第45話 新たな出会い
その場所は、賑やかな喧騒に包まれていた。
石畳が敷き詰められた通りの向こうに、蒼く煌めく水面が見える。
少し視線を動かすと、右へ左へパタパタと行き交う人々の姿があった。彼らの袖は短く衣は薄く、肌も浅黒い者が多い。人種も様々で、屈強な風体をした獣人や地人が重い荷物を担ぎ上げながら豪快に笑い合っている。
(……へえ)
潮騒が響き、海の香りが鼻腔をくすぐる。
人ならぬキオであっても、それは新鮮な体験であった。
「わあ……っ!」
ジュールが目をキラキラと輝かせ、周囲を見回している。その忙しない様子を見て、ジェニーがくすりと微笑んだ。
「活気のある街ね」
「うん」
迷宮都市とはまた違う賑やかさ。これが港町というものか。キオは軽い驚きを覚えていた。
辺りには屋台が立ち並び、老若男女の区別なく皆が声を張り上げて客の呼び込みをしていた。
やはり、というべきか海鮮をふんだんに使った料理が多いようだ。
串焼きに網焼き、中には魚一匹丸ごとを焼いた豪快な代物まで。よりどりみどりであった。
「美味しそうね」
「うん」
ジェニーの瞳が、ジュールとはまた違った輝きを帯びる。
息が荒くなり、気配が鋭く尖り始めた。
飢えた魂が呼び覚まされるその前に、キオはジェニーに声を掛ける。
「まずは、船を確保してからにしようか」
「がう」
良いお返事であった。
押し黙った少女の代わりに、翠髪の少年がキオの方へと振り向く。
「港町ってボク、初めて見ました!」
「それは良かった」
ポン、ポンと頭を軽く撫でるとジュールはくすぐったそうに目を細めた。
本当に素直な良い子だ。なにか、ご馳走をしてあげたくなる。
「やはり串焼きかしら」
「抜け目が無いね」
キオの思考を読み取ったかのような提案。
今日も幼馴染様は絶好調であった。
(というか、迷宮都市の時よりもはしゃいでいる気がするなあ)
その理由も、なんとなくキオは理解できた。
あの都市にひしめいていた、閉塞感のようなものがここには無いのだ。
何処までも広がるような、開放された空間。自由闊達そのものが、この街には溢れている気がする。
「ジェニーの言うとおりだね。これは得難い経験かも」
「でしょう? 楽ばかりを求めていたらダメなのよ」
仰る通りであった。
当初、キオはジュールとジェニーを抱えて、ひとっ飛びで島に向かおうかと考えていたのだ。
それに待ったを掛けたのが目の前に居るお嬢様である。
――駄目よ。ちゃんと船を手配して、順序を踏んだ上で辿り着かなきゃ勿体ないわ。
その時はどういう意味か分からずに首を傾げたものだが、今ならはっきりと頷ける。
(なるほどなあ。やっぱりジェニーは頼りになるなあ)
ジュールに広い世界を見聞させるのに、自分の足で歩かなくては意味が無い。
いつまでも、キオが傍にいられるわけではないのだ。
人間のルール、この世界の決まり事をキチンと学ばせる必要があった。
ゆえに、この港町までキオが二人を運び、そこからはちゃんと正規のルートで赴く流れとなったのだ。
「えっとまずは……そう、乗船券が必要なんだよね? あそこで買えるのかな」
キオが船着き場の方を指さすと、ジェニーは少し考えるそぶりを見せた。
「そうだとは思うけれど。とりあえず尋ねてみましょう」
「はいっ!」
答えたのはジュールだ。わくわくそのものが詰まったように表情を輝かせ、今にも飛び跳ねそうにうずうずしている。
意外と、やんちゃな所があるのかもしれない。今までは目の事や姉への遠慮が、色々なモノを押し込めていたのだろう。
(……良い経験を、積ませてあげたいな)
