第23話 ピノキオの孤独
「はあ、はあ、はあ……っ!」
荒い息を吐きだしながら、ヒューズは槍の穂先を地面に突き立てた。
そうして支えにしておかないと、疲労と徒労に膝を屈してしまいそうだったのだ。
「思い切りも良いし、虚実もちゃんと入り交えてるね。五年前とは比べ物にならないくらい、技が冴えてるよ」
「そう、かよ……っ」
対するキオは無論、息の一つも乱していない。
いつも通りに飄々と、のんびりした口調でヒューズの成長を褒めてくれる。
(分かってはいたけど、ぜんっぜん差が縮まってねえのな……!)
変幻自在とは、彼の為にあるような言葉だ。剣に槍に短剣、そして斧。
あらゆる武器を最適な動作で使いこなし、ヒューズの猛攻をいともあっさりと払いのけてしまう。
――だというのに、どうだ。
仕草も動作も、何もかもがごくごく普通。威圧感なんて全くないし、その佇まいには緊張感の欠片すら無い。
彼が武術の達人なんて、誰に聞いても信じられないだろう。
今もそうだ。斧を無造作にぶら下げて、なんの構えも無しに突っ立っている。
一見して隙だらけだと思えるのに、なのに隙が無い。
何処へでも打ち込めそうなのに、何処へ打ち込んでも返り討ちにされてしまいそうだ。
その予感が、ヒューズの槍さばきを鈍らせていた。
「もう、この辺でおしまいにしようか?」
「冗談……!」
まだだ、まだ! まだこんな所で心を折ってなるものか!
柄を握る手に力を込め、ヒューズは再度立ち上がる。
自身の成長、その進歩を彼に見せつけるまで。へこたれてなんていられない!
「ふぅ……っ」
「……おお」
最後の気合と共に、穂先へ魔力を流し込む。
五年に及ぶ冒険者生活の中で得た、成果の一つがこれだ。
「さっきまでとは、まるで違う。これは……そうか!」
槍全体へと迸る、青白い輝きを見てキオが破顔する。
「凄いや、ヒューズ! 魔力を操れるようになったんだね!」
「ああ、俺のとっておきさ」
生まれつきの才能に左右される魔術師とは違い、普通の人間がそれを感じ取るのは至難の業だ。
自然界のあらゆる場所に満ち、生物の体内にも宿るという魔力。
それを意識し、使いこなす。一流と呼ばれる冒険者にとっては必須となる技能だ。
今のヒューズでは、お世辞にも十全に駆使できるとはいえない。
ほんの少しの身体能力向上と、そして魔導具を起動できるだけの、初歩の初歩。
しかし、目にもの見せるには――それだけで十分だった。
「はあっ!」
氷結の魔力を纏った槍を、風車のごとく回転させる。
月明かりを反射し、煌めきながら舞い散る氷が、槍を介してヒューズの意に従う。
青白く輝く薄片が見る間に穂先へと巻き取られ、その全身を覆いつくしてゆく。
恐らくはキオからは、さながら巨大な氷の壁が出来たものとしか思えないだろう。
「……これ、は」
氷嵐に染まる視界の向こう、キオの目がわずかに見開かれたように思えた。
それだけでヒューズは、心の底からの歓喜を覚えてしまう。
「さあ――行くぜ、キオッ!」
密かに足元へと固めた氷を媒介にして魔力を放射。
瞬間、前傾姿勢を取っていたヒューズの体が――矢の如く飛び出した!
「……おおっ?」
声を発したのはジェニーか。良くも目で捉えられたものだと感心する。
けれどもその言葉に含まれた戸惑いの色が、会心の出来であるものとヒューズを自負させた。
――攻撃を繰り出す起こりを悟らせず、超高速の一撃で相手を粉砕する。
これこそがヒューズのとっておきであり、迷宮での死線を超えて得た必殺の技である。
今までこれで仕留められなかったモノは居ない。
どんな魔物も打ち破ってきた必滅の一撃。いかにキオといえど、受けることが精一杯――の、はずだった。
(……なに!?)
光さえも置き去りにするような、流れゆく景色の向こう側。
キオが片手に携えたその斧を、さっと背中に回すのが見えた。
――受けもしないのか、避けもしないのか!?
