第38話 おかえりなさい
迷宮から出た瞬間、紅の輝きが視界に差し込む。
既に日は沈み始めていた。
「……いや、スゲエなこれ。ぼっろぼっろじゃんか」
キオの隣で、ヒューズがそうぼやく。
――彼が、そう思うのも無理はない。何故なら周囲は確かに惨憺たる有様であったのだ。
ドーム状の施設は天井が焼け落ち、夕焼け空を赤々と映し出している。
柱も床も、何もかもがぐちゃぐちゃで、原形を留めてはいなかった。
「炎が突き抜けていったらしいけど、形が残ってるだけでもマシってやつか……っと」
ヒューズが息を吐きながら、その背に乗せた『彼女』をそっと背負い直す。
「……ふう。生きて帰ってこれたんだなあ、俺たち」
「ん……」
その声に応えるように、彼の背中でコレットが呻いた。
その命に別条は無い。単に気力も体力も消耗し尽くして眠っているだけだ。
「……よく眠ってるな」
「疲れたんだよ、きっと。念のために『結晶花』のエキスを口に含ませたし、後はきちんと休めば回復するさ」
「あの連中も、よく譲ってくれたもんだよな」
使用したのは、ヒューズ等が持ち帰った花ではない。
入口の近辺で右往左往していた冒険者たちから貰い受けたものだった。
その様子を思い起こしながら、キオは頷く。
「ヒューズ達を見たら、泣き出しちゃったものね。あれは号泣だった」
「おう、ちょっと引いたよな」
顔を見合わせて互いに吹きだす。
終焉の巨人を事象の地平の彼方へと葬り去ったのち、キオはヒューズ等と共に迷宮の出口へと向かった。
そこに駆け寄ってきたのが――彼らであったのだ。
『すまねえ、ヒューズ……ずばねえっ!!』
涙と鼻水で顔を歪ませながら、冒険者たちはヒューズ達に詫びた。詫びまくった。
もう良いと言い出すまで、顔を地に伏して泣き出していたのだから、始末に困った。
コレットを癒すために、結晶花を――と言い出したら、一も二も無く皆がそれを差し出したのだ。
彼らの顔からは、あの異様な熱が引いていた。憑き物が落ちたよう、とはまさにこの事か。
キオの補助の元、ヒューズが父親直伝の技術で花から癒しの液体を絞り出す。
そうして、それを分析したうえでコレットに与えたのだ。
効果はてきめんで、青ざめていた肌に、見る見るうちに血の気が戻っていった。
『よ、よし! 俺が神官を呼んでくるぞ!』
『そうだ、街の連中にも知らせねえと!』
『あ、あたしもっ! 薬師様を連れてくるっ!』
その様子を見て、手に手を取り合って喜んでいた冒険者たち。彼らは我に返ると、すぐさまに動き出した。
それはもう、鮮やかな役割分担。彼らも体力を消耗し尽くしているだろうに、迅速な対応であった。
「優秀な奴らなんだよ。憎めない連中なんだ」
苦笑するヒューズに、キオも頷く。
だからこそ彼は、同胞たちを救いたかったのだろう。
刃を向けられ、矢や魔法で打たれてなお、命がけで心を尽くした。
だからこそ、それが分かっているからこそ、冒険者たちもその優しさに応えたのだ。
「なんだかいいね、そういうの」
「うん?」
「仲間、っていうのかな。家族や友人とも少し違う、くすぐったい関係だね。少し羨ましいかも」
――自分には、そういう存在は居なかったから。
言外にそう告げて、キオは笑う。戦友なんてモノは、ついぞ自分には得られなかった。
永い長い闘いの中でも、肩を並べるような相手は出来なかったのだ。
だからこそ、そんな関係を築けたヒューズの事が、キオは心底から誇らしかった。
「キオ、俺は――」
「ヒューズ、コレットっ!!」
瞬間、天を破るかというほどの大音声が響き渡る。
驚きつんのめったヒューズが、慌ててコレットをしょい直す。
