第65話 時の止まった里
「今日も良い天気だなあ……」
足裏に感じる砂利の感触を確かめながら、トルクは大きく息を吸い込んだ。
両腕を上げ、日の光をたっぷりと浴びるように、胸を反らす。
「……なんか、いいのかな。こんな生活してて」
その独白は、風に揺られるようにして空へと消えてゆく。
眼前で、ゴーレムたちが動き出すのが見えた。今日も、農作業や掃除に彼らは余念がない。疲労など存在するはずもなく、魔導人形たちはそれぞれの持ち場に散ってゆく。
――トルクとケーレがこの場所で生活を始めてから、数日が経過していた。
緊張は未だに消えず、ドギマギとする事ばかりである。だが、それをどこか心地良いと感じる自分が居て、トルクは軽い驚きに戸惑っていた。
「――トルクさま」
不意に、背後から声が掛かる。ここ数日間ですっかりと馴染んだ声。耳に美しく響くそれを受け、トルクはぎこちなく振り向いた。
「ケ、ケーレさん」
「はい。おはようございます、トルクさま」
しゃなり、と。小さな音を立てて姫巫女が歩み寄ってくる。朝の光に照らされた白髪が、神秘的な煌めきを放っている。
極上の絹糸を束ねたようなそれを見て、なんだかトルクはたまらない気持ちになってしまう。
「朝餉の支度が出来ておりますよ。どうぞ、こちらに」
そっと手のひらがトルクの二の腕に触れる。強制するでもなく、穏やかに優しく誘う仕草。伝わる温もりに、トルクは頬を赤らめてしまう。
「さ、トルクさま」
「は、はい……」
導かれるがままに、トルクは家の中へと戻る。
うっすらとした白い内壁。不思議な石作りのそれが、二人を出迎えてくれる。
どこか寒々しさを感じてしまうのは、やはり。他に人の気配を感じないから――だろうか。
生活感というものが、この『村』には欠如していた。
「こちらにございます」
黒い木製のテーブルの上に、平べったい皿が二つ置かれている。
湯気も出ておらず、さりとて冷えているようにも思えない。常温である。
乳白色のスープと、そこに添えられたスプーンを見ながらトルクは首を捻った。
隔離世とかいうこの空間に来てから、食事はずっとこれ。朝も昼も夜もまるで変わらない。
「どうぞ、トルクさま」
「あ、はい」
どろりとした液体を、スプーンですくい口に運ぶ。
蕩けるような甘味が舌の上に広がってゆくが――それだけだ。雑味が一切ないのは、良い事かどうか。
「あの、ケーレさんはこれだけでその、大丈夫なんすか?」
「はい」
首を微かに傾げ、そうして姫巫女はふんわりと微笑んだ。
「栄養はこれだけで、十分に賄えますゆえ。尽きる事もございませんので、ご安心くださいませ」
「はあ……」
確かに、これを三食欠かさず飲めば、腹が空くことは無かった。トルクはなんと答えれば良いか分からず、スプーンを動かし続ける。
「これ、あの実を絞ったやつですよね? あそこの木々にぶらさがってるやつ」
「はい、おっしゃる通りにございます」
トルクが窓の向こうを指さすと、ケーレが得たりと頷いた。
「あれは、夜に芽を出し朝には実をつけまする。木を根から掘り起こさない限りは、永遠に尽きない食糧でございます」
「永遠に……」
トルクは、窓の外に広がる景色に目を移す。
ゴーレムたちは、決まった行動を繰り返している。掃除をし、畑を耕し、木々の手入れまで行っているようだった。
「でも、それじゃあ畑は? 田んぼとかはなんで」
「あれは、昔からの繰り返しと聞いております。作物は一応実っておりますが、口にする事はもうございませんね」
「繰り返し?」
はい、と。ケーレが穏やかな笑みを崩さず答える。
