第8話 新たな冒険へ
「もう行ってしまわれるのですか? まだ少しゆるりとご滞在なさってはいかがでしょう」
村長の申し出をしかし、ゲイルは首を振って断る。
気持ちは嬉しいが、魔神の出現は最優先の報告事項なのだ。すぐに協会へ知らせなくてはならない。
事実をすこしぼかして伝えると、老人はわずかに肩を落とした。
見た目通りの好々爺。いかにも人の好さそうな村長の態度に、仲間たちもみな苦笑を漏らす。
「また立ち寄らせてください。今度は依頼ではなく、療養という形でこの村の素晴らしさを堪能させて頂きますわ」
神官らしい慎み深さでアリシアが別れの挨拶を告げ、そうして彼らは村長宅を後にした。
「しかし、あれじゃのう。たった数日のこととはいえ、中々に居心地の良い村じゃったな」
声を掛けてくる村人たちに手を振って応えつつ、ドワーフの戦士は笑う。
「温泉、気持ちよかったよね! また来たいなあ」
「ああ、あれは悪くない。景色を眺めながら酒を蒸して飲むのは、風情があった」
よほどお気に召したのか、リュミエたちが名残を惜しむ。その会話を背で聞き流しながら、ゲイルは息を吐いた。
すると、その仕草を目ざとく見つけたか、隣を歩くアレンが心配そうに眉根をひそめる
「ゲイルさん、大丈夫ですか? まだ体の具合が……」
「いや、少し頭が重くてな。酒の飲みすぎかもしれん」
「そうですか? 昨夜はあまり嗜まず、早々に床に就いたように思えましたが」
相変わらずの観察力だ。彼はパーティー最年少ではあるが、何かにつけて対応が細やかで良く気が利く男である。
そのぶん、心配性が過ぎるのが玉に瑕だが――と、ゲイルは口元を緩めた。
「疲れが出ているのかもな。報告を済ませたら、少し休ませてもらうさ」
「そうしてください。なにせ上位魔神を相手取ったんですからね。活動限界が来ていなかったらと思うと、ゾッとしますよ」
アレンの言う通りだった。
グレーターデーモンと遭遇するなんぞ、運が悪いなんてものじゃない。なにせ手練れの冒険者を総動員し、国宝級の魔道具を持ち出して、ようやく打ち取れるかどうか……という難敵なのだ。
「僕も遭遇したのは初めてでしたが、本当に恐ろしい敵でした。死人が出なかったどころか、五体満足でいられたのが未だに信じられません」
レリックが出合い頭の一撃を喰らった以外、損害は無し。しかも魔導具の触媒となる三本角も入手出来た。まさに、奇跡的ともいえる戦果であった。
「ねえねえ、そしたら今度はさ、もっと大勢で探索隊が組まれるのかな」
会話をする二人の間に割り込むようにして、リュミエが口をはさむ。
「どうだろうな。あの森はほれ、俺たちが探索しつくしただろ?」
「あ……そうか、そうだったよね。魔傷痕も処理したし、魔素が湧く原因も無くなったんだっけ」
こつんと、ハーフエルフの少女は自身の頭を小突く。
「なに言ってんだろ、あたし。おかしいなあ」
首を捻るリュミエをしかし、ゲイルも笑い飛ばせない。
奇妙な違和感が、微かに胸の奥にくすぶっている。しかしそれがなんなのか、見当もつかない。不思議な感覚であった。
そうだ、魔神はもう居ない。
自分たちの目の前で活動限界に達し、消滅した。
そのはず――なのに。
「だが、これからが忙しくなるぞい。協会の懸念が的中しちまったからのう。普段、目の届かないような辺境に至るまで、調査は入るじゃろうな」
「そうだねえ。人手はいくらあっても足りないだろうねえ」
「連携が大事かと存じます。例の預言もありますし、これを機に地方の冒険者協会や神殿とも、きちんと情報を共有すべきかと――」
