第50話 モーストロの姫巫女
――船着き場に辿り着いたころには、既に空は朱に染まり始めていた。
「ここが、モーストロの島……」
波打ち際に備えられた、古い木製の桟橋に足を着け――そうしてジュールが呟いた。その声色には、何処となく呆然としたものが滲んでいる。
荷物を背負いながらその後へと続き、キオもまた周囲を見渡した。
小さな波止場には、幾つかの小舟が波に揺られて留まっている。
そして、その砂浜の向こうに見える森には、こちらを出迎えるように奇麗に整えられた並木道が広がっていた。
けれど、キオ達が目を奪われたのはそこでは無い。
「なんか、思っていたのと違うわね」
「そうだねえ」
拍子抜けしたようなジェニーの言葉に、キオも同意する。
古より伝わる、伝説の聖剣が眠る孤島。三人は、もっと神秘的で儚く映える光景を想像していたのだが。
「……出店でいっぱいですね。なんか、トロンを思いだしちゃいます」
ジュールの指摘は、キオ達の心情をそのまま表していた。
見渡す限りに点々と広がる、ござや小さな屋台。そして、そこに群がる人々。
それはあの迷宮都市を彷彿とさせるものがあった。
「なんせ、五十年に一度の祭儀だかんな。人も方々から集まるってもんよ――っと」
呆気に取られた三人に声を掛けたのは、遅れて船から降りたトルクである。
大荷物をいったん浜辺へ下ろし、自身の肩を揉んでいる。特に驚いた様子は見えない。この光景を、予想していたのだろうか。
「言ったろ、稼ぎ時だって。その証拠がこれさ」
「でも、大丈夫なんですか? お店もこんなにいっぱいあって……」
「……まあ、出遅れちまったからなあ」
微かに渋い顔をして、けれどもトルクはジュールの頭をポンと叩く。
「けど、やるだけやるさ! 気持ちが下向いてたら、運命だって遠ざからあ!」
「は、はいっ! 頑張りましょう!」
盛り上がる二人を尻目に、ジェニーが首を傾げる。
「……ジュールが何故か、商売を手伝う流れになってない?」
「そうだねえ」
決して言質を取ってはいないのだが、彼らの中ではもうそうなっているらしい。
「まあ、悪い事じゃ無いと思うよ。当初の目的さえ忘れてなければ、後は好きにしていいんじゃないかな」
「……そう、ね」
ふう、と。トルクたちを眺めながら、ジェニーがため息を吐く。
いかにも億劫そうな態度であるが、その眼差しは意外なほどに柔らかだ。
どこか微笑ましいものを見るかのような視線に、キオはくすりと笑ってしまう。
「……キオ?」
「ごめんごめん」
微かに頬を膨らませた幼馴染は、本当に可愛らしい。
ジュールを村に迎え、そしてトルクと出会ってから、彼女は更に表情が豊かになった気がする。
良い傾向だと、キオはそう思う。見知らぬ誰かと縁を紡ぎ、そうしてふれあう中で成長する。
(……この旅が、ジェニーにとっても良きものでありますように)
人ならざる自分が神に祈る。届くかどうかはわからないが、願う心が大事だと思いたい。
「さて、宿を取らなきゃな。ちと荷物を見ててくれるか?」
「あ、はい!」
「よし、よし……っと! ちょいと、そこの兄さんたち!」
ニコニコと笑いながら、トルクは浜辺に立つ数人の男女に話しかけた。
何をするつもりなのかと見守るキオ達の前で、彼は気安げに喋くり続ける。
「お、そうかっ! あんがとよ! これ、俺の奢りな!」
ひとしきり会話を交わした後、トルクは近くの出店から麦酒を買い、それを彼らに手渡した。
それで用事は終わったのかと思いきや、彼はまた同じように見知らぬ誰かに話しかけていく。
「……何かしら、あれ」
「さあ……?」
首を傾げる二人。けれども会話を漏れ聞いていたキオだけは、トルクの意図を察する事が出来た。
「なるほど。冒険者パーティーのお世話をしていたってのは、こういう事か」
「え?」
「見てごらん、そろそろ戻ってくるから」
目を瞬かせるジュールの肩を叩き、キオがそう促す。
程なくして、トルクがほくほく顔でこちらへと駆け寄ってきた。
「おう、みんな! 集落の場所とな、宿の目途が付いたぞ!」
「えっ!?」
「さあ、日が暮れる前に行こうや! 今日はもう、疲れちまったからさあ。あれ以降、魔物が出なかったのはいいけど……本当に死ぬかと思ったし」
ぽかんとするジュールに苦笑を返し、トルクが荷物を背負いなおす。
「情報収集、ありがとうございます」
「おう、金を使っちまったけど、いいよな?」
「ええ、必要経費ですので。ね、ジェニー?」
キオが微笑むと、それで理解をしたのだろう。ジェニーもフッと笑って肩を竦めてくれた。
「……私も異論は無いわ」
「あ、え? え……っと?」
「経験豊富ってのは嘘じゃないって事よ。さ、行きましょ。お腹が空いてしまったわ」
ジュールの背を押しやりながら、ジェニーが歩き出す。
「トルクさん、道案内をお願いしますね」
