2-25「世界は、次へ進む」
ちひろが戻って、二週間が経った。
四人の日常は、すっかり定着していた。
でも——俺は、ずっと気になっていることがあった。
世界は、まだバグだらけだ。
ちひろが戻ったことで、いくつかの変化は起きた。エージェントの出現頻度が下がった。体育館裏の座標の乱れが収まった。南公園の廃工場跡地の「密度」が、少し落ち着いた。
でも——消えたわけじゃない。
マスタープロセスは「この世界の役割は終わった」と言った。
では——役割を終えた世界は、これからどうなるのか。
その答えが、まだ出ていない。
――
土曜日。
ちひろが「南公園に行きたい」と言い出した。
「お花見の下見」
「下見?」
「春に来るじゃん。だったら今のうちに下見しておこうと思って」
「春まであと半年はある」
「早すぎる?」
「……早いとは思うが、止める理由もない」
陽菜が「下見大事!」と言い、一ノ瀬が「……そうだな」と言った。
こうして、四人で南公園に来ることになった。
――
南公園。
秋の終わりの公園は、落ち葉が積もっていた。
桜の木は、すっかり葉を落としている。
ちひろが、桜並木を見上げた。
「春になったら、また葉が出て、花が咲くんだよね」
「毎年そうだ」
「深層からは見えなかったから——久しぶりに見ると、なんか感動する」
「落ち葉の公園でも?」
「うん。これが冬になって、春になって、また花が咲くって——ちゃんと続くんだなって思って」
陽菜が「それ詩人だよ」と言った。
「また詩人って言う」
「だって毎回いいこと言うから」
ちひろが苦笑した。
四人で、桜並木を歩いた。
廃工場跡地のフェンスが、見えてくる。
俺は、その方向を見ながら——何かが違うことに、気づいた。
空気の密度が、違う。
これまでと、違う種類の「薄さ」がある。
「……一ノ瀬」
「俺も気づいた」
一ノ瀬が、静かに言った。
「何がだ」
「フェンスの向こうの——密度が変わっている」
俺はスマホを取り出して、コードを走らせた。
数値が流れる。
廃工場跡地の座標データ。
「……出口が変化している」
「どう変化している」
「弱くなっている。これまでは、押せば開く扉だった。でも今は——鍵がかかったみたいな感じがする」
一ノ瀬が、確認するように言った。
「……閉じかけているのかもしれない」
「閉じかけている?」
「ちひろが出口を通った。一方通行の出口は閉じた。でも——残っていたこちらの出口も、ちひろが表層に戻ったことで、役割を失いつつあるのかもしれない」
ちひろが、フェンスを見た。
「……私が通った出口は、もう閉じたんだよね」
「ああ」
「こっちも、閉じていくの?」
「……可能性はある」
ちひろは、少しだけ複雑な顔をした。
「それって——また深層に行けなくなる、ってこと?」
「ある意味では、そうだ」
「……いいことだよね、本当は」
「そうだ。ちひろが戻った。深層に行く理由がなくなった。出口が閉じることは——この世界が正常化していく証拠だ」
「でも、なんか……」
「寂しいか」
ちひろは、少し考えてから「そうかもしれない」と言った。
「あそこで、長い時間を過ごしたから。怖かったけど——きれいだった。その場所がなくなるのは、なんか、ちょっとだけ寂しい」
俺は、ちひろの言葉を受け取った。
「怖かった、でもきれいだと思った——お前はずっとそういう感じ方をするな」
「……そうかもね」
そのとき。
スマホが震えた。
解析コードのアラートだ。
南公園方向からの反応。
記録者だ。
テキストが表示された。
```
世界は、次の段階に移行しつつある。
記録は続く。
```
俺は、画面を見つめた。
「一ノ瀬」
「見た」
「世界の次の段階、か」
「……ちひろが戻ったことで、何かが変わり始めているのかもしれない」
ちひろが、スマホの画面を見た。
「次の段階って、何?」
「わからない。でも——マスタープロセスは『役割を終えた』と言った。記録者は『次の段階』と言った。この世界は、何かに向かって動いている」
「怖い?」
「……怖い部分もある。でも」
俺は、ちひろを見た。
「前より、ずっと——怖くない」
「なんで?」
「四人だから」
ちひろは、俺を見た。
それから——笑った。
「おじさんにしては、いいこと言うじゃん」
「四十三歳に向かって——」
「おじさんでしょ」
「……」
陽菜が「また同じやりとりしてる!」と言った。
「これがちーちゃんとちひろのデフォルトなんだよね」
「デフォルト?」
「定番のやりとり。これからずっとこれが続くんだろうなって思って」
一ノ瀬が、静かに言った。
「……悪くない」
「一ノ瀬くんがいいって言った! じゃあ公認だ!」
「公認って何の」
「四人の定番やりとりの!」
ちひろが笑った。陽菜も笑った。一ノ瀬が口の端を動かした。
俺は、公認されたデフォルトのやりとりを持つことになった四十三歳のエンジニアとして、苦笑した。
――
帰り道。
フェンスを後にしながら、俺は考えた。
世界の次の段階。
出口が閉じていく。世界が変化していく。
それが何を意味するのか——まだわからない。
でも、記録者は言った。「記録は続く」と。
続く、ということは——終わりではない。
世界は、次へ進む。
俺たちも、次へ進む。
ちひろが前を歩いていた。陽菜と並んで、何かを話しながら。
一ノ瀬が、俺の隣を歩いていた。
「一ノ瀬」
「なんだ」
「世界の次の段階——何だと思う」
「……わからない。でも」
「でも?」
「……楽しみな気もする」
俺は、一ノ瀬を見た。
「一ノ瀬が『楽しみ』という言葉を使うのは珍しい」
「……そうか」
「珍しいが——俺も同じだ」
一ノ瀬は、前を向いた。
その横顔が——いつもより、少し軽かった。
秋の夕暮れの公園を、四人で歩いた。
落ち葉が、足元で音を立てた。
世界は、次へ進む。
俺たちも、一緒に。
それが——今の、正確な答えだった。
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次回もお楽しみに




