2-11「土曜日、晴れ」
土曜日。
朝、目が覚めた瞬間に、今日のことを思った。
窓の外を見た。
晴れていた。
陽菜の言った通りだった。
俺はベッドから起き上がり、スマホを確認した。
【陽菜:おはよ! 晴れたね! 9時に駅集合で!】
【一ノ瀬:わかった】
俺も返信を打った。
【俺:ああ】
シンプルな返信が、今日という日には似合った。
「お母さん」が朝食を作っていた。
「ちひろ、今日はどこか行くの?」
「友達と」
「そう。気をつけてね」
それだけだった。
俺は朝食を食べながら、「お母さん」の横顔を見た。
この人は、今日何が起きるか知らない。
でも——この人が毎朝作る朝食が、この世界の「温かさ」の一部だった。
ちひろが作った世界の、温かさの一部だった。
「……ごちそうさまでした」
「はい。行ってらっしゃい」
俺は、玄関を出た。
――
駅前で三人が合流した。
陽菜が、コンビニの袋を持っていた。
「決戦前の補給」
「また買ってきたのか」
「当たり前じゃん。お腹空いてたら力出ないから」
「深層にアクセスするのに体力は関係ない」
「気持ちの問題だって言ってるの!」
袋の中には、チョコレートと栄養ドリンクとグミが入っていた。
一ノ瀬が、無言でグミを一つ受け取った。
俺も、チョコレートを受け取った。
陽菜が「よし」と言って歩き出した。
南公園へ向かう道。
しばらく、三人は黙って歩いた。
秋の朝の空気が、冷たくて澄んでいた。
「ねえ」
陽菜が言った。
「なんだ」
「一つ聞いていい?」
「ああ」
「私の記憶を消したのって、エージェントじゃなくてマスタープロセスなんだよね」
「そう思っている」
「なんで消したんだろ。私が653を知ってたら、困ることがあったの?」
俺は少し考えてから答えた。
「おそらく——陽菜が653を知っていれば、早い段階でこの世界の構造に気づく可能性があった。そうなれば、システムへのアクセスが早まる。マスタープロセスは、それを防ぎたかったんだと思う」
「なんで防ぎたかったの?」
「ちひろが深層に移ることで、エージェントは俺という『不正アクセス』を追い始めた。でも陽菜まで動き始めれば、システムへの負荷が倍になる。マスタープロセスは、一人ずつ対処したかったんじゃないか」
「……つまり、私が危なかったから消した、わけじゃないんだね」
「むしろ逆だ。お前を無力化することで、システムを守ろうとした」
陽菜は、少しだけ考えるような顔をした。
「……なんか、敵に認められてた感じがして、複雑」
「複雑か」
「だって、消してもらうくらい危険な存在だったってことでしょ」
「そういう解釈もできる」
「じゃあ、私けっこう重要人物じゃん」
一ノ瀬が、静かに言った。
「最初からそうだ」
陽菜が、一ノ瀬を見た。
一ノ瀬は前を向いたまま歩いていた。
「……一ノ瀬くん、たまにすごいこと言うよね」
「事実を言っただけだ」
「でも、ありがとう」
一ノ瀬は何も言わなかった。
でも、歩くペースが、わずかに変わった気がした。
――
南公園に着いた。
週末の午前中。家族連れが多い。子供の声が響いている。
観測者が、十分にいる。
三人で、桜並木を抜けた。
廃工場跡地のフェンス前に立った。
俺は深呼吸をした。
空気が、いつもより澄んでいた。晴れた朝の、乾いた空気。
「準備はいいか」
「ある」
「うん」
俺はコードを開いた。
PlayerIDを順序通りに組み込む。#000、#001、#002。
ちひろ、俺、陽菜。
「手順通りに進める。俺がコードを走らせる。二人は——ちひろの意識座標に、意識を向けてくれ。考えるだけでいい。ちひろのことを、思い浮かべてくれ」
「わかった」
「……ああ」
「始める」
コードを走らせた。
今まで何度も走らせてきたコード。
でも今日は——何かが違う。
三人のPlayerIDが揃っている。手順書通りの順序で組み込まれている。
壁が、揺れた。
今回の揺れは、これまでとまったく違った。
波のように、でも波より深く。
フェンスの向こうの空気が、ゆっくりと「開いていく」感覚がある。
「……来てる」
陽菜が、小声で言った。
「うん。感じてる」
「一ノ瀬は」
「……ああ。今回は違う。深い」
俺はコードの強度を、慎重に上げた。
視界の端が、白くなり始めた。
でも今日は——白さの中に、何かが見えた。
光の粒。
数字の海。
そしてその向こうに——
輪郭。
今日は、はっきり見えた。
座っている。
顔は見えない。でも——確かに、人がいる。
「……ちひろ」
俺は呼んだ。
向こう側が、静かに揺れた。
そして——扉が、開き始めた。
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次回もお楽しみに。




