第62話 邂逅
――氷室を抜けた先は、白い壁に囲まれた回廊であった。
光源は見当たらない。ランタンどころか、蝋燭ひとつ目に付かない。
だというのに、周囲は決して暗くは無かった。
壁そのものが、うすぼんやりと輝き、行く先を照らしてくれる。
魔導具か、はたまた何らかの魔術によるものか。トルクには判断が出来ない。
(なんで、俺……)
踏み込むたびに、足元からひんやりとした冷気が立ち昇って来る。
しかし、思考はちっとも冴えやしない。まるで霧に包まれたような感覚であった。
(こんなところ、歩いてるんだ……?)
前を進む、姫巫女の侍女の背を追いながら、トルクは夢うつつに独り言ちた。
自然と視線が落ちる。まず目に付いたのは、やはりそれ。
トルクの右手の中に握られ、むき身のままぶら下げられている――青白い刀身。
重くも無く、軽くも無い。まるで自分の二の腕のように、違和感なくそこに在る。
(聖剣……そう、聖剣だよな。俺がこれ、抜いたんだっけ……?)
つい、先ほどの光景を思い出す。
図らずもこの剣を引き抜いてしまったその直後、トルクに向けられたのは――かつてない騒音だった。
沈黙は一瞬。広間に集まった者たちの口から出たのは、怒号に悲鳴、歓声等など。あらゆる音の嵐が、聖剣の主へと迸った。
生まれてこの方、大勢から注目を集めた経験など無い。そんなトルクにとって、氷室をびりびりと震わせるそれはもう、かつてない恐怖体験であった。
けれども幸いというべきか、混乱が狂騒へと陥ることはなかった。
姫巫女の『お静かに』という一言で、声はピタリと収まったのだ。
だが、トルクにとってはそれで全てが解決したわけではない。
準備があるから、と。姫巫女は裾を翻して悠然と去っていき、残されたトルクは別室へと案内された。
(そこで……こんな服まで着せられちまってよお)
今、トルクが身に纏っているのは、着古したヨレヨレの短衣にズボンではない。
蒼を基調とし、裾が膨らんだ何やら仰々しい服装であった。落ち着かないこと、この上ない。
(……俺、どうなっちまうんだろ)
聖剣を抜いたというのに、高揚感など無い。まるで無い。あるわけが無い。
(だめだ、なにも考えらんねえ……)
歓喜の念に優越感。そんなものは欠片も湧き上がらず、代わりに吹き込んでくるのは――言いようの無い恐れと、戸惑いだけ。
(……なんで、今更)
その疑問が、どうしても消えてくれない。胸にわだかまってしまう。
――勇者。すなわち勇ましき者。
それは冒険者にとって、ひとつの到達点。比類なき最上位の称号であり、誰もが憧れるもの。
歴史上、その名を冠した者は数少ない。それを得たのは、誰もが偉業を為した傑物たちばかり。
けれども、トルクはそうではない。
為したから呼ばれたのではない。選ばれたから、そう呼ばれてしまったのだ。
それはまるで、神話や伝説に語られる英雄だ。神が作り上げた武器を得て、超人的な活躍をする。
自分がその一員になってしまった事が、どうしても信じられなかった。
(これで、俺は強くなったのか? はは、実感なんてねえや……)
冒険者を辞め、商人を志すと決心した。そしてその一歩を、キオ達のおかげで踏み出せたのに。
ようやく、長年の夢を諦められたのに。
そのとたんに、予期せずそれは転がり込んできた。
望みもせず、ほんの偶然に。まるで運命が呼びこんだが如く。
仲間と一緒に戦える強さ。あれほどに欲し、自分にはついぞ持ちえないと断念したもの。
それは、冒険者の究極ともいえる称号と共に今――トルクの、手の中にある。
(キオ――)
瞬間、脳裏に浮かんだのは、あの優しい笑顔だった。
いつものんびりとして、穏やかで。何者かになろうと必死で足掻く、そんなトルクの気持ちに寄り添ってくれた少年。
(おれは、どうしたら――)
「――勇者様、こちらでございます」
すがるようなその思いは、突然に響いた声に遮られた。
「へ、は、はいっ!?」
いつの間にか、目的地に着いていたらしい。
侍女は恭しく頭を下げると、脇に退いて『それ』を手のひらで示した。
