第37話 終焉の巨人
――『巨人』は困惑をしていた。
紅蓮が舞い踊り、深紅の光が宙を焼く。
押し寄せる炎は津波と化して、迫る、迫る、迫る!
巨大極まる焔の脅威に対し、『それ』の姿はあまりにも儚く、矮小だ。
何故、こんなちっぽけな存在を焼き尽くす事が出来ないのか。
あり得なかった、こんな事はかつて経験した事が無い。
万物すべて、あらゆるものが巨人の前に屈したのだ。
たとえ神々でさえも抗えなかった炎。遥か遠き太古においても、その焔に心身を蝕まれぬ者は皆無であったのに。
――だというのに、何故だ?
巨人からすれば、豆粒に等しい『それ』は人間と呼ばれる、ヒトの模倣品。その筈だ。
脆弱な肉体と魂。巨人の熱に踊らされ、贄となり糧となる、単なる燃料。その筈――なのに。
――これも、弾くか。これも、通じぬか!
炎の波は、『それ』の眼前で分断され、二つに割れて消え失せる。
いつの間にか『それ』の片手に、これまた小さな武器が握られていた。
柄も刃も短い、小刀。だが、そんなちっぽけなものに、巨人の火焔は断ち切られたのだ。
――ヌウッ!
『それ』の手が閃き、斬撃が飛ぶ。
数百、数千、数万――数えきれない程の不可視の刃が迫り来る。
それは振動を伴い、空間を引き裂く波となりて、巨人の元へと降り注ぐ!
「コオオオオオオオ――」
吐息が燃える、炎と燃える。
やがて生じる焔の竜巻は、振動波と激突して大爆発を引き起こす。
舞い起こる焦熱、空間そのものを吹き飛ばすほどの衝撃。それが瞬く間に周囲へ満ちてゆく。
――ふん、これでも焼け焦げひとつせぬか。
さしもの巨人すら身じろぎするほどの爆風を、しかし『それ』は涼し気に受け流す。
その衣服は焦げ跡すらなく、煙のひとつも立ち昇っていない。
『それ』の向こうに見える、二つの『豆粒』も同様だ。いかなる術を使ったか、あちらも焼け焦げる様子すら無いようである。
一進一退。全くの互角に見える攻防。
それが、巨人には腹立たしかった。
矮小極まりない人間などと、競り合う事が恥ではある。
だが、それだけではない。
――なんだ、なんなのだ。この奇怪な衝動は。
実力は伯仲。どちらも一歩も退かぬ死闘。
そう、一見すればそう思える。思えてしまうのだ。
――こやつ、底が知れぬ!
不気味だ。不可解だ。こんな『敵』とは、相まみえた事が無い。
遥か太古の神話の時代。幾多の神や龍とも矛を交え、容易く焼き滅ぼしてきた。
だが、これほどまでに手応えの無い相手は――
――おのれ。あと、今少しというところで。とんだ邪魔が入ったものだ!
神代の昔、世界を巨人が焼き尽くしたあの日。
轟々と燃える終焉の中、役目を果たして力を消耗し尽くしたその時に、自身は封じられてしまった。
ヒトを含めたあらゆる存在。世界が燃え尽きたことで、理性を取り戻した連中の手で、巨人は地の底深くに沈められてしまったのだ。
その封印は強固であった。
巨人の炎を逆用することで領域を固定して狭め、更に力を消耗させてゆく。見事な芸当だ。よくぞ考え付いたものである。
更にそれでは足りんとばかりに、術式を組み合わせ、彼らは『領域』のうえに建造物を打ち立てた。
巨人の力を汲み上げ、永続的に積みあがってゆく無限の迷宮。侵入者が現れることですら織り込み済みであった。
迷宮内を変動させ、魔素を高めて魔物を造り、それと闘わせることで次々に巨人の炎を削ってゆくのだ。
万が一の時に備え、氷結の魔導具や『花』も仕込んでおく。何もかもが抜け目なく、完璧といって良い仕上がりだった――
「――だから、それを逆に利用したんですね」
「……っ!?」
目の前の『人間』が呟く。
巨人からすれば豆粒以下の矮小な生命体。なのに何故か、その声は思念の波と変じて朗々と響いた。
「僅かな歪み、システム的な穴を突いて能力を伝播させた。優れた冒険者たちが迷宮に挑み、その力を尽くすたびに漏れ出る『熱』を循環させて取り込んだ。恐らくは力も全盛期に近いところまで取り戻していたのでは?」
――なんだ、こいつはなんなのだ。
巨人の困惑は更に増す。何故、口に出してもいない言葉を、正確に読み取って――
「そうして少しずつ、少しずつ……封印を破ろうとした。力を消費させていると見せかけ、迷宮にも手を加えた。今回のように、彼らを誘い込むような変動を起こしたのも、一度や二度じゃありませんね。更に条件に合った人間に炎の種子を植え付けた事もあった、と」
「……!」
「けれど、分からないのはただ一つ。あなたが解放されるまでには、まだまだ長い歳月が必要だった。なのにこうして今、封印は破れようとしています」
『人間』が顔を上げる。
小さな、ごく小さな眼差し。取るに足らない矮小な視線がしかし、巨人の魂を鋭く射抜く。
――こいつは、敵だ。恐るべき敵だ!
