3-8「お前が残るなら、オレは嬉しい」
土曜日の午後。
南公園から帰り、四人で集まった。
一ノ瀬の部屋ではなく——旧校舎の非常階段。
四人が自然に集まる場所は、いつもここになっていた。
「報告する」
俺は言った。
「今朝の夢で『届いた先に、いた人のために、作った』という言葉を聞いた。ちひろも同じ言葉を聞いた。そして午後、ちひろと話した」
「何が分かったの?」
陽菜が聞いた。
「ちひろが世界を作ったとき——無意識に、俺を届け先として想定していた可能性がある。前の世界での記憶は引き継がれていないが、感覚だけが残っていた」
「剛さんのために作ったってこと?」
「そういうことになる。ただし、ちひろは最初から俺を知っていたわけじゃない。前の#001との繋がりが、感覚として残っていた」
一ノ瀬が、ノートに書きながら言った。
「……そして、第三の出口の条件が——お前の答えに関係する、と」
「ちひろの仮説では、そうだ」
「お前が戻ると決めたとき、あるいは残ると決めたとき——三人が同じ方向を向き、出口が開く」
「そう解釈できる」
四人の間に、静寂が落ちた。
風が、踊り場を吹き抜けた。
「……お前は、今どちらに傾いている」
一ノ瀬が、静かに聞いた。
「戻ることか、残ることか」
俺は少し考えた。
「……わからない。まだ、わからない」
「そうか」
一ノ瀬は、ノートを閉じた。
それから——珍しく、俺の方を向いた。
「一つだけ、言っていいか」
「なんだ」
「……お前が残ると言えば、俺は嬉しい」
俺は、一ノ瀬を見た。
一ノ瀬は、前を向いていた。
その横顔が——いつもより、少しだけ、何かを出していた。
「……なぜだ」
「お前がいなければ、ちひろは戻れなかった。それだけじゃない——俺は、この数ヶ月でお前のことを、仲間だと思っている」
「一ノ瀬が仲間という言葉を使った」
「……使った。それだけだ」
「ありがとう」
「礼はいらない。事実を言っただけだ」
陽菜が「一ノ瀬くんが仲間って言った!!」と言った。
「……言った。繰り返さなくていい」
「でも大事じゃん! 記録しとく!」
「……好きにしろ」
ちひろが、俺を見た。
「……私も、残ってほしい。でも——」
「でも?」
「剛さんの人生だから」
静かな一言だった。
「この世界に来たのは、剛さんが選んだことじゃない。私が呼んだ。だから——帰る選択をしても、誰も責めない」
「わかっている」
「でも、もし残るなら——嬉しい。それだけは言っておきたかった」
陽菜が、少し手を挙げた。
「私も同じ。残ってほしいけど——剛さんの人生だから、剛さんが決めること。でも」
「でも?」
「一個だけ確認したいんだけど」
「なんだ」
「残る場合と戻る場合で——どっちが剛さんにとってより、幸せ?」
俺は、その問いを受け取った。
幸せ。
四十三年生きてきて、幸せについて真剣に考えたことが、何度あったか。
「……わからない」
「そっか。じゃあシミュレーションしよう」
「シミュレーション?」
「うん。残る場合と戻る場合、それぞれどうなるかを考えてみよう。そうしたら、どっちが幸せか少しわかるかもしれない」
俺は陽菜を見た。
「……そんな単純に決まるものじゃないが」
「でも考えないよりはいい! まず残る場合——どうなると思う?」
「……この世界で生き続ける。ちひろたちと一緒に」
「戻る場合は?」
「元の世界に戻る。四十三歳のエンジニアとして」
「それだけ?」
「……それだけだ」
「戻ったら、私たちのことは覚えてるの?」
俺は、少し考えた。
「……わからない。元の世界に戻る際に、記憶が引き継がれるかどうかは、まだわかっていない」
「もし覚えていなかったら?」
「……」
「覚えていなかったとしたら、この数ヶ月は——剛さんの中から消える?」
俺は答えられなかった。
陽菜は、続けた。
「残る場合は——全部覚えてる。この世界で、ちひろと一ノ瀬くんと私と過ごしたこと、全部。でも戻る場合は——わからない」
「……そうだな」
「だから——」
陽菜は、少しだけ黙った。
「……残ってほしいな。でも、剛さんが決めること」
「ありがとう」
「どういたしまして」
一ノ瀬が、静かに言った。
「……戻った場合、元の世界に何があるか」
「なんだ」
「仕事がある。人間関係がある。日常がある。でも——それは、四十三歳のエンジニアの日常だ」
「そうだ」
「……それが、お前にとって必要なものか」
俺は、窓の外を見た。
秋の空。校庭。遠くのビル。
元の世界では——雨の夜に車に跳ねられた。
仕事をして、コードを書いて、毎日を過ごしていた。
でも——それが、俺にとって「必要なもの」だったか?
「……わからない」
「そうか」
「でも——この世界で、初めてわかったことがある」
「なんだ」
「俺は——誰かのために動くことが、得意だとわかった。ちひろを探すために動いた。お前と一緒に世界のバグを調べた。陽菜の記憶を取り戻そうとした。全部、誰かのためだった」
「元の世界でも、そうだったのか」
「……エンジニアとして、クライアントのために働いていた。でも——それは、遠かった。誰かのため、という実感が、薄かった」
「ここでは?」
「……近かった」
静寂。
「だから——残ることを、真剣に考え始めている」
ちひろが、俺を見た。
陽菜が、少し目を細めた。
一ノ瀬が、前を向いたまま、静かに頷いた。
「残り四日」
俺は言った。
「答えを、出す」
「うん」
「……ああ」
「出してね」
三人が、それぞれの言葉で応えた。
踊り場に、夕日が差し込んでいた。
四人の影が、床に並んでいた。
答えが——もうすぐ出る。
俺は、そう感じていた。
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