第53話 月明かりのその下で
集落を囲むように広がる森。
そこを抜けた先に、岬があった。
細く長く切り立った岸壁に、寄せ返す波が打ち付け、飛沫を上げる。月明かりに照らされ、虚ろに浮かび上がるその先端に――『彼女』がいた。
長い白髪を首元でまとめ、袖が大きく膨らんだ白い長衣に身を包み、ただじっと夜の海を眺めている。
なにかを祈るように、願うように。
風に身を委ねるがごとく、ゆらゆらとその身を震わせていた。
白髪を分けるようにして伸びる、特徴的な長い耳。その横顔には浅い皺が刻まれている。森人はある一定の年齢を越えると成長が緩やかとなり、晩年になってようやく老いの兆しを見せるという。
――だとすると、『彼女』は相応に年月を経た長老ともいうべき存在なのだろうか。
少し離れた木陰に降り立ち、キオとジェニーはその後ろ姿を眺める。
彼女の立場と、そしてこの場所に居る理由が不明だ。目の前に広がる岬こそが、ボルトから聞いた思い出の地とやらに間違いはないはずなのだが。
「……おや」
その時、ふと。老エルフが首を傾げた。
「そこに、誰かおるのかえ?」
距離が僅かにあるというのに、その声は朗々と響き渡った。思わず、ジェニーと顔を見合わせてしまう。
光学迷彩は機能したままだ。魔力探知すらも及ばないように、処置はしてあるのだが――
「……姿は見えなくともね、風が教えてくれるのさ」
女性が振り向く。その視線は真っすぐに、キオ達の方へと向けられていた。
「……出て行った方が良さそうね」
「そうだね」
どちらにせよ、覗き見をしていたのは確かだ。悪いのは自分たちであると、即座に判断を下す。
光学迷彩を解き、キオ達はゆっくりと姿を現した。
「――ふむ」
老婆の目が微かに見開かれた。
「人ならざる客人かと思ったが……そうではないのか?」
「いえ、僕が人ではないのはおっしゃる通りです。あ、でも彼女は人間ですよ」
訝しむような声に対し、キオはのんびりとそう答える。
ジェニーがお腹を突っつかない所を見るに、言動に間違いは無かったはずだ。
「ほう、面白い事を抜かすのう。やはり貴様は人間では無い……と?」
口の中で彼女が何かを呟く。何かを命ずるような、韻を踏んだ言葉。同時に周囲の空気が変ずる。
――魔術言語だ。
「……弾く、か。恐ろしいものよ。圧縮唱言とはいえ、古代魔術の秘技のひとつぞ」
「そうなんですか? それはなんというか、申し訳ありません」
確かに、今。彼女の体から放たれた目に見えぬ糸が、キオに絡みつこうとしたのは『視た』
だが、それだけだ。触れることも出来ずに雲散霧消。痕跡も何も残せていない。
キオの体の内外に張り巡らされた防御機能。それには、この世の如何なる干渉も通じない。
「……なんなのだ、貴様は」
その返答をどう思ったか、彼女の言葉から毒気が抜ける。
拍子抜けをしたように、目をぱちくりとさせていた。
「儂を殺しに来たのではないのか?」
「いえ、観光です」
「……かん、こう?」
老婆が持てあますように、その言葉を口の中で転がしている。
今のは恐ろしい呪いの言語か、はたまた自分が知らざる謎の単語か。
その迷いがありありと見て取れた。
「はい、読んで字のごとく。この島へ来た目的は観光ですよ。私たちの村に住む薬師さん、その奥様がモーストロのご出身だったそうでして。ご報告も兼ねて、こちらに」
彼女の戸惑いを機と思ったか、ジェニーがニッコリと微笑みながら後を繋ぐ。
余所行き用のスマイルは、効果てきめんであったのか、老エルフは『はあ』と息を零した。
「もしかしたら、ご存知ではありませんか? 二十年と少し前にこの島を離れたそうなのですが」
「なに? 二十数年前にこの島を、だと」
「はい、その方はアンさんという――」
「――アン!?」
その名を聞かせた瞬間、態度が激変した。
老婆が目を見開き、わなわなと体を震わせている。
「アンの、アンの縁者なのか!? そうなのか!?」
「縁者といえばそうかもしれません。もうずいぶん前にお亡くなりになったので、僕も直接会った事は無いのですが」
「キオ」
今度はわき腹をジェニーに突っつかれた。
あっと思い、キオは老婆を見る。
月の光に映えた彼女の白い肌が、なお一層に青白く変じてゆく。
「死んだ、のか? あの子は……」
「あ、えっと」
――しまった。もしかしなくても失言だったのだろうか。
ジェニーを見ると、彼女は軽くため息を吐きながら、一歩前へと足を踏み出した。
「はい。ご出産の際に、その。薬も神の奇跡も間に合わず……」
「出産……? 子を、産んだのか」
「はい。立派な青年にお育ちになりましたよ。今は冒険者としてご活躍をされています」
「そうか……そう、なのか」
力無く、彼女は肩を落とす。
「三日後が、命日だそうで。彼女の夫から報告をして欲しいと頼まれたのです。その方は薬師をしているので、村から離れる事が出来ず――」
「三日、三日後……そうか。なんという事か。これが『運命』なのか」
ため息と共に、老婆が首を振る。
「聖剣祭と同じ日に……この島を離れても、やはり変わらなかったという事か? だが……」
「え?」
老婆の体から伝わる悲しみは、故人の死を悼むものとは、些か異なるように思えた。
それは、そう。まるで、避けられぬ悲劇を嘆いているような――
「――ダメよ、キオ」
ジェニーがキオの袖を軽く引っ張った。
無意識の内に思念を読もうとしていた事に、この幼馴染は気が付いたのだろう。
「うん、ごめん」
言われて、キオはハッとする。それはしてはいけない事であった。
どうも、ここの所はいけない。タガが外れそうになる。
未知の危険を排除する。それが最終兵器たるキオの優先事項だ。
魔神や終焉の巨人との遭遇を経て、かつての安全装置が働きだしたか。
自制せねばと、キオは改めて気持ちを引き締める。
「あの、申し遅れました。僕の名前はキオ、この子はジェニー。少し素性が特殊なので説明がしにくいのですが、貴女とこの島に危害を加えるような事は決して致しません」
初手で人間でないと言い切った手前、説得力が無いのは承知の上だ。
それでも、敵意が無い事だけは知ってもらわねばならない。
「この場所が、アンさんの思い出の場所と聞かされていたので、それで」
「そう、か……なるほどな……」
老エルフは俯き――長い、長い溜息を吐き出した。
何かを堪えるように閉じられた瞳に、震える唇。
そこにはただ、深い悲しみだけが現れていた。
「そなた達が何者かは知らんが……礼を言わせておくれ」
ややあって、老婆がゆっくりと顔を上げた。
開かれた眼差しには、どこか柔和な光が宿っていた。
「良く、あの子の事を知らせてくれた。そうか、子を産めたのか。そうか、そうか……」
「あの、貴女はいったい」
「その様子だと、儂の事も知らんようだな。術が解ける事は無く、ちゃんと約束も守ってくれたのか」
微かに口元を緩めると、老女は懐かしむように岬の方へと振り向いた。
細長く広がる地形の、その向こう。草むらの中に、白い花々が咲いているのが見える。
「儂はエジン。見ての通りの森人だ。そして、あの子の――」
風に揺れる花弁を見ながら、老婆は告げる。
「――アンの、育ての親さ」




