第22話 稽古
『――にいちゃん、キオにいちゃん!』
子供だったヒューズにとって、彼はとても不思議な人であった。
ある日、妹分が見つけてきた旅の男。粗野でもなく、さりとて優男というわけでもない。
平々凡々な見た目と雰囲気。およそ害というものが感じられない年上の男性。
フッと気が付くと傍に居て、いつの間にか姿を消している。
景色に溶け込むが如く、存在感が無い。いや、異常なほどに馴染んでいる、とでもいうべきか。
そんな彼――キオが村へ受け入れられるのに、そう時間は掛からなかった。
まるでずっと昔からトスカナで暮らしていたかのように、村人たちは暖かく彼を迎え入れたのだ。
村から出た事の無いヒューズは、キオにあれこれと付きまとい、外の世界の話をせがんだ。
彼の邪魔をするなとジェニーに睨まれたが、それでも少年はめげなかった。
『うーん、ごめんね。この村以外は良くわからないんだ。地球の話とかならしてあげられるけど、ダメだよねえ』
チキュウとはなんだろう。いや、なんでもいいから話せとしがみつくと、彼は苦笑しながら色んな事を聞かせてくれた。
それはとてもとても、不思議極まる物語。星空を駆ける鉄の船や、遠くに居る人間と魔術も介さずに会話をする道具。
人によっては荒唐無稽過ぎる話をしかし、ヒューズはいつもワクワクしながら聞いていた。
中でもお気に入りだったのは、天使のオトギバナシだ。
神様の命を受け、世界のあらゆる場所を駆け巡りながら、人々に自らの羽を分け与えていく。
キオが語るその天使が、国も何もかもを飛び越えて幸せを振りまくそのお話を、ヒューズは何より好んだ。
――俺も、外の世界を見たい! どんなものにも縛られず、いろんな人たちとふれあいたい!
憧れはいつしか夢となり、ヒューズが歩む道となった。
『キオにい――キオっ! 俺、冒険者になりたいんだっ!』
彼をそう呼ばなくなったのは、少年が十三歳になった日の事だった。
今でもヒューズはふとした拍子に思い出す。
あの日、ほんの少し寂しそうな顔をしたあと、キオがにっこりと微笑んでくれたのを。
『選ぶのは君だよ。僕が出来るのは、ヒューズの生きる力を磨くことだけさ』
誰もが反対したヒューズの夢に寄り添い、ただ黙って修行に付き合ってくれた日々を。
『君の行く先に、幸運がありますように』
旅立ちの朝、そう言って頭を撫でてくれた優しい温もりを――ヒューズは一生、忘れない。
大好きな、大好きな『兄』の事を、きっといつまでだって覚えている。
☆ ☆ ☆
「うん、ここでいいかな」
キオが選んだのは、市街区の外れにある河原であった。
人影は無い。いつも夜半時に出ている屋台も、今日は店じまいのようだ。
(……コレット)
たまの夜更かしの際は、彼女とジュールと三人で串焼きや芋のスープを楽しむのが常だった。
女将さんの料理とは違う、ひどく安っぽい味。けれども不思議と満足できたものだった。
あんな風に三人で笑い合う日が、また戻ってくるのだろうか。
宿で一人眠るコレットは、寂しい思いをしていないだろうか――
「宿の方なら大丈夫だよ。ちゃんと『視て』るから、安心して」
ヒューズの不安を読み取ったように、キオが微笑む。
相変わらずこの兄貴分は、こちらの事などお見通しであったらしい。
「さあ、準備が出来たら始めようか。いつでもいいよ。他の人には分からないように細工をするから、おもいっきりやろう」
「ああ……けど、その前にひとつ聞いていいか?」
「うん?」
首を傾げるキオを尻目に、ヒューズは反対側を指さした。
なだらかな斜面となっているそこに、一人の少女がちょこんと座っている。
月明かりにすら映える、空色の髪の少女。ヒューズも良く知る妹分だ。
「なんでそいつが、ここに居るんだ?」
「それは愚問よヒューズ」
不敵な笑みを返し、ジェニーがふんぞり返る。
「キオの行くところには、だいたい私あり。これはもう常識ね」
「そこは言い切らねえのかよ」
「だって、付いていけない状況はあるもの。仕方がないわ」
肩を竦める昔馴染みの姿に、ヒューズはイラっとする。
小生意気な所も、まったく変わっていない。
「ったく、口では勝てねえな! んじゃ、やろうぜキオ」
ヒューズが愛槍を構える。
二年前、パーティー全滅と引き換えに迷宮で見つけた、とびきりの魔導具だ。
柄を握り力を込めると、とたんに穂先が青白く輝き、冷気を纏う。
「うん、いつでもおいで」
対するキオは、ひょいと枝を掴み上げる。
何処からか流されてきたか、それとも風に吹かれて飛んできたか。
なんの変哲もない、棒っ切れだ。
しかし、ヒューズは知っている。物がそうでも、持ち手がキオならば――
「――はぁっ!!」
油断もなにもなく、一気に距離を詰めて槍を突きだす。
遠慮は要らない。躊躇う必要なんてない。
そうして、裂帛の気合と共に繰り出された穂先はしかし、鋼鉄の刃に弾き返された。
「ぐうっ!」
「まずは剣だね」
いつの間にか、キオの手に在る木の枝が――すらりと伸びる長剣へと変じている。
「ひっさしぶりだなあ……その反則技っ!」
見た目も感触も、鋼のロングソードそのもの。それが本当は棒っ切れなどとは、とても信じられない。
キオはそれを構えるわけでもなく、だらりと腕を落とし、手の中にぶら下げている。
『実際に物質を変化させているわけじゃないよ。そう見せかけているだけさ。ヒューズの脳に直接映像と刺激を投射しているんだ。これで色んな戦い方を、その対処方法を身に着ける事が出来るよ』
いつだったか、彼はそう言って笑っていた。
(……っとに、人畜無害なツラして、規格外なんだからなあ! 俺の師匠はさっ!)
けれども、それに戸惑ってなんていられない。怯えて投げ出してなんてやるものか。
ヒューズはもう、あの頃の小さな子供ではないのだ。
この五年間、冒険の中で鍛え上げたその成果を、見せてやる。
「……他でもない、アンタに!」
気息を整え、再び槍を構える。
ひとつ、ふたつ、みっつ……心の内で機会を測り、同時に足を前へと滑らせる。
「――おぉぉぉぉぉ!!」
仄かに輝く月明かりの下、煌めく穂先を携えて、ヒューズは稲妻のごとく斬り込んだ。




