2-2「深層の入り口」
二日間、俺は「第三の存在」の分析を続けた。
わかったことを整理する。
エージェント・ゼロは言葉を発しない。「対象の削除を開始します」という警告テキストを出すだけだ。感情がない。交渉の余地がない。ただ「排除する」という命令に従って動く。
設計者——あるいはちひろ——は、この世界を作った側にいる存在だ。物理定数を設定し、世界の形を決めた。でも、ちひろは今、深層にいて俺たちに直接語りかけることができない。
では、あの声は何か。
特徴を洗い出す。
一つ目。俺のPlayerIDを知っていた。システムの構造を深く理解している。
二つ目。「よく来た」という言葉を使った。つまり、俺が来ることを「待っていた」か、少なくとも「想定していた」。
三つ目。敵意がない。でも、助けようとしている雰囲気でもない。ただ——確認した。お前が#001か、と。
確認した。
その言葉が引っかかる。
確認するということは、確認すべき理由がある。#001が来たかどうかを、確認しなければならない理由が。
つまり——あの声の主は、#001が来ることを「知っていたが、確信はなかった」のかもしれない。
予測はしていた。でも確認が必要だった。
それは——設計者の立場とは違う。設計者なら、全てを知っているはずだ。確認する必要がない。
では、あの声は「設計者より下位にいて、システムを深く知っている、第三の存在」だ。
その可能性が、一番高い。
――
三日目の放課後、一ノ瀬が報告を持ってきた。
「座標の逆算が完了した」
「どこだ」
「学校の外だ」
俺は息を止めた。
「学校の外?」
「ああ。声の発生源を計算すると——学校から南に約二キロ、川沿いの公園に近い地点だ」
「公園」
「廃工場の跡地が近くにある。今は更地になっているが、システムのデータ上では、その場所だけ異常な座標圧縮が起きている」
座標圧縮。
大量のデータを小さな空間に押し込む処理。深層へのアクセスポイントがあれば、そこで座標の「密度」が上がる可能性がある。
「それが、深層への入口かもしれない」
「可能性は高い」
陽菜が、話を聞いていた。
「え、学校の外なの?」
「そうだ」
「……川沿いの公園って、もしかして南公園?」
「地図で見るとそうなる」
「あそこ、知ってる!」
陽菜が、急に身を乗り出した。
「ちひろと一緒に行ったことある! 桜の季節に!」
俺と一ノ瀬は、顔を見合わせた。
「……ちひろと?」
「うん! 去年の春、お花見したんだよ! 確かあの廃工場跡地の近くに、桜が並んでる場所があって」
陽菜の声が、だんだん弾んでいく。
「ちひろがね、そこでおにぎり持ってきてくれて。めちゃくちゃ美味しかったんだよ。なんか、ちひろが作ってくれたやつで——あ、あと確かそこでちひろが転んで、膝擦りむいて」
陽菜が、急に止まった。
目を細めた。
「……そこが、入口かもしれないの?」
「可能性がある」
陽菜はしばらく、何も言わなかった。
それから、静かに言った。
「……ちひろが選んだ場所、かもしれないね」
俺は、その言葉を受け取った。
深層への入口が、ちひろと陽菜が一緒にいた場所と一致している。
偶然かもしれない。でも——ちひろが無意識に、自分の「大切な場所」を起点として深層への通路を作っていたとしたら。
「行ってみよう」
俺は言った。
「いつ?」
「今週末。昼間の方がいい。夜は人が少なくなりすぎる」
「量子力学的に、観測者が少ない方が解像度が下がるから?」
「逆だ。深層へのアクセスは、観測者が多すぎても負荷になる。最適な観測者数がある」
「じゃあ三人がちょうどいいじゃん」
「そういうことだ」
陽菜は満足そうに頷いた。
一ノ瀬が、静かに付け加えた。
「……南公園か」
その声に、何かが混ざっていた。
俺は一ノ瀬を見た。
「お前も行ったことがあるのか」
「……一度だけ。ちひろが消える前の週に、一緒に行った」
静寂。
「ちひろが『ここ好きなんだよね』と言っていた。なぜかは聞かなかった」
陽菜が、一ノ瀬を見た。
何も言わなかった。でも、その表情が少しだけ柔らかくなった。
「……じゃあ、ちひろが選んだ場所だ。絶対に」
陽菜の言葉が、図書室の空気に静かに溶けた。
――
その夜。
俺はスマホを見ながら、南公園のデータを調べていた。
地図。周辺情報。廃工場跡地の位置。
桜並木。ちひろがおにぎりを作った場所。膝を擦りむいた場所。一ノ瀬と一緒に行った場所。
ちひろには、そこが「好きな場所」だった。
人が「好き」と感じる場所には、理由がある。空気が、景色が、思い出が——何かが、その場所を特別にしている。
ちひろがその場所を好きだった理由が、今の俺にはわからない。
でも、行けばわかるかもしれない。
スマホが震えた。
通知。メールでも、LINEでもない。
解析コードからの——アラートだった。
俺はアプリを開いた。
数値が流れている。座標データ。体育館裏ではなく——別の座標からの、反応だ。
南公園方向から。
俺は息を止めた。
画面に、テキストが表示されていた。
解析コードが自動変換したもの。
音声ではない。今度は——文字だ。
短い、一文。
```
もうすぐ、会える。
```
俺は画面を見つめた。
動けなかった。
「もうすぐ、会える」。
ちひろからのメッセージだ。
音声より鮮明な、文字によるメッセージ。
ちひろは、俺たちが来ることを知っている。
返信コードが届いていた。俺たちの「聞こえてる」が、届いていた。
だからちひろは——今度は音声じゃなく、文字で返してきた。
俺はスマホを握りしめた。
震える手で、一ノ瀬と陽菜に転送した。
【俺:ちひろから文字が届いた。「もうすぐ、会える」】
すぐに返信が来た。
【陽菜:え!?!?!?】
【一ノ瀬:……今週末、行こう】
俺は画面を閉じた。
窓の外を見た。
夜空。星。
ちひろ。
もうすぐ、会える。
お前がそう言うなら——絶対に、会いに行く。
お読みいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。