仲間たちの会話も、ゲイルの耳を素通りしていく。
頭の片隅にモヤが掛かり、思考が上手くまとまらない。
自分は何か、大切なことを忘れているような――
「……あれ、あそこにいる子は」
アレンの言葉に、ゲイルは顔を上げた。
彼が指さした先には、村の門がある。特に珍しくも無い、簡素な作りで出来た門構えの前で、一人の少年が掃除をしているのが見えた。
「……っ!」
ゲイルの足が止まる。中肉中背・うす茶色の短髪。なんの変哲もない、何処にでもいるような村人だ。目を引くような特徴は無い――はず、なのに。
何故か、ゲイルのその目は少年の姿を捉えて離れない。
「どうも、冒険者さま。もうお帰りですか?」
立ち尽くすゲイルをどう思ったか、少年の方から近づいてくる。
「あ、ああ……」
「この度は、本当にありがとうございました。これで村の皆も安心して暮らせます」
「そ、うか」
口の中が乾く。舌が固まり、うまく口が動かせない。
自分はいったい、どうしてしまったというのか。
ゲイルのそんな様子に、仲間たちも訝しんでいるようだが、説明を返すことも出来ない。
「これ、ほんのお礼ですが……どうぞ、お受け取りください」
「わあ、奇麗! なにこれ、羽?」
少年が手のひらに載せて差し出したのは、真っ白な美しい羽であった。
日の光に照らされて煌めくそれを、リュミエはうっとりと見つめている。
「はい、天使の羽です」
「テンシ?」
リュミエが首を傾げる。
ゲイルもまた、聞いたことの無い名称だ。
「天の御使い様のことです。お伽噺――じゃなくて、童話に出てくるんですよ。白い翼をはやした、神様のしもべでして」
「まあ、興味深いお話ですね。運命神さまの眷属が、形を変えて伝わったのかしら」
少年の説明に、アリシアが反応する。
彼女は敬虔な聖職者だ。そして、古い文献を好んで集める知識魔でもあった。
「もちろん本物ではなく、それを模した作り物です。ただ、皆さまの冒険にご加護があればと思いまして」
「まあ、ありがとうございます。こちらはなにか、特別ないわれがあるのですか?」
「はい、ほんのささやかな願いを叶えてくれるそうですよ」
そう言って、少年は微笑む。
「大金持ちになりたいとか、偉くなりたいとか。そんな凄いお願いではなく、探している人に巡り合えたり、失せ物が見つかったり……そんな程度のものが」
それはなんとも、ささやかだ。民間伝承に相応しい、こじんまりとしたアイテム。
だがそれを聞いて、リュミエが目を輝かせた。
「いいじゃん、それ。なんだかとっても素敵。やっぱり夢は自分の手で叶えなきゃね! それでこそ冒険者ってもんじゃん!」
どうやら少年の話も、その手に載せられた天使とやらの羽も、彼女は心から気に入ったようだった。
「受け取っとくよ。ありがとうな」
ようやく体が動き、ゲイルは少年の手のひらに指を伸ばす。
柔らかく、暖かな感触。それが指先から伝わってくる。
確かな――人間の肌。どうしてそれを、不思議と思うのだろう。
「お気をつけて、冒険者さま。またのお越しをお待ちしています」
嬉しそうな少年の笑顔を背に受け、そうしてゲイルたちは歩き出す。
これからも行く手には困難が待ち受け、窮地に陥ることもあるだろう。今回のような幸運が、また訪れるとは限らない。けれど、それでも歩みは止めない。疲れ果てた体を叱咤して、前へと進んでゆく。
何故なら、ゲイルたちは冒険者なのだから。
手のひらに乗った、薄い羽の小さな重み。
それを確かめるように撫で、ゲイルは空を見上げた。
新たな冒険へといざなう様に、柔らかな日の光がそこに輝いていた。




