第54話 一夜明けて
「さあ、どうだい旦那! そろそろ油とか、足りなくなってないか!?」
朝焼けの薄い輝きに照らされた浜辺。まだ眠気を引きずっているのか、のろのろと動き出す人々の中で、景気の良い声が響き渡った。
「朝っぱらからデケエ声出すなよ……なんだ、お前さんは」
「いやあ、昨日から店を見てたんだけどよ。結構な売れ行きだったみてえじゃんか。その海鮮の串焼き、俺も買わせてもらったけど、確かに繁盛する理由も分かるってもんだ!」
人好きのする笑みを浮かべ、男――トルクは店主の肩を叩く。
「そ、そうかあ? まあ、味には自信あるけどよ」
「だろだろ?だから、良いメシには良い油が必要ってね! どうだい?安くしとくからさ。旦那のとびきり美味い串焼きを、皆に食べてもらえねえのはこの世の損失ってもんさ!」
「へ、へへ……確かにな」
その様子を、少し離れた位置から眺め、キオ達は三者三様の反応を示した。
「なんか、すごいですね……?」
ジュールがポカンとした表情で、そう呟く。
呆気に取られるとはこの事だろう。少年は目を瞬かせながら、しかし食い入るようにトルクの姿を見つめている。
「あ、売れたみたいね。で、また他の出店に――へえ」
感心したように頷いているのはジェニーだ。
獅子奮迅とせわしなく動き出している中年男性を見て、口元を緩めている。
「おだてるというか、人の懐に入るのが上手いんだろうね。誰もが皆、トルクさんと少し話しただけで、ほら。警戒心が下がってほどけているよ」
感情の推移を見て取り、キオもまたうんうんと頷く。見込んだ甲斐はあったというものだ。なんだか誇らしい気分になってくる。
「おーい! 第一陣が捌けたぞ!」
ブンブンと手を振りながら、トルクが駆け寄ってくる。
その顔は、まさしく喜色満面。まるで尻尾を振る子犬のような仕草に、ジェニーとジュールが同時に噴き出した。
「うん? どうした?」
「いえ、なんでも。それで、首尾はいかがですか?」
「へっへっへ……! そら、見てくれよ!」
トルクが小袋を広げ、中にある銅貨や銀貨を曝け出す。
更に、戦利品はそれだけでは無い。他にも幾つかの食料品や飲料を手に入れたようで、両手いっぱいにそれらの袋をかつぎ、彼はニコニコと微笑んでいる。
「ふうん? 予定していたより、金額が少なくない?」
キオが瞬時にそれらを計算してジェニーに伝えると、彼女はわずかに首を傾げた。
確かに、それはそうだ。卸値を考えたら、利益率は若干下がるように思える。
そんなキオ達の疑問を看破したのだろうか。トルクは得意そうに鼻の下を指で擦った。
「高めに値札を付けて在庫を抱えるより、ある程度まとめて売っちまった方が良いのさ。特にほれ、日持ちがしにくい物もあるだろ?」
「ああ、なるほど。そういえば、宿の方でも売りさばいてましたっけ」
「おうよ!」
キオの頷きに、トルクが胸を張った。
「これはもう、ジュールの手柄だな! 宿で必要な物がなにか、予め色々と教えてくれて助かったぜ!」
「いえ、そんな……」
頭をぐしゃぐしゃと撫でられて、ジュールが嬉しそうに笑う。
「その、女将さんの仕入れとか見てただけで……大したものじゃ……」
「なあに、その知識が力になるんだよ! な、キオ!」
「ええ、その通りです。お手柄だね、ジュール君」
キオも一緒に撫でると、ジュールがなお一層に身を縮こまらせてしまう。
「……そうね。薬草の知識も役に立ったみたいだし、褒めてあげるわ」
そこに更に、ジェニーが参戦。三者三方からの撫で攻撃を受け、ジュールが真っ赤になって黙り込んでしまった。
うぶな少年の様子を見て、トルクが快活に笑い声を上げる。
「はははっ! それにほら! 金額はやや少なくても、交換で他の物を仕入れられたからな。今度は場所を変えてこれを売りさばいて、更に一儲けだ!」
グッと、トルクが握りしめた拳を天に掲げた。
「やるぞぉ! みんなぁぁー!!」
威勢のよい声にしかし、返ってくる声は頼りない。
「おー」
「お、おお……?」
「……お」
こういったノリに慣れていない三人を見て、トルクはガクリと肩を落とす。
「あ、あのさ……もうちょっとほら、こう……な?」
