第51話 恋煩い
―― 案内された部屋は、簡素なベッドが二つ並ぶだけの殺風景なものだった。
きちんと手入れが行き届いているのか、床にも壁にも埃や汚れは見あたらない。それを見てジェニーが満足そうに頷く。どうやらお気に召してくれたようだと、キオも安堵する。
「この宿、部屋が二つ空いてて良かったね」
「ええ、そうね」
さすがにお年頃のジェニーをトルクと一緒の部屋で寝かせるわけにはいかない。宿を分けて取るのも手間ではあるし、これは幸いだったとキオは微笑む。
「わあ……!」
部屋の窓にかじりつくようにして、ジュールが歓声を上げた。
外はすっかりと日が落ちて、夜の帳が降りている。けれどもそこに広がるのは、一寸先も通さぬような暗闇ではない。むしろ、仄かに瞬くような光源があちらこちらに浮かび上がっていた。
「凄い……! どういう仕組みなのかな……!」
「どうやら、家の材質そのものに月光や星明りを増幅して反射する機能が備わってるみたいだね」
興奮したような少年の声に、キオはそう答える。
「それって魔導具なんですか?」
「うーん、どうだろうね。材質もそうだけど、加工技術の方に秘密がありそうだよ」
そう言いながら、キオは窓枠に触れる。
石造りの壁に嵌め込まれたそれは、両開きに稼動する木製の物だ。しかしこれも、本土で見たようなそれとは、いささか勝手が異なるようだった。
加工された時代は旧い。センサーで計測したところ、千年前にはもう加工されて設置されたと分かる。
なのに腐食どころか、汚れ一つ見当たらない。これは恐るべき技術だ。現在のこの世界の技術水準を大きく上回っている。
(……そもそも、今のこの文明自体がひどくアンバランスに見えるんだけどね)
大別して六種に分かれた人型種族がおり、魔術や神の奇跡が存在する。ここは、いわゆる中世ファンタジー的な世界だ。
銃器の類は無く、遠距離で行使するのは矢に投石機など。火薬に似たものはあるようだが、それを使って兵器を作る方向には至っていない。
だというのに、幾つかの分野においては明らかに技術が突出しているのだ。
例えば、ジェニーも愛好している缶詰。この世界にはある種の魔導具を用いることで、食物を保存する事が可能なのだ。
そして、それは田舎村にも届くことが出来るくらい、需要と供給を満たしている。大きな街には工場も存在し、一定の量を常に製造し続けているのだ。
衛生面においても、そう。一般的なモラルも高く、大衆浴場すら存在する。
先に訪れた迷宮都市には水洗式の便所が存在したし、過去の地球であったように窓の外へ汚物をバラまくなんて事もしない。やれば正気を疑われるだろう。
やはり、超常的な力が存在してそれで社会が回っているから――なのだろうか。魔物という化け物が徘徊する世界では、常識や価値観なども『向こう』とは異なるのかもしれない。
(ただ、それを加味してもこの島の技術レベルは妙に高い。一見、古く寂れた土地に思えるけど、そうじゃない)
港町でトルクから予め聞かされていた話を思い出す。モーストロの建築技術には本土の学者たちも一目を置いており、度々と交流を結んでいるらしい。
外界から隔絶された孤島ではあるが、観光地としてもそこそこ名が通っているそうだ。
「トルクさん、あの……」
「ほへ……?」
問いかけるために振り向くと、返ってくるのは寝ぼけた言葉。彼は呆けたようにベッドに座り、心ここにあらずと宙へ視線をさ迷わせていた。
集落に到着し、宿を決めてからずっとこうである。まるで魂が抜けたかのような虚脱状態であった。
「どうやら、あの姫巫女様を間近で見たのが効いたようね」
「ははあ……」
確かに美的水準においては、あのケーレという巫女は恐るべき域に達しているだろう。
男性は美しい女性に惹かれやすい。かつてライブラリで見た、幾多の創作物においてもそうだった。
