第63話 祭りの後に
「トルクさん、大丈夫でしょうか……?」
ジュールが、不安そうに氷室の奥を見る。
聖剣が収められていたはずの台座は空っぽ。刀身が直立していた名残すら見当たらない。
トルクがそれを引き抜き、『勇者』となったのだ。そして姫巫女の侍女たちに連れられて、どこかに出ていってしまった。
「そうだねえ」
キオは是とも否とも言わずに、周囲を見回す。
あれだけ集まっていた人々は、もうほとんど残っていない。姫巫女に促され、祠の外へと歩き去っている。
「……すごい騒ぎだったわね」
ジェニーがぽつりと呟く。彼女の言う通り、聖剣が抜かれてしまった直後はもう、筆舌に尽くしがたい大騒動であった。
まさしく悲喜こもごも。怒号と悲鳴に、歓声まで。あらゆる声が木霊し、暴動一歩手前になりかけた。
「姫巫女様の一言で、収まったけれど……やっぱり、あれもそういう事かしら」
「だろうね」
姫巫女が声を発した瞬間、広間は水を打ったように静まり返ってしまった。抗えるはずもない、それは絶対的な――『支配者』の言葉。
「トルクさんのお仲間さんたちも、えっと。なんか、その」
ジュールが気まずそうに祠の入口へ目を移す。
その向こうにはまだ、何人かの人影があった。それなりの武具に身を包んだ冒険者風の男女たち。
その中には、トルクの昔の仲間――ゼノの姿があった。周囲に居るのは恐らく、そのパーティーメンバーであろう。
彼らもまた、トルクが聖剣を手にしてしまったその時、驚愕に目を見開いていた。
あまりの衝撃に、開いた口が塞がらないようであり、慄き震えていたのをキオは思いだす。
彼らが広間を出て行く時も、足元もおぼつかずにフラフラとしていたようだ。
『……おめでとう、なんて。言えないよね』
『暁の刃』の一員らしき、猫耳の少女は魂が抜けたような声で、そう呟いていた。
「いやあ、すっごいね! さっきのオジさんさ、村人クンたちの仲間なんでしょ!?」
悲痛な様子で出ていった『暁の刃』の面々とは対照的に、半森人の少女・リュミエは興奮気味に拳を握りしめていた。
「あの人なに? ものすごく強い冒険者とか!? あまりそうは見えなかったけど」
「うーん、そうですねえ」
なんと言えば良いものか。下手な返答は、トルクの名誉に関わる気もする。
キオが答えに窮していると、ジェニーがそっとその袖を引っ張った。
「……キオ」
「うん」
彼女が何を言いたいか、聞かずとも分かる。その足音は、少し前からキオの耳に届いていたのだから。
ジェニーの視線が向いたその先には、白装束に身を包んだ一人の老森人の姿があった。
ゆっくりと、しかし確かな足取りで。彼女はキオ達に向かって歩み寄ってくる。
「あ、大婆様!!」
ぴょん、と。文字通りにリュミエが跳ね飛ぶ。
「……リュミエか。久しいな」
「はい! ええと、二十年ちょっとくらい? とにかく、お久しぶりです!」
「そなたが、ここに居るという事は……そうか、選定の時期か。長に気を遣わせたようだの」
なにやら頷き合う森人二人を見て、キオは首を傾げる。
選定。確か、リュミエは先ほどもそんな言葉を口にしていた。
「まあ、良い。その話はあとでな。今は――」
エジンの眼が、キオ達を捉える。
「えっと、あの……?」
「ジュール君、この方が前に話したエジンさんだよ。アンさんの関係者なんだって」
「あ、そうなんですか!」
ジュールが慌てて、ぺこりと頭を下げる。
「ボクは、ジュールです! トスカナ村で薬師見習いをしています!」
「彼はアンさんのご主人の、弟子なんですよ」
補足するように紡がれる、キオの言葉。それに反応したのは、意外な事にリュミエであった。
「え、アンって結婚してたの!? あ、いやでもそっか! 二十年以上前だしね!」
