↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茜色の家  作者: 大神みや
増えたもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/19

着工

初冬の風が、丘の畑を低く渡っていた。


大根の葉は大きくなり、白菜は外側の葉を丸め始めている。五坪の家の横では、台風で荒れた畑が、まだ元の姿に戻っていなかった。雨で流れた土が畑の端へ小さく寄っている。


そこへ、磯崎が巻き尺を持って立っている。


「この辺りまでにしよう」


地面に、白い石灰の線を引いた。


「畑は、これ以上削らない方がいい」


茜は図面を抱え、線の外側から見た。


五坪の家に、もう五坪ほどをつなぐ。今の台所は残す。新しくつくるのは、小さな部屋と、机を置ける場所、少し広い風呂の脱衣所だった。


「屋上へ上がる階段は、このままです」


茜が言う。


「窓も、夕陽の方は動かさない」


先生は、図面の端を指で押さえている。


磯崎は図面を見て、ゆっくりうなずいた。


「最初の家を残して、足す形だね」


「はい」


「古い家を残して足すなら、取り合いを丁寧に見よう」


茜は少し緊張した。


「でも、先生の暮らし方を、急に変えたくなくて」


磯崎は図面と家を見比べ、石灰の線を靴先で確かめた。


「この納まりなら、夕陽の窓も残せる」


先生が小さく息を吐いた。


「お願いします」


「大丈夫だ」


磯崎は茜へ鉛筆を渡した。


「古い土台を残す範囲、線で示してみるかい」


茜は図面と土台を見比べ、石灰の線を少しだけ内側へ引き直した。


「ここまでなら、古い家を傷めずに済むと思います」


磯崎は線の端を靴先で確かめた。


「じゃあ、今日はその線を基準にしよう」


茜は、胸の奥で小さく息を吐いた。


磯崎は、線の端を写真に撮った。


「工事の途中で動いた時、最初の位置が分かるようにしておく」


「完成したら、見えなくなる場所ですよね」


「見えなくなるから、今のうちに残すんだよ」


茜も自分の携帯で、家と石灰の線を一緒に撮った。図面だけでは残らない現場の距離が、画面の中に収まった。


*


工事が始まった朝、丘の上には木の匂いがした。


磯崎が柱の位置を決め、二人の職人が基礎の周りを掘る。先生は家の前に置いていた鉢を畑の端へ移した。


新しい柱を立てる前に、磯崎は古い家の土台へ手を置いた。金槌の柄で木を軽く叩き、音を聞く。


「ここは、まだ使えそうだ」


職人が首をかしげた。


「見た目は、少し傷んでいますが」


「表面の傷みだね。中まで替えると、古い家の力のかかり方が変わる」


磯崎は先生へ説明した。


「新しい柱は、ここへ添わせるのがよさそうだ。古い方に無理をさせない」


先生は土台を見た。


「そこまで分かるものですか」


「音を聞くと、だいたい見当がつく」


短い返事だった。先生はそれ以上尋ねず、鉢を移す作業へ戻った。茜も隣の鉢へ手を伸ばした。


「重くないですか」


茜が近づく。


「大丈夫です」


「その言葉、少し減らした方がいいと思います」


先生は鉢を持ったまま、少し困ったように笑った。


「では、これはお願いします」


小さな鉢を一つ、茜へ渡した。


茜は受け取り、畑の端に置いた。


それだけのことだった。


けれど、先生が自分から手渡したことを、茜は何も言わずに覚えておいた。


昼前、たけさんが軽トラックで現れた。荷台には断熱材と、新しい窓枠が積まれている。


「道が細いから、これ以上大きい車は無理だ」


「ありがとうございます」


先生が頭を下げる。


「礼は、家ができてから聞く」


たけさんは茜の図面を見た。


「ちゃんと先生の家のままだな」


「はい。増やすけど、変えすぎないように」


「それが一番難しいんだよ」


たけさんはそう言って、窓枠を職人へ渡した。


「茜ちゃん、今日は何時までいられる」


「夕方までです。轟屋の仕込みがあります」


「先生は?」


「僕は、家にいます」


「ずっと見ていると、仕事の邪魔になるぞ」


先生は少し考えた。


「では、昼過ぎに一度、店へ行きます」


茜は図面から顔を上げた。


「一人で決めなくていいですよ。工事の人に任せる時間も必要です」


「そうですね」


たけさんは、二人を見比べた。


「家を足すのは、壁だけじゃないからな。時間の使い方も変わる」


その言葉を残して、たけさんは荷台の確認へ戻った。


*


昼になると、茜は轟屋から借りた大きな鍋を火にかけた。


女将がつくった大根の煮物を温め、炊き込みご飯をよそう。にしさんが朝の港で分けてくれたサバは、主人が生姜を利かせて煮てくれた。


「大工さん、休憩です」


茜が声をかけると、磯崎は工具を置いた。


職人たちは、風の当たらない家の脇へ腰を下ろす。


「あったかいな」


「大根、よく染みてる」


茜は湯気の立つ椀を配った。


先生にも一つ渡す。


「先生の分です」


「ありがとうございます」


磯崎が大根を一口食べてから、茜を見た。


「茜さんが煮たのかい」


「女将さんがつくったものを、温めただけです」


「温めるのも、ちゃんと仕事だよ」


茜は少し驚いた。


磯崎はそれ以上、何も言わずに大根を食べた。


先生は炊き込みご飯を口にして、家の中から聞こえる金槌の音へ耳を向けた。


「うるさくないですか」


茜が訊く。


「前なら、気になったかもしれません」


「今は?」


先生は少し考えた。


「家が、呼吸している音のように聞こえます」


茜は、椀を持ったまま先生を見た。


磯崎が小さく笑った。


「家は、人が手を入れている間も変わっていくからね」


午後、古い壁の一部が外された。


五坪の家の中が、一度だけ外の光に大きく開く。


先生はその前に立ち、何も言わなかった。


「ここに、茜さんの机が来ます」


先生が言った。


「まだ、置くと決まったわけではありません」


「図面では、そうなっています」


「図面は、暮らしてみて変わることがあります」


「では、暮らしてから変えましょう」


茜は、返事の代わりに外された壁の断面を見た。古い木の匂いと、新しい木の匂いが混じっている。


茜は外された壁の断面へ手を近づけた。古い木の匂いに、新しい木の匂いが混じっている。


夕方、職人たちが帰る頃には、新しい柱が一本だけ立っていた。


五坪の家の横で、それはまだ家には見えない。


ただ、空へ向かうまっすぐな木だった。


先生は柱を見上げた。


「明日も、音がしますね」


「はい」


「茜さんは、来ますか」


「来てもいいんですか」


「図面を描いた人がいないと、困るでしょう」


茜は笑った。


「じゃあ、来ます」


「帰りは、店へ戻るんですね」


「はい。今日は遅番です」


「分かりました」


先生は、茜が坂を下りるのを見送った。以前なら、家へ戻れば一人の時間になった。今は、工事の音が止んだあとにも、次に誰が来るかを考えてしまう。


茜は坂の途中で一度だけ振り返った。五坪の家の横に立つ柱は、夕暮れの中でも見えた。


まだ一緒に暮らしてはいない。けれど、家の予定の中に、自分の時間が置かれ始めている。


初冬の空は、早く暗くなっていった。


家の横に立った一本の柱だけが、夕方の光を少し残していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。