第32話 その槍に誓いを込めて
流された血しぶきが草花を濡らし、死屍累々の惨劇が周囲に広がっている。
そうして静まり返ったはずの地底湖に、今また刃と刃が打ち合う激突音が響く。
「そら、そらっ! どうしたどうしたぁ!! デカい口を叩いたんだろぉ! もっと根性を見せろや!」
「……っ!」
コレットの目の前で、ネストが斧を疾風の如く振るい、四方八方から打ち付けてゆく。
対するヒューズは、防戦一方だ。槍を駆使して何とか捌いてはいるものの、その動きは明らかに鈍い。
この二年、ずっと傍で彼を見ていたコレットには分かる。あれは敵を油断させるためでも、なんでもない。
――疲労が、技のキレを衰えさせている!
それをネストは、ハッキリと見抜いているのだろう。戦斧を息もつかせず振るい続け、ヒューズに休ませる間すら与えてくれない。
「――ぐっ!」
「ヒューズ……っ!」
「来るな、大丈夫だ……!」
ついに受け止めきれず、ヒューズの体が跳ね飛ばされる。
二の腕から血が迸るのを見て、コレットはいてもたってもいられずに駆け寄ろうとするも、他ならぬ彼の声で制止されてしまう。
「これくらい、なんでもねえさ……!」
その言葉が吐き出されると共に、氷の魔力が傷口に纏い、血を塞いでゆく。
だが、失血は戻らない。確実に体力は消耗しているはずだった。
「器用な真似をするじゃねえか――よっ!」
「うぐっ!」
加速。ゆらりと体が揺れたかと思った次の瞬間、ネストの姿はヒューズの目の前に在った。
巨体に似合わぬ、鍛え上げられた俊敏性。悔しいが、例えコレット等が万全の状態であったとしても、状況はさほど変わらなかったはずだ。あの男の実力は自分達よりも確実に上であろう。
そして、なによりも恐ろしいのはその、悪魔めいた知性だ。そう、コレットがネストと初めて出会った時もそうだった。
「思い出すなあ、コレット! お前はあの日、全身が腐り落ちそうになった弟を抱えて、泣いてたっけなあ!」
そんなこちらの思考を読み取ったかのように、ネストが嗤う。
「俺が助けてやったんだぜえ? 感謝しなよ、おぼっちゃん! そうしなければ、あのガキは苦しみの中で死んでたよなあ!」
「う、ぐ……! なん、だと……!?」
嵐のごとき連撃を防ぎながら、ヒューズが声を上げる。
そんな彼に対し、嘲笑の表情は変えぬままネストは斧を楽しそうに振り下ろす。
「何かに使えると思って、取っておいたんだよ。シリウスの結晶花――その花弁の一枚をなっ!」
「おま、えが……!?」
「ああ、そうだ。薄汚れて、今にも砕けそうだったが……あのガキの命を取り留めさせるぐらいは出来たのさ」
更なる一撃が押し込まれる。
重く、強い。ヒューズは槍の柄を両手で握って凌ぎ切るも、片膝を付いてしまう。
「そこでな、俺は取引を持ち込んだんだよ。可哀そうな神官様に、お布施の意味も込めてな」
「とり、ひき……」
「なあに、簡単なことだ。コレットが流れ着いた村は、ロクな娯楽も無くてなあ。あるといえば、旅人目当てに女を融通する宿くらいなもんだ」
その言葉に、コレットの体が震えだす。
言うつもりだ。あの男は自分の過去を――!
だが、止められない。余計な声も挟めない。今、ヒューズの集中を切らすことは出来ない!
