第24話 対峙
「――おはようコレット」
兄貴分へと溜まりにたまったうっ憤をぶつけた、その翌朝。
いつもよりもやや遅く目覚めたヒューズは、部屋から出て――そうして相棒と鉢合わせた。
けれども焦りも気まずさも、なにもない。
できる限りに爽やかに、ヒューズは快活な笑みすら浮かべて朝の挨拶をする。
「お、おはようヒューズ……?」
恐る恐ると返される言葉。昨夜の件を思い出したのだろう。
視線はあちらこちらへと彷徨い、落ち着かなげに体を震わせている。その変化が、今のヒューズには余すことなく見て取れた。
あからさまな不安と怯え。その全貌は分からないが、彼女が知られたくない事情を抱えていることは明白だった。
(だってのに、どうして俺はこんなに落ち着いているんだろうな?)
彼女が心配なことには変わらない。
けれど、それすらも受け止めて穏やかに笑みすら浮かべられるほどに、ヒューズには余裕があった。
(……キオのお陰か)
あの月明かりの下での稽古で得たものは大きく、とても言葉では言い表せない。
浮ついて迷ったヒューズの慢心や焦りを、木っ端みじんにしてくれたようにも思える。
「大丈夫か? 気分は悪くないか?」
「え、ええ……あ、あの……」
何かを言いたそうに口元を動かす相棒を、ヒューズはただ静かに見つめる。
「……ごめんなさい」
結局、何も言えずに俯いてしまったコレットの、その肩を優しく叩く。
「いいさ。言いたくなったら話を聞くから、いつでもそうしてくれよな」
「ヒューズ……」
「さ、準備ができたら出かけようぜ。今日は協会に行く日だろ? 稼ぎの良い依頼があるといいな」
茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せると、コレットは泣き笑いの顔で頷いた。
☆ ☆ ☆
「……なんだこりゃ?」
協会の中は、常になくごった返していた。
元々、トロンの冒険者協会は他のそれよりも、人の出入りが数多い。
迷宮都市という特異な場所が、冒険者や依頼人を引き寄せているのだ。
それを踏まえたうえで、これは異常だとヒューズは断言できる。
皆、興奮に目を血走らせ、怒鳴り合っている者まで居るようだ。
「ヒュ、ヒューズ……」
コレットが怯えたように相棒の裾を掴み、身を竦ませている。
それでも、踵を返すような真似はしない。どんなに様子がおかしくても、彼女もまた冒険者なのだ。
「とにかく、何があったかを聞いて――」
「――おい、行くぞ! 先を越されちゃなんねえ!」
冒険者の一団が、他を押しのけるようにして駆け出してゆく。
唖然としてそれを見送るヒューズの、その肩が叩かれる。
「ヒューズさん……ちょっと」
「あんたは」
「黙って――と言いたいところですが、この状況じゃあ無駄ですかね」
ヒューズの目の前で苦笑いしているのは出土品を扱う、交易所の職員だ。
協会へと赴くたびに『報酬』を渡し、結晶花の情報を求めた、あの――
「何があったんだ? この騒ぎはいったい」
「出たんですよ、アナタのお望みのもの……シリウスの結晶花が」
「えっ!?」
その発言に驚いたのは、コレットだ。
弾かれたようにしてヒューズを見る彼女に、気まずさが募ってゆく。
そっと目を背け、頬を掻いて誤魔化しながらヒューズは叫ぶ。
「まあ、ちょっとな――って、それより! 本当なのか!?」
もしもその情報が真実ならば、冒険者たちが色めき立つのも理解できる。
アレを手に入れれば、それこそ一財産だ。もしも無傷で持ち帰ることが出来たなら、一生を遊んで暮らせることだって夢ではない。
(……落ち着け。焦るな、ここで浮き足立ったらダメだ)
逸る気持ちを抑え、ヒューズは大きく息を吸い、吐き出した。
「……情報の出所は?」
「今朝早くに出戻ったパーティーからのものです」
いわく、傷つき疲れ果て、息も絶え絶えに協会へと駆け込んだ彼らは、大声で告げたそうだ。
――シリウスの結晶花が、迷宮で出土したぞ!