意図が分からずとも、しかし今更攻撃は止められない。
押し寄せる波濤の如く、ヒューズは穂先を前へと強く押し出して――
「――んなっ!?」
その身に槍が到達する、まさにその直前。キオが右足を踏み込み、軸と為して半身をさらけ出す。
突如としてぐるりと体を半回転させた、その間隙へと氷の矢が吸い込まれてゆく。
止まらない、止められない! それはヒューズにとって、悪夢めいた光景であった。
必中と信じて放たれた一撃は、虚空を掠るに留まり、逆にその首筋へと殺気が踊りかかる。
「う――ああっ!?」
回転による勢いを載せた斧の軌跡が、無防備に晒されたヒューズの首を斬り飛ばし――
「――ん、ここまでかな?」
のんびりとした声と共に、首元にペチンと衝撃が走る。
いつのまにか、キオの顔が目の前にあった。
「思い切りの良い、とても素晴らしい一撃だったよ。これなら、並大抵の敵なんて相手にならないだろうね」
痛みは無い、首はちゃんと胴体にくっついている。自分は生きている!
それをようやく悟った瞬間、ヒューズは両足を屈してへたり込んでいた。
からん、と音を立てて槍が遠くに転がる。それに手を伸ばすことすら叶わない。
「い、今のは……?」
「ちょっとしたフェイント――騙し技だね」
「だ、まし……」
ヒューズは、恐る恐ると自身の首元へと手をやる。
今のは、実戦でも感じたことのない『死』への確信があった。
あの時、自分は間違いなく命を落とした。首を無残に刎ねられ、血しぶきを舞い散らせながら……
「多分だけどね、『あの男』もコレを使えるよ」
「んな……っ!?」
なんでもなさそうに告げられた言葉に、ヒューズは目を剥いた。
「そ、その男って、まさか」
「人格はともかく、斧の使い手としては一流だね。もしも君が怒りに心を乱されたら、同じことになるよ」
その口ぶりから、彼の言う『男』がヒューズが頭に思い浮かべた人物と同一であることを察してしまう。
(なぜ、どうしてキオが。あのネストという冒険者のことを知っているんだ!?)
わけも分からず驚愕に固まっていると、不意にキオがしゃがみ込んだ。
そのまま、膝を付いたままのヒューズと目線を合わせる。
「ねえ、ヒューズ。今のが、僕からのお祝いだよ」
「え……?」
「君の槍さばきは、とても真っすぐだ。その心根の正しさが穂先に反映されているんだろうね」
けれど、と。キオは微かに首を振る。
彼が何を言いたいのか、朧気ではあるがヒューズも悟り始めていた。
なぜ、彼が急にこんな稽古を申し出たのか。考えてみれば、おかしなことばかりだった。
彼はこの立ち合いの中で、変幻自在に武器を振るったが、その中でも特に斧へと種類が偏っていた。
「……キオは、なんでも知ってるんだな」
苦笑しながら肩を竦める。昔からそうだ。彼の前では隠し事など、なにひとつ叶わなかった。
けれどもキオは、ヒューズの前でゆっくりと首を振ってみせた。
「いいや、知らないことばかりだよ。だから僕は言葉と誠意を尽くして話し、君たちを理解したいんだ。誰に対しても、それは変わらない」
それにね、と。キオは笑う。
「手段を選ばないということは、相手を知ることを放棄するものだと、僕は思うんだ」
「知ることを、放棄……」
「そうだよ。目的のためなら、何をしても構わない。誰かの心を踏みにじっても許される。たとえひと時は傷ついても、後から振り返れば最短の道となる」
何故だろう。キオの顔は微笑んだままなのに。
「それはとても合理的な考えなのかもしれないけど、僕は嫌だな」
「キオ……」
どうして、こんなに寂しそうに見えるのだろうか。
「ねえ、ヒューズ。僕なら、今すぐに全てを解決できるとしたら、どうする?」
「……え?」
「君の不安も、コレットさんが抱えているものも。何もかもを最短で排除できるとしたら――」
夜風が冷たく吹き散らし、キオの髪を撫でつけてゆく。
「――君は、どうする?」
声が出ない、答えが出ない。
キオの瞳は真っすぐにヒューズを射抜き、ほんの少しも逸らされない。瞬きひとつ、起こらない。
恐らく、彼の告げたものは真実だ。
目の前の少年は、こんな冗談なんて言わない。
だからキオがその気になれば、言葉通りに全てが丸く収まり、解決するのだろう。
あのネストという男のことも、コレットが抱えている恐怖と傷も。更にもしかすれば、ジュールの目すらも。
正直に言って、それはとても魅力的な誘惑であった。
ヒューズの中で膨れ上がってゆくわだかまりをぶちまけ、助けてくださいと縋り付いてしまいたい。
きっと、それが最も効率的な道であり、誰もが頷く最適解なのだろう。