泣きそうになるコレットの視界の向こうでは、愛する青年が歯を食いしばり、死から逃れようと抗い続けている。
「安心しな、体を売らせたわけじゃあねえよ。もっと有意義な使い方があるからなあ。特に、神官様にとってはな!」
「……ぐうっ!」
「あそこは、粗悪な手法が未だにまかり通っててな? 子を孕んじまう娼婦共が後を絶たなかった。そうなりゃ、宿としても大損だわな? 処置を失敗すりゃあ死んじまう事だってある」
目と鼻の先まで斧を押し込み、見つめ合うようにしてネストが嗤う。
「だからなあ、俺は格安で請け負ってやったんだよ。はした金でも、積もればそれなりになるしな。皆、泣いて喜んでいたぜ?」
「て、めえ……!?」
「ああ、そうだ。俺は約束を守る男だ。可愛い弟の命を救う代わりに、慈善事業に奉仕してもらったのさ」
コレットの目の前が暗くなる。きいんと耳鳴りがして、吐き気が止まらない。
『あたしの赤ちゃん、いなくなっちゃった……』
暗闇の向こうから、赤子の泣き声と伸ばされた小さな指先が見えてくるようで――
「神術ってえのは便利だよなあ? 癒しの方法としてこれ以上の物はねえ。アイツはお前みたいに手先も器用だったし、言う事はなかったなあ」
「まさ、か……まさか、お前は……」
ヒューズがハッキリと顔色を変える。
『俺、母ちゃんってものを知らねえんだ。生まれる時に死んじまったからさ』
いつだったか、彼がそう言ってはにかんだのを思い出す。
両親を失ったコレットを気遣ってか、それ以上に言葉を重ねはしなかったが、彼の表情にはそれが見て取れた。母性への憧れと、それに焦がれる感情。
――彼はきっと、自分だけの家族が欲しいんだ。
だから、コレットはヒューズからの告白に待ったを掛けた。
そう、何故なら。何故なら自分は――!
「どれくらい、使ったかねえ? 付近の村へも出張したからなあ。結構な儲けになったぜ? 極めて優秀な助手だったとも。ちと留守にしたときに、逃げられちまったのは悲しかったなあ」
「運命神に仕える、神官に……! 他者の運命を……産まれる前の子どもをっ!!」
「そうさ」
ネストが嗤う。嗤う、嗤う、嗤う。
「なにせ、コレットは特別だ。今までも何人か使ったが、皆途中でダメになっちまった。精神的にもそうだが、声が聞こえなくなっちまうからなあ?」
「お、まえ……おまえ……」
「いつまで経っても、カミサマの声を聞き続けられる便利な道具。いやあ、大した神官様だぜ、お前の相棒とやらはなあ?」
「お前ええええええええええええっ!!」
ヒューズの瞳に、炎が宿る。その体から、赤き焔が立ち昇ったようにコレットには思えた。
一気呵成に槍を跳ね上げ、蹴りを打ち上げてネストの巨体を弾き飛ばす。
立ち上がったヒューズの髪は逆立ち、陽炎のように揺らめく熱気が漂い始めていた。
「ヒューズ、駄目――――!!」
先ほどの冒険者たちと同じ――いや、それ以上の狂気と怒り。
燃え上がるような執着に囚われてしまう、コレットの大好きな彼が、戻れなくなってしまう!
「へへ……そうだ、もっと怒れ。そうして、テメエが得るはずだった運命を曝け出せ」
あの男が呟く声も、今のヒューズの耳には入っていないようだった。
今さっきまでの挑発。それはきっと、この状態を起こす為なのだ。
これも全部、ネストの手のひらの上で――!
「ヒューズ……っ! 落ち着いてっ! それに吞まれちゃいけないっ!」
「ハハハ、もうお前の声も聞こえちゃいねえさ。だいぶ抵抗したみてえだが、それもここまでだ」
ネストが顎をしゃくったその先で、ヒューズが体を震わせている。
目を赤く輝かせ、歯を食いしばり。その全身から熱気に満ちた蒸気が迸っているようにさえ見えた。
氷雪の魔力を操るいつもの彼とは、まるで相反するその姿。愕然とするコレットを、更にネストが嘲笑う。
「迷宮は、その奥に在るモノはなあ……贄を欲しがってるのさ。でなくちゃあ、なんでこんな場所にお宝が溢れ続けて、人が集まる仕組みが出来ると思う?」
「そ、れは……?」
考えた事も無かった。
コレットは戸惑いながら向き合う二人の男を交互に見やる。
「きっと何百年も何千年も、それを求め続けてきたはずだ。そうして人や魔物の血肉と魂を糧にして、ここまででっかくなったんだろうさ。持ちつ持たれつってやつだ。だから俺も、ちゃーんと『捧げて』やんねえとなあ?」
「……っ!?」
こちらを射抜くような、ネストの眼差し。そこにコレットは見た。
瞳に宿る、渦巻くような焔の色。しかし、そこに在るのは赤だけではない。
黒。どす黒い暗闇の炎。それが燃え盛るように、あの目の中に輝いている。
「ヒッヒッヒッヒ……愉しいなあ? 正義ぶった野郎の未来が閉ざされてゆくのはなあ?」
知っていた、薄々と勘付いていた。あの男にとっての何よりの娯楽はアレなのだ。
他者の未来を踏みにじり、己の手で摘み取ること。
だって、あの男は。
どこか呆然と啜り泣く『彼女』たちを前に、愉しそうに笑っていたのだ。
このままでは、彼も。ヒューズもまた――
「おおおおお……!」
その隙を付いたのか。後ずさるようにして距離を取ったヒューズが、槍を回転させながら魔力を絞る。
コレットも、何度となく見た動作。
乾坤一擲の一撃が放たれる。だが、きっとそれすらもあの男の手のひらの上なのだ。
ネストが誘い込むかのように、斧をサッと背中に回す。
――ダメだ、ダメだダメだ! どうする、どうすればいい!?
