3-1「空が、白くなった」
南公園の出口が閉じてから、二週間が経った。
四人の日常は、変わらず続いていた。
でも——何かが、少しずつ変わり始めていた。
最初に気づいたのは、解像度だった。
いつも解像度が低い「誰も見ていない場所」が、さらに低くなっていた。
体育館裏の壁。旧校舎の廊下の端。校庭の隅。
俺だけじゃなく、四人全員が感じていた。
「なんか最近、薄い場所が増えた気がする」
陽菜が言っていた。
「壁がぼやけてる場所、前より多い」
ちひろも頷いていた。
「世界の負荷が変わってきてる。何かが、動いている」
一ノ瀬が記録を続けていた。
俺は——コードで数値を追いながら、漠然とした予感を感じていた。
何かが、来る。
――
その日は、普通の火曜日だった。
二限目の授業中だった。
数学。教師が黒板に数式を書いている。
俺はノートにペンを走らせながら——ふと、窓の外を見た。
そのとき。
空が、白くなった。
一瞬だけ。
本当に、コンマ数秒のことだった。
青い空が——全部、真っ白になった。
色がなくなった。テクスチャがなくなった。ただの白い平面になった。
そして——元に戻った。
また青い空になった。雲が浮かんでいた。
何事もなかったように。
でも——俺は見た。
確かに見た。
「……っ」
隣の席で、陽菜が息を呑んだ。
俺を見た。俺も陽菜を見た。
「見えた?」
陽菜が、口の形だけで聞いた。
俺は頷いた。
一ノ瀬の方を見た。
一ノ瀬は、窓の外を見たまま、静かに固まっていた。
授業は、何事もなかったように続いていた。
教師も、他の生徒も——何も気づいていないようだった。
見えたのは、俺たちだけだ。
PlayerIDを持つ者だけに見えた、世界の「瞬き」。
――
昼休み。
四人で図書室に集まった。
ちひろが待っていた。
「見た?」
ちひろが言った。
「見た。ちひろも?」
「うん。授業中に窓の外を見てたら——一瞬、白くなった」
「何秒くらいだった?」
「コンマ数秒。でも、はっきり見えた」
俺は、一ノ瀬を見た。
「記録していたか」
「ああ。時刻と、持続時間と、白さの強度を記録した」
「何か読み取れるか」
「……一つ、気になることがある」
一ノ瀬は、ノートを開いた。
「白くなったのは、空だけじゃない。データを見ると——あの瞬間、校舎全体の解像度パラメータが急落している。空だけじゃなく、世界全体が一瞬、真っ白になりかけた」
「世界全体が」
「コンマ数秒で元に戻った。でも——次にこれが起きたとき、元に戻らない可能性がある」
静寂が落ちた。
「……崩壊の始まり、か」
俺は呟いた。
「可能性が高い。マスタープロセスが『役割を終えた』と言い、出口が閉じ始めた。そしてこの現象——世界が、終わりに向かって動いている」
「でも、まだ始まったばかりだ。今すぐどうこうはならない」
「そうだ。ただし——早めに対処する必要がある」
「第三の出口を見つけることが、その対処になるか」
「……わからない。でも、第三の出口が何なのかを知ることは重要だ」
そのとき、陽菜が言った。
「ねえ、ちょっといい?」
「なんだ」
「深刻な話の前に——お腹空いた」
全員が、陽菜を見た。
「今日、購買で新しいパン出てるって聞いたから。買ってきていい?」
「……どうぞ」
「ありがとう! みんなの分も買ってくる! 何がいい?」
「なんでもいい」
「……俺も」
「ちひろは?」
「あんパン、あったら」
「了解!」
陽菜が図書室を出ていった。
三人が残った。
一ノ瀬が、静かに言った。
「……陽菜がいると、緊張が解ける」
「そうだな」
「計算してやっているのか、それとも——自然にそうなっているのか」
「たぶん、自然だ」
ちひろが言った。
「陽菜って、昔からそうなんだよ。場の空気が重くなると、なんか自然に軽くしてくれる。意識してないと思う」
「……そうか」
「一ノ瀬くんは、陽菜のそういうとこ、どう思う?」
一ノ瀬は、少し間を置いた。
「……助かっている」
ちひろが、少し目を丸くした。
「一ノ瀬くんが『助かってる』って言った」
「事実だ」
「……素直になったね」
「……ちひろが戻ってから、いろいろ変わった」
「いい方向に?」
「……そう思う」
ちひろは、微笑んだ。
陽菜が、パンを四つ抱えて戻ってきた。
「あんパンあったよ! ちひろの分! あとチョコと塩バターと、ちーちゃんに合格祈願パン!」
「合格祈願パンとは何だ」
「受験生向けのやつ。五角形のパン。ゴーカクってやつ」
「……そういうことか」
「縁起物だから!」
俺は、五角形のパンを受け取った。
四人で、図書室でパンを食べた。
世界が一瞬白くなった日の昼休み。
崩壊が始まりつつある世界で。
四人で、パンを食べた。
そのことが——なぜか、今一番大切なことに思えた。
――
放課後、スマホが震えた。
記録者からだった。
```
第三の段階が始まった。
空白化現象を記録した。
記録は続く。
次の空白化まで、推定七日。
```
俺は画面を見て、一ノ瀬に転送した。
一ノ瀬から返信が来た。
【一ノ瀬:七日以内に、動く必要がある】
俺は頷いて、ちひろと陽菜にも転送した。
【陽菜:七日ってちょうどいい! その前にまた下見行こう!】
【ちひろ:どこの下見……?】
【陽菜:第三の出口の!】
俺は、そのやりとりを見ながら——また、小さく笑った。
七日以内。
第三の出口を見つける。
世界の崩壊が加速する前に。
でも——今夜は、パンを食べた昼休みのことを覚えていた。
四人でいた、あの時間を。
崩壊が始まっても——あの時間は、確かにあった。
それを、忘れないようにしよう。
俺は、そう思った。
第三章のスタートです。
よろしくお願いいたします。




