第61話 勇者誕生
――祠の中は、静謐な青白い空間となっていた。
四方を氷に囲まれたそこは、幻想的ともいえる雰囲気を醸し出している。
「はあ……すごい……」
ため息を零すように、ジュールが呟く。
それは、ここに集まる人々も同じであったようで、物珍しそうに視線を巡らせるものも少なくない。
流石にこの中で店を開くものは居ないらしく、周囲は静けさに満ち満ちている。
「確かにこれは、伝説の聖剣を披露するのにふさわしい場所ですね……」
「そうだねえ。お祭りの最高潮って感じがするね」
――聖剣祭についてキオ達が得た情報は、さほど多くは無い。
五十年に一度開催される祭儀であり、その目的は聖剣をお披露目し、衆目に広く知らしめること。
そしてその剣を抜いた者は、比類なき絶大な力を得る『勇者』の称号を授かるらしい。
しかし、これまで成功した者は皆無。抜けないのが前提の、まさにお試しするだけの形骸化された儀式であるようだ。
「そして、その祭儀を司るのが歴代の姫巫女様――なんですよね」
「ああ、そうらしいな」
キオの質問に、トルクが答える。
「独特の白い服装を身に纏い、人前へは滅多に姿を現さないらしいぜ」
「ですねえ」
島の人々もそう言っていたのを思い出す。あの日、浜辺へと歩み出たのは非常に珍しい事であるそうだ。
その理由は分からないが、何らかの意図がそこにあったのかもしれないと、キオはそう考えていた。
「で、その祭りを終えたあとに姫巫女は交代して、次代にお役目を引き継ぐ――と。これも少し気になるわ」
「だねえ」
ジェニーの疑問はもっともだ。
普通の人間種族ならともかく、彼女は恐らく真なる『ヒト』の血筋だ。
肉体年齢的にも百を超えている。聖剣祭が五十年に一度だとしても、毎回交代する必要があるのだろうか。
「で、役目を終えた巫女様はもう、人目に触れる事すらない。祭りのあとに先代の姫巫女様とお会いした人は、誰も居ないみたいだね」
「引退して、引っ込まれてるってことなんでしょうか?」
「ならいいんだけどね」
キオは首を傾げるジュールの、その頭をぽんと優しく叩く。
(浜辺で揺れていた、あの思念体たち。服装が、姫巫女様のそれによく似ていたように思えるし。なにより――)
『――娘、ヲ……』
人影たちの最前列にいた、儚げに啜り泣く残留思念を思い出す。
もしも、もしも彼女が『そう』だとするならば。
(あの思念体たちは、歴代の姫巫女……かな?)
ならば、どうして。
どうして、あんな風に誰もが啜り泣いて――苦悶に身をよじっていたのだろうか。
キオ達の目の前で、ゆっくりと列が進んでゆく。
それに追従しながら、センサーはその先に在る『聖剣』を捉えていた。
氷室の奥に、少し盛り上がった空間がある。
そこには腰丈ほどの高さがある階段が備え付けられていて、その中央に氷で出来た台座が見えた。
(……あれ、か)
そこにあるのは、台座の真上から直立するように差し込まれた、青白い刃。
柄には不可思議な美しい文様が施されており、その刀身からは微かに力場めいたものが放たれていた。
――あれは、本物だ。間違いない。
その刃はヒューズの持つ魔槍に似た輝きを宿しているが、感じられる力は段違いだ。
外へと開放はされていないようだが、刀身の奥へと秘められた魔力は凄まじい。
確かに、あれを上手く使いこなせれば、常人を遙かに超えた力を引き出せるだろう。
「……キオなら、あれを抜ける?」
こっそりと。囁くようにジェニーが耳打ちする。
「そうだね、やり方によるかな。台座を破壊するのが一番手っ取り早い方法だね」
「それ、抜くとは言わないと思うわ」
――なるほど、ニュアンスの違いというやつか。
試してみなくて良かったと、キオは頷く。
そして、そうこうしている間にも、列は前へ前へと流れて行った。一人抜こうとしては諦めて、次の挑戦者が台座の前に立つ。その中には、あの『暁の刃』のゼノたちも含まれていた。
それをどれほど繰り返したろうか。もう何十人目とも知れぬ挑戦者が失敗し、それでも残念そうなそぶりも見せずに階段を下りてゆく。
やがて、キオ達の番が近づいた、その時だった。
「……うん?」
「どうしたの、キオ?」
「いや、いま聖剣チャレンジをした半森人さんは――」
長い髪を根元で紐にくくり、ぴょこぴょこと揺らすその姿。それは、キオのメモリーにしっかりと刻まれている。
キオの視線に、『彼女』も気づいたようだ。
悠々と歩いていた足を速めてこちらに駆け寄ってくる。
「あ、やっぱり! キミ、村長のお孫さんじゃない! ほら、トスカナ村の!」
揺れる金の髪をなびかせて、快活そうに少女は笑う。
「貴女は確か、『不屈の炎』の――」
「そだよ! 魔術師リュミエ! ねね、どうしてこんな所にいるのさ!」
首を傾げるリュミエに、ジェニーが軽く目を見張る。どうしてここに、はこちらの台詞であるとキオは思う。
「冒険者様こそ、どうやってここへ? あれからそれほど日数は経っていないと思いますが」
「おっ! 村人クンも居たんだね! よろしい、その疑問に答えちゃおうかな!」
キオが首を傾げると、ハーフエルフの少女は待ってましたとばかりに、えへんと胸を張った。
