第21話 月下の苦悩
「……ふう」
重たい足取りのまま、ヒューズは宿の外へと這い出た。
周囲に人の気配は無い。当たり前だ、もう深夜と言ってよい時間帯である。
いかに繫栄している都市とはいえ、こんな夜更けに出歩こうとする者は少ない。
酒を飲むなら、もっと相応しい場所へゆく。そう、男が好むような『付加価値』のある店へ――
「――ったく、しっかりしろよな」
髪ごと頭を掻きむしりながら、ヒューズはひとりごちる。
「俺が気落ちしてどうするんだ。辛いのはアイツだろ……」
ため息と共に、己の手をじっと見つめる。まだあの柔らかな感触が、指先に残っているかのようだった。
――あの時、意識を失ったコレットを宿に運び込むと、すぐさま女将が飛んできた。
何らかの事情があることを悟ったらしく、事情を聞くよりも先にコレットの介抱を優先してくれたのは有難かった。
『とにかく、その辛気臭いツラを何とかしな。こっちはあたし等に任せて、少し頭を冷やしてくるんだね』
眉をひそめた女将の表情を思い出す。自分はよっぽど、ひどい顔をしていたのだろうか。
「……コレット」
脳裏に浮かぶのは、最愛の相棒の姿。
顔を青ざめさせ、華奢な体を震わせながら、彼女は泣き叫び続けていた。
まるで未知の恐怖に怯えるかのような、その有様。
それが脳裏に閃くたびに胸の奥がたまらなく疼き、彼女を苦しめるすべてのモノに強い憎しみが湧き上がる。
(……落ち着け、落ち着け。辛いのはコレットたちだって、そう言っただろうに)
姉にすがって、ジュールは不安そうに涙を零していた。それがヒューズの罪悪感を煽り立ててゆく。
弟のように思っていた彼に、あんな心配をかけさせてしまうなんて。もっと他に言い方は、やり方はなかったのか。
後悔ばかりが募り、思考が上手く纏まらない。
「……アイツか。あの男がやはり、コレットのなにかに関わっているのか?」
情報屋から入手したそれによると、協会で遭遇したあの禿げ頭はネストという名の冒険者だ。
七年ほど前まで、この迷宮都市を根城に活動していたらしい。
腕が立つが、なにかと問題を起こしがちであったようだ。ゴロツキのような男たちを集め、冒険者業以外でも金を稼いでいた、と。
そんな彼はある日、ふらりと姿を消した。組んでいたパーティーでなにか諍いがあったようだが、詳しくは不明。
ただ、当時の副リーダー格が謎めいた死を遂げていたことから、ネストにまつわる黒い噂は絶えなかったようだ。
(そんな野郎が、コレットと知り合い……? だとすると、この都市へ来る前に、まさか)
嫌な想像が頭に浮かぶ。
五年前に彼女は両親を魔物の襲撃で亡くし、弟も瀕死の重傷を負ってしまった。
当時のコレットはまだ神の御業を扱うにも未熟で、両親の知人が居る迷宮都市は位置的に遠い。
つても縁故も、なにもなかったことは間違いなかろう。
ヒューズも前に、コレットからその辺りの話を聞いたことがある。
這う這うの体で近くの村までたどり着くも、そこに在った神殿はごく小さなもの。
神官としての資格を得たばかりのコレットでは、ろくな助けにもならなかったらしい。
日ごとに衰弱していく弟を救うために、金もなにも持っていない若い少女が出来ること。それは、おそらく――
「……くそっ!」
壁に拳を打ち付け、役にも立たない怨嗟をぶちまける。下種な妄想をしてしまった自分自身に、ヒューズは腹が立ってしかたがなかった。
『……ごめんなさい。少しだけ、少しだけ待っていて欲しいの』
前に、想いを打ち明けたその時、苦し気な顔をして目を伏せてしまったコレットを思い出す。
『私はね、貴方が考えているような清廉な女性ではなくて……』
――そんなの知るか。自分はそんな見せかけのモノが理由で、彼女と共に迷宮へ挑み続けてきたわけじゃない!
そのままの言葉をぶつけたわけではないが、ヒューズはあの時もコレットにそんな風に告げた。
彼女を相棒として大切に想う気持ちは変わらない。そう伝えると、彼女は泣き笑いの顔で『ありがとう』と言ってくれて。
(……そうだ、俺のアイツへの想いは何も変わっちゃいない。それは断言できる)
けれど、何かが引っかかる。
コレットがそれほどまでに思いつめた、その理由はなんなのだ?
