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最終兵器 村人A  作者: 間孝史
第3章 勇者と『カミ』の巫女
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第66話 遠い記憶



「かあさま、かあさま。どうしてかなしそうな、さびしそうなお顔をなされるのですか?」


 ――ケーレがまだ幼く、物事を良く知らなかった頃。

 一度だけ、母に尋ねてみた事があった。


 優しく、美しかった母。

 自分と同じ白く長い髪を揺らし、いつもケーレを暖かく抱きしめてくれた。


 しかし、どうしてだろうか。

 ケーレは不思議に思う事があった。

 時折、母は物憂げな眼差しを持って、こちらを見つめるのである。


「かあさま、だから、あの……これ……」


 それがたまらなくて、ケーレは手に持った花を差し出した。

 母の目が瞬き、思わぬ質問をした娘と、その指先にあるピンク色の花弁を行き来する。

 

「かあさま……はい」


 ケーレは一生懸命に背伸びをして、その花を髪に刺す。

 自分と同じ、白い髪。お日様を浴びてキラキラと輝く奇麗なそれが、ケーレは大好きだった。

 

「すてきです、かあさま」


 物憂げな顔、寂しそうな顔。

 それを少しでも慰めてあげたくて、ケーレは母の髪を撫でる


「ああケーレ、私の愛しい娘」


 母は、唇を噛み締め、そうしてケーレを掻き抱いた。

 震える指先、慄く肢体。

 それが、あまりにも切なく悲しく思えて、ケーレは堪え切れずに泣いてしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……ケーレ……っ」


 絞り出すような、それは叫びであった。


「かあさま、泣かないで? かあさま……」


 熱い涙が、ケーレの首元を濡らしてゆく。

 

 ――何故、母は泣いているのだろう。


 ――どうして、母は謝っているのだろう。


 分からない、何も分からない。理解することすら、叶わない。

 それでもケーレは、なんとか母の涙を止めたくて、一生懸命その体を抱きしめ返した。


「ケーレ……っ! ああ、ケーレ……!」


 けれど、母は一層激しく泣くばかり。

 嘆くように、惜しむように。

 その声は高く、高く……氷室へと響いてゆく。


 そう。この時のケーレは、何も知らなかった。

 己が一族が背負うべき宿命も、母の涙の理由も。


 何も……何も、知らなかったのだ――




     ☆   ☆   ☆   ☆



 パチパチという音を立て、焚火が燃え上がっていた。

 鼻腔をくすぐる、焼き立て特有の香ばしい匂い。どこか懐かしいそれが、ケーレの記憶を揺さぶってゆく。


 なんだろう、これは。

 どういう事なのだろう、これは。


 疑問が次から次へと湧き出すも、それを問う言葉をどう紡げば良いのか、まるで分からない。

 


「……あの、トルクさま。これは、いったい」


 結局、ケーレの口から出たのは――そんな、戸惑いの声であった。


「あ、えっと……魚、焼いてるんすけど」


 魚。魚を焼いていると彼は言った。


 ――何故?


 思わず舌から飛び出しそうになる言葉を必死に抑え、ケーレは首を傾げた。


 住まいからほんの十数歩ばかりを出た所に、トルクはしゃがみ込んでいる。

 木の枝を並べて火を付け、そこから煙が上がっているようだ。

 

 熾火の周囲には、串のようなものが差し込まれた魚が数匹、パチパチと音を立てこんがりと焼き上がっていた。


「あ、よしよし! ちょうど良い頃合いですぜ!」

「はい」


 ぽかんとするケーレに構わず、トルクは魚にかぶりつく。

 じゅわり、と。歯と歯の間に脂が滴るのが見えた。


「あちちっ! うまっ! めちゃうまっ!!」

「はい」


 彼はいかにも美味しそうに、はふはふもぐもぐ、あっという間に平らげてゆく。


「ど、どうぞ! すっごく美味いですよ!」

「……はい?」


 声が上ずった。

 眼前に、串に刺さった焼き魚が差し出されている。

 

 その持ち主はといえば、お世辞にも冷静な姿とは言い難い。

 どこか照れたように頬を染め、口元は引き攣っている。


 それになにより、手先がぷるぷると震えていた。

 生まれたての小鹿もかくや、という慄きっぷりである。


「え、と」


 食べろ、というのだろうか。ケーレはその焼き魚をじっと注視する。


 魚自体はありふれたものだ。

 そこの小川で泳いでいるものに相違ない。

 