「……それはどうしてなのか。あなたの覚醒を早めた『それ』が何なのか。どうやら、あなた自身も知らないようですね」
その事は確かに不審であった。巨人の目算でも、まだまだ外に出るには時間が掛かると見ていたのに。
――だが、そんな事はどうでも良い。何者の目論見がそこに在ろうとも、我はただ燃やすのみ。ただ――焼き尽くすのみ!
全身を戦慄かせ、極限の集中を持って巨人は『それ』を睨みつけた。
――ならぬ、出し惜しみはならぬ! この『人間』を侮っては、ならぬ!!
「……!」
瞬間、ひときわ煌めく焔が立ち上がる。
予兆も無く、起こりも無い。ゆえに絶対に防げない。
それは単なる炎ではない。
過去を炙り、現在を焼き、未来を燃やし尽くす。
まさしく因果焼滅の輝きだ。
あらゆる時代、あらゆる空間、あらゆる場所に在る事を許さず。
定めも、運命も。その存在そのものすらも無へと焼き払う。
耐えられる者はいない。
いかなる生命であろうとも、例え神でもあり得ない――筈、であった。
「――なるほど」
赤々と燃え盛るヴェールの向こうから、その呟きが漏れた。
「やはり、これはそうだったのか。概念消滅――この場合は焼滅かな。この世界にも使い手が居たとは驚いた」
「ガ……ア……?」
聞こえる、炎の中から声が聞こえる。
窮極と燃える焔の中から、声が響く!
「炎を用いて空間と存在への干渉度を変節させる……そうか、こんなアプローチもあったのか」
淡々とした、抑揚の無い口調。およそ感情というものが抜け落ちたかのような声。
そうして静かに、一歩が踏み出される。炎の中から『それ』が現れる。
衣服はあちこちが焼け焦げて破れ、煙が立ち昇る。それは待ちに待った光景だというのに、巨人は唖然として震え出した。
――こ、やつ……!?
あの炎に晒されて、何故。何故だ!? どうして――
――その肌に、焼けた痕がただの一つも無いのだ!?
慄く惑いはやがて、生まれて初めての『恐怖』へとすり替わる。
「終焉の巨人――確かに、その名に相応しい能力ですね」
なんだ、こいつはなんだ。この『人間』は、なんなのだ!?
「あなたは強い」
その呟きと共に、虚空へ拳が突き出される。
無造作に、ひょいと繰り出された一撃。
しかし、それは見る間に光と化して膨れ上がり――
「――ガアッ!?」
巨大な、あまりにも巨大な拳圧となり、巨人の体へ着弾する。
衝撃、衝撃、衝撃!
視界が回転する。体が横転する。
かつて味わった事の無い屈辱に、その混乱は極みへと達した。
「グ……オ……!」
――あり得ない、こんな事はあり得ない!!
巨人の身を覆っているのは、単なる炎ではない。
魂の根源から溢れ出る絶対的な防御壁。ありとあらゆる攻撃、呪詛や神の奇跡すらも触れる傍から焼き尽くす。
神代の時代に封じられた時も、それを逆用されただけで、ついぞ破られる事は無かった。
――なのに、それなのに!
全身が震える。体が炎の海へと横たわる。四肢がひび割れ、肌が崩れてゆく。
たったの一撃で、この身が崩壊する寸前にまで追い込まれている!
「オオオオオオオオオオオオ!!」
吠える、吠える、吠える!
旧き世界を焼き尽くした者として、終焉の担い手として。
――これの存在は看過できぬ。認めることは出来ぬ。ここに在る事を許さぬ!
強靭な意志と魂が命ずる元に、巨人は力を振り絞って立ち上がる。
――まだだ。まだ滅びぬ! 我を舐めるな、人間ッ!
この世に炎が失せることなどあり得ない。そしてそれが在る限り、巨人は何度でも蘇る。
人間の、生きとし生けるすべての心に『熱』が灯る限り、何度でも!
久遠にして不滅。それが終焉と呼ばれた巨人の本領なのだ。
「オオオオオオオオオオオオ!!」
振り上げた手の中に、極大の火炎が収束して槌と化す。
これぞ大地を砕き、大陸を沈め、世界を崩壊へと導いた焔の一撃!