彼もいつかは、キオの元を旅立つのだろうか。
そも、ジュールがずっと村で薬師をするとも限らない。
その時、ヒューズのように笑顔で見送れるようで在りたいと、キオはそう思う。
(……本当に、不思議だね)
キオにとって、時間とはただ経過するだけのものだった。
過ぎ去ったものを省みる事など、非効率的だと教えられてきた。
なのに、今はどうだ。
年月を重ねるごとに、楽しみが増えてゆく。人との縁が繋がってゆく。
幸せが、広がってゆく――
(なんて、この世界は素晴らしいんだろう)
キオは深い喜びと共に、水平線の向こうへと広がる海を見据えた。
蒼い海、というものをこれまでキオは見た事が無い。
かつての宇宙で訪れたのは、どれも『奴ら』に汚染された灰色の水面ばかり。
押し寄せる波も停止し、生きとし生けるすべての息吹が死に絶えた――虚無の景色だけだ。
この港町のように、生命の輝きに満ち溢れた、潮の匂いが薫る事など決して有り得なかった。
「……きっと、今度も良い日々になるわ」
「そうかな」
「ええ、そうよ」
キオの裾をちょんとつまみ、ジェニーが微笑む。
彼女が言うなら、間違いは無い。そう考えると、より一層に楽しみな気持ちが湧いてくる。
「キオさん、ジェニーさん! 早く行きましょう!」
「うん」
もうすでに歩き出していたジュールにせっつかれ、キオ達二人は苦笑を交わす。
そうして船着き場へと向かおうとした、その時だった。
「おい、あんちゃん! これ見てくれよ!」
「はい?」
声を掛けてきたのは、体格の良い初老の男性だった。
ござのような敷物を広げ、そこに幾つかの果物のようなものを載せている。
「珍しいモノだぜ。滅多に手に入らねえ代物だ! 買わなきゃ損だぜ!」
「これは、食べ物なんですか?」
ジェニーが興味を惹かれたように品物を見つめている。
色とりどり、形も様々なそれらを、キオはサーチした。
――毒は無い。食べてアレルギー反応を起こすようなものも含まれていない。
けれど、これが美味であるかどうかまでは分からない。
成分に問題はなく、食すること自体は平気であろう。
「特にコレだ! ここから南方にある山でしか採れない逸品だぜ! さ、食べてみな!」
男が手に取ったのは、ござの奥に二つ並ぶ黄色い果実だ。
楕円形の形をしている。地球でいうところの、レモンに近いだろうか。
いかにも人の好さそうな笑顔を浮かべ、男はそれを見せつけてくる。
「……酸っぱいわ」
「だろう? だがこれが、中々に癖になるんだな」
「…‥確かに。後を引くかも」
勧められるがままに、ジェニーが果実を齧る。
止める暇も無い早業だった。
「んじゃ、ほれ」
二口目を頬張るジェニーに向けて、男が手の平を差し出した。
なにかの風習だろうか。
「わん?」
「ちげえよ! 金を払えって言ってるんだ!」
キオが手を載せると、すぐさまに振り払われた。
「……へえ、そういうこと」
なにやら納得の表情を浮かべたジェニーが、三口目を齧り取る。
「ああ、そうだ。これは非常に貴重な果物でな。滅多に手に入らねえんだ。だから、ちゃんと支払ってもらわなきゃ困るぜ」
「そんな! そっちが勧めてきたんじゃないですか!」
得意げな顔をする男に、ジュールが食ってかかるも、鼻で笑われてしまう。
「タダとは言ってねえぜ。悪いが、これも商売でな」
「……キオ?」
ジェニーの視線に、キオは頷く。
目の前の男性は、真実を語ってはいない。
果実に関しても、すべてがウソでは無さそうだが、宣伝文句の色が強い。
キオ達がおのぼりさんと見て、強引に売りつけようとしているのだろう。
――さて、どうするかな?
