牧野の戦い
召奭伝 第10話 王兄・微子殿による涙の演説、そして微仲殿の離反。これらを皮切りに、敵の諸侯軍や徴兵軍が雪崩を打って我が連合へと合流した。わずか一瞬にして、盤面は十万対一万五千。勝負は決した、と誰もが確信した。このまま商が降伏すれば、悪逆非道の帝辛は処刑か良くて幽閉。その後は賢人たる微子殿が商の遺民を引き継ぎ、天下の主は商から周へと穏やかに移り変わるはずだった。しかし、愚かにも商は降伏せず、決戦の火蓋は切って落とされた。帝辛は一万五千の全軍を、五千ずつ三つの隊に分割するという、一見すると不可解な陣形を敷いて突撃してきた。我が連合軍は、まず寝返ったばかりの徴兵軍と諸侯軍に進軍を指示し、両翼から商軍を包囲にかかる。さらにその隙を突くように、正面からこちらの諸侯軍二万を前進させた。だが、戦場は一瞬にして血の地獄へと変貌する。遊撃として動いていた帝辛の親衛隊五千が、恐るべき速度で右翼の徴兵軍を強襲。商の正規軍と挟み込む形で、またたく間にこれを撃破したのだ。返す刀で、親衛隊は寝返った諸侯軍をも凄まじい勢いで押し返し始める。「糞、直前の寝返りのために士気が低いか? ――それとも商の常備軍が、想像以上に精鋭なのか!?」本陣で戦況を見つめながら、私は思わず苦い毒づきを零してしまった。状況は極めて不味い。敗走する寝返り諸侯軍の波に巻き込まれ、中央にいたこちらの諸侯軍までもが混乱し、後退を始めてしまったのだ。そしてそのすぐ後ろからは、鬼神のごとき勢いで帝辛の親衛隊が突撃してくる。このまま本陣まで突き破られれば、十万の大軍とて総崩れになりかねない。「ええい、召軍の半数は私に続け! 敵の側面に横槍を入れる!」私は即座に愛馬に飛び乗り、自ら一隊を率いて戦場を大きく迂回し始めた。敵の突撃を横から叩く。回り込むには時間がかかるが、今はこの混乱を止めるために動くしかなかった。「間に合え……!」と焦燥に駆られながら全速力で進軍していると、隣陣の周軍を率いる姜子牙の、冷徹極まる大令が戦場に響き渡った。「――構いません、撃ちなさい。直前で寝返るような連中だ、戦場で再び寝返らぬ保証はどこにもない。それに、本当に我が方に忠誠を誓っているならば、周の大業のために喜んで死んでくれよう」次の瞬間、天を覆うほどの矢の雨が、激闘を繰り広げる商軍のみならず、必死に後退しようとしていた味方の諸侯軍の背中へも容赦なく降り注いだ。味方の混乱を、味方ごと一緒に射殺すことで強引に圧殺する。その凄まじい一手に、私は激しい怒りとともに叫ばずにはいられなかった。「彼奴は……! 姜子牙は人の心を持たんのか!!」だが、その非情な一撃は確かに戦況を止めた。矢の雨によって足止めを食らった諸侯軍と商軍の動きが鈍る。その僅かな隙に、私の率いる召軍の横槍が、ついに商軍の側腹へと突き刺さった。「我が召の兵たちよ、掛かれ――っ!!」背後からの猛射と、我らの決死の突撃。この挟撃により、商の正規軍はほぼ瓦解。後退していった帝辛の親衛隊も、すでに三千ほどにまで数を減らしていた。これで、今度こそ決着だ。誰もがそう思った。しかし、そこからの商軍の戦いは、まさに執念の塊であった。残された数千の兵でありながら、機を見ては突撃を仕掛け、こちらが構えれば即座に後退を繰り返す。その一進一退の鮮やかな機動戦によって、十万の周軍は完全に翻弄されていた。「……あれが、商の猛将、悪来か」無数の矢を浴び、血煙を巻き起こしながら前線を支え続ける一人の男の姿を遠目に眺め、私は敵ながら、思わず胸の中で深い称賛を抱かずにはいられなかった。




