第19話 懸念
「ごめんね、ヒューズ。いつも手伝ってもらっちゃって……」
「いいって、いいって! 俺もどうせヒマだからさ!」
申し訳なさそうに縮こまる相棒へ、ヒューズはなんでもなさそうに笑いかけた。
この都市の宿屋は、酒や食事を提供していることが多い。そのため、昼時となると何処も戦場めいた様相をかもし出す。特に、この『虹の盃亭』のように、副次効果があるならなおさらだ。
「コレットちゃん! エールちょうだい!」
「俺もだ! おかわりよろしく!」
デレデレとしながら、調子のよい声で男性客たちが叫ぶ。その顔が赤らんでいるのは、酒のせいばかりではあるまい。
「はいよ! 大盛りにしといたぜ」
「んだ、ヒューズかよ! お前に頼んじゃいねえよ!」
「そーだ、そーだ! 厨房に引っ込んでろ!」
「すんませんねえ、人手不足なもんで」
野次を飛ばす連中を軽くいなし、ヒューズはニコリと笑う。
この男たちも同業の冒険者である。気心知れた――とまでは言わずとも、何度か一緒に迷宮へ潜ったこともあった。
だからまあ、いつも通りのやり取りではある、のだが。
「流石はこの子の騎士様だあね。ずいぶんと手慣れてきたじゃないか、ん?」
「からかわないでくださいよ。女将さん」
料理を運んでいた小太りの女将が、カラカラと軽快そうに笑う。こっちのからかいは、まだまだ慣れない。
この宿を営む夫婦はコレットの両親とは昔からの友人であったそうだ。彼女のことも、実の娘同様に思ってくれている。それは有難いと部外者であるヒューズもそう思うのだが。
「コレット目当てに、客が寄ってくるからねえ。アンタが居てくれて大助かりさ。しっかり点数稼ぎなよ」
「女将さん、もう!」
頬を軽く膨らませたのは、ヒューズではなくコレットだ。その頬には赤みが差している。
ため息を吐く姿さえ様になっている――とは、流石に惚れたひいき目か。
(……この穏やかなひと時が、幸せって奴なのかな?)
柄にもなく、ヒューズはそんな事を思ってしまう。
「姉さん、蒸し魚が出来たよ! これ、一番奥のテーブルだよね?」
「ええ、そうよ。気を付けて運んでね」
大皿を両手に抱え、けれども危なげない足取りでジュールが歩き出す。
その背中を見守るコレットの眼差しは暖かく、慈愛に満ちているように思えた。
(いつ見ても、姉っていうより母親みたいだよな。母さん、か……)
――ヒューズは、母の顔を知らない。
自身を生んだ後に予後が悪く、そのまま儚くなってしまったらしいと父から聞いた。
そんな親子を不憫に思ったのだろう。村の女性たちが何かにつけて面倒を見てはくれたが、それだって実の子に対するものとはまた違う。
だから、なのだろうか。
穏やかで優しく、母性的な魅力に溢れたコレットを、ヒューズが好きになってしまったのは。
けれど、それを本人に言うには気恥ずかしく、また男として情けないようにも感じてしまう。
貴女に母の面影を見ました――うら若い女性にそう言って、喜ぶ者は稀であろう。
(前にコレットの前で、酔った勢いのままポロっと零しちまった事があるけど……あの時は空気が固まったからな。あんな居心地の悪い思いは、二度としたくねえし)
苦い過去を思い出し、ヒューズは肩を落とす。
キオやジェニーには聞かせたくもない失敗談であった。
脳裏に浮かぶのは、あの時のコレットの表情だ。
顔を強張らせ、口元をひきつらせていた相棒の姿に、後悔ばかりが募り出す。
そうして己の所業に煩悶としていると、にわかに入り口の辺りが騒がしくなる。
声と足を弾ませて、複数人の女性客がドッと押し寄せてきたのだ。
「――コレット、来たよ! 仕事の前に美味しいものを喰わせておくれ!」
「この間はありがとうね。あの娘の病もすっかりと良くなったよ」
「あたしの足もほら、この通りだ! だからじゃんじゃんと精のつくもの、頼むね!」
ペラペラと一気呵成に喋り出す女性たち。
年のころもバラバラで、ヒューズより年下も居れば、一回り以上を経ているお姉さま方も居る。
「お、ヘタレヒューズもいるじゃん。元気かい?」
「その様子だと、まだ進展してないんだろ? まあコレットに見限られたら、あたし等の所に来なよ」
「そうそう、お友達料金で歓迎するよん」
きゃはは、と笑う彼女らに頭が痛くなる。