「えっと、この部屋に、その。姫巫女様が待っているんです?」
「はい」
それは、周囲の壁と同様に簡素な作りの扉であった。紋様のひとつも刻まれていない。
その左右には、へこんだ取っ手が見える。恐らくは横開きに動かすのだろう。
「ここが、姫巫女様の――寝所にございます」
「……へ?」
思いもかけぬ言葉。だがそれを問いただすよりも早く、扉が開かれた。
そこは、意外なほどに狭い。四方が青白い壁でおおわれ、幾つかの家具が壁に備え付けられている。
目を引くのは、中央にあるベッドだ。トルクの、ひざ丈ほどの高さのある白い寝具。
そして、その前に――薄い衣に身を包んだ姫巫女が座していた。
「――ようこそ、御出で下さいました。ご足労をおかけいたしまして、申し訳ございません」
鈴の鳴るような声が、耳をきいんと震わせた。
その細い肢体にぴたりと張り付いた、白い布地が目に入る。下の肌が透けて見え、体の線がくっきりと分かってしまう。
――ごくり、と。自然と喉が鳴る。唾を呑み込む音がやけに大きく響いた気がして、血の気が失せていくのが分かる。
「あ、あの! えっと、その!」
何か、言わなければ。そう思うのに、気ばかりが焦ってしまい、言葉が出てこない。
(ああ、くそ! なっさけねえなあ……!)
もどかしくて、恥ずかしくて仕方がない。
トルクにはこれまで、ついぞ恋愛経験というものが無かった。
もちろん、かつてのパーティー内にも女性は居た。だが、彼女たちは大切な仲間である。異性として見た事など一度もない。
ゆえに――こうも美しい女性と一対一で向かい合うことなど、生まれて初めてであった。
(いい年して、本当に俺ってやつはよお……)
とことん自分が情けなくなるが、それでもせめてもと矜持を示そうとする。
背筋を正し、ぎこちなくともトルクは声を張り上げた。
「あ、あのっ! お呼びいただいて、その! 光栄です! お、俺は……」
「……ご尊名を、頂戴してもよろしいでしょうか?」
つっかえそうになる言葉を、ケーレが優しく引き取った。
遮るでもなく、促すように。柔らかな口調で、そう尋ねてくれる。
「は、はひっ! トトト、トルクと申しますですっ!」
「トルクさま……」
にこりと、姫巫女が微笑んだ。口元を緩め、まなじりを下げる。
それは、まさに花が咲くような――可憐な笑顔。
「は、ひゃっ! は、はふ……!」
思考が飛ぶ。頭が真っ白になる。
四肢が震えて、立っていることさえままならない。
「トルクさま、私はあなた様にお願いしたき事がございます」
「お、ねがい?」
「はい」
紅い瞳がトルクを射抜く。
それを見ているだけで、胸の奥に得体の知れない衝動が湧き上がってきた。
「まま、任せてくださいよっ! な、なんでもしますぜ!」
どん、と。自身の胸を叩いてトルクは笑う。
「勇者の、えっとなんか使命ですか? やりますよ! 俺ぁなんでもやります!」
そんな安請け合いを、しかしトルクは気にしない。
目の前の、この美しく可憐な女性の願いを叶えてあげられるなら、なんでもしてあげたい。
そんな気持ちが、止まらない。
「では、これより本祭を務めたく存じます」
「ほん、さい?」
はてな、とトルクは首を傾げる。
島の住民たちや祖国の伝承でも、そんな話は聞いたことがなかった。
――聖剣を抜く試しをして、それで終わりではないのだろうか。
涼やかな居住まいはそのままに、ケーレが指を揃えて、深々と伏す。
見覚えの無い仕草だ。森人が行う、独特な礼の仕草であろうか。
そんな風にトルクが戸惑っていた、その時であった。
「私と、今ここで。契りを結んでくださいませ」
「……へ?」
ちぎり。ちぎりとはなんだ。ビリビリとなにかをちぎるのか。
頭に言葉が入っていかない。意味が浸透しない。
そんなトルクに、姫巫女はあくまで穏やかに、そして柔らかい口調で告げる。
恥じらいも、畏れも。なにも感じさせない、たおやかな声で。
「――私は、トルク様のやや子を孕みとうございます」
次回は来週、火曜日に投稿いたします




