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2-13「連れ出す方法」

翌日の朝。


 教室に入ると、陽菜がすでにいた。


 いつも通りの笑顔だった。


 でも——目が少し腫れていた。


「おはよ、ちーちゃん」


「おはよう」


「……なんか見てる?」


「見てない」


「見てたじゃん」


「気のせいだ」


 陽菜は、少しだけ視線を外した。


「……昨日、帰ってから泣いてないから」


「そうか」


「泣いてないよ、本当に」


「わかった」


「信じてる?」


「信じてる」


「……嘘つき」


 陽菜は、でも笑った。


 今日の笑顔は、昨日より少し——軽かった。


 ちひろと繋がれたことで、何かが変わった。


 それは俺も同じだった。


――


 昼休み。


 一ノ瀬が、珍しく先に図書室に来ていなかった。


 五分後に来た。


 いつも通りの無表情だったが——目の下が、わずかに暗かった。


 昨夜、眠れなかったのかもしれない。


 でも聞かなかった。


 一ノ瀬は、椅子に座るなり言った。


「連れ出す方法を考えた」


「俺も考えていた。何か見えたか」


「ちひろの意識は今、深層の中心部に固定されている。それを表層に戻すには——深層と表層の間にある『壁』を、完全に取り除く必要がある」


「壁を取り除く、か」


「これまで俺たちがやってきたのは、壁に穴を開けることだ。でも穴を開けるだけでは、ちひろを通すことはできない。完全に壁を消さなければならない」


「どうやって」


「それが——わからない。記録者に聞く必要がある」


 俺は頷いた。


「今日の放課後、南公園に行く」


「ああ」


「陽菜は」


「来る」


 陽菜が、当然のように答えた。


「昨日泣いてないし、今日は普通に来れる」


「……誰も泣いたとは言っていない」


「予防線だよ!」


 一ノ瀬が、静かに口の端を動かした。


――


 放課後。


 三人で南公園へ向かった。


 今日は平日だったが、それでも公園には人がそれなりにいた。


 廃工場跡地のフェンス前に立つ。


 コードを起動する。


 記録者の声が、いつもより早く届いた。


「また来たか」


「ちひろと話せた」


「……記録している」


「連れ出す方法を教えてくれ」


 間があった。


「……それは、これまでの質問の中で最も難しいものだ」


「なぜ」


「ちひろの意識を表層に戻すためには、この世界の『核』にアクセスする必要があるからだ」


「核とは何だ」


「この世界の根幹をなすコードだ。物理定数が設定されている場所。時間の流れが定義されている場所。世界そのものが記述されている、最も深い層にある」


「深層の、さらに下か」


「そうだ。深層はちひろの意識がある場所だ。核は——この世界の設計図そのものがある場所だ」


 俺は、その意味を整理した。


 表層:俺たちが生活している世界。


 深層:ちひろの意識がある場所。


 核:この世界の設計図がある場所。


「核にアクセスすれば、ちひろを連れ出せるのか」


「核にアクセスできれば——ちひろの意識を、表層に戻すためのコードを書き換えることができる可能性がある」


「可能性がある、ということは確実ではない」


「確実なことは、何もない。でも——核へのアクセスは、今のお前たちには不可能に近い」


「なぜ」


「核は、マスタープロセスが直接管理している。そこに近づけば——これまでとは比較にならない強度の防衛機能が発動する」


 マスタープロセス。


 陽菜の記憶を消した存在。エージェントの上位にある、より強力な管理機能。


「マスタープロセスを突破するには、どうすればいい」


「……それは、俺には教えられない」


「なぜだ」


「干渉の限界を、すでに超えつつある。これ以上は——」


 記録者の声が、途切れた。


 そして——別の音が、聞こえた。


 低い、機械的な音。


 エージェントの警告音だ。


「来た」


 一ノ瀬が言った。


「複数か」


「……三体以上だ。昨日より多い」


 俺はコードを切った。


「逃げるぞ」


「うん」


 三人で走り出した。


 公園の北口へ。人の多い方へ。


 走りながら、俺は考えた。


 核。マスタープロセス。


 一段、また一段と——深くなっていく。


 でも——方向は見えている。


 核にアクセスする。マスタープロセスを突破する。


 それが、ちひろを連れ出すための道だ。


 どうやって突破するかは、まだわからない。


 でも——記録者が「教えられない」と言ったのは、「不可能だ」と言ったわけじゃない。


 可能性は、ある。


 北口を抜けた。


 人が多い。エージェントは来られない。


 三人で立ち止まって、息を整えた。


 陽菜が、肩で息をしながら言った。


「……核って、この世界の設計図があるとこなんだよね」


「そうだ」


「じゃあ——ちひろが書いた設計図があるとこじゃん」


「……そうなるな」


「なんか、ちひろの日記を見に行く感じがする」


 俺は陽菜を見た。


 その感覚は——あながち、間違っていないかもしれない。


「ちひろが書いたものを、読みに行く」


「そう! そう思ったら、なんか行けそうな気がしてきた」


「……単純だな」


「複雑に考えるより、単純に考えた方が力が出るの!」


 一ノ瀬が、静かに言った。


「……単純な方が、正しいこともある」


 陽菜が、一ノ瀬を見た。


「また一ノ瀬くんがいいこと言った」


「……事実だ」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 一ノ瀬が、珍しく素直に返した。


 陽菜が、目を丸くした。


 俺も、少し驚いた。


 一ノ瀬が「どういたしまして」と言ったのは——初めてだったかもしれない。


 夕暮れの公園の外。


 三人が並んで立っていた。


「次のステップは——核へのアクセスだ」


 俺は言った。


「マスタープロセスを突破する方法を、見つけなければならない」


「うん」


「……ああ」


「ちひろが待っている。設計図の向こうで」


 三人は、それぞれ前を向いた。


 夕日が、街を赤く染めていた。


 まだ終わっていない。


 でも——終わりが、見えてきた。


 ちひろまでの道が、一段、はっきりした。

お読みいただきありがとうございます。

次回もお楽しみに。

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