目をキラキラとさせ、リュミエはずずいっとキオに詰め寄る。
「ねえねえ、アンの旦那さまってどんな人!? 格好いい? 強い? 魔術とか使える?」
「薬師さんですよ。ちょっと気難しいけど腕は確かです」
のほほんとそう答えながらも、キオの意識は氷室の奥――トルクが連れ出されたそこを掴んで離さない。
(……確かに、ジュール君の言う通りに心配だな)
そんなキオの心境をいざ知らず、リュミエは興奮気味に捲し立ててゆく。
「気難しいの!? いやでも、アンの性格ならそういう人こそ合うのかな!? 明るい子だったもんね! もう会えなくなっちゃったから、心配してたんだよ! でさ、でさ! 子供とかは――」
「――冒険者様、その辺で」
リュミエの声に割って入ったのはジェニーだ。
ニッコリと微笑みながら、さりげなくキオの前へと出て庇ってくれる。
「アンさんは、二十年前に亡くなりました。出産のときに、母体へ負担がかかり過ぎたらしく」
「え……」
リュミエが、ショックを受けたようによろめく。
「そん、な……アンが……?」
「はい。その生家がこちらだと聞いて、私たちはこの島に参りました。彼女が遺した息子が、冒険者として一人前になり、伴侶にも恵まれたので……そのご報告も兼ねて」
エジンの眉根が、ピクリと動く。
しかし、彼女が口を開くより先に、リュミエがなんともいえない仕草で、項垂れてしまった。
「そっか……アンの子供は冒険者になったんだね。血は争えないのかな。あの子、それに憧れてたから」
自嘲気味に、しかしどこか懐かしそうにリュミエは微笑んだ。
「あたしともさ、冒険譚なんかのお喋りをしたっけなあ。ケーレ様も交えて、三人でね。楽しかったなあ……」
昔日を尊ぶような眼差しには、優しい光が宿っているように見えた。
「死んじゃったんだ。そっかあ……」
「はい、ちょうど二十年前の今日だと聞いています。だから――」
ジェニーが引き継いだその言葉に、しかしリュミエが固まった。
「――今日? 聖剣祭の、当日に?」
戸惑ったような声が漏れ、リュミエの顔がエジンに向いた。少女の表情は何故かぎこちなく、強張っているように見える。
「……そのようだな」
エジンが口を開く。その言葉にはどこか悲痛な、物々しさが感じられた。
薬師の妻の死に、なにか思う所があるのだろうか。二十年前の、この日。聖剣祭の本祭と重なるこの時に、なにか。
「あの、それがなにか……?」
同じことを感じたか、ジュールがおずおずと尋ねるもエジンは首を横に振ってしまう。
「いや、大したことではない。気にせんでよいぞ」
それ以上、語る必要なしという事なのだろう。引っかかるものはあるものの、追及しても益はなさそうだ。
「それで、トルクさんはいつ戻ってくるのでしょうか?」
キオは気を取り直して、別の質問をかぶせる。
「……今日は、こちらに泊まって頂く」
「えっ!? 宿泊するんですか!?」
ジュールが驚いたように、氷室の向こうを見やる。
「うむ、そうだ。トルク殿、といったか。彼には勇者の役割を果たしてもらわねばならん。それで……」
「それは、トルクさんの意志に沿うものなのでしょうか」
キオの言葉に、エジンが顔を微かにしかめた。
「無理強いは止めてくださいね。トルクさんは優しいから、頼みを無下にしたり出来ないんですよ」
「……キオ?」
戸惑うように、ジェニーが袖を引く。その声音には、ほんの少しだが驚きが入り混じっているようだ。
「あの向こうで、姫巫女様とお二人で。何をなさっているんでしょうか?」
「……っ!?」
エジンが目を見開く。リュミエもまた、忙しない仕草で顔を動かし、キオと彼女の間で視線をさ迷わせていた。
「む、村人クン!? え、なにを言って」
「トルクさん、緊張されてるみたいですね」
のんびりと、しかし断言するように。キオはそう言い放った。