「おう、任せろ嬢ちゃん! みんな、俺に着いてこい!」
鼻歌交じりにトルクが先へ先へと足を踏み出してゆく。
結構な荷物を背負っているのに、ふらつきもしないし、重心も安定している。そこにはベテランの業が垣間見えた。
「フンフフーン……! へへへ……っ!」
恐らく、根っこの所が世話焼きなのだろう。キオ達の役に立てた事が、嬉しくて嬉しくてたまらない。トルクの様子からは、そんな気持ちが見て取れた。
「流石ですね、トルクさん」
「そっか? ははは、こんな事くらいしか俺、取り柄がねえからさあ」
キオの賞賛に、トルクが照れ笑いを浮かべる。
「いつもさあ、新しい街に着くと俺がこうして、宿の手配とかしてたんだぜ」
「へえ……」
「あいつ等、俺に頼りっぱなしでさあ。注文だって煩いんだぜ? やれ、旨い地酒がどうの、宿の設備がどうの……ってよぉ」
悪態を吐きながらもしかし、その口元は緩み切っている。
きっと、とても仲の良いパーティーだっだのだろう。トルクの表情には、往時を懐かしむような笑みがあった。
「あいつら、きっと後悔してるぜ! この島のどっかには居るんだろうけどよ、へん! いい気味だ! ちったあ、俺の苦労を知れっての!」
ブツブツと愚痴りながら、そうしてトルクは空を見上げた。赤く染まりゆく日の光を眺めながら、ポツリと呟く。
「……大丈夫かな、あいつ等。ちゃんと宿とか、確保出来たかなあ」
「トルクさん……」
「あ、いや! そういや冒険者協会からの紹介だし! 宿や食事の確保が、条件だったっけな!」
アハハ、と。誤魔化すように荷物を彼は背負いなおす。
「そ、それに俺を追い出した連中がどうなろうとも、知った事じゃねえし! そうだ、そうそう……」
「……大丈夫だと思いますよ」
「へ?」
こちらを振り返るトルクの目を見つめ、キオは頷く。
「あなたの、その背中をちゃんと見てきたのでしょうから」
「キ、オ……」
「その方たちは、とても良い仲間だったんですね」
鼻を啜る音と共に、トルクが慌てて前を向く。
「……ああ」
その言葉だけで、察するにはじゅうぶん過ぎた。
ジェニーと目配せを交わし、二人で微笑み合った――その時だった。
「おい、あれ……!」
「まさか、本当かよ!?」
「なんで、ここに……!?」
森の向こうから聞こえてくるざわめきが、周囲に満ちてゆく。
どよめきと共に、人の群れが左右へと分かれていった。
「え、え!? いったい、何が」
「……あそこに、誰かが居るね」
ジュールの戸惑いに、キオが応える。
人々が声を重ね合う、その先に――銀の光が煌めいた。
「う、そだろ……? あれは、まさか」
「トルクさん?」
先ほどまでの感傷を消し去り、トルクが呻きながら立ち止まった。
「モーストロの……姫巫女」
呆然とした呟きが風に乗り、そして『彼女』の髪をなびかせた。
腰まで届く、銀糸の波。ゾッとするほどに白い肌と相反するように、その瞳は紅く輝いていた。
白無垢の長衣を身に纏い、一歩一歩と大地を踏みしめるようにして――絶世の美女が並木道の向こうから歩み寄ってくる。
「あ、耳が……」
呆けたようなジュールの声が、虚ろに響く。
風に梳かれて流れた髪のその合間から、長く伸びた耳が垣間見えたのだ。
「森人……」
「――はい」
それは、誰の呟きだったか。
応える声は、鈴の音のように凛と響く。
「この島の、当代の姫巫女を務めております――ケーレにございます」
その言葉に圧されたように、空気が凍った。砂浜に居る人々は、身動き一つ取れていない。
老若男女の区別なく、その凄絶なまでの美に圧倒されてしまっている。
存在の格が違うとでもいうように、誰もが震えるばかりで声すら出す事が叶わない――
「あ、この島の責任者の方かな?」
「たぶん、そうね。偉い人よ」
――キオとジェニーを、除いて。
「え、あ……おわっ!?」
呑気極まるその言葉に、思わずトルクがつんのめる。
ととと、と前へと歩き出し、そのまま尻からへたり込んでしまう。
「……大丈夫ですか?」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
いつの間にか、彼女は彼の目の前へと歩み寄っていた。
差し伸べられた白く細い手を見て、トルクが仰天して立ち上がる。
「だだだ、大丈夫でげすっ! もう元気満々で、あのっ!」
「それなら、ようございました」
微かに口元を緩めたそのほほ笑みに、トルクは顔を真っ赤にしてのけ反った。
その様子がおかしかったのか、コロコロと笑いながら姫巫女が目を細める。
その視線が、トルクを見据え――そして、ぐるりと砂浜を一周した。
「皆様――ようこそ、お出ましくださいました。心より、歓迎申し上げます」
夕日の赤に銀髪を輝かせ、そうして彼女はゆっくりと背を屈めるのだった――