「な、と言われても困ります」
ぴしゃりとジェニーが一刀両断。まるで容赦というものが無い。
お祭り大好きなトスカナ村でも、屈指のクール系女子。
そんな彼女に体育会系的な調子は通じないのだ。
「トルクさん、トルクさん。めげずに行きましょう。ほら、おー」
「お、おお! やったるぜ!」
キオの励ましに無理やり闘志を掻き立て、トルクが立ち上がる。
「それに、もう少しで気温も上がります。あれの出番が来ますよ」
キオが背にしょっている大きな包み。それを軽く揺さぶり、存在を示す。
「そ、そうだな! ちゃんと長持ちするよな……?」
「テスト――試しもしましたし、大丈夫ですよ。自信を持っていきましょう」
ニコリと笑うキオにつられたか、トルクの頬も次第に緩んでいく。
「不思議だな、お前にそう言われると何とかなりそうな気がしてくるぜ!」
「何とかなってくれなきゃ困りますし」
「ジェ、ジェニーさん……!」
歯に衣着せぬ言葉を放つ姉貴分に対し、クイクイとその裾を引っ張るジュール。中々に良いコンビになりそうであった。
そうして、わいわいがやがやと歩き出し――ふと、トルクが振り返った。
「なあ、キオ? そういえば宿で思い出したんだけどよ、こっちの扱いがやたらと丁重になったよな?」
「ええ、そうですね」
「お前がえっと、エジン――だっけか? その名前を出してからさ、宿屋の連中の態度が豹変した気がするんだが」
今さらながらに首を捻るトルクに、ジュールも追随する。
「確かに、そうですよね。揉み手をして物品を買い取ってくれたような……?」
「そうね、得したわね」
「だよねえ」
のんびりと答えるトスカナ幼馴染ズの声に、ジュールとトルクが顔を見合わせた。
「ちょっとした縁に恵まれただけ。そうよね、キオ?」
「うん」
昨夜、あの不思議な森人との邂逅を果たした時の事を思い出す。
薬師の妻・アンの育ての親だと名乗った彼女は、キオ達が泊まっている宿の事を尋ねてこう言った。
『――ならば、儂の名を出すがいい。これを知る者は外界にはおらん。多少の便宜は図ってくれるだろうて』
それを告げると、エジンは多くを語らず背を向けた。
『――三日後、聖剣祭の夜。儂はまたここに来る。その時に話を聞かせておくれ』
最後に、その言葉だけを残して。老エルフはまさしく風の如くに姿を消したのだった。
「……位置は、追えたのよね?」
ぽつり、と呟くジェニーにキオが頷く。
「うん。あの森の向こうにある小高い山。その麓にぽっかりと空間が開いてる。多分、祠かなにかがあるね。そこに居るみたいだよ」
「……一人で?」
「いいや、他にも幾つか反応があるね。その一つは――あの姫巫女様だよ」
そこまでを看破し、キオは口を閉じた。
昨夜にエジンが姿をくらませたあれは瞬間的な転移か、その類。恐らくは卓越した魔術のひとつであろう。
もしかしたら古代から伝わる奥義的なものかもしれない。
――それでも、キオの前には通じない。
その気になれば千里を見通し、万物を把握する。把握してしまう。
例えば、昨夜察知された光学迷彩。あれもキオ単独ならば更なる隠匿手段があるのだ。
異相次元への潜航機能を使えば、如何なる存在も探知する事すら叶わない。
これはもう、業の類であるとキオは思っている。
昨夜も感じたが、自制をせねば――単なる村人から『外れて』しまうだろう。
そうなったら嫌だなあ、と。キオはそんな事を考えてしまうのだ。
「大丈夫よ、キオ」
その懸念を読み取ったように、ジェニーがキオの手を繋ぐ。
「そうかな?」
「ええ、そうよ。私が見ているもの。だから、大丈夫。不安に思う事なんて、何も無いわ」
手のひらから伝わる温もりに、心が安らいでゆく。
ジェニーへ改めて感謝の念を抱き、キオはそっと自身を見下ろした。
あらゆる概念干渉を弾き、星の爆発にすら容易く耐えるこの体。暖かい血も通っていない、人ならざる身。
(……在り方は変わらない。それでも、歩いていく事は出来るよね)
目の前の事をひとつひとつ、片付けてゆく。近道はしない。してはならない。
キオはかつての最終兵器ではなく、この世界の村人として生きてゆくと誓ったのだから。