さらにその証拠は、リーダーの手に握られていたという花片だった。
薄汚れてひび割れて、実用には殆ど耐えられないような代物であったそうだが、鑑定の結果は本物。
それを聞きつけた冒険者たちは、当然のごとく大騒ぎ。
人の口に戸は立てられず、右へ左へとその話は流れ、やがて協会を巻き込むほどの一大事になった――と。
「そ、それが本当なら……っ」
「階層は? 現時点でのマッピングも出回っているのか?」
焦るコレットを制し、ヒューズは努めて冷静に問う。
「そ、それはまだ。けれど、心当たりのあるという冒険者の方が居まして」
「……なに?」
訝しむヒューズを前に、職員は奥へと手招いた。
「……どうしましょうか?」
「行ってみよう。話を聞くだけならタダさ」
けれども、警戒だけは忘れない。
周囲に目を配りつつ、ヒューズたちは男の後をついてゆく。
訪れたのは、交易所そばの一角だった。天井を支える大きな柱が等間隔で立ち並び、周囲はひっそりと静まり返っている。
どうやらここは穴場のようで、人の影は見当たらない。
――そう、目に映る限りにおいては。
「……心当たりってのは、そこの柱に隠れている奴のことかい?」
前へ前へと歩き出す職員を尻目に、ヒューズは立ち止まって顎をしゃくる。
驚いたように振り返る彼の、その向こうから声が掛かった。
「……ほう? なかなか目敏いじゃないか」
のっそりと柱の影から這い出したのは、大柄な男であった。
重厚な鉄の鎧に、禿げ上がった頭部。その姿は、一度見たら忘れられるものではなかった。
「ひ……っ!」
慄くコレットを背に庇い、ヒューズは一歩を踏み出す。
「――お前は」
「そう気色ばむなよ。別に、取って食おうってわけじゃねえんだ」
老獪に笑う男――ネストを見ながら、ヒューズは内心の苛立ちを抑え込む。
――落ち着け、あの態度に惑わされるな。
「俺たちに何の用だ? 物騒な話はごめんだぜ。こっちは忙しいんでね」
「ああ、知ってるとも。結晶花が必要なんだろう? コレットの弟を癒すために」
気安く名前を呼ぶな。そう叫びたくなるのをグッと堪え、ヒューズはあくまで平静を装う。
(……昨夜、キオに鍛え直してもらわなかったら、挑発に乗っていたな)
彼にはどれほど感謝しても足りない。
だからこそ、その弟分として恥ずかしい真似をしてなるものか。
「知っているぜ、その場所を」
「……なに?」
「シリウスの結晶花が在る階層だよ。アレを見つけたのは、俺の知り合いの冒険者でね」
信用は出来ない。論ずるに当たらない。
嘘か真か、判別をする以前の問題だ。
「そうかい、じゃあサッサと持ち帰ってくればいいだろう?」
「まあ、そう言うなよ。俺がそいつと『トモダチ』なのは知っているはずだ。事情もようく分かってる」
肩を竦め、いかにも心外というようにネストは首を振る。
「だからこれは善意の提案さ。神官様へのお布施だとも。ここで巡り合ったのも、何かの運命――だろう?」
「……っ!」
唇を噛み切るような勢いで、コレットが黙り込む。
わなわなと震えるその肩をそっと叩き、ヒューズはネストへと向き直った。
「悪いが、借りは作らない主義なんだ。小金が欲しいのなら他を当たってくれ」
顎をしゃくる振りをして、ヒューズは周囲を見回す。
職員の姿は既に無い。脅されたか、金を握らされたか。
どちらにせよ、恨むつもりは毛頭なかった。冒険者稼業なんて、こんなものだ。
後で筋は通させてもらうが、腹を立てても始まらない。
それに、この男と引き合わせてくれたことについて、ヒューズはある意味では感謝もしていた。
どちらにせよ、ケリはつけねばならないからだ。
「つれねえやつだな。コレットが大事じゃねえのかい?」
舐めつけるような目で、大男はヒューズ等を見る。
まるで蛇のようだ。得物を狙う、いやらしい眼差し。こちらを下に見ていることが丸わかりだ。
それは余裕か、はたまた傲慢か。決めるのは自分たちだと、ヒューズは決意する。
「大事だからこそ、自分の手で掴みたいのさ」
目を固く閉じたコレットを抱き寄せ、見せつけるように笑ってやる。
「俺たちは相棒だからな。他人が入る余地はねえのさ」
「ヒュー、ズ……」
間近に見える、茶色の瞳から涙がこぼれ落ちる。
それをそっと指ですくい、ヒューズは微笑んだ。
「見せつけてくれるなあ、色男。その女の過去を知ってて、そう言ってるのかい?」
「過去に拘る男は嫌われるぜ、オッサンよ」
「……言うじゃねえか」
ネストはしかし、激昂もせずに不敵に笑う。
恐れてはならない。けれど、見下してもならない。どんな相手でも油断はするな。