幸い、懐は温かい。この実がどれほどするのかは知らないが、買えない事は無いだろう。
それに法外な値を付けるとも思えない。向こうも下手に騒がれるのを嫌うはずだ。
ほどほどに、少し割高くらいで買わせるつもりなのだろう。
ジェニーも既に四口目を齧りついてるし、これも人生勉強と割り切って購入するか。
もしくは意識を探り、適正な価値を割り出した上で、彼と値引き交渉をするのも面白そうだ。
キオはそうして、いくつかの選択肢を検討する。
どれを選ぶか、それはやはりジェニーの胃袋と相談するべきだろう。
けれど、その結論を出すよりも早く――横合いから伸びた手が、その選択肢を奪い去ってしまう。
「……かあっ! まっじい! マズすぎらあ!」
「な、なんだテメエは!?」
男性が呆気に取られたように目を剥く。
それもそのはず。ご自慢の『貴重品』とやらが、目の前で噛み砕かれて飲み込まれてしまったのだ。
ジェニーの手にあった物ではない。それはもう、彼女のお腹へと消えている。ござに残されていた最後のひとつを、『彼』が搔っ攫ったのだ。
「おうおうおう、ガキ相手にみっともねえ事をすんじゃねえよ!」
「な、なにを」
「これはな、ベルの実っつう果物だ。少しは珍しいだろうが、貴重品ってもんじゃねえ!」
店主に凄んで見せたのは、薄汚れた長衣を着た中年の男性だった。肉体年齢は三十七。ボサッとした黒髪をなびかせ、顎には無精ひげを伸ばしている。
少しばかり筋肉はあるようだが、鍛えられているとまでは言えない。いわゆる、中肉中背というやつだ。
――そこまでを瞬時に割り出し、キオは首を傾げてみせた。
「あ、そうなんですか?」
「おうよ。俺の故郷にいけば、それこそカゴいっぱいに取れるぜ。だっつうのに、なんだよこれは!」
腕まくりをしながら、中年男は店主に詰め寄る。
「実が熟すのは、当分先だ。今の時期じゃねえ。季節外れの実を取って、うさんくせえ商売をしやがって!」
「な、なんだと」
「うるへえ! 俺はな、頭に来てんだ!」
目を血走らせ、男は肩を怒らせる。
「蕩けるような甘さが自慢のこれを、よりにもよって酸っぱさがクセになるとか抜かしやがったな!」
「そ、それは」
「熟しきった奴はお払い箱とでも言うのかよ! テメエもオッサンはもう用無しだから――とか言うのかよ!」
「いや、言ってねえよ!?」
段々と、話の論点がずれてゆく。
中年男性はついに涙目になりながら、喚き散らし始めた。
「チクショウ、チクショウ! どいつもこいつも、皆で俺をバカにしやがって!」
「……なんか人生、辛い事でもあったんか?」
ついに同情の視線を向け出した店主に、男は更に激昂してしまう。
「そうだよ!! 辛い事しかねえよ! だから、ほれ!!」
男は懐に手を突っ込むと、小袋を取り出し中身をぶちまける。金貨がじゃらじゃらと零れ落ちるのを見て、店主が目を丸くした。
「これで文句ねえだろ! この実は二つ、俺が買い取った!」
「お、おう……? つうか、これ多すぎ……」
「いいか! もう変な商売は止めろよ! 次に見かけたら店の前で号泣すっからな!!」
「ひい……っ!?」
情けなさ極まる脅しをしかし、涙目で言い切ると男は背を翻した。
そのまま、のっしのっしと歩き去ってゆく。
「えっと……えっと?」
ジュールがオロオロと視線を左右に飛ばす。
気持ちは分かる。これはどうすべきなのだろうか。
遠ざかる背中を見ながら、キオも首をひねってしまう。
「……とりあえず、お礼を言いましょ」
ジェニーの提案を受け、三人の意見が一致する。
確かにそれが、人の道というものだろう。
「あの、すみません」
彼を追いかけ、キオは声を掛ける。
男は両腕を腰に当てて肘を広げ、ふらつきながら歩いていた。
よほど、ストレスが溜まっているのかもしれない。
「う……」
と、そこで男が突然に蹲ってしまう。
「どうしました?」
駆け寄り、キオはすぐさま体をサーチする。
腰と膝の辺りが擦り減っているのと、酒気が強く残留している以外は――特に異常は無さそうだ。
「は……」
「は?」
「腹、減った……」
そう言って、世にも情けない声を出しながら、男は眉をへの字に曲げた。