「遠い昔、ここには私たちの父祖が住んでいたそうなのです。古き世界が炎に焼かれたあと、移り住んできたと伝承にございますね」
「世界が炎に……ひょっとして、巨人の話か?」
冒険者として方々を渡り歩いたトルクは、その伝承を耳にした事があった。
各地に残る、炎の巨人の伝説。
「はい。その炎から逃れ――先祖は、『海』を求めたそうなのです。終焉の炎をもってしても干上がらぬ、広い広い海原を」
「ほへえ……」
少しばかり、興味のある話だった。
こういった伝説や伝承を追い求めるのもまた、冒険者の目的のひとつでもあるゆえに。
「はい、そして彼らは『カミ』を――」
そこで、ケーレは口をつぐんだ。
「ケーレさん?」
「いえ、失礼いたしました。なんでもございません」
口元を緩め、姫巫女は微笑み続ける。
だが、何故かそれが。その表情が。
(……どうして、だろ)
トルクには、ひどく空虚に感じられたのであった。
☆ ☆ ☆ ☆
「……ふう」
食事が終わり、トルクはなにをすることもなく外に出た。川辺に腰かけ、目の前の清流をじっと眺め続ける。
「……どうするんだろ、俺」
自問自答。そして、その呟きに応じる者は誰も居ない。
ケーレは、トルクを決して束縛しなかった。その思うがままに任せ、焦らず急がず穏やかに微笑むばかり。
「子作り、子作りかあ」
それは、ひどく現実味の無い言葉であった。
生まれてよりこの方、トルクは恋人を得た経験が無い。まるで無い。あり得た可能性すら無い。
「なっさけねえの」
夢を追い求め、そして破れた。何もかもを無くして、一からやり直そうとしていたのに。
トルクは、ふと傍らを見る。そこには青白く輝く刀身があった。
「鞘くらい、もらえばよかったかな」
剥き身のままの刃。名も聞かされぬ伝説の聖剣。
トルクはこれの主で、勇者である――らしい。
「実感、ねえよなあ……」
それは、なにもかもがそうだ。この島に渡ってからの全てが、夢のように朧げな気さえする。
「キオたち、どうしてっかなあ」
ここでの一年が、外での一日。だとすれば、向こうではまだ殆ど時間が経っていないはず。
それでも、あのお人よしの少年が心配をしてやしないかと、それがトルクは不安であった。
「言伝はしてくれるって、そう言われたけど……なあ」
商人として歩み始めた日々に、想いを馳せる。それは、ひどく充実した楽しい時間であった。
「これから、どうなるんだろ」
勇者となって子を作って、それから――それから?
トルクは悩む。聞くべきと思っているのに、口に出しにくい。
商人として、また別の夢を歩めるのか。
それとも勇者として、また冒険者に――
「――ゼノ」
聖剣を抜いてしまったとき、トルクは見た。
かつての仲間たちが、青白い顔をしてこちらへ視線を向けていた、あの光景を。
「……気にしてっかな、あいつら」
『暁の刃』のメンバーは誰もが誠実で、優しい連中ばかりである。
トルクが勇者に選ばれたからといって、厚かましくも手のひらを反すような厚顔無恥さはあり得ない。
――あり得てくれれば、まだ良かったのに。
「あーもう! やめだ、やめ!」
下手に考えてばかりでは、底の底に沈むばかりだ。それは、ケーレに対しても失礼であろう。
「とにかく、話をしなきゃな。どちらにせよ、仲良くなるにこしたことはねえし」
あの美しい微笑。どこか虚ろな笑みを見ていると、もどかしくて仕方がなくなってしまう。
「魚、流れてるな」
目の前ですいすいと泳ぐ、いくつもの影。見覚えのある種類だ。この島でも穫れる、魚たち。
好きにしていいと、ケーレは言った。
ならば――
「――ダメでもともと、俺流にやってみるか!」
日の光に照らされ輝く水面を見つめ、トルクは勢いよく立ち上がるのだった。