このままでは、ヒューズが死ぬ。コレットのせいで、その運命が閉じてしまう!
焦りだけが募るも、どうしようもない。今の疲弊しきった体では、走ることさえも覚束ない。
「神さま……っ!」
だからそれは、無意識の行為だった。
本能的な何かが、コレットの運命を動かした。
手のひらに握りしめていた、お守り。ヒューズが握らせてくれた小さな布袋。
いつも彼が大切に、何よりも大事に持ち歩いていたそれを、コレットは力の限りに放り投げる。
それが宙に舞い、ヒューズの眼前へと揺れ落ちた瞬間。
「ヒューズぅぅぅぅぅぅぅ!」
コレットの叫びを皮切りに、氷の魔力が解き放たれる。
地面が凍結し、ネストめがけて一直線に広がってゆき――その上を駆け抜けるように、矢の如くヒューズが飛び出した!
「いいねえ、その殺意と熱気! やっぱテメエはここで死ねっ!」
全てが、ゆっくりと。ひどくゆっくりとコレットの目に映る。
突き出された必殺の一撃、それは身を半回転させたネストの背を掠ることも出来ずに通過。
逆に勢いを増した斧の白刃が、愛しい青年の首筋に吸い込まれ――
「いやあああああああああああああ!!」
泣き叫ぶ、届かないと知ってなおも手を伸ばす。
しかし、間に合わない。何もかもが、もう遅い!
後悔と絶望で暗く染まりゆく視界の中で。彼の、ヒューズの体が二つに――
「――えっ!?」
二つに、分身した。
お守りが舞い落ちた瞬間、ヒューズの脳裏に声が響く。
『――もしも君が怒りに心を乱されたら、同じことになるよ』
あの、月夜の稽古が思い浮かぶ。それが、ヒューズの精神をギリギリの所で引き戻したのだ。
前を見る、敵を見る、あの男を見る。
片手に握った斧を、サッと背に隠す。あの動作は既に見たやつだ、事前に見せてもらったやつだ。
(……ハハっ)
キオは、ヒューズの兄貴分は。本当にお節介で世話焼きで、何処までも規格外であった。
ここまでお膳立てをされて、同じ過ちをしでかすようでは、本当にどうしようもない。
魔力は既に練られて発動しようとしている。
今更解除は出来ない、そんな余力は無い。
だったら、すべきことは。為すべき技は、ひとつであった。
『――ああ、そうだね。僕を作る元になったロボット。それにはどうやら、更にその前身となる存在が居たようでね。先代機ってやつかな』
加速する視界。それに半比例して、ひどくゆっくりと揺らめく思考。
その中で、懐かしい記憶が浮かび上がる。
『その『彼』に備わっていた武器を一応、僕も装備しているんだけどね。これがまた、使いどころに悩むんだよ。だってこれは対機械用でさ。『奴等』相手にはあまり役には立たなかったなあ』
言っている意味は、幼いヒューズには――いや、今の自分にもまるで分からない、理解が出来ない。
『先端部位から特殊な電波を流して、相手のセンサーを狂わせるんだ。それで『二つに分かれた』と電子頭脳を誤認させ――まあ、隙を狙って攻撃するわけだ。僕のコレは、その仕組みを対生物用に応用したものだね」
木の枝を剣や斧、槍へと自在に変化させ、彼は微笑んだ。
『その『彼』もどうやら僕と一緒で、一対多数を相手にするために作られたみたいなんだけど』
記憶の中のキオは笑う。寂しそうに笑う。
『補給もなにもなくとも、長時間に渡って最大稼働出来るような設計だったらしいんだ。いったい、どういう状況だったんだろうねえ。しかも想定する敵はおそらく『彼』と同じロボットたちだ。もしかしたらその『彼』は同胞を破壊するために――殺すためだけに作られたのかな。『彼』を助けてくれる人間は、居なかったのかなあ」
