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最終兵器 村人A  作者: 間孝史
第2章 迷宮都市と終焉の巨人
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第34話 燃える都



 迷宮都市は、かつてない混乱の中にあった。

 阿鼻叫喚の悲鳴が轟き、我先にと人々が逃げ惑う。


 押し合いへし合い、ひたすら走る。

 倒れた人間を踏みつけ蹴り飛ばし、それでも誰も気にも留めない。


 異常極まりないその光景。この世の地獄めいたその中で、巨大な炎の柱が立ち昇っていた。


「あ、ああああ……っ!」


 ジュールも、それを視た。

 色彩が失われ、人の顔すら認識できない呪われた眼。それでもハッキリと分かったのだ。


 あれは、間違いない。迷宮の方角だ。

 姉たちの帰りを待ちわびる時、少年はいつもそれを見つめていた。だから、間違えるはずなんて無い。


「ね、姉さん……っ!」

「どこへ行くんだい、ジュール!!」

「離してくださいっ! あれは、あれは……っ!」


 人混みの中に飛び出そうとして、しかし体を押さえられてしまう。

 足掻こうとしても駄目だ。すごい力で離してくれない。

 声の主――宿の女将は、もがくジュールを必死に押さえつけてくる。


「き、聞こえます! 聞こえてるんですよ! 迷宮が、迷宮が炎に包まれたって!!」


 飛び交う声、声、声! 

 それらをジュールは正確に聞き分け、だからこそ知りたくも無いモノを知ってしまう。


「ぼ、冒険者たちが誰も帰って来ないって……! ヒューズが、姉さんがっ!」

「だからって、アンタが行ってどうなるんだい! 早く逃げるんだよ!」


 逃げ惑う人々の表情はジュールには見えない、分からない。

 けれど常に無い『熱』がそこに籠っているように思えた。

 蒸気のようなモヤが、誰も彼もから立ち昇り、伝播するように広がってゆく。


「なんで、なんで……今日なんだよ……」


 姉の姿はここに無い。迷宮に潜ってしまったのだ。相棒である、ヒューズと一緒に!


『今回は、帰るのが少し遅くなるかもしれないわ』


 迷宮へと旅立つ前、姉はそう言ってジュールの頭を撫でてくれた。

 珍しく急くような様子の彼女。その仕草に少年は不吉な予感を覚えてしまった。


 だって、ジュールは聞いてしまったのだ。

 冒険者たちが嬉々として騒ぐ声を。『シリウスの結晶花が見つかった』というその声を。

 恐らくは、姉たちもそれを見つけるために――


『大丈夫、無理はしないわ。だから宿で待っていてね』


 必死に引き留めるジュールに微笑みを残し、そうして姉たちは迷宮へと消えていった。


「いつも、いつもそうだっ! いつもぼくの為に、姉さんはっ!!」

「ジュール、おやめ!!」


 跪き、地面を叩く。拳が破れて血が滲むが、そんな痛みなどまるで気にならなかった。


 ――ジュールは知っていた。この都市に流れ着く前、あの村で姉がどれほどに苦しんでいたのかを。

 

 決して弟には悟らせまいと、無理に明るく振る舞っていたが、分からないはずが無い。

 生まれた時からずっと一緒に居た、優しい姉。ジュールが寂しい時、悲しい時。彼女はいつも傍に寄って抱きしめてくれた。


 その声が段々と悲痛さを帯び、足が不自然にふらつくようになった。

 表情は見えない。それでも彼女が、日に日にやせ衰えていくのだけは分かったのだ。


 だから、あの日。ジュールは姉の手を取って逃げた。

 あの気持ち悪い声の男。アイツが居ない時を見計らい、全てを捨てて逃げたのだ。


 この都市に来て、姉は変わった。

 かけがえの無い相棒と出会い、恋を知り、そうして見違えるほどに輝きだした。


 ――けれど、ジュールは知っていたのだ。


 あの日、あの時、あの夜に。

 姉がジュールの枕元に立ち、こちらをじっと見つめていたことを。



『――この子さえ、居なければ』



 その一言を、彼女が呟いた事を。


 恨みは無い、怒りも無い。当たり前だ。

 姉は身を粉にしてどれだけ尽くしてくれたか、他ならぬジュール自身が良く理解している。


 だから、本当はあの時。躊躇わずに姿を消すべきだったのだ。彼女の前から、いなくなってしまうべきだったのに。


 けれど、今よりも更に幼い子供だったジュールは、姉の優しさにすがってしまった。

 

 ジュールが聞いていたとも知らずに、ごめんね、ごめんねと涙を流しながら謝ってくれた姉。

 抱きしめてくれたその柔らかな温もりを、どうしても手放せなかった。


 それは、この迷宮都市に居を構えてからも変わらない。

 もう少し、もう少しだけ。立ち去るのはいつでも出来るから。だから、もう少しだけこのまま居たい。

 姉とヒューズに宿屋の夫婦、皆とあとほんの少しだけでいいから、笑っていたい。


 その結果がこれだ。

決断を先延ばしにした結末がこれだ!


