第28話 進むは破滅か、救済か
――トロンの迷宮。
それは、この世界においてもっとも深く険しい、前人未到の難関であると広く知られている。
日ごとに入れ替わる内部構造、無限に湧き出る魔物たち。
更には罠めいたものまで、あちらこちらに仕掛けられており、油断をすれば即座に死を招く。
けれども、そこから出土する採掘品の数々は地上では決して手に入らない、貴重なものばかりなのだ。
数多の命を礎に、今日も冒険者たちは迷宮へ挑む。
けれど、彼らは知らない。知る由もない。
その奥底に眠るものが何なのか。富や栄光との引き換えに、失うものが何なのか。
生じる熱気に心を揺さぶられ、次第次第に迷宮深くへと誘われていく、その不自然さに気付かない。
強い光に集う羽虫のごとく、冒険者たちは破滅に向かって飛び込んでゆく。
――『それ』が目覚めの時を迎える、その時まで。
☆ ☆ ☆
「――見えたな、九階層への入り口だ」
槍の穂先を拭いながら、ヒューズが視線で先を促す。
古ぼけた石造りの階段が、目の前でぽっかりと口を開いている。
「……ええ」
相棒の合図に、コレットもまた頷きを返す。しかし、その表情は晴れない。眉をひそませ、何かを考え込んでいるようであった。
迷宮突入前のいざこざを、まだ気にしているのかともヒューズは思ったが、どうやらそうではないようだ。
「ねえ、ヒューズ。おかしいとは思わない?」
コレットの懸念。彼女が何を言いたいのかには、心当たりがあった。
「……ああ。いやに簡単だよな。いつもよりも、ずっとあっさりと下への入り口が見つかりやがる」
「そう、そうなのよ。だっておかしいじゃない。これを見て」
コレットがガラス瓶に入った砂時計を掲げる。
この迷宮で入手した、魔導具の一種だ。どこであろうと正確に時間を図ることの出来る、優れものであった。
「四時間よ、たったの四時間。こんな短時間で迷宮第九層へ達することなんて、あり得るのかしら」
「……だな」
普通、迷宮攻略には相応の時間を要する。
数日がかりで挑むことだって珍しくはないのだ。
当たり前の話だが、寝食の確保もいるし、準備は入念にしなければならない。
ヒューズたち二人は基本、七日に一度迷宮へ潜る。そうして攻略に三日ほどをかけて、地上へと戻るのが通例であった。
前回、十階層へと達するのに要した時間は二日。
トロンの迷宮はマッピングが役に立ちづらい。昨日まであった壁が消えてなくなり、逆に道を阻んだりと変化をしてゆくからだ。
とはいえ熟練した冒険者であれば、経験からある程度の推測は経つ。
もちろん過信は禁物ではあるが、下層への出入口の目度くらいは付けられるのだ。
ヒューズたちが潜った日からそれらを推定して、可能な限りの強行軍で地下を目指す。
どちらにせよ上層部に貴重なアイテムが出土することは、まずあり得ない。
ゆえに目指すは下層部への探索。最低でも八階層から下へを目標に挑んだのだ。
一日を費やしてもそこまで辿り着けるかどうか、時間との勝負だと思っていたのだ、が――
「……戻りましょうか。なにか、嫌な予感がするわ」
コレットが不安げに周囲を見回す。
「流水も見当たらない。この先に進んで、なにかあっても即時の帰還は困難だと思うの」
「……そうだな」
迷宮の各所に備わっている、不可思議な湧き水。下に流れ落ちるのではなく、上へと跳ね続けるそれは、迷宮に挑む者にとっての貴重な命綱だ。
一定の知識と経験を備えた冒険者であれば、昇ることが出来るのだ。そうしてそこから出た先は、なんと地上である。
降ることは出来ず、一方通行。その位置を常に把握して脱出経路を確保しておくことが、迷宮探索の基本といえた。
「今なら、ごく短時間で地上に戻れるわ」
コレットが背後を振り向く。そこに魔物の気配は無く、迷宮が変動するような予兆も感じられない。
(……どうする。あの男の情報を信用したわけじゃねえ。第九層に、本当に結晶花があるとは思えない……が)
ここが決断の時だろう。
ヒューズは下層への入り口を前に、押し黙った。
こういった場合、進退の判断をするのはコレットではない。
運命神に仕える者の直感は信ずるに値するが、断言することを彼女は避ける。
もしものことがあった場合、他者の運命を閉じてしまいかねない。
ゆえに、どこのパーティーでも神官たちは、知恵役以上の役割を担おうとはしないのだ。
頭の中で得るものと失うものが釣り合うか、ヒューズは天秤にかける。
帰りを待つジュールの笑顔に、キオやジェニーのそれが重なってゆく。
千載一遇の機会であるのは、間違いはない。
だが、それでも――
迷いながらも決断を下そうとした、その時だった。
「……なんだ?」
足元から感じる、微かな振動。それはやがて巨大な鳴動へと変じてゆく。
「コレットっ!」
咄嗟に駆け寄ってきた相棒を抱き寄せ、周囲を睥睨する。
揺れは止まらない、まるで収まらない。
まるで、ヒューズの迷いを促すかのように――やがて、それは眼前での変事へと昇華する。
「壁がっ!?」
コレットの叫びに、ヒューズもまた息を呑む。
床が跳ね、それは瞬時に言葉通りの巨大な壁となって鎮座する。
後方を塞ぐように、ヒューズたちの退路を断つかのように。
「馬鹿な……」
壁を叩くも、びくともしない。相当に分厚く、破壊や除去が不可能なのは一目瞭然であった。
(こんなタイミングで迷宮の変動が起こる、だと……!?)
これではもう、選択肢は無い。前に進むしかなくなってしまった。
下層のどこかで流水を見つけ、そこから脱出するしか道は無いのだ。
「……地底湖」
コレットがぽつり、と呟く。
どうやら、彼女もまたヒューズと同じ結論に至ったらしい。
「あそこが、まだ変動せずに残っているのなら……」
「ああ、そうだな」
大規模な区画ほど、移り変わるには相応の時間を要する。出入りする通路が塞がったり、まったく別の所からの経路となるかもしれないが、可能性は高い。
そして地底湖には、滝と見紛うばかりに巨大な流水が存在する。あそこまで辿り着ければ、進むにせよ退くにせよ安心材料とはなるものだ。
(今のやつが、下層にも及んでいなければ……だけどな)
それでも、希望を無くすよりは良い。焦りと絶望は失敗を生み、容易く命を奪う。
「……行くか」
「……はい」
相棒と頷き合い、ヒューズは下層への入り口を睨みつけた。
暗闇に陰り、不気味な様相を成す地下階段。それが妙に寒々しく見える。
決して怖気づいたわけではない。だが、直感的な何かが告げるのだ。
――この先には、死の匂いが立ち込めている。
周囲を警戒しつつ、ゆっくりと足を進める。
目の前にぽっかりと開いたそれが、地獄へと誘う使者のようにさえ感じ、ヒューズはごくりと唾を呑み込むのだった。




