサバも、主人が焼いてくれた。


「冬は、鍋が一番だな」


磯崎が椀を受け取る。


「工事中でも、あったかい物が食べられる」


「女将さんのおかげです」


茜が言うと、磯崎は白菜を一口食べた。


「茜さんも、だいぶ慣れてきたね」


「私は温めただけです」


「昨日より火を弱くしていたね」


茜は少し驚いた。


「わかりますか」


「食べれば、分かるよ」


磯崎は鍋の蓋を少しずらし、湯気の逃げ方を見た。


「火を止めてから、蓋をすぐ戻さなかったな」


「はい。白菜が柔らかくなりすぎないように」


「それで大丈夫」


短い言葉だったが、茜には十分だった。


「明日の賄いも、火加減を見てもらえるかい」


磯崎は鍋の蓋を戻した。


「私が、ですか」


「今日と同じようにやってくれれば、大丈夫だよ」


茜は鍋のそばへ置いた木片に、火を弱める時刻を書いた。次に同じ鍋を温める人が迷わないように、蓋を開ける時間も添える。


「こういう記録を残しておけば、私がいない時も使えます」


「そうだね。家も仕事も、使う人が変わると見え方が変わるから」


磯崎は木片を受け取り、鍋の脇へ立てかけた。


先生が、壁の下地を指した。


「この柱は、予定より少し内側ですか」


磯崎は立ち上がり、柱へ手を当てた。


「床の梁が、図面より三分ずれていたから、ここで合わせた」


「図面を変えたんですか」


茜が訊く。


「線を変えたんじゃないよ。家の方へ、少し合わせただけだ」


磯崎はそれだけ言って、鍋の椀へ戻った。


先生は柱を見た。


「任せてよかったです」


磯崎は返事の代わりに白菜を食べた。


先生は鍋の蓋を取り、白菜をよそった。


自分の椀へ入れた後、もう一つの椀へも同じくらい入れる。


「茜さん」


「はい」


「これを」


茜は椀を受け取った。


先生が自分から何かをよそうのは、珍しかった。


それを言うのはやめて、茜は箸を取った。


昼休みが終わると、茜は段ボールを新しい部屋の隅へ移した。職人の動線をふさがないよう、壁際から少し離して置く。


「そこなら、材料を運ぶ邪魔になりません」


「ありがとうございます」


先生が言った。


「ここに置くのは構いません。工事の間、ここで使う分なら」


「はい。図面を広げる場所も、確保しておきます」


*


夕方、先生は轟屋へ寄った。


女将は洗い終えた茶碗を棚へ戻している。


「先生、今日は早いね」


「少し、買いたい物があって」


「うちは酒とご飯の店だよ」


先生は棚を見た。


そこには、白い茶碗が二つ並んでいる。


「その茶碗、ありますか」


女将は先生の視線の先を見た。


「あるけど。今の家には一つで足りるって言ってなかった?」


「二つ、お願いします」


女将は何も言わず、棚から同じ茶碗を二つ下ろした。


「工事の昼に使うためかい」


「それもあります」


女将は、先生の顔を見て笑った。


「二つあると、いちいち茶碗を取りに戻らなくて済むからね」


たけさんが、茶碗の入った紙袋を見ていた。


「茶碗なら、商店街の方が安いぞ」


「轟屋で使っている物が、手に馴染んでいたので」


「同じ物を使うと、店の飯を思い出すからか」


先生は少し考えた。


「工事の昼に、使いやすいと思いました」


たけさんは、口元だけで笑った。


「それなら、二つで足りるな」


*


丘の家へ戻ると、茜は新しい部屋の寸法を手帳へ書いていた。


先生は紙袋を置く。


「茶碗を買ってきました」


茜が顔を上げた。


「二つ?」


「工事の昼に使うためです」


「二つあると、便利ですね」


茜は紙袋の中を見た。


飾り気のない、白い茶碗だった。


茜は茶碗を一つ取り出した。


手のひらに、ちょうど収まる大きさだった。


「工事の日は、ここで食べることもありますね」


「はい。先生も、ここで食べます」


「それなら、二つあった方が便利です」


茜は笑った。


工事中の家には、まだ壁のない場所がある。


そこへ、二人分の茶碗が先に置かれた。


その夜、茜はアパートへ戻り、台所の棚を開けた。自分の茶碗は一つだけだった。工事の日に使う二つ目の茶碗を、どこへ置くかを考えた。


丘の家では、先生が買った茶碗を棚へ並べた。翌日の昼、二人分の食事をよそうための場所を空けておく。


先生はそれを確かめてから、灯りを消した。

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