やめてくれ、そんな風に笑わないでくれ。
その時のヒューズはわけもなく悲しくなって、泣いてしまったのを思い出す。
「オオ……」
あの時、怖いお話を聞かせてゴメンと、彼は謝ってくれた。
けれど、違う。ヒューズが怖かったのはそうじゃない。その話の『彼』とやらじゃない。
「オオオ……」
キオが、あまりにも寂しそうだったから。大好きな彼にそんな顔をして欲しくなかったから。
あの時は、ただそれだけで。彼の寂しさの、その理由を理解していなかった。何も分かっていなかった。
「オオオオオオ……!」
弾かれたように飛び出す体、いつも放つ必殺の一撃の動作。
しかし常とは違う。歩法が違う。槍に込めた魔力の操作が違う!
かつて『それ』を目指し、諦めて妥協した技。
一直線に愚直に突き進む、それもいい。性には合っている。けれど、きっとそれだけじゃあ守れない。
(――キオ)
証明する、自分が証明する。
あの優しい背中に手が届かなくても、いつか自分たちが彼を追い抜いて歩き去ってしまっても。
それでも、在るのだと。彼が生きた証は確かに――ここに、在ったのだと。
『うん? その武器の名称かい? そんなに『それ』が気になるのかな』
先代とやらから、キオの元になった『ろぼっと』とかいうもの、そしてその彼へ。継がれてきたものは、更にヒューズが引き受ける。
「オオオオオオオオオオオオッ!」
あの人の生きた証に――自分が、為るのだ!
得意げに笑った大男、しかしもう何も怖くは無い。
炎と燃える怒りは胸に、しかし氷のような冷静さを頭に宿す。
『うーんこの世界には馴染みが薄い言葉だけど、あえて訳すならそうだねえ』
ヒューズの眼前で半回転し、その勢いのままに叩き込まれる必中必殺の戦斧はしかし、無様に宙を切るのみ。
「――な、に?」
唖然とする男は見ただろう。舞い散る氷と、吹き寄せる冷気を。
ヒューズの体が鏡合わせのごとくに分身し、双方向から迫りくる瞬間を!
『その武器の名前は――』
そう、これこそが。
ヒューズが夢と描いた誓いの一撃。
「――双影連槍撃」
反転鏡像から放たれるは、左右同時に閃く回避不能の絶技。それは狙い過たず、氷の魔槍が鋼鉄の鎧を貫いた。
「ガアアッ!?」
血しぶきが舞い、巨体がどう、っと倒れる。
「ば、かな……? こ、んな技は……」
「良いだろ? ぶっつけ本番、初公開ってやつだ。てめえにはもったいねえ代物だぜ」
ネストの、憎き敵の表情は驚愕と畏怖に染まり切っている。
斧が転がり落ち、それをヒューズは足で蹴り飛ばす。遥か遠くへと消えてゆく白刃を尻目に、男を見下ろした。
「なんで、わかった……? いまのを、どうして……」
よほどに自信のある一撃だったのだろう。理解不可能というように、ネストは全身を震わせている。
「俺の師匠がな、教えてくれたのさ。お前の斧の癖や、その得意技をな」
「うそ、だ……ありえ、ねえ……! なにものなんだ、そいつは……まさ、か」
なにか、思い当たる節があったのか。ネストの目が見開かれる。
「そうか、そうなのか? あのガキ……なのか? やはり、とんだ、バケモノだった、と……?」
「違うね」
もう聞くに堪えない。ヒューズは今までのお返しも込めて、その顎を蹴り飛ばす。
そうだ、バケモノなんかじゃない。キオは、あの優しい彼は。ヒューズが憧れた『兄ちゃん』は――
「――ただの、村人さ」