 表面の皮は程よく焼き上がり、脂がぽたぽたと滴り落ちている。


「どど、どうぞ!」

「はい」


 ついに、顔を真っ赤にし始めた。

 そんなトルクの必死な様子に流されて、ケーレはそれをひょいと受け取ってしまう。



『――ケーレ様! 魚を焼きました! ほら、あちちですよう!』



 遠い、遠い過去の残影。

 それが、記憶の彼方から呼び起こされる。


「……アン」

「へ?」


 じっと、焼き魚を見る。

 そうだ――とケーレは思い出した。


(あの頃、『彼女』はたまに、これを……)


「はぐっ」

「おおっ!?」


 感嘆の声が上がる。

 噛み締めた歯の間から、熱い汁が零れだし、舌の上へと広がってゆく。


「……はふっ」


 ほのかに感じる塩味が、忘れていた食欲を煽り立てる。

 ひとたび噛み締めれば、もう止まらなかった。


「おお……っ! さすが、綺麗に食べますね!」


 気が付けば、ケーレの手の中には身を無くしたむき身の骨があった。

 そこには、魚肉の欠片さえ付いていない。


 彼の言う通り、それはとても綺麗な綺麗な、食後の証。

 

「えっ」


 ――はしたない真似を、してしまった。


「トルク、さま?」

「美味かったっすか!?」


 前のめりに聞かれて、ケーレは目を瞬かせてしまう。


「あ、はい」

「良かった……っ!」


 心からホッとしたように、トルクがへたり込む。

 まるで、一大決戦を無事終えた、ぼろぼろの兵士のように。

 完全に脱力し、地べたに座り込んでしまっている。


「えっと、あの」


 なにか、なにかを言わなければ。

 ケーレはそう思うのに、舌が上手く動いてくれない。

 こんなことは、生まれて初めてであった。


「……お塩の味が効いていて、美味でございました」


 だが、戸惑いは一瞬。

 すぐさまに繕い直して、ケーレは笑みを浮かべる。


「そ、そうっすか! あっちの蔵に貯蔵されてた塩、使わせてもらいましたんで!」


 ぱああっと、トルクが顔を輝かせる。

 いかにもな、嬉しそうな表情。

 それを見ていたケーレの耳が、砂利を踏む音を捉えた。


(……え?)


 自身の右足が、一歩後ろへと動いている。

 

 無意識の後ずさりに呆然としていると、トルクが魚をもうひと串、手に取った。


「も、もう一本いきますかい!?」

「えっ」


 何故、どうして。

 いかなる理由があって、その行動に繋がるのか。


「はい、どうぞ! 好きなだけ食べてくださいよ!」


 ハッとした時には、もう遅い。

 ケーレの手には、再び串が握られていた。


(……どうしましょう)


 焼き立てのこんがりとした香りが漂う中、ケーレは途方に暮れたように、ただただ視線を彷徨わせるのだった――




     ☆   ☆   ☆   ☆



 ――トルクは、そう。いうなれば不思議な男性であった。

 

 ケーレが生まれてこれより目にした、どんな人間とも少し異なる気がする。


 あちらこちらを、右往左往。じっとしているという事が無い。

 手や足をあくせく動かし、彼は『集落』中を走り回る。


「ケーレさん、これ! 木の実ですぜ!」


「ケーレさん、ほら! こんなに綺麗な石がありましたよ!」


「ケーレさん、そら! スープを作ってみました!」


 口を開けば、ケーレケーレケーレ。

 この半月ほどで、どれほどに自分の名前を聞いたか、もうケーレは思い出せなかった。


(でも……お料理は、とてもおいしうございますね)

 

 あの日、ご馳走になった焼き魚もそうだ。

 結局、ケーレはあの後――綺麗に二本目を平らげてしまった。


 その様子が、彼の琴線に触れたのだろうか。

 トルクは度々と料理を拵え、ケーレへと差し出してくれた。


 そして――今日も、また。

 田畑の向こうから、ケーレに向かって駆け寄る影が見えた。


「ケーレさん、ケーレ――おわっ!?」


 すってんごろごろ、ぺたり。

 見事にすっころび、トルクは地面へと向かい、熱烈な口づけを交わしている。


「トルクさま、大丈夫ですか?」

「いてて、へへ、すんません……!」


 顔を赤くして、トルクは居心地悪そうに肩を縮めた。


「まあ、お鼻をすりむいてしまわれて……さぞ、痛かったでしょう」

「ふおっ!? ケケ、ケーレさん!?」

「じっとなさってくださいまし。今、鎮痛の魔術を使いますゆえ」


 鼻先に指を添え、そっと言葉を紡ぐ。

 

