第20話 コレットの不安
ヒューズが戻ってきたのは、夕暮れ時の事であった。
どことなく冴えない顔で、何かを言いたげに唇を噛み締めている。
そんな彼の様子に、ジュールが戸惑っていたようだが――客足が近づくにつれ、それに流されて仕事へと戻ってしまう。
そんな二人を見て、コレットは申し訳なさに胸が詰まりそうになる。その理由がおそらく、自分にあるような気がしたのだ。
(やっぱり、彼はあのことを……)
やがて客の流れもなだらかになり、宿の手伝いもひと段落。そうして女将さんに労をねぎらわれ、コレットたちは食卓に着いた。
同時に、二階からキオとジェニーが降りてくる。コレットたちが仕事を終わるのを待っていてくれたのだろう。いつも彼らはこうやって、こちらの動きを読んだように気を遣ってくれるのだ。
「キオさん、ジェニーさんっ! 今日の料理はですね……!」
キオ達に飛びつくようにして、はしゃぐ弟が微笑ましい。
この子がこんなにも人に懐くなんて珍しかった。キオ達の人柄が為せるものなのだろうか。
しかし、今日のコレットはそんな光景に胸を暖かくする余裕は無かった。
何故なら、もっと気にかかるものが目の前に在ったから。
(……ヒューズ)
数日前から、彼の様子がおかしい。
なにかと理由をつけてはコレットの傍に居たがるようになり、所作にも焦りが垣間見え始めた。
全てはそう、あの日から。
協会であの男と再会してしまった、あの時から――
コレットは内心の怯えと不安を振り切るように、ヒューズを見つめる。
テーブルを挟んだ、真向い。そこに彼は腰かけ、エールをちびちびと口に運んでいた。
らしくもない飲み方だ、とそう思う。コレットがヒューズと出会ってもう二年になるが、こんな風に躊躇いがちの飲酒を彼は好まない。
陽気で明るく、どんな時でも楽しむようにお酒を飲む。そんな彼と一緒に酒杯を傾け、語らうことがコレットは大好きだった。
なのに――
「あ、あの……」
「ん? ああ、悪い。辛気臭かったよな」
ヒューズはそう言って苦笑し、エールを一気に喉の奥へと押し流す。
「ぷはっ! やっぱウメエなあ! ジェニーも飲むか? もう成人してるだろ?」
「そんな気分じゃないわ」
バッサリと誘いを断ち切り、少女は肩を竦める。
ヒューズの昔馴染みだという彼女は、村長の孫娘だという。どことなく気品があり、年齢以上に大人びて見えるのはそのためだろうか。
二人の会話を眺めながら、コレットは不思議な気分になる。
彼らと出会い、こうして夕食を共にするようになってから、はや数日。
冒険者になってから、ヒューズや弟以外の人間と、こんな風に食卓を囲むことは今まで無かった。
「そういえば、村の連中への土産は見つかったのか? それなりに貯金はあるから融通するぜ」
「あら、気前が良いのね。ヒューズのくせに生意気よ」
「善意を侮蔑で返すなや!」
小突く真似をするヒューズのそれを、ジェニーがサッとかわす。
手慣れた仕草からして、恐らく故郷で何度となく繰り返されてきた応酬なのだろう。
「何か必要なものがありましたら言ってくださいね。お店を紹介しますよ」
「ありがとうございます、コレットさん」
微笑ましさと同時に、感じるしこり。それを振り払うように微笑むと、少女もまたにっこりと笑みを返してくれる。
素敵な女の子だと、コレットはそう思う。何よりも美味しそうに女将さんの食事を平らげてくれるところが、とても良い。
「ジェニーは何かさ、欲しいものとかねえの?」
「永遠の命かしら」
「暴君みたいな事を言い出しやがったな」
――ああ、やっぱり。
軽い冗談に対し、気安げに笑いかけるヒューズの眼差し。それを向けられるジェニーが、羨ましくて仕方がない。
(……って、何を考えているの! 私ったら! 彼が親しくしている方に、なんて失礼なことを!)
どうもおかしい、ここの所は変だ。自分の感情が上手く制御できなくなっている。
(あの男と、また出会ってしまったから……なの?)
そうであるかもしれないし、違うのかもしれない。
この異様な熱は、少し前からコレットの心を炙り始めていたのだ。
「コレットさん、大丈夫ですか?」
「え、あ……はいっ」
ジェニーの隣に座していた少年が、心配そうに声を掛けてくる。
いけない、こんな事ではいけない。みっとうもない姿を見せてはいけない。
「すみません、少しぼうっとしてしまいまして」
「いいえ、謝ることはありませんよ。悪いのはヒューズなのですから」
そう答えて、水をむけてきたのはジェニーだ。
「こんなに奇麗な方と美味しい食事を共にしているのに、態度が不埒」
「おま、んな事はねえだろ?」
「こういう時、男は浮気をしているってステラおばさん達から聞いたわ」
すうっと目を細め、底冷えするような声で少女は淡々と告げる。
下手に整った容姿をしているだけに、その効力は半端じゃない。傍で見ているコレットの方が慄いてしまう。
「ば、馬鹿な事を言うなっ! 俺はコレット一筋だっつうの! 他に女なんて作るわけねえだろ!」
血相を変えたように慌てて、ヒューズが怒鳴り散らす。
彼は真っすぐだ。どこまでも誠実である。
普通ならば嬉しく、心をときめかせたであろうやり取り。
――けれども、その一言は矢の如くほとばしり、コレットの胸へと突き刺さった。
「……ごめんなさい」
振り絞るような声を出し、コレットは立ち上がった。
「……コレット?」
「あの、ちょっとお手洗いに」
口早に告げて、その場を去る。
失礼だとは思っていたが、どうにも心がざわめき、いてもたってもいられなくなってしまった。
――私は、本当にどうしてしまったんだろう。
そのまま宿の外に出て、路地に入り息を吐き出す。
頭が痛い。胸の奥が軋む。体の震えが止まらない。
『お前は最高だな。他の神官では、こうはいかないぜ。大丈夫、大丈夫だ。何も心配はいらねえさ』
脳裏に閃く、あの男の声。ねっとりと耳に張り付くようなそれが、消えない。消えてくれない。
『――だってまだ、カミサマの声は聞こえてるんだろう……?』
喉から引きつるような悲鳴が零れる。
おぞましさに肌が粟立ち、無意識のうちにコレットは自分の体を抱きしめていた。
――汚い、私は汚い。運命神に仕える者として、決して許されないことをしてしまった!