「あたしの生まれた森はさ、こっちの国にあるんだよ。だから、秘術を使ってばーんとぉ! 戻れるの!」
それは言っても良い事なのだろうか。森人の常識など知らないキオには判断が付かない。
「そろそろ、大婆様もお年を召されてるから、選定の相談を――って、これは内緒だったっけ?」
いけないいけない、と。リュミエはペロッと舌を出す。
「まあ、そんなわけでね。あたしが顔つなぎに駆り出されたってわけ! だから今、ちょっとだけ冒険者業はお休みなのさ」
という事は、ゲイルたちを連れて来てはいないのだろう。彼女が単独でこっちまで来ていると、そういう事らしい。
ただ、大婆様という言葉と、それに伴う『選定』がなんなのかは気になる所だ。
キオが質問を重ねようとしたその時、ジュールがおずおずと口を開いた。
「あ、あのっ! 不屈の炎って、まさか――」
「おやや? あたし達の事を知ってるの?」
「そりゃ、もう! 有名ですよ! 雷鳴山のワイバーン退治とか、深淵の森の謎を解き明かしたとか! それに、迷宮都市でも――」
憧れの冒険者を目の前にして、ジュールは興奮を隠せないようだった。
鼻息も荒く、口早に捲し立てている。
「僕の姉さんも、えっと! そちらの神官様に、いっぱいお世話になったって聞いています!」
「ああ、アリシアのことかな? そういえば村人クンたち、この間あの子に会ったんだって?」
リュミエが嬉しそうに口元を緩める。
幼い少年に自分たちの功績を称えられて、悪い気がしないのだろう。
「はい。ちょっとお聞きしたいことがあったので。お忙しいでしょうに、ご迷惑かとは思いましたが」
「いいの、いいの! あの子は語りたがりの知識魔だかんね! いっつもそれを披露したくてウズウズしてんだからさ」
ジェニーの言葉に対して、リュミエはなんでもなさげに手を振った。
明るく朗らかなその様子からして、彼女があのパーティーのムードメイカーなのだろうな、とキオは思う。
「それより、ええっと――ジェニーさんだっけ? キミたちはここに何しに来たの? 観光?」
「それもありますが、ちょっとこちらの方と商売を――」
ジェニーが手のひらを指し示した方向に、しかしあの中年元冒険者の姿はない。
「あ、ジェニー。あそこだよ」
「え?」
ぽんと肩を叩いてやると、少女が目を瞬かせた。
キオが指さす向こう、氷の台座の近くに――見覚えのある人影があった。
「……え、トルクさん?」
☆ ☆ ☆ ☆
――トルクは、困惑していた。
ゼノたちが聖剣へ挑戦するのが見えた時、思わず身を乗り出したのがいけなかったのか。
人の波に押されて揉まれ、気が付いたら台座の前まで来ていたのだ。
(……やべっ! 挑戦するつもりなんてなかったっつうのに!)
当たり前だが、トルクは自身の身の程というものを良く知っていた。
剣もろくに使えず、魔物相手に戦う事も出来ない。そんな自分にとって、聖剣というものは存在自体があまりにも眩しすぎるのだ。
この年になるまで夢にしがみついてきたが、それもキオ達のお陰で吹っ切れた。もう、物騒な界隈からは足を洗うつもりであった。
この祠の中に同行したのも、ジュールが聖剣への憧れを抱いていたからだ。幼い少年の挑戦を、見守ってやりたいとそう思ったに過ぎない。
「いけねえ、いけねえ! すんませんね、場違いな奴が来ちまって!」
苛立ったような視線が四方から飛んでくる。慌ててトルクは、身を翻そうと足を動かし――
「――あ」
見て、しまった。
台座の、向こう。聖剣に寄り添うようにして立つ白無垢の女性。
長い銀糸の煌めきが、氷壁に反射して燦然と輝く。瞳の赤が、なお一層に映えて見えるのは気のせいではあるまい。
この世のものとは思えない、凄絶なまでの美がそこに在った。
視線が、自然と吸い寄せられてゆく。目が離せないとはこの事か。
頭の中が真っ白になり、ただただ眼前の女性へと心が傾けられて――
「――トルクさん!」
ジュールの声が、ぼんやりとしたトルクの耳朶を打つ。
「あ、うわっ! うわわわ、あわっ!!」
ととと、と。足がもつれる。支えを求めて、もがくように伸ばした指先。それが何かに触れた。
「つめたっ!?」
予想外の感触に、反射的に腕を振る。
弾くように動かした手の先が、まるで吸い寄せられるようにピタリと『それ』に張り付いた。
次いで、ずずず、と。動く音がする。
「――え?」
それは、誰が発した声であったか。あるいは、この氷室の中に居る人々の総意であったかもしれない。
「あ、れ?」
トルクは、呆然と『それ』を見た。
ひんやりとした感触。柄の部分から二の腕まで冷気が吹き付け、肌を粟立たせてゆく。
「え、ははは……え?」
トルクは、がちがちに固まった顔を動かす。そこにあったのは、あんぐりと口と目を開いた顔・顔・顔の群れ。
驚愕に満ちた視線の中に、ゼノやかつての仲間たちの姿もあった。
「あれ、なんで? あれ? あれれれ、え……?」
唇が震え、声が上手く出ない。ひざがガクガクと戦慄き、腰が砕けてへたり込みそうになる。
それでも、力の限りを振り絞り、トルクは恐る恐ると『それ』を持ち上げてゆく。
「なんか……抜け、ちゃった? みたいな……」
そうして、泣きそうな声で――手の中にある聖剣を掲げた。