『私は、罪を犯したの。貴方には相応しくないの』
意識を失う直前、彼女はそう呟いていた。それがどうにも気になって仕方がない。
仮にそのネストという男と過去にそういう関係があったとして、そこまで気にすることだろうか。
奉仕活動に積極的であることからも察せられるが、コレットはその手の商売をする女性を軽蔑したり、見下したりしていない。
生きるため、金のため、はたまた快楽を得るため――そういった職に就くものは少なくはない。彼女はそれを十分に理解しているはずだ。
それに、コレットが仕える運命神は寛容だ。定めの名のもとに、あらゆる道が許容される。清廉潔白であれ、という風潮こそあるが絶対ではない。
(俺だってそうだ。清らかな男ってわけじゃねえさ)
ヒューズ自身も、先輩冒険者に誘われて経験したことがある。もちろんそれはこの街に来る前、コレットに出会う前の話だが。
だから、ヒューズにも偏見は無い。あるわけがない。
だってそうだろう。もしも『そう』だったとしても、なんの後ろ盾も無い少女が、重病の弟を抱えて他に何が出来たというのだ。
そんなことも呑み込めない男だと、コレットに思われていたのか?
確かに、過去は過去だ。もしもそう打ち明けられたら、ショックを受けなかったとは言わない。それなりにヒューズも胸に痛みを覚えたであろう。
望まぬ女性にとっては辛い記憶であるのも間違いない。けれど、それにしても反応が異常すぎると思うのだ。
「……ちっ!」
おかしい。やはり、最近はどうも変だ。時々、感情の制御が効かなくなることがある。
迷宮攻略中など、特にひどい。熱に浮かされたような高揚と、奇妙な万能感が湧き上がってくるのだ。
それはしかし、ヒューズに限ったことでもなさそうであった。ジュールにちょっかいを掛けた獣人たちもそうだが、ここのところ粗暴な真似をする冒険者が増えてきているのだ。
死傷者の数も徐々にではあるが、これまでよりも多い気がする。はっきりと数字を集めたわけではないが、探索失敗率も増加しているのではないか?
「そういえば、依頼時に注意喚起されることが多い、ような」
ヒューズが気づくくらいだ。当然、協会も不審を感じているのだろう。
冒険者は基本的に自己責任であるが、さりとて数が減るのも好ましくはないはずだ。
この都市は、遥か昔から迷宮産業によって成り立っているのだから。
得体の知れない不安を感じ、ヒューズは懐からお守りを取り出した。そのまま、勢いよくギュッと掴む。
――やはりそうだ。こうしていると、不思議と気分が落ち着いてくる。
こんなことを知られたら、いつまでも兄離れが出来ない男だと、ジェニー辺りに呆れられてしまいそうだ。
コレットと路地で向かい合った時も、これを手にしていなければ、激情のままに彼女を傷つけてしまったかもしれない。
苦笑しながら、ふと空を見上げる。美しい円を描くそれを見ながら、そっと息を吐き出した。ヒューズは月明りに良い思い出が多い。
コレットと出会ったあの日もそうであったし、そして村を出るのを決意したあの夜もそうだ。
「……キオ」
あの日も、こんなふうに進むべき道を迷い、悩む自分へ語り掛けてくれて――
「――呼んだかい?」
幻か、と。そう思った。
しかし目をこするも、その姿は薄れもせず、消えもしない。
「なん、で……」
「月の奇麗な夜だね」
ヒューズの問いには答えず、彼は飄々とした態度で、歩み寄ってくる。
「ねえ、ヒューズ。少し気晴らしをしない?」
「き、気晴らし? それってまさか」
「うん、そうだよ。得物を持っておいで。君がいつも使ってるだろう、その槍で良いよ」
顔立ちが整っているわけではない、荒々しい魅力があるわけでもない。その姿に見るべきものがあるわけがない。
なんの特徴も無い――彼はそう、何処にでもいるような誰か。
けれど、それなのにどうして。どうしてこんなにも、彼の姿を見るとホッとするのだろう。
泣きたくなるくらいの、安心感を覚えるのだろう。
「久しぶりに、稽古をしよう。君の成長を見せて欲しい」
そう言ってキオは、ヒューズの肩をぽん、と叩く。
その顔に浮かんでいるのは、五年前となにも変わらない、あの懐かしい微笑みだった――
前後編となる新作短編を投下しました!
こちらと同じく、最終決戦を終えた主人公の余生の物語です。
もし良ければご覧くださいませ!
「帰ったら結婚しよう」と言った幼馴染のあなたに向けて、私は「他に愛する人が出来ました」と別れの手紙を書いた
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