2-4「一人で、そんなこと考えてたんだ」
南公園から駅へ向かう道。
三人は、しばらく黙って歩いた。
秋の午後の光が、街路樹の隙間から差し込んでいる。土曜日の住宅街は静かだ。子供の声が、どこかから聞こえてくる。
俺の頭の中は、整理がついていなかった。
記録者。
ちひろが#000。
「このまま続ければ、いずれ届く」という言葉。
情報が多い。多すぎる。
でも——今日の接触は、間違いなく前進だった。
「ねえ」
陽菜が、歩きながら言った。
「なんだ」
「お腹空いた」
俺は、思考回路が一瞬フリーズした。
「……今?」
「朝ごはん少ししか食べてこなかったんだよ。緊張してたから」
「緊張してたのか」
「してたよ! 深層への入口に行くって言ったら緊張するじゃん! でも無事終わったし、今めちゃくちゃお腹空いてる」
四十三年の人生で培った処世術が「ここで笑ったら陽菜に怒られる」と警報を鳴らした。
「……一ノ瀬は?」
「……腹は、まあ」
「じゃあ決まりじゃん! あそこにファミレスあるよ!」
陽菜が、路地の先を指さした。
確かに、チェーンのファミレスの看板が見えた。
俺はその看板を見ながら、今日起きたことを思い出した。
深層への扉。記録者。ちひろのPlayerID。
それをファミレスで話し合うことになるとは、この世界に来た一日目には想像もしていなかった。
――
店内。
ドリンクバーと、それぞれの注文。
陽菜はハンバーグセット。一ノ瀬はパスタ。俺はサラダとスープだけにした。
「ちーちゃん、それだけ?」
「十七歳の胃袋はそんなに大きくない」
「でもちーちゃん最近食欲落ちてない?」
「落ちてない。四十三年分の食事量に合わせているだけだ」
「おじさんサイズで食べてるってこと?」
「そういうことだ」
陽菜が「ウケる」と言って笑った。
一ノ瀬が、黙ってパスタを食べ始めた。
俺はスープを一口すすってから、本題に入った。
「今日の接触を整理したい」
「うん」
「まず、記録者という存在がいることが確認できた。ちひろがこの世界を作ったとき、自然に生まれた。この世界の全てを記録している」
「ログシステムみたいな存在だな」
一ノ瀬が言った。
「そうだ。干渉しない。記録するだけ。でも、俺たちに情報を与えることは——制限されていない」
「なぜ?」
「記録者は『干渉』と『情報提供』を区別しているのかもしれない。俺たちに事実を伝えることは、世界を変えることにはならない、という判断なのかもしれない」
陽菜が、ハンバーグを切りながら聞いた。
「ちひろが#000だったって、どういう意味なの? #001より前の番号ってこと?」
「そうだ。ちひろはこの世界の最初のプレイヤーだ」
「最初のプレイヤーって……ちひろって、この世界を作った人なの?」
直球だった。
俺は少し考えてから答えた。
「……可能性は高い。でも、まだ確定じゃない」
「どうして」
「ちひろが意図的に作ったのか、無意識に作ったのか、まだわからない。記録者は『ちひろがこの世界を作ったとき』と言ったが、それがどういう経緯だったかは教えてくれなかった」
「じゃあ、ちひろ本人に聞くしかないね」
「そうだ」
陽菜は、少し考えてから言った。
「……ちひろが自分でここを作ったとして。なんで消えたんだろ。自分が作った世界なのに」
その問いが、テーブルの上に静かに置かれた。
一ノ瀬が、パスタのフォークを止めた。
「……それについて、今日の接触から一つ仮説が生まれた」
俺と陽菜が、一ノ瀬を見た。
「記録者は言った。『ちひろがお前を待っていた記録がある』と」
「ああ」
「待っていた、ということは——ちひろは、誰かが来ることを最初から想定していた」
「そうなる」
「だとすれば——」
一ノ瀬は、フォークを置いた。
「ちひろは、自分が消えることも、最初から知っていたのかもしれない」
静寂が落ちた。
ファミレスの店内のBGMが、遠くで流れている。隣のテーブルで、子供が何かを騒いでいる。
でも、俺たちの周囲だけが、静かだった。
「……どういうこと」
陽菜が、ゆっくり聞いた。
「ちひろはこの世界を作った。でも、自分だけでは深層に辿り着けなかった。だから——外から来る誰かが必要だった」
「剛のことを呼んだ」
「そうだ。でも、誰かを呼ぶためには——自分がここにいるままでは、邪魔になる可能性がある」
「邪魔……」
「ちひろが表層にいれば、エージェントは『ちひろ』を守ろうとする。でも、ちひろが消えて——意識だけが深層に移れば、エージェントは『不正なポインタ』である俺を排除することに集中する」
俺は、一ノ瀬の仮説を追いながら、頭の中でパズルのピースが合わさっていく感覚があった。
「つまり——ちひろは、意図的に消えた」
「そう思う。自分が消えることで、外から来た俺を——この世界に残す必要があった」
「俺が残ることで、ちひろの身体も残る」
「そうだ。ちひろの身体があれば、俺はこの世界に『ちひろとして』存在できる。エージェントに即座に削除されることなく、時間をかけて調査できる」
俺は、息を吐いた。
「……ちひろは、全部計算していたのか」
「計算、というより——覚悟していたのかもしれない」
一ノ瀬の声が、わずかに低くなった。
「消えることを、覚悟した上で——俺たちに繋ぎを作った」
陽菜が、ハンバーグの皿を見つめていた。
「……ちひろ」
小さく呟いた。
「一人で、そんなこと考えてたんだ」
誰も、何も言わなかった。
ファミレスのBGMが、続いていた。
隣のテーブルの子供が、また何かを騒いでいた。
この「普通の日常」の中で、ちひろは一人で、消える準備をしていた。
怖かっただろう。
でも——止まれなかったんだろう。
「絶対に見つける」
俺は言った。
ちひろに向けているのか、この場の三人に向けているのか、自分でもわからなかった。
でも——言わずにいられなかった。
「ちひろが全部計算して、覚悟して、俺を呼んだなら。俺は必ず、それに応える」
陽菜が、顔を上げた。
「うん」
一ノ瀬が、また前を向いた。
「……ああ」
窓の外に、秋の午後の光が続いていた。
ファミレスの、普通の土曜日。
でも——三人の覚悟は、今日また一段、深くなった。
昨日はお休みしちゃいました。
またお願いいたします。