『敵』はヒューズよりも格上の冒険者だ。保持している技能も二級以上を備えていると聞いていた。
しばし、二人は虚空を挟んで睨みあう。
その間に見えない火花が散り爆ぜて――やがて、ネストが背を翻した。
「降参だ、ヒューズさんよ。結晶花は第九層に在る。地底湖があったろう? それがまだ変動せずに残っているのさ。そのほとりに、群生しているとよ」
振り向きもせず、ネストが告げる。
「……そうかい」
是とも非とも答えない、問いたださない。
それ以上に言葉を交わす必要は無かった。
立ち去ってゆく冒険者を見送り――ヒューズは微かに息を吐き出した。
『……ヒューズ、しばらく迷宮には潜らない方がいいと思う』
脳裏に響くのは、キオの言葉だ。
彼は淡々と、事実だけを述べるようにヒューズへ告げたのである。
『迷宮の底、核にあたる領域には非常に強い力を持った何かが眠っている。最上位魔神さえ凌ぐエネルギーを持った、何かが』
伝説でしか聞いた事の無い魔神。
それすらも上回るとは、どんな怪物なのか。想像もつかない。
『その影響も少しずつ、些細な変化という形で現れ始めているはずだ。ヒューズの話にあった、冒険者たちの熱狂も恐らくは』
熱に浮かされたように吠え猛る冒険者たちを思い出す。確かに、あれは異様であった。
いかに伝説級の代物が出土したとはいえ、ろくに裏も取らずにああも焦りに身を任せるものだろうか。
彼らの中には、ヒューズ等が見知った顔も多い。それなりに場数を踏んだ連中ばかりなのに。
協会員たちの制止すら振り切って駆け出していく姿に、悪寒すら覚えてしまう。
(……キオの言った通り、ってか)
迷宮の異変。それは神ならぬヒューズでは伺い知れない、恐るべきものなのかもしれない。
忠告は聞くべきだ。キオの言葉に嘘など全くない。いつだってそうだった。彼が冗談を述べる事など有り得ないのだから。
『もしも、どうしても迷宮に挑むというなら。僕が前にあげた『あれ』を肌身離さず持っていて欲しい。いいかい、特に僕が居ない時は絶対にそれを――』
傍らで震えるコレットを見る。その顔には迷いの色がありありと見えた。
行くか、留まるか。情報の真偽はともかく、迷宮に結晶花が出た可能性があるのなら、選択は無いにも等しい。
やはり、ヒューズは冒険者なのだ。その生き方は変えられそうも無かった。
「……行くか」
「えっ!?」
「無理はしない。あの男を信用したわけでもない。けれど、ここで手をこまねいて踏みとどまるわけにもさ、いかないだろ?」
その言葉にコレットは歯を食いしばり、何かを堪えるように目を伏せる。
だが、彼女にも否は無いと分かっているのだろう。
時間も無い。迷宮はいつ変動し、出土品が姿を消すかもしれないのだ。
「……ありがとう」
絞り出すような声。けれど、そこに確かに宿る感謝の念に、ヒューズは破顔した。
――ありがとうってさ、良い言葉だよね。
かつてキオから聞いた言葉が蘇る。
けれど、そう言ってヒューズに笑いかけてくれた彼は、今この都市には居ないのだ。
『――別の方向から、あの迷宮について探ってみようと思うんだ。幸い、当てはあるしね』
昨夜、キオは別れ際にそう告げた。
どうやら、最上位魔神との騒動で、とある冒険者たちと知り合ったらしい。
そのパーティーが誰だか聞き、驚いた。彼らはヒューズも耳にしたことがあるほどに、名の知れた冒険者たちであったのだ。
(……相変わらず、規格外の兄貴分だよなあ)
だから、彼は頼れないし、頼ってもならない。
キオに告げた言葉の通り、これはヒューズとコレットの問題なのだ。
どうしたら彼の心に、その孤独に寄り添えるのか、それは分からない。
キオが普通の人間では無いと、それは他でもないヒューズ自身が良く知っていた。
(だからあの時、ジェニーはあんな望みを口にしたのか)
悔しいが、彼に関することにおいて、あの妹分には一歩も二歩も劣っている。
昔からそうだった。あの娘はいつもキオの隣にちゃっかりと居座り、その寵愛を欲しいままにしてしまう。
(――負けてらんねえ、なんて張り合うつもりはねえけどさ)
たぶん、それは意地のようなものだ。
幼稚な感情であるとは理解しているが、それこそが自分たちらしいと、ヒューズはそう思うのだ。
だからこそ、今。
キオに寄りかかるだけの子供でないと証明するために、一歩を踏み出す。
危険は承知。何が起こるかも分からない。
けれど、冒険とはいつだってそういうものなのだ。
「……ヒューズ」
指先に触れる温もり、それを繋ぎとめるように強く握り返す。
――二人で必ず無事に帰ってくると、その祈りと誓いを込めて。




