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3-19「四十三年分の話し」

土曜日。


 特に予定はなかった。


 でも——四人で集まることになっていた。


 場所は、南公園だった。


 ちひろが「お花見の下見、まだ一回しかしてないから」と言い、陽菜が「また下見するの!?」と言い、一ノ瀬が「……構わない」と言った。


 こうして、土曜日の午前中に、南公園に集まることになった。


――


 公園のベンチに四人で座った。


 桜の木は、まだ葉を落としかけている。


 でも——晴れた日で、空気が清んでいた。


 陽菜が、コンビニで買ってきたホットコーヒーを配った。


「はい、おじさん用」


「なぜ俺だけおじさん用なんだ」


「だって一番大きいサイズのやつ。おじさんってブラックコーヒー好きそう」


「……なぜわかった」


「正解だった!?」


「……なんとなく飲んでいた記憶がある」


「なんとなくで飲むものがブラックコーヒーっておじさんっぽい!」


 ちひろが「おじさんっぽい、ってどういう意味なの」と聞いた。


「なんか、習慣で生きてる感じ。考えないで飲んでる感じ」


「私はそうじゃないのか」


「剛さんはそういうとこある! 深く考えてるくせに、日常のことは習慣でやってる感じ」


 俺は、コーヒーを一口飲んだ。


 苦かった。


 でも——飲み慣れた苦さだった。


「……正しいかもしれない」


「でしょ! そういうとこ、好きだよ」


「好きか」


「うん。ちゃんとしてる感じがする」


――


 しばらく、四人でベンチに座っていた。


 公園を、家族連れが歩いていた。


 犬が走っていた。


 子供が笑っていた。


 普通の休日の公園だった。


 ちひろが、俺を見た。


「ねえ、剛さん」


「なんだ」


「元の世界のこと、聞いていい?」


 俺は、少し考えた。


「……なんでも」


「どんな仕事してたの?」


「システム開発だ。企業のシステムを作ったり、改修したりしていた」


「どんなシステム?」


「いろいろだ。在庫管理システム。会計システム。顧客管理システム」


「難しそう」


「慣れると、難しくない。ただ——終わりがない仕事だ。作っても、また次のものを作る。改修しても、また問題が出る」


「終わりがない」


「そういう仕事だ。でも——終わりがないから、続けられるとも言える」


ちひろは、少し考えた。


「楽しかった?」


「……楽しいか楽しくないか、あまり考えたことがなかった」


「考えなかった?」


「毎日コードを書いて、毎日何かを直して——それが日常だった。楽しいとか楽しくないとか、考える前に次の仕事が来る感じだった」


「……忙しかったんだね」


「忙しかった。でも——今思うと、逃げていたかもしれない」


「何から?」


「……向き合うことから。誰かのそばにいることから」


 ちひろは、静かに頷いた。


「でも——こっちに来て、向き合った」


「そうだ。逃げられなかった。ちひろの身体で、ちひろの日常の中に放り込まれたから」


「……それでよかったと思う?」


「よかった。間違いなく」


 陽菜が、コーヒーを飲みながら聞いた。


「趣味は何だったの?」


「……特になかった」


「えっ、何もないの!?」


「コードを書くことは趣味でもあったかもしれない。あとは——読書くらいだ」


「何の本?」


「技術書が多かった。あとは、たまにSFを読んでいた」


「SF! なんか意外」


「なぜ意外だ」


「なんか、剛さんがSFを読んでるの、想像できなかった」


「現実がSFより複雑になったから、フィクションが必要なくなったのかもしれないが」


「この世界に来てから?」


「……そうかもしれない」


 陽菜が「この世界はSFよりSFだもんね」と言った。


「そうだな」


「剛さん的には、この世界の設定ってどう? リアリティある?」


「……ある部分とない部分がある」


「どこがリアリティない?」


「量子力学の描写は、かなり簡略化されている。本来はもっと複雑だ」


「でも、わかりやすいじゃん」


「そうだ。ちひろは、理解しやすいように設計してくれていた」


 ちひろが「そんな意図はなかった」と言った。


「でも結果として、そうなっていた」


「……そっか」


 一ノ瀬が、静かに言った。


「……元の世界に、友人はいたか」


 俺は、少し考えた。


「……いた。でも、会うことは少なかった。仕事が忙しくて」


「今でも連絡を取る人は?」


「……いない。連絡先はあるが、取っていない」


「それは——寂しくなかったか」


「寂しいとも、思っていなかった。慣れていた」


「慣れていた」


「ああ。一人でいることに、慣れすぎていた」


 一ノ瀬は、ノートを見ながら言った。


「……俺も、そうだった」


「ちひろが消えてから?」


「それ以前から。元から、人と一緒にいることが得意じゃなかった」


「今は?」


「……まだ得意じゃない。でも——嫌じゃなくなった」


 陽菜が「成長!!」と言った。


「……そうかもしれない」


 一ノ瀬が、珍しく素直に認めた。


――


 しばらくして、ちひろが立ち上がった。


「桜の木、見てくる」


「下見か」


「うん。春にどの木の下にシートを敷くか、確認しておかないと」


「本格的だな」


「大事なことだよ!」


 陽菜が「私も行く!」と言って、ちひろと一緒に桜並木の方へ歩いていった。


 俺と一ノ瀬が、ベンチに残った。


「……元の世界の話、あまりしたことがなかったな」


 俺は言った。


「そうだな。ずっと、この世界のことだけを話してきた」


「元の世界が——遠くなった気がする」


「戻りたくなるか」


「……今は、ならない。不思議なことに」


「なぜ不思議だ」


「四十三年過ごした世界が——数ヶ月でここより遠くなった。それが、自分でも少し驚く」


「……居場所の問題だと思う」


「居場所?」


「人は、居場所があるところに根を張る。元の世界に居場所がなかったから、ここに根を張れた」


「……そうかもしれない」


「そして——ここに根を張ったから、元の世界が遠くなった。それは自然なことだ」


 俺は、一ノ瀬を見た。


「一ノ瀬、お前はいつからここに居場所を感じていた」


「……ちひろが消えてから、ずっとなかった気がする。記録を続けていたが、居場所ではなかった」


「今は?」


「……ある」


「いつからだ」


「……お前が来てから」


 俺は、その言葉を受け取った。


「……そうか」


「お前が来なければ、俺はまだ一人で記録を続けていた」


「……それでよかったのか」


「よくなかった。でも——それしか知らなかった」


「今は知っている」


「……ああ」


 遠くから、陽菜の声が聞こえた。


「この木がいい!! 一番きれいそう!!」


「全部の木を見てから決めよう」


「でもこれが一番きれいだって!!」


「……来い」


 一ノ瀬が立ち上がった。


「行くのか」


「……陽菜が、全部の木を見る前に決めそうだ」


「止めに行くか」


「……止めに行く」


 一ノ瀬は、桜並木の方へ歩いていった。


 俺は、その背中を見ながら——また、小さく笑った。


 ベンチから立ち上がって、俺も桜並木へ向かった。


 遠くで、陽菜と一ノ瀬が言い合っていた。


 ちひろが、困ったような笑顔でそれを見ていた。


 四人で、桜並木の下に立った。


 葉を落としかけた桜の木が、俺たちを見下ろしていた。


 春になれば、花が咲く。


 俺はその春を——四人で迎える。


 それだけが、今日の答えだった。

お読みいただきありがとうございます。

次回もお楽しみに。

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