「頼むから、余計なことを言わないでくれよ姐さんたち。俺らには俺らの流れってもんがあるの」
「そのまま流し流されて、どっかに行っちゃったりして」
「あり得る。おいヒューズ、釣った魚は逃がすんじゃないよ? 特上物だぞ? 捌く前に横取りされるなよ」
口では勝てない、まるで及ばない。
更に今は、心当たりがあるから尚更だ。
何も言い返せずに憮然としていると、コレットがくすくすと笑いながら背を撫でてくれた。
やはり彼女は『天使』だ。最高の相棒である。
「あんまり、彼をからかわないでくださいね。私だって怒る時はありますから」
「ごめん、ごめん! アタシらが悪かったって!」
姦しい彼女らも、コレットの前では無力。借りてきた猫のように大人しくなる。
何故なら、歓楽街を寝床とする彼女らにとって、コレットは誰よりも有難い存在なのだ。
ヒューズの相棒は冒険者である前に、運命神の神官だ。
奉仕活動にも積極的であり、炊き出しや病人の治療などにも精を尽くしている。
そんな彼女が眩しくて、誇らしくて――だからヒューズの想いは更に募っていく。
(……ったく。先に進めるものなら、俺だって進みたいっての)
その弟を除けば、彼女と最も関係が近いのは自分である。それは決してうぬぼれではあるまい。
大切な相棒、そしてかけがえのない女性。
こんな風に誰かへ想いを傾けることになるなんて、五年前のヒューズからは考えられないことだった。
いつか、ジュールの目が治ったら。そうしたら三人での未来を考えられるだろうか。
そんな夢も希望もしかし、肝心なところで自信が持てない。
何故なら、ヒューズが想いを告げたあの日、コレットは――
「――おい、ヒューズ」
「ん……ああ」
端っこの席に座し、ちびりちびりと地酒を呷っていた男が、通り過ぎざまにヒューズへ声を掛けた。
「例の野郎の件だが、ある程度は分かったぞ」
「お、ずいぶんと早いな?」
「情報は鮮度が重要だ。この料理と同じだな」
蒸した魚を口へ運び、男は肩を竦めた。その頬は得意げに緩んでいる。
一見して、柔和そうな雰囲気を漂わせているのがまた、始末に悪い。相変わらず掴みどころのない男だ。
「じゃあ、いつものところで、な」
ヒューズもまた笑みを返し、接客へと戻ってゆく。
憂いは放っておくべからず。どんな些細な懸念でも、気のせいだと笑い見過ごす愚かさを、ヒューズは良く知っていた。
もしかしたらこの心がけこそが、この五年の冒険者生活で得た、一番の財産だったのかもしれない。
(あの頃の俺じゃあ考えられねえなあ)
久しぶりに昔馴染みにあったから、だろうか。
人を疑うのを常として、その裏を取って先に備える。そんな立ち回りを当たり前のようにこなす自分が、妙に汚れてしまったように思えて――ヒューズは苦笑いを零した。
☆ ☆ ☆
「ただいま」
昼下がりを迎え、客足が遠のくころ。キオとジェニーは宿屋へと帰ってきた。
「お帰りなさい。いかがですか、この迷宮都市は。ご堪能して頂けていますか?」
まっさきに出迎えたのは、ヒューズの相棒・コレットだ。室内の掃除をしていたのか、箒を片手に微笑んでいる。
「ええ、驚きました。なにぶん田舎育ちなもので、こんなに大勢の人を見たのは初めてですわ。何処へ行くにも新鮮で、とても楽しんでおります」
答えたのはジェニーだ。涼し気な笑みを浮かべ、お上品な態度で返している。
ほんの少し前まで、その口元にソースをべったりと貼り付けていたとは思えない淑女っぷりだった。
迷宮都市へとやってきてから、はや数日。
宣言通り、彼女は連日のごとく屋台へ通い詰めていた。
最近ではその辺の店主と顔見知りになり、おまけまでしてもらう始末だ。
喰いっぷりが繊細かつ豪胆だと、良く分からない評価を頂いているらしい。
「ところで、ヒューズは?」
「少し前に出かけましたよ。たまにこうやってフラッと何処かへ行っちゃうんです」
ジェニーの問いに、コレットが苦笑する。
「男同士のお付き合いとか、あるんですって。ほんと、何をしてるんだか」
微かに口を尖らせ、けれどもその口調に苛立ちは無い。むしろ、親愛の情に溢れているようだと、キオは分析した。
「コレットさんは、ヒューズの事がお好きなんですね」
「えっ!?」
それが嬉しくