2-9「覚えていてね、の続き」
朝、登校しながら、俺は昨夜の作業を思い返していた。
第三ブロックの復元。
陽菜の「覚えていてね」という断片を当てはめることで、欠落部分の輪郭がわずかに見えてきた。でも——まだ、完全じゃない。
欠落部分の「形」はわかってきた。
でも、その「中身」がまだわからない。
「覚えていてね」の、続きがある気がした。
ちひろが陽菜に言った言葉は、それだけじゃない。もう少し、あった。
その「続き」が、第三ブロックを完成させる鍵になると思った。
――
教室に着くと、陽菜が待っていた。
手に、小さな紙袋を持っていた。
「おはよ、ちーちゃん」
「おはよう。それは何だ」
「お守り」
俺は紙袋を見た。
「……お守り」
「昨日の帰りに神社に寄ったの。なんか、こういう時ってお守りあった方がいいかなと思って」
「量子力学とシミュレーション仮説で構成された世界で、神社のお守りが効果を持つかどうかは」
「ロマンの問題だよ! 効くかどうかじゃなくて、気持ちの問題!」
四十三年の処世術が「ここで反論してはいけない」と告げた。
「……そうだな」
「でしょ。ちーちゃんと一ノ瀬くんの分も買ってきたよ」
陽菜は、紙袋から小さなお守りを二つ取り出した。
「一ノ瀬くんのは健康。ちーちゃんのは合格祈願にした」
「合格祈願」
「だって、ちひろに会いに行くんでしょ。合格してほしいじゃん」
論理としては奇妙だが、気持ちとしては正確だった。
俺はお守りを受け取った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
陽菜は満足そうに笑った。
――
昼休み。
一ノ瀬に報告した。
「第三ブロックの復元が途中で止まっている。陽菜の『覚えていてね』の断片を当てはめたが、まだ欠落がある。続きがあると思う」
「俺も同じ結論に達した」
「陽菜に、もう一度記憶を辿ってもらう必要がある」
「ただ——」
一ノ瀬が、表情を少し変えた。
「何だ」
「昨夜、エージェントを三体確認した。学校の周辺で」
俺は息を止めた。
「三体? 同時にか」
「別々の地点で、ほぼ同時刻に。俺の観測記録に残っている」
「チュートリアル完了後から増えているとは思っていたが——三体は初めてだ」
「ああ。包囲網が形成されつつある可能性がある」
陽菜が、話を聞いていた。
「……包囲網って、私たちを囲んでるってこと?」
「まだ確定ではない。でも——」
「急がないといけないね」
「そうだ」
陽菜は、お守りを握った。
「じゃあ、記憶を思い出す。今すぐ」
「焦らなくていい。ただ、今日中に」
「わかった」
陽菜は目を閉じた。
俺と一ノ瀬は、静かに待った。
しばらくして、陽菜が言った。
「……霧の中みたいな感じがする。ちひろが、すごく近くにいる感じ。でも顔が見えない」
「ちひろの声は聞こえるか」
「……聞こえそうで、聞こえない。なんか、遠い」
「『覚えていてね』の後に、何か続いていた感覚はあるか」
陽菜は眉を寄せた。
「……ある、気がする。なんか、もう一言、言ってた。でも——」
「焦らなくていい。感覚だけでいい」
「……なんか、数字、だったかもしれない」
「数字?」
「うん。なんか、ちひろが数字を言ってた感じがする。何の数字かはわからないけど」
俺は、一ノ瀬と視線を交わした。
数字。
第三ブロックは、数列で構成されている。
ちひろが陽菜に数字を伝えた——それがそのまま、第三ブロックのアクセスキーになっている可能性がある。
「その数字、思い出せるか」
「……ちょっと待って」
陽菜は、さらに深く目を閉じた。
長い沈黙。
「……六、五、三」
俺の心臓が、強く打った。
「もう一度言ってくれ」
「六、五、三。なんか、ちひろがそれを言ってた感じがする。自信ないけど」
「653だ」
一ノ瀬が、静かに言った。
「ちひろが陽菜に、653を伝えていた」
「……でも私、それ覚えてなかった。今初めて思い出した感じ」
「消されていたんだ。でも——感覚の奥底に、残っていた」
陽菜は目を開けた。
「653って、ちひろのサインだよね」
「そうだ。開発者のサインとちひろが呼んでいた数列だ」
「じゃあちひろ、私にそれを伝えてたんだ」
「ああ。お前に、この世界の鍵を預けていた」
陽菜は、しばらく黙っていた。
それから——静かに笑った。
「……やっぱりちひろって、ずるいな」
「また言うのか」
「だって本当にずるいんだもん。私に鍵を持たせておいて、でも私には教えないで。万が一のために、消えても大丈夫なように隠して」
「万が一というより、確信があったんじゃないか。お前が必ず思い出すと」
「……そっか」
陽菜は、お守りをもう一度握った。
「じゃあ、思い出してあげないといけないね。ちひろの期待に応えないと」
「十分、応えている」
俺は言った。
「今日、お前が思い出したことで——第三ブロックが完成するかもしれない」
――
放課後、一ノ瀬と二人で解析を進めた。
陽菜の「653」という断片を、第三ブロックの欠落部分に当てはめる。
パズルのピースが、一つはまった。
そしてその周囲の数字が——連鎖的に、形を成し始めた。
「……見えてきた」
一ノ瀬が言った。
「ああ」
「第三ブロックの意味が、わかってきた」
「何だ」
「これは——手順書だ」
手順書。
「ちひろの意識座標に、三人でアクセスするための、具体的な手順が書かれている」
俺は画面を見た。
数列が、意味を持ち始めていた。
「……ちひろは、全部書いておいてくれたんだ」
「そうだ。俺たちが来ることを信じて、道しるべを残しておいた」
窓の外、夜が近づいていた。
時間がない。
でも——地図が、完成しつつある。
ちひろが残した地図が。
俺たちのために、ずっと待っていた地図が。
お読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。




