3-12「お前の番だ」
火曜日の夜。
眠る前に、ノートを開いた。
「残る」のページ。「戻る」のページ。
残るページを、もう一度読んだ。
ちひろ。陽菜。一ノ瀬。
この世界で起きた全てのこと。
それが、ここにある。
俺は、ノートを閉じた。
目を閉じた。
今夜、もう少し見えるかもしれない。
そう思いながら、眠りに入った。
――
夢の中は、光だった。
いつもの数字の海。653のパターン。
でも今夜は——違った。
光が、いつもより穏やかだった。
波のように揺れていた。
俺は、その中に立っていた。
そして——輪郭があった。
昨夜と同じ人の輪郭。
でも今夜は、少し近かった。
俺は、その輪郭に近づいた。
近づくほど——形がはっきりしていった。
男の人だった。
背格好は——俺と似ていた。
顔が、見えそうで、見えない。
でも——何かが、伝わってきた。
疲れた感じがした。
でも——穏やかな疲れだった。
やるだけやった、という感じの。
「……お前が、前の#001か」
俺は聞いた。
夢の中なのに、声が出た。
輪郭が——頷いた。
「お前は、届けられなかったのか」
また、頷いた。
「なぜ届かなかった」
輪郭は、少し間を置いてから——口を動かした。
声は聞こえなかった。
でも、唇の動きが読めた気がした。
「……時間が、なかった」
そういう意味だと、俺は感じた。
「時間がなかったのか」
頷いた。
「でも——お前は、ちひろのために来たんだろ」
また頷いた。
「届けたかったんだろ」
今度は、頷かなかった。
でも——そうじゃない、という雰囲気でもなかった。
ただ、少し——俯いた。
俺は、その輪郭を見た。
「……お前のやりたかったことを、俺がやった」
輪郭が、顔を上げた。
「前の世界では届かなかった。今の世界で、俺が届けた。ちひろは戻った。陽菜も一ノ瀬も、ちゃんとそこにいる」
輪郭が——少しだけ、動いた。
何かが、緩んだように見えた。
それから。
輪郭が、手を向けた。
昨夜と同じ動作。
でも今夜は——その先が、見えた。
手が向いていた先は——俺自身だった。
俺に向けていた。
何かを示すように。
あるいは——俺を、指していた。
そのとき、声が聞こえた。
かすかな声だった。
でも——はっきりと聞こえた。
「……お前の、番だ」
声が、消えた。
輪郭が、消えた。
光だけが残った。
653のパターンが、静かに揺れていた。
俺は、その光の中に立っていた。
一人で。
でも——一人じゃない感じがした。
前の#001が、ここまで繋いでくれた。
そして今、俺の番だ。
――
目が覚めた。
朝だった。
窓の外から、朝の光が差し込んでいた。
俺は、天井を見ながら——夢の言葉を反芻した。
「お前の番だ」
お前の番。
前の#001が届けられなかったことを、俺が届けた。
そして今度は——俺の番が来た。
何の番なのか。
それは——答えを出す番だ。
前の#001は、答えを出す前に時間がなくなった。
時間がなかった。
その言葉が、胸に刺さった。
どんな状況だったのか、俺には想像しかできない。
でも——届けたくて、届けられなかった。
その無念さが、夢の中の輪郭から伝わってきた気がした。
穏やかな疲れ。やるだけやった、という感じ。
でも——それだけじゃなかった。
「お前の番だ」と言ってくれた。
俺に、渡してくれた。
バトンを。
四十三年生きてきて——誰かからバトンを渡されたことが、あっただろうか。
仕事では、引き継ぎをすることはあった。でもそれは、業務の引き継ぎだ。
これは——違う。
もっと根本的な何かの、引き継ぎだ。
俺は、しばらくそのことを考えた。
それから、起き上がった。
ノートを開いた。
「残る」のページを、もう一度見た。
そして——ペンを取った。
「残る」のページの最後に、一行書いた。
「前の俺に、ありがとうと言いたい」
それだけ書いた。
ペンを置いた。
答えが——出ていた。
まだ、言葉にはなっていない。
でも、心の中では——決まっていた。
俺はスマホを取り出した。
【俺:夢の中で、前の#001の声が聞こえた。「お前の番だ」という言葉だった。今日、話したい】
送信した。
すぐに返信が来た。
【ちひろ:聞こえた。同じ言葉だった。今日、学校で話そう】
【一ノ瀬:わかった】
【陽菜:聞こえた!!!今日話そう!!!残り一日になる前に!!!】
俺は、スマホを置いた。
「お母さん」が朝食を作っている音が、台所から聞こえた。
今日も、いつもの朝だ。
でも——今日は、違う朝だ。
俺の番が、来た。
答えを出す日が、来た。
俺は立ち上がって、部屋を出た。
「お母さん」が、俺の顔を見て言った。
「……なんか、顔が違う」
「そうか」
「うん。昨日と、また違う。なんか——決まった顔」
「……そうかもしれない」
「そっか」
「お母さん」は、それ以上聞かなかった。
俺は、朝食を食べた。
味がした。ちゃんと味がした。
この世界の朝食の、温かい味が。
今日、答えを出す。
前の#001が繋いでくれたものを、受け取って。
俺の番を、やり遂げる。
そう思いながら、俺は朝食を食べ終えた。
お読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。




