第4話 冒険者、空を行く
――これはなんだ、これはいったいどういうことだ?
ゲイルの思考は混乱の極みを超えて、諦念にたどり着こうとしていた。
眼下に広がるのは、緑の森。少し前まで、仲間たちと共に挑んだ場所だ。
「大丈夫ですか? 体はきつくありませんか?」
「お、おう……」
そうとしか答えようがない。だってそうだろう?とゲイルは呻く。
自身の体は完全に大地の束縛から解き放たれていた。浮いている、飛んでいるのである。
自分より一回りも小さい体の少年にしがみつきながら、ゲイルは空中を走破していた。
「……もうわけがわからねえよ」
少年――キオの周囲から、魔力の類は感じない。すなわち魔術行使はしていない。
かといって、神術による奇跡を願ったわけでもあるまい。
万物を司る運命神の力を得るには、聖具と祈りが必要だ。しかし彼は、そのどちらにも頼っていない。
ゲイルが恐る恐るとしがみついた瞬間、ふわりとその身が浮かび上がり――今に至るというわけなのだ。
「風が気持ちいいわ」
「それなら良かった。ここの所は陽気もいいし……そうだ、ひと段落したらまた、丘の方へ出かけない?」
「そうね、そうしましょう。あそこで日向ぼっこでもしながら、のんびりしましょ」
和気あいあいとした、若人達の逢引事情。
自分は何を聞かされているのかと、ゲイルの口から笑いが零れる。そうでもしないと正気を失いそうだった。
「……仲が良いんだな」
「はい、彼とは幼馴染なので。もう十年以上一緒に居るんですよ」
村長の孫娘の言葉を、ゲイルはぼんやりと嚙み砕く。
オサナナジミ、ジュウネンイジョウ。つまりこの少年にも子供の頃があったのか。
何を当たり前なことを、と自問自答をしてしまう。それでも、少しは安心して――
「前から考えていたんだけどさ、僕には幼少時代というものが無いし、君とそれを共にしていないのに幼馴染っていうのかな?」
――なんだと? 今、なんて言った?
「私が幼い頃から一緒で、それからずっと馴染んで暮らしてきたでしょ? だったら私にとってキオは幼馴染だわ」
「なるほど、説得力があるね」
逆に少年に対する説得力は著しく下がった。
やはり彼は普通ではないのか? ゲイルの苦悩はなお続く。
「っと、見えてきましたよ。そろそろ降りますね」
「え、ああ……?」
ベテラン冒険者の煩悶は、その言葉に断ち切られた。
それにつられて視線を向けると、山脈に行き着く形で木々の群れが途切れている。
「なんだ、アレは……!?」
その終着点。奥まった部分が黒く澱んでいる。
目を凝らして見ると、その周囲がいびつに歪んでいるように思えた。
「あの部分だけ異様な……いや、違うっ! 徐々に拡大しているのか!?」
見間違えではない。はっきりと分かる。
瞬くような漆黒の光が爆ぜ、そのたびにその領域が少しずつ広がっているのだ!
「キオ?」
「うん、大丈夫。大体の原因は掴めたから、問題なく処理できるよ」
幼馴染の少女にあっさりと言ってのけると、キオはゲイルの方へ顔を向けた。
「重力制御はしていますので、身体に支障は無いはずですが、気分が悪くなったら言ってくださいね」
さっぱりと理解の出来ない言動と共に、落下が始まった。
ゆるやかな速度だと体感するも、実際はそうではないようだ。
景色が見る間に移り変わり、ゲイルの両足はあっという間に地面に着地する。
なるほど、彼の言うとおり体に支障は無い。内臓への衝撃も、四肢の震えも感じない。
どういう原理なのかと呆れてしまう。
「しかし、恐ろしい程の魔素が満ちているな……? いったいどれほどの深度なのか、想像もつかんぞ」
木々は、その葉や根に至るまで不気味なほどに黒く染まっている。
周囲に満ちるのは、霧のように乱舞する澱んだ光だ。それらが空気に溶け込むように入り混じるため、視界が霞む。先が上手く見通せない。
その原因たるは魔素だ。この世界のいずこかから生じる、名の通りの『魔の素』である。
これを多量に取り込むことで、動植物は魔物と化す。通常であれば、それなりの年月を掛けて行われる現象であるが、極端にその割合が濃い場合、恐るべき速度で怪物が誕生してしまうのだ。
その進行速度を冒険者協会は深度と呼び、十段階に及ぶ基準を制定している。
長年に及ぶゲイルの経験から察するに、今のこれは最悪だ。目視でも分かるほどの濃さ、息をするだけで眩暈と吐き気に襲われかねない。深度は恐らく八以上――
「――待て。なんで俺らは無事なんだ?」
そこでゲイルは、あっと気付く。
おかしい、これほどの深度の魔素に晒されているのだ。身動きが取れなくなってもおかしくはない。
ベテランの冒険者たる自分ならともかく、只人に見える村長の孫娘まで平然としているのは、何故だ?
「……って、なんだこれは? 俺の手が光っている?」
魔素の黒い輝きとは違う。
ふと見た指先を、黄金のきらめきが覆っている――いや、それだけではない。
「足も、腹も腰も……まさか全身がこうなのか?」
傍らに視線を向け、ゲイルは目を凝らす。
すると、どうだ。少女もまた、自身と同じような薄い光の膜に覆われているではないか!
「それに包まれている限り、行動に差支えはありません」
「な、に?」
もう何度目の衝撃だろうか。いい加減に飽きさせて欲しいとそう思う。
いったいこの少年は、何者なのだ?
「これは極小機械群による圧縮した太陽光を用いた、滅却式の対策法で……」
「キオ、難しいことはいいから。早くいきましょ」
「ん、そう?」
首を傾げつつも、少年は少女に背中を押されて歩き出す。
その足取りにはまるで迷いが無い。視界は相変わらず閉ざされているのに、ひょいひょいと森の中を踏破してゆく。
慌ててその後を追いながら、ゲイルはふと思う。
この少年の力をもってすれば、この森から魔物たちを駆逐することなど、容易いのではないか?
なぜ、自分たち『不屈の炎』を村から見送ったのだ?
(……それに、わざわざ行って戻るような真似までして。あのまま俺たちを放って、先へ進んでも問題なかったんじゃないのか?)
疑問は尽きない。けれど、それを口にするべきかどうか、ゲイルは迷ってしまう。
複雑な念を込め、少年の背をぼんやりと見つめていると、不意に彼がこちらを振り向いた。
「あ、そうそう。触れたものは焼き払えますけど、いちおう足元には気を付けてくださいね」
言われて下を向く。同時に、ゲイルのつま先が何かに触れた。
ねじれた木の根のようなものが、微かな音と共に瞬時に焼失する。
「……もうどうにでもしてくれ」
ため息と共に向けた視線の先には、悠々と歩み続ける少年の姿がある。
そういえば、さきほど少女が触れたはずなのに、その背中には焦げ跡ひとつ見当たらない。
やはり悪い夢を見ているようだと、ゲイルは本日何度目かの現実逃避を行うのだった。