たとえ『彼女たち』がそれを望んだのだとしても、コレットの罪は消えない。
表情が抜け落ちたように、呆然とする顔。気丈に振る舞うも、涙の痕が色濃く残る顔。
顔、顔、顔、顔――彼女たちの、あの顔!
「う、っく……うぅぅぅぅ……!」
食いしばった歯の隙間から、嗚咽が零れる。
やっぱり、ダメだ。自分はとても、あの人に相応しくはない――
「――コレット」
救いの声は、月の光に紛れて響いた。
「ヒューズ……?」
どうして、どうして彼がここに居るのだろうか。
戸惑うコレットに、ヒューズが笑いかけてくれる。
柔らかい、優しさと労わりに満ちた眼差しだった。コレットが大好きな、掛け替えのない相棒の微笑みが、心を揺さぶる。
「ジェニーにさ、尻を蹴っ飛ばされちまったよ。サッサと追いかけろ!ってな」
おどけたように苦笑する彼を前に、コレットは何も言えずに目を伏せた。
「なあ、コレット。初めて出会ったあの日も、こんな風に月が奇麗に輝いてたよな」
ヒューズは尋ねない。こちらの心を、荒々しく踏み荒らそうとしない。
ただ静かに、穏やかに。染み入るような声で思い出を聞かせてくれた。
「俺たちが迷宮から脱出して外に出れたらさ、もうすっかりと日は沈んじまってて。丸いお月さんが俺らをこうして、見下ろしてたっけ」
それは彼との初めての出会い。弟を残して死ねないと、無様に死から抗おうとしていたコレットの前に、彼が現れたのだ。
「あんときゃ、気が抜けてさ。お互いに寝っ転がっちまったよな。それからなんだか、可笑しくなってきちまって」
頬に、指先が触れる。その温もりがあまりにも嬉しくてすがってしまいそうになる。
「あの時から俺は、君の事が好きになったんだと思う」
なんて返せばいいのか。どう答えればいいのか。
あの日と同じく、迷宮に取り残されたような心持ちで、コレットはただ体を震わせた。
「不安があったら分かち合おう。心配事があったら共有しよう。コンビを組む時、そう決めたよな?」
「ヒュー、ズ……」
彼の腕が背に回る。たくましく、力強い感触だ。
恐怖もなにもかもが、そこに溶けて消えてしまいそうで。
間近に見えるヒューズの顔は、苦渋に満ちていた。
何かを堪えるように、眉根を寄せながら、それでも必死に言葉を振り絞ってくれる。
「俺をまだ相棒だと信じてくれるならさ、コレットが抱えるものを一緒に背負わせてくれないか?」
あまりにも優しく愛おしいその言葉に、心を固めていた何かがほぐれてゆく。
ああ、そうだ。コレットはようやく気付いた。
両親を亡くしてから、今日まで気を張ってきた。冒険者を志してから、死に物狂いで生き抜いてきた。
強くあらねばならない。どんなに傷ついても、苦しんでも構わない。
ただジュールを、弟を。彼を絶対に幸せにしたいと、それだけを願って。
(でも――)
両目から熱い何かが零れ落ちてゆく。それが涙だと知った瞬間、コレットは悟った。
――ずっと私は、こうして誰かの胸で泣きたかったんだ。
どこまでも優しいその温もりに、愛おしさが募ってゆく。
もう、何も考えたくはない。幸福の中で、コレットは真実を口にしようとして――
「――ひっ!?」
そして、コレットは見てしまった。
「い、やああ……あ、あ……っ!」
足元に、何かが縋り付いている。
無数の小さな手と、暗闇の中でもはっきりと見える肌の色。
眼窩が落ち窪んだ『彼ら』は、黒々と広がる眼で、ただコレットをじっと見つめている。
「ごめんな、さい……」
「コレット……?」
ガタガタと体が震える。それは幻覚か、はたまた――
コレットの罪の形が群れをなし、続々と小さな指を伸ばして裾を掴む。
その口が一斉に開くのを見て、恐怖と罪悪感が頂点に達した。
――オマエダケ シアワセニ ナルノ?
「いやあああああああああああああああ!?」
「コレット!? おい、どうしたんだよ!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいいいいい!!」
焦るヒューズの手を払い、コレットはただひたすらに泣き喚く。
そうだ、そうなのだ。忘れてはいけなかったのだ。
自分が、幸せを望むなどと考えてはならなかったのだ。
忘我の果てに意識が途切れる直前、仰向けに倒れ込みながら、コレットはそれを見た。
自身の罪を照らすように輝く、あまりにも美しいその満月を――