「聖剣祭について調べようと思うんだ」
「そうね、もう少し詳しく知るべきね」
目線を合わせて、頷き合う。
謎は多いが、だからこそ解く甲斐があるというものだ。
「おーい、キオ! 行こうぜー!」
ジェニーと話しているうちに、距離が離れてしまったらしい。
手を振るトルクとジュールを見て、キオ達は微笑みながら一歩を踏み出し――
『――て』
そうして、キオは踏みとどまった。
砂浜へと寄せて返す波の、その狭間。朝日が照り返す水面の上に、仄かに揺らめく『何か』が居る。
「……キオ?」
ジェニーの声を背に、キオはそちらへと足を向ける。
視線の先には、青白く輝く人影があった。
『――て――が、い――』
透き通るようなその声には、胸を締め付けるような苦悶があった。
絶望・憤怒・嘆きと悲しみ――ありとあらゆる負の感情が入り混じり、積み重なって唱和する。
一つではない。十、二十――次々とその数は増え、波間の上に漂い始める。
(……死霊の類じゃないな。どちらかというと、思念体に近い。強烈な意志が焼き付いて、幻の如く浮かび上がって来ている)
『――シて……ネガ――ツを――』
悲嘆にくれるような、怨嗟の声。何がそんなに悲しいのか、何がそんなに苦しいのか。
思念体たちは、水面に縛り付けられたように身をくねらせ、苦しそうに悶えている。
「……どうしたんですか?」
キオは穏やかな口調で問いかける。
「僕に、何かをして欲しいのですか?」
虚空に問いかける、キオのその声を不気味に思ったのだろうか。
出店の主人や、漁師たちが奇異の視線でこちらを見る――が。
「――お気になさらずに」
スッ、と。キオの背後にジェニーが立った。同時に周囲の人々が気まずそうに散ってゆく。
ジェニーの視線は、時として永久氷土もかくやの効果を及ぼす。流石のアシストであった。
背後の幼馴染に感謝をしながら、キオは海辺へと足を進める。
「いったい、あなた方は……」
そこで気付く。青白く見えたのは『彼女等』の気配ばかりではない。
身に纏う衣――白無垢の如き服装にあった。
それはまるで、あの姫巫女を彷彿とさせるような恰好に思えた。
『――ヲ』
そうして、キオは見た。人影の最前列、泣きそうな顔でこちらを見る、美しい女性の姿を。
こちらの視線に気づいたか、彼女は両手で顔を覆って嗚咽を漏らす。
『――娘、ヲ……』
その言葉が風に乗って届いた瞬間、陽炎の如き人影たちは一斉に姿を消した。
後には何も無い。ただ、静かに波の音が響くのみ。
「……キオ」
「うん」
指先に触れる、暖かい感触。優しいぬくもりを感じながら、キオは頷く。いつの間にか、ジェニーが傍に寄り添ってくれていた。
その手をしっかりと握り直し、キオは静寂に満ちた水面へと視線を落とす。
「何か、居たのね?」
「そうだね、正体は分からないけど……どうしてだろうね。昨日は何も見えなかったし、彼女たちを感じなかったのに」
けれど、今は――
キオは打ち寄せる波へと手を寄せて、飛沫に浸して目を閉じた。
「……もしかして、だけど。聖剣祭が近いからかな」
掬い取るように指を振り、そうしてキオは海面を静かに見据えた。
深い、深い海の底。何者も到達しえないだろう領域に、確かな鼓動を感じる。
それは、トスカナ村の上空で四方を探知した時に察した、あの力場と同様のものであった。
とすると、深海深くに封じられている『これ』は――
「おーい! キオ! なにやってんだー!?」
「キオさん、ジェニーさん! どうしたんですか!?」
慌てたような声を聞き、思考が中断された。
砂浜を蹴りつけて、二人の足音が近づいてくる。
「キオ――うわ、あぶっ! おわばっ!?」
「わあ、トルクさん!?」
砂浜に顔を突っ込み、バタバタともがくトルクを見ながら、ジェニーは肩を竦めた。
「……ま、今は出来る事からしていきましょ。焦っても仕方ないと思うの」
「そうだねえ。なるようにしか、ならないものねえ」
如何なる世界においても、結局はそれが真理という事なのだろう。
顔中砂まみれで、ゲホゴホとむせるトルクを見ながら、キオはくすりと笑うのだった。