センサーは、氷室の向こうにある回廊を正確に捉えていた。その奥まった部屋のひとつ。そこに、二つの生体反応がある。
ひとつは姫巫女。そしてもう片方はトルク。だが、彼の方の様子がおかしい。
動悸が激しく、脈拍も上昇。相当のパニックに陥っている。
「彼になにか、危害が及ぶようなことは――」
「キオ、落ち着いて」
ジェニーの声に、キオはハッとする。
「すみません、失礼な事を」
「……いいや。心配するのは当然であろう」
キオの謝罪に対し、エジンは探るような眼差しを返す。
――なんだろう? 僕は、どうしてこんな風に焦っているのだろうか。
原因を探ろうと、思考データをサーチするも、はっきりとはしない。
ただ、トルクのあの困ったような笑顔を思い出すと、いてもたってもいられなくなるのだ。
不思議な感覚であった。この世界に来てから――いや、元の世界でも感じた事の無いもの。かつて、『博士』たちに向けたそれとも、同じではない。
庇護欲にも似ているが、違う。かつてヒューズに感じ、今ジュールに対して抱いているものとは明らかに異なる。
「エジンさん。お話をして頂けますか? 『勇者』が――トルクさんが為すべきお役目とは、なんなのでしょう」
押し黙ったキオに代わり、口を開いたのはジェニーであった。
幼馴染を背に庇い、空色の髪の少女は――毅然と老森人に向かい合う。
「それは」
「大したことでないとは、言わせません」
ぴしゃりと言い放ち、ジェニーは圧を強める。こうなった時の彼女は強い。トスカナ村最強である。
「今、ここで。嘘偽りなくお答えください。私たちはトルクさんの仲間です。知る権利があるはずですわ」
「そ、そうですよ!!」
今まで困惑していたジュールもまた、姉貴分に応じるように声を張り上げた。
「トルクさんは、大丈夫なんですか!? 教えてください!」
「そなたらは……」
エジンが目を見張る。なにか、こちらの様子に思う所があったのだろうか。
「……エジンさん、お願いします。僕はその手段を取りたくありません」
キオが、ジェニーたちの意思を引き継ぐ形で静かに告げる。
思考を読む事は容易い。その思惑の奥の奥まで引き出す事も不可能ではない。
だが、出来ればその口から聞かせて欲しかった。意にそぐわぬ形での情報収集は、対話には程遠い。
「そなたは、何者なのだ――」
あの夜に問われた言葉。それを改めて、エジンは己が舌に乗せて放つ。そうして、キオにはそれが、二つに重なって聞こえた。
――魔術言語。恐らくはこちらの思考に干渉するもの。
エジンの手に、小さな杖が有った。祭具のように見えるが、それは魔導具の一種なのだろう。エジンの発した言葉と同時に薄く先端が輝く。以前に防がれた経験から、補助具で増幅を掛けるつもりだったのかもしれない。
だが、それすらもキオには通じない。もちろん、傍に居る二人にもだ。
防御機構が瞬時に働く。古代の秘奥義であろうそれも、結び付くことはない。不可視の糸は宙に溶けるように消えてゆく。
「……これも防ぐか。恐るべき男よな」
「え? え!? 大婆様、今まさか魔術を……?」
目をぱちくりとさせるリュミエを他所に、エジンは重々しい溜息を吐いた。
「……嘘は申しておらんよ。今日一日はこちらへ戻らん。泊まるのも本当だ」
だが、と。老森人は告げる。
「向こうでは、違う。時の流れが異なる。あの二人は、これより子作りと出産、そして短期間だが育児もしてもらう」
思いもよらぬ言葉に、キオ達は顔を見合わせた。
「出産? え、育児?」
「そうだ。そして、これこそが聖剣祭の、真なる『本祭』である」
戸惑いを超えて混乱し始めたジュールを見据え、エジンが頷く。
「これより一年間。トルク殿と姫巫女は――あの場所で、共に暮らして頂くのだ」