空間さえも焼き尽くしながら迫る炎に対し、『それ』の体躯はあまりに儚く小さい。
何百、何千、何万倍もの質量差。誰が見ても明らかになる結末。滅びの時は、ついに来た。
目前へと唸る破滅に向かい、『それ』はひょいっと片手を持ち上げて――
その槌を、握りつぶした。
「―――――っ!?」
そうとしか、形容が出来なかった。槌はひしゃげてすり潰され、見るも無残に砕けてゆく。
火の粉が塵となって舞い散る中、巨体がゆっくりと前のめりに沈み込む。
驚愕と恐怖。未知の衝動に心身を撃ち抜かれた巨人は、傅くように体を折る。
動かない、四肢も炎も何もかもが動けない。動くことが叶わない。
その動揺は、ほんの一瞬。時間にして一秒にも満たない刹那の空白。
しかし、その間隙を『それ』は見逃さなかった。
『それ』が拳を後方へと引き絞る。
悪夢めいた緩慢な仕草。周囲の全てがひどくゆっくりと動いて見える。
やがてそこへ、炎に包まれた上半身が吸い込まれてゆき――
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
瞬間、巨人の体は遥か上方に在った。
――なんだ、なんなのだ!? なにが起こったというのだ!?
必死に『眼』を凝らす。周囲の炎を視界と繋げ、そうして巨人は『視た』
『それ』が、拳を突き上げている。天へと呼応するかのように、その手は高々と掲げられていた。
――まさか、まさかまさかまさかッ!?
何度目かの『あり得ない』を巨人は知る。吹き飛ばされたのだ。打ち上げられてしまったのだ。
先ほどのように拳圧を膨れ上がらせたわけではない。
あのか細くちっぽけな腕で、豆粒以下の存在が、その拳で!
四肢の崩壊が加速する。けれど、まだ決定打には程遠い。永遠の灯を消すことは叶わない!
すぐさまに周囲の炎が纏い、補い、復元してゆく。
『それ』も無限に力を振るえるわけではあるまい。必ず底は尽きる。ならば、最後に勝つのは巨人である。
そうだ。この世界に灼熱と燃ゆる火が輝く限り、この身は不死不滅――
「――では、それが無い場所へ」
再び、淡々とした声が響く。
――なに?
揺らぐ視界の中で、指先を『それ』がこちらへ向けて突き付けていた。
なんの圧もなく、なんの力も込められてない。
けれど、何故か。巨人はそれが――もはやこの世に居ないはずの、死神の鎌に見えた。
――ま、さか!?
ゾッとするほどの『冷たさ』が炎の巨人の思考を凍てつかせる。
間を置かずに晒された二度の再生。それに手間を掛けさせられ、しかも空中に在っては身動きが取れない。纏う炎は勢いを失い、因果焼却を振るう事すら叶わない!
――こんな、こんな馬鹿な……!
何をされるかは分からない、何をするのかも分からない。
けれど、それが己にとって決定的な絶望であると、巨人は理解していた。
――いつから、いつからこやつはッ! この場面を……この、瞬間をッ!
冷徹に、冷静に。誘導されていた。計算されていた。
恐らくは、巨人と『それ』が対峙した時から、もう既に。
この局面は、そうだ。最初から描かれて――
「――装備、選択」
その呟きと共に、詰みの宣言が放たれる。
「Black Hole Lancer」
巨大な闇が圧縮し、ひと振りの槍と為って巨人へ迫る。
恐ろしい、おぞましい漆黒。あれはダメだ、あれを受けてはダメだと本能が叫ぶ。
持てる限りの全ての力と炎を尽くし、それを防がんと試みるも――
――な、にっ?
焼く事も出来ない、逸らす事も出来ない。
ただ、吸い込まれてゆく。
光も炎も何もかも、そうして巨人の体そのものも、闇の中へと消えてゆく。
――オ、オオオオオオ!?
声すら出ない、何も出ない。
圧倒的な重圧に圧し潰されて、魂そのものが圧縮される。
光も無く、炎も無い。恐るべき虚無の世界へと誘われてゆく――
――これ、は。
巨人は悟る。最早逃れられぬとそれを悟る。
絶望と後悔の中で、しかし奇妙な安堵があった。
――そうか、これが……
遥か太古から、今に至るまで。誰も巨人に与えられなかった。与える事が叶わなかった。
滅びを導き、万物すべてを焼き尽くす。たとえ死の神でさえも施す事は不可能だった、それは。
――終焉、か。
その最期に微かな笑みを残して。
巨人の意識は、魂は、その炎は――暗黒の空間に消え失せた。




