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2-15「ちひろが知っていたこと」

 三日間、一ノ瀬はエージェントの動きを記録し続けた。


 出現時刻。出現場所。移動速度。消滅のタイミング。


 膨大なデータが、ノートに積み重なった。


 三日目の夜、一ノ瀬からメッセージが来た。


【一ノ瀬:パターンが見えた。明日の放課後、南公園に行ける】


 俺は返信を打った。


【俺:わかった。明日だ】


 すぐに陽菜からも来た。


【陽菜:私も行く。当然】


 短いやり取りだった。


 でも——三人が揃っていることが、画面越しに伝わった。


――


 翌日の放課後。


 南公園。廃工場跡地のフェンス前。


「エージェントのパターンは」


 一ノ瀬が、データを確認しながら答えた。


「出現から十五分のサイクルで動いている。次の出現は——今から二十分後だ」


「二十分あれば十分だ」


「ただし——今回は慎重に。前回より多く出現している。余裕を持って切り上げる」


「わかった」


 俺はコードを起動した。


 PlayerIDを順序通りに組み込む。


 「二人はちひろのことを思い浮かべてくれ」


「うん」「……ああ」


 壁が揺れた。


 扉が開いた。


 今回は、前回より速かった。


 一度通った扉は、開きやすくなっているのかもしれない。


「行ってくる」


「うん」


「待ってる」


 俺は踏み込んだ。


――


 数字の海。


 ちひろは、前回と同じ場所にいた。


 今回は、目を閉じていなかった。


 俺が来ると気づいたのか、顔を上げていた。


「また来た」


「ああ」


「思ったより早かった」


「急ぐ必要があったから。時間がない」


「……わかってる」


 ちひろは、少しだけ表情を曇らせた。


「自分の意識が不安定になってるの、感じてる。最近、端の方がぼやける感じがする」


「だから急いでいる。一つ、聞かせてくれ」


「なに?」


「マスタープロセスのことだ。お前はこの世界を作った。マスタープロセスについて、何か知っているはずだ」


 ちひろは、少し考えるような表情をした。


「……マスタープロセスは、私が作ったものじゃない」


「違うのか」


「この世界を作ったとき、自然に生まれたものだと思ってた。でも——マスタープロセスだけは、違う気がする。なんか、外から来た感じがする」


「外から来た」


「うん。記録者は私が作ったときに生まれた。でもマスタープロセスは——私の意図じゃないところで、この世界に入り込んだ感じがする」


 俺は、その言葉の意味を整理した。


 ちひろが作ったこの世界に、外部から入り込んだ存在。


 それがマスタープロセスだとしたら——マスタープロセスもまた、「異物」だ。


「マスタープロセスの弱点は、わかるか」


「……一つだけ、気づいていたことがある」


「聞かせてくれ」


「マスタープロセスは、予測できないことに弱い」


「予測できないこと?」


「うん。エージェントは決まったパターンで動く。でもマスタープロセスは——もっと賢い。俺たちの行動を先読みして、対処する。でも——」


 ちひろは、言葉を選ぶように続けた。


「先読みできないことが起きると、処理が遅れる。私が最初にこの世界を調べていたとき、一度だけマスタープロセスの動きが止まった瞬間があった」


「どんなときだ」


「振り子の実験のとき。同じ場所で、同じ実験を——何十回も繰り返したとき。マスタープロセスは最初の数回で『これは普通の授業だ』と判断した。でも繰り返しすぎたせいで、処理が追いつかなくなった感じがした」


「ループ処理だ」


「ループ?」


「同じことを繰り返されると、システムが『これは処理済みだ』と判断して次に進もうとする。でも繰り返しが予測を超えると、どこまで処理したかわからなくなる。一種のバグだ」


「……そういうことか。私は感覚でわかってたけど、そういう仕組みなんだね」


「つまり——同じ観測を、予測できないタイミングで繰り返せば、マスタープロセスを一時的に止められる可能性がある」


「うん。でも——どのくらい繰り返せばいいかは、わからない。私のときは偶然だったから」


 俺はその情報を、頭の中で整理した。


 マスタープロセスはちひろが作ったものではなく、外部から入り込んだ存在。


 予測できないループ処理が弱点。


 同じ観測を予測不能なタイミングで繰り返すことで、一時的に停止できる可能性がある。


「ありがとう。十分だ」


「……役に立てた?」


「ああ。これがあれば、突破できるかもしれない」


 ちひろが、少し安堵したような顔をした。


「よかった。私、ここからは何もできないから——せめて知ってることを全部伝えたかった」


「十分伝わった」


「……あと一つだけ」


「なんだ」


「核の近くの出口——そこを使うとき、一つ注意してほしいことがある」


「なんだ」


「出口は、双方向じゃない」


 俺は、息を止めた。


「双方向じゃない?」


「南公園の出口は、内側から外にも、外から内にも使える。でも——核の近くの出口は、内側から外にしか使えない。一方通行なの」


「つまり——そこを使ってちひろを連れ出したら」


「私は表層に戻れる。でも——その出口は、二度と使えなくなる」


 俺は、ちひろを見た。


「後悔はないか」


「ない」


 即答だった。


「私はずっと、ここから出たかった。それだけだよ」


 そのとき、背後から陽菜の声が薄く届いた。


「ちーちゃん、そろそろ十五分——」


「わかった。戻る」


 俺はちひろを見た。


「次が、最後の接触になるかもしれない」


「うん。知ってた」


「待っていてくれ。必ず来る」


「わかってる」


 ちひろが、俺を見た。


「……おじさん」


「だから四十三歳に向かって——」


「ありがとう」


 俺は、言葉が出なかった。


「来てくれて、ありがとう」


「……ああ」


 それだけ言って、扉へ向かった。


 背後で、ちひろの声が聞こえた。


「また、ね」


 俺は振り返らなかった。


 振り返ったら——行けなくなる気がしたから。


――


 表層に戻ると、陽菜と一ノ瀬が待っていた。


「どうだった?」


「マスタープロセスの弱点がわかった。そして——もう一つ、重要なことも」


「なに?」


「核の近くの出口は、一方通行だ。ちひろを連れ出した後、その出口は二度と使えなくなる」


 一ノ瀬が、静かに頷いた。


「……それでも、やるか」


「やる。ちひろが待っている」


「うん」


「……ああ」


 三人の答えが、揃った。


 夕暮れの公園。エージェントが来る前に、北口へ向かって歩き出した。


「マスタープロセスの弱点は——ループ処理だ。予測できないタイミングで同じ観測を繰り返すことで、一時的に止められる」


「どうやって?」


「三人で、同じ座標を——予測不能なリズムで観測し続ける。マスタープロセスが『処理済み』と判断した瞬間に、また観測する。それを繰り返す」


「陽菜の役割は変わるか」


「変わる。今度は扉を保持するだけじゃなく——マスタープロセスへのループ観測にも参加してもらう必要がある」


「わかった。やる」


「……準備を整える。あと数日かかるが——」


 一ノ瀬が、珍しく言葉を切った。


「なんだ」


「……ちひろは、元気だったか」


 俺は、一ノ瀬を見た。


「元気だった。お前のことも、ちゃんと感じていると言っていた」


 一ノ瀬は、前を向いたまま頷いた。


「……そうか」


 その二文字に——どれだけのものが込められているかを、俺は感じた。


 夕暮れの住宅街を、三人で歩いた。


 終わりが、近い。


 でも——最後の戦いが、始まろうとしていた。


お読みいただきありがとうございます。

次回もお楽しみに。

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