「ぶ、無事だったんだねっ! 良かった、良かったよぉぉぉぉ!!」
ふくよかなお腹を弾ませながら、恐ろしく俊敏な動作で女将が飛びついてくる。
「おお、女将さんっ! うっぷっ!?」
「コレットは生きてるんだね? そうなんだねっ!?」
「い、生きてる……生きてるから、離してくれよ! せっかく帰って来たのに死んじまうっつうの!」
女将のお腹と胸に顔を挟まれ、その重圧の中でヒューズがもがく。
完全に首の重心を捉えて極めている。あれでは動けまい。実に見事な固め技であった。
「か、感心してないで、たす、たすけてくれ……!」
「おっと、ごめん」
ついつい、見惚れてしまった。キオはのんびり声で、女将に声を掛ける。
「うおおお……夢に見そう……」
なんとか熱き抱擁から解き放たれ、ヒューズが呻く。
「ごめんよ、つい……嬉しくてねえ」
「いや、いいんだけどさ。気持ちは有り難いし」
と、そこで。ヒューズは周囲を見回した。
「そういえば、ジュールは――」
「お姉ちゃんっ!!」
二度目の大音響。今度のそれはしかし、声変わりをしていない少年のものだ。
「お、お姉ちゃん……! お姉ちゃん……!」
「ジュール君、走ったら危ないよ」
キオの制止も届かず、ジュールは泣きわめきながら駆け寄ってくる。
「ヒューズ……お、お姉ちゃんはっ!」
「大丈夫だ、寝ているだけさ」
「本当に、本当に大丈夫だったんだ……! ああ、ああああ……っ!」
安堵に泣き崩れるジュールの、その背を細い指先が撫で上げる。
「……ジェニー」
「お疲れ様」
空色の髪をなびかせ、少女は微かに息を吐く。
その顔には、確かな渋面が浮かんでいる。メイ魚の胆嚢を呑み込んでしまった、あの時を彷彿とさせる苦々しさだ。
その理由は考えるまでもなく、キオの格好にあるのは間違いない。肉体に傷は無かったとはいえ、あちこちが焼け焦げて破れ、ボロボロだ。元の服装がもう見る影も無い。
「……ヒューズ」
「お、おう」
「覚悟なさい。あなたのお財布を風よりも軽くしてあげるから」
「お、おう……おおう……」
恐ろしさに慄くヒューズを横目に、キオはくすりと笑う。
思念を読まなくても分かる。彼女もまた、号泣するジュールや女将のように、心からホッとしている。
ヒューズが、昔馴染みが無事に帰って来てくれたことが、本当に嬉しいのだろう。
「……むう」
その生暖かい眼差しに気付いたか、ジェニーが顔を赤くしてそっぽを向いた。
相変わらず、自分の幼馴染は可愛い――可愛すぎる。彼女の新たな魅力を発見し、キオは頷きが止まらない。ついでに画像保存も止められない。
「おーい、おぉぉぉぉい!!」
そうして記録ファイルを新たに拵えている最中、更に更にと声が唱和する。
「あいつ等……」
今度の声の主は冒険者たちだ。神官や協会員たちを大勢と引き連れ、こちらに向かって駆け出してくる。
大騒ぎも大騒ぎ。これは収拾がつくのだろうか。
(それでもまあ、いいか。終わりよければ全て良し、ってね)
失われた命は在る。取り戻せないものもある。秘められた謎もまだ残っている。
けど、それでも。こうして、大切な誰かの無事を泣いて喜び合えるなら、それに越した事は無い。
「ね、キオ」
「ん?」
呼び声に応えて振り向くと、ジェニーが頬を緩めた。
「――おかえりなさい」
夕日のもたらす、光と影。うつろう煌めきにジェニーの素顔が照らされる。
朱色に染まった髪は鮮やかに輝き、その眼差しは柔らかな光を宿す。
それはあまりにも綺麗で、言葉に出来ないほどに美しくて。
「――うん、ただいま」
その微笑みを見れた事こそが、何よりも素晴らしいご褒美だと――キオは、心からそう思うのだった。




