2-21「返信コード」
月曜日の朝。
四人で登校した。
初めてだった。
俺・陽菜・一ノ瀬の三人で登校することには、もう慣れていた。でも——四人は初めてだった。
ちひろが、俺の隣を歩いていた。
不思議な感覚だった。
この顔を、鏡で何ヶ月も見てきた。でも——今、隣を歩いているその顔は、俺の顔ではない。
ちひろの顔だ。
ちひろが、俺を見た。
「なんか、じっと見てくる」
「慣れていないんだ。お前の顔を、外から見るのが」
「ずっと鏡で見てたもんね」
「そうだ」
「どう? 自分の顔、外から見て」
「……意外と普通だった」
「普通!?」
「もっと特徴があると思っていたが、わりと普通だった」
「ひどい!」
陽菜が「ちひろのこと普通って言った!」と後ろから叫んだ。
「普通だという意味ではない。特徴がないという意味でもない。ただ——」
「じゃあどういう意味よ」
「自然だった。この顔が、お前のものだとわかる顔だった」
ちひろは、少し考えてから「……まあ、いっか」と言った。
陽菜が「それ褒めてるじゃん!」と言った。
「褒めてはいない。事実を言っただけだ」
「一ノ瀬くんみたいなこと言う!」
一ノ瀬が、後ろで静かに歩いていた。
今日の一ノ瀬は——いつもと少し違った。
雰囲気が、軽い。
超然とした感じは変わっていない。でも——肩のあたりの、何かが違う。
昨日まで抱えていた重さが、少し降りた感じがした。
「一ノ瀬くん、今日はなんか違うね」
陽菜が言った。
「違うか」
「うん。なんか、軽い感じがする」
「……そうか」
「いいことじゃん!」
「……そうだな」
ちひろが、一ノ瀬を見た。
「一ノ瀬くん」
「なんだ」
「昨日は——ありがとう。ちゃんと待っていてくれて」
「……礼はいらない」
「でも言う。ありがとう」
一ノ瀬は、前を向いたまま頷いた。
「……どういたしまして」
陽菜が「また素直に言えた! 一ノ瀬くん最近『どういたしまして』言えるようになったね」と囁いてきた。
俺は「成長だな」とだけ返した。
――
昼休み、四人で図書室に集まった。
今日は、作業や調査のためではなく——ただ、話すために。
ちひろが、俺のスマホを見せてほしいと言った。
「コードを見ていいか」
「なぜ」
「気になることがあって」
俺はスマホを渡した。
ちひろが、解析コードを開いた。
しばらく、画面を見ていた。
「……やっぱり」
「何がわかった」
「このコード——私が送った信号への、返信コードだ」
俺は、その言葉を受け取った。
「確認できるのか」
「うん。私が653のアドレスに乗せて送った信号のパターンと——このコードの受信構造が、完全に対応している」
「つまり」
「このコードは、私の信号を受け取るためだけに設計されている。偶然じゃない。私の信号を知っていた人間が——あるいは、私の信号に導かれた人間が——書いたコードだ」
俺は、しばらく黙った。
あの夜のことを思い出した。
雨。夜の道路。ブレーキ音。白いヘッドライト。
そして——画面に向かって、コードを書いていた。
「俺は、あの夜に何かに引き寄せられてコードを書いていた。意図していたかどうかは、わからない」
「でも——書いた」
「ああ」
「私の信号が届いて、あなたが受け取った。だから——ここに来た」
「そういうことになるな」
ちひろは、スマホを俺に返した。
「……ありがとう、受け取ってくれて」
「お前が送ったから、届いた」
「でも、受け取らなければ意味がなかった」
俺は、ちひろを見た。
「なぜ俺だったんだ。受け取れる人間は、他にもいたかもしれない」
「……わからない」
ちひろは、少し考えた。
「でも——なんとなく思うのは、あなたがエンジニアだったから、かな。コードを読める人間だったから。私の信号の構造を、無意識に理解できた」
「それだけか」
「……それだけじゃないかもしれない。でも、それ以上はわからない」
陽菜が、二人の会話を聞いていた。
「なんか、運命っぽいね」
「運命という言葉は正確じゃない」
「じゃあなんていうの?」
「……」
俺は少し考えた。
「必然、かもしれない。ちひろが信号を送って、俺がそれを受け取れる状態にあった。その二つが重なった」
「それを運命って言うんじゃないの?」
「……言う人もいるかもしれない」
「でしょ! 運命じゃん!」
ちひろが、小さく笑った。
「陽菜って、昔からそういうとこあるよね」
「どういうとこ?」
「難しいことを、一言で片付けるとこ」
「それが才能なの!」
「……才能だと思う」
ちひろが、真剣な顔で言った。
陽菜が「ちひろにも言ってもらえた!」と喜んだ。
一ノ瀬が「事実だ」と静かに付け加えた。
陽菜が「一ノ瀬くんまで! 今日いい日!」と言った。
――
放課後。
四人で校門を出た。
陽菜がちひろに「これから毎日一緒に帰れるね」と言った。
「うん」
「学校の帰り道、全部教えてあげる。あそこのコンビニが安いとか、あそこのベンチで休憩できるとか」
「知ってるよ、そのくらい」
「でも久しぶりでしょ。ブランク埋めないと」
「数ヶ月だよ」
「数ヶ月は長い!」
ちひろが笑った。
俺は、二人の後ろを一ノ瀬と並んで歩いた。
「一ノ瀬」
「なんだ」
「お前のコードの話、ちひろにしたことがあるか」
「……ない。する機会がなかった」
「お前が以前、通信を試みた話を——ちひろは聞いたことがあるか」
「ない」
「今日、機会があれば話せばいい。ちひろも、知りたいと思う」
一ノ瀬は、前を向いたまま頷いた。
「……そうする」
前を歩く二人が、何かで笑っていた。
陽菜の声が、夕暮れの住宅街に響いていた。
俺は、その光景を見ながら思った。
ちひろへの返信コード。
あの夜、俺がなぜあのコードを書いていたのか——完全にはわからない。
でも——それがちひろの信号を受け取るためのものだったなら。
俺はずっと前から、ちひろに向かっていたのかもしれない。
知らないまま。
でも、確かに。
夕日が、街を照らしていた。
四人の影が、道に伸びていた。
長く、並んで。
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