「でも、無理はないですよ。ボクも、あんなに奇麗な人は見た事がありません。姉さんだって、えっと」
「ジュール、それ以上は言わなくても良いわ」
もごもごと言葉を舌で躊躇わせる少年を、ジェニーの冷ややかな視線が一喝する。
慌てて目を反らすジュールを他所に、キオは首を傾げた。
「つまり……ひとめ惚れ、ですか?」
「い、いやいや! ちげえよ!」
その言葉にようやく正気を取り戻したか、トルクはぶんぶんと首を振った。
「あれはさあ、俺みたいなしょうもねえオッサンの手に届くような女じゃねえだろ」
「でも、奇麗な女の人をお嫁さんにするって……」
「限度があるだろ、限度が! それに相手はエルフだぞ! たぶん、見た目通りの年齢じゃねえ。俺の倍はあってもおかしくねえぞ!」
――森人。それは六種の人型種族の中でも、最も神秘的な存在である。特徴的なのは耳が長い事と、寿命の長さ。そして、外見の美しさにある。平均寿命は約五百年。大概は古い森の奥に住み、他の種族と交流する事はごく稀だ。
「でも、半森人の方はいるんですよね? うちの宿にもいらっしゃってましたよ。だから……その」
「望みを捨てるなってか? そりゃ違うぜジュール。森人と結ばれて子を成すような人間は、総じて特別な――選ばれたやつだ」
キオも、ハーフエルフには何度か会った事がある。直近では、あの「不屈の炎」の魔術師だ。
気安く明るく元気よく、田舎村と見下しもせずにトスカナの住人達とお喋りをしていた姿を思い出す。
「ハーフエルフは、故郷の森の援助を受けて外界へ旅立つ。他種族と交流して、情報や技術なんぞを持ち帰るためにな。だから、気さくな奴らが多いんだ」
俺のパーティーにも居たぞ、と。そう言ってトルクは懐かしそうに目を細めた。
「貴重な異文化交流の担い手になるんだ。才能なりなんなり、秀でたものを持った連中が伴侶に選ばれる」
そう言って、彼は苦笑しながら肩を竦めた。
「な、俺とは違うだろ? 人にはな、分相応ってものがあらあな」
「トルクさん……」
「さ、食事に行こうぜ。この集落では果物料理が名物なんだってさ」
なんとも言い難い顔をするジュールの頭を軽く叩き、そうしてトルクは立ち上がる。
「くだものりょうり……焼くのかしら炒めるのかしら」
餓えた狼のオーラを漂わせながら、ジェニーがそれに続く。
「なんか、付近の森でしか取れねえ珍しい果実なんだってよ」
「それは素晴らしいですね……じゅるり」
淑女にあるまじき音を立て、キオの幼馴染は口元を緩めている。
すっかりと話題は晩餐に移り、ジュールもそれにおずおずと加わってゆく。
だが――
「……キオ?」
訝しむようなジェニーの声に、キオは顔を上げた。
「なにか、気になる事があったのね?」
「うん……ちょっとね」
森人の巫女だという、あのケーレという女性。
しかし、キオのセンサーは一つの事実を捉えていた。
肉体年齢は、百歳を少し超えたところか。しかし、その体組織を構成する細胞の根源に違和感があった。
キオは森人そのものを見た事は無い。だから、判断は付き難い。
だが、分かるのだ。分かってしまうのだ。半森人である女冒険者の遺伝子情報とは明らかに違う。
親元である森人のそれを遡って再現・確認を取ることは出来たが、それとも何故か一致はしない。
適合していたのは――『彼ら』だ。
かつて不屈の炎の神官・アリシアの元で視たデータディスク。そこに映し出されていた人々と、保存されていた遺伝子情報。その全てが一つの事実を表していた。
(あの姫巫女さまは、同じだ。間違いないね)
これまで何度となく耳にしてきたその言葉。
微かな伝承の中で細々と息づくだけの存在。
かつて、旧き世界に君臨していたという――
真なる『ヒト』と。