「ぜんぶ、ぜんぶ……ぼくのせいだっ!」


 思考が過熱する。頭が沸騰するように、熱く熱く燃え盛ってゆく。

 心の臓が激しく脈打ち始め、そこからも灼熱の焔が吹き上がってくる。


「なんで、なんで……っ! なんでぼくの為にいつも、姉さんが……お姉ちゃんが……っ!」


 なのに、ジュールは何も出来ない。姉に迷惑を掛けるばかりの薄汚れた、呪われた子供!


(ああ、そうだよ。ぼくなんていっそ、この世に生まれてこなければ良かったんだ)


 責任を取らなきゃいけない。

そうだ、早くこの身を投げ捨てて――



「――そんな事は、思っちゃ駄目だよ」



 声が聞こえたのは、その時だった。


「え……?」


 ジュールのすぐそばに、誰かが立っている。

 いつの間に、そこに居たのだろう。まるで気が付かなかった。


「ジュール君にもしもの事があったら、お姉さんがここに帰って来た時に悲しむんじゃないかな」

「キオ、さん……?」


 ああ、そうだ。この声はそうだ。

 高くも無ければ低くも無い。これと言って特徴も無い。

 なのに、どうしてか。とても落ち着き心が安らぐ声。


「で、でも……! お姉ちゃんは……っ!」

「二人ともまだ生きてるよ。だから、君はここで待っていてくれるかい」

「え……?」


 のんびりとした口調で、しかし彼は断言する。

 

「大丈夫だよ、ジュール君。すぐに戻ってくるから心配しないで」

「え、えっ!?」


 戸惑うジュールの前に、キオはしゃがみ込む。そうして、その頭に手を置いた。

 心を温めるような安らぎが、指先から伝わる。ささくれ立った心が、燃え上がるような自責の炎が、静かに消えてゆく。

 

「……ジェニー」

「ん、いってらっしゃいキオ。ヒューズとコレットさんをお願いね」

「うん、いってきます」


 その一言を告げて、キオがジュールに背を向け――そうして、その姿が消え失せた。

 

「――あ?」


 居ない、どこにも居ない。

 今さっきまで、確かにそこへ立っていたのに。

 色褪せた視界、顔無き顔が溢れる世界に、キオの姿が見当たらない。

 

 何の痕跡も無く、足音一つ残さずに。彼は風のようにその場を去っていった。


「あ、あの子は……どこに?」


 女将の呆然とした声が聞こえる。彼女の、常人の目でも捉えられなかったのだ。

 ならば幻でも、夢でもない。じゃあ、彼はいったい何処へと消えたのか。

 ジュールの混乱はしかし、その背を撫でる指先に霧消した。

 

「あのね、キオは嘘が付けないの」

「ジェニーさん……?」


 彼女もまた、いつの間にか傍に居た。ヒューズの昔馴染みだという、食べる事が大好きなお姉さん。

 その彼女は、ジュールの背中を労わるように優しく撫でてくれる。

 

 ――何故だろう? その手のひらから伝わる温もりに、ジュールは遠い昔に亡くした母の笑顔を思い出す。

 

「だから、彼が大丈夫と言ったら大丈夫なのよ」


 ジェニーが告げる。確信を込めてそう告げる。

 

()()()


 振り向いたその顔には、やはり表情が見えない。目も口も良く分からない。呪いは消えず、今もそこに在る。

 なのに、ジュールはその時。ジェニーがそれを見ていることに気が付いた。

 眼差しが向いた方向にあるのはトロンの迷宮。不可解な炎が立ち昇る、惨劇の舞台。

 

「……っ!」


 知らず、ジュールは目をつむって祈りの言葉を紡いでいた。

 家族や自身が信じる、運命の神に――ではない。

 脳裏に浮かぶのは、あの背中。どこにでも在るような、なんの変哲も無いその姿。

 

(……キオさん)


 理由は無い。根拠もない。単なる村人だという彼に、何が出来るかさえも分からない。

 けれど、それでも。

 

 

『――大丈夫だよ、ジュール君』



 その言葉を信じてみたいと、ジュールはそう思ったのだ。

 

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