 信仰を基にする神の奇跡と違い、魔術の行使には組み立てられた理論が必須だ。

 体内の魔力を練り上げ活性化させ、それを周囲の魔力要素と引き合わせる。

 後は、定められた魔術言語を口にすれば、完成だ。


「あ、きもちいい……」

「それは、なによりでございます」


 赤みが消え始めた鼻先を、ちょんとつつく。


「慌てては、なりませんよ?」

「は、はひっ!」


 たちまち直立し、硬直するトルク。

 ピンと腕を伸ばす姿が、妙におかしく映る。


「ふふ……」


 口元が緩むのが、自分でも分かった。

 ここで暮らし始めてからもう、それなりに日数は経っているのに、まだ反応が初々しい。

 

 体は震えて時々左右に揺さぶられている。

 顔は上向き、目線を合わせもしない。


 頬は紅潮しており、心なしか瞳が潤んでいるようにさえ見えた。


(おかわいらしい……)


 ぽつり、と。それは胸の内から自然と吐き出された。

 

「え……?」


 ハッとして、ケーレは目を見開く。

 

 ――今、自分は何を考えた?


 疑問の声はしかし、柔らかな布地の感触に上書きされる。

 無意識の内にか、ケーレの指先が――自身の胸元へと、押し当てられていたのだ。


「あ、あのっ! ケーレさんっ!」


 呆けた感情はしかし、更なる衝撃に揺さぶられた。

 ふわり、と。何かが髪の上に差し込まれる。


「――え」


 ぎこちなく、手が頭に向く。

 触れた指先の向こうに、微かな温もりがあった。


「これ、は……花?」

「は、はいっ! えっと、あのですねっ!」

 

 トルクの顔はもう、赤を通り越して奇妙な色へと変じていた。

 病を心配になるほどの顔色だ。


「にに、にあうと、おも、おもいましてっ!」

「にあ、う……?」


 ふと、ケーレの視線が清流を捉えた。

 ふらり、と。そこへ足が向く。


「あ……」


 清廉とした水面へ映り込むようにして、花弁が揺れている。


 これは、そうだ。見覚えがある。

 この『集落』のあちらこちらに咲いているもの。

 薄いピンク色の花びらが、白い髪の上で風に吹かれて踊っている。

 

「あ、あの……なんか、その。ケーレさんってなんか、いつも寂しそうにしてる気がして……」

「え?」


 その言葉はあまりにも唐突で、だからこそケーレの胸に響いた。

 

 ――寂しい? 誰が?

 

 それは、記憶の中の何かを刺激する。

 そうだ、かつて。かつてケーレもそんな事を言った。


『かあさまは、どうして――』


 幼いころの自身の声が、聞こえてくる。

 遠い、遠い過去の向こうから、忘れ去った思い出の彼方から。

 

「ええと、なんていうか、その」


 髪の毛を掻きながら、トルクは視線を足元へと滑らせている。

 

「そう、そうだ。ずっと、どこか遠くを見ているような……」


 そこで、トルクが不意に顔を上げた。


「……あ」


 彼の、その眼差しには、様々な感情が揺れているようであった。

 労わり、慰め、疑問……そのどれもが、ケーレを静かに、そっと気遣うもののように見える。

 

「……ああ、くそ。上手く言えねえや」

「トルクさま……?」

「すんません、俺。なんつうか、情けねえですよね」


 たはは、と。トルクが誤魔化すように笑う。


「こんな花ひとつで、どうにかなるとは思えねえっすけど……」

 

 震える指先が、優しく花びらを撫でた。

 

「奇麗です、とても。すっげえ、似合ってて、えっと」

「……え」

「すてき、です」


 半ば呆然と、ケーレはその言葉を耳の奥へと染み込ませてゆく。


 トルクの瞳は、どこまでも柔らかで、深い温もりに満ちているように思えた。

 

 ざあ、と。風が吹き、木々を揺らす。

 散った葉が揺らめき踊り、二人の間へ舞い落ちてゆく。



『――ケーレ様は……恋って、したことがありますか?』



 懐かしい声がする。陽だまりのような、彼女の声だ。


 とくん、と。

 

 何かが、胸の奥で弾んだ気がした。


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