それをヒューズは完全に理解をして――だからこそ、首を振った。
「いいや、これは俺たちの問題だよ。手助けは頼むかもしれないけど、寄りかかりはしたくない」
そう、だってキオはさきほど言ったのだ。
人に対して否を突き付けることなどない、優しい彼が言ったのだ。
『僕は嫌だ』と。
「それにさ、アイツは俺の相棒だから。惚れた女の過去を受け止めるのも、男の務めってやつだろ?」
「えらく古い価値観ね」
横合いから突然に、容赦のない突っ込みが飛ぶ。
「なんだ、まだ居たのかよ」
「当たり前でしょう。私が見届けなくてどうするの。まったくキオにこんなことまでさせて、本当に仕方のないヒューズね」
「……それに関しちゃ、同感だがね」
グウの音も出ない。世話を掛けてばかりだと、そう思う。
「ありがとうな、キオ。すっきりしたよ。こんなに気分が爽快になったのは、久しぶりだ」
「それなら良かった」
ヒューズの言葉に嘘は無い。気遣いでもなんでもなく、もやもやとした鬱屈が、どこかに飛んで行ってしまっていた。
刃を合わせ、力の限りに振るう。思い切り体を動かしただけで、こんな気持ちになれるとは。やはり自分は単純な男なのかもしれないと、そう思う。
――それに、ヒューズは嬉しかったのだ。
目標と定めた男の背中が、まだあんなにも遠くにある。悔しい気持ちもあった、未熟さを恥じる気持ちもあった。けれど、それよりもずっと、キオが変わらずに強く在ってくれることが誇らしかった。
「事態はなにも解決はしてねえけどさ、それでも向かい合う覚悟は決められたよ」
「あら、負け惜しみ?」
「うっせ。そんくらい言わせろや」
このやり取りも、なんだか懐かしいとそう思う。
こまっしゃくれたジェニーが皮肉を言って、それにヒューズが憮然と返す。
そんな二人をキオは、優しく見守ってくれるのだ。
瞬間、周囲にあの田舎村の風景が重なった気がして、ヒューズは苦笑を零した。
もしやこれが里心がついた、という奴だろうか。父親のことを笑えないと、そう思う。
「まあいいわ。それはともかくとして、互いが抱えているモノの共有はしましょうか」
「……やっぱ、言わなきゃダメか?」
「あのね、世の中の誤解のほとんどは会話不足から来ているものなのよ。マーサおばさんも言っていたわ。どんな関係であれ、俺は相手を理解しているとふんぞり返るのは、バカのする愚行だって」
さすがはマーサおばさん、相も変わらず手厳しい。
虹の盃亭の女将を思わせる、あのふくよかなお腹と顔を思い出し、ヒューズはまたもや苦笑を漏らす。
「僕の知っている限りの情報を公開するよ。ヒューズにも聞いておいて欲しいから」
どこか嬉しそうに、キオが頷く。
本当に彼は変わらない。外見も中身も、あの日の優しい少年のままだ。
それを改めて実感し、ヒューズは安堵の息を吐き出した。
きっとどれほどに時が過ぎようと、彼はこのままなにも変わりはしないのだ。
ヒューズが己の道を歩き、いつか疲れ果てて振り返ったら、きっと彼はそこに居てくれる。
(……俺にはちゃんと帰る場所がある、ってやつかな)
それが、どれだけ有難い事なのか、今なら分かる。
照れくさくて本人にはとても言えやしないが、ヒューズはそんな風に実感していた。
「っと、そうだ。槍、槍……」
大事な得物だ。放りっぱなしはバツが悪い。
ヒューズはキオの横を通り過ぎ、草むらにある槍を拾い上げた。
傷も何もついていないのを確認し、そうしてキオ達の方へと振り返り――そこで、ハッと固まった。
視線の先では、キオとジェニーが語り合っている。
相も変わらず仲の良さそうな光景を見て、しかしヒューズは顔を強張らせた。
ヒューズやジェニーには彼が居る。
振り向けばいつだって、そこにキオが居てくれる。あの村で皆の帰りを待っていてくれるだろう。
――じゃあ、そのキオは?
彼が歩いて歩き続けて、そうしていつか疲れて振り返ったその時。そこに誰かは居るのだろうか。
「あ……?」
今まで、考えたことも無かった。
だってキオは、そんな気配を微塵も感じさせはしなかったのだ。
「キ、オ……」
「うん?」
ヒューズの声に反応し、彼が小首をかしげる。
穏やかで物腰柔らかな、いつもの彼の仕草だ。
その容姿は変わらない、村に居た時から何も変わらない。変わることが出来ない。
きっといつか、自分もジェニーも、誰も彼もがあの人を置いてゆく。それもまた、決して変わらない事実なのだ。
胸の奥底まで吹き抜けるような、あまりにも切ない寂寥感。こみあがる涙を堪えるように、ヒューズは思わず歯を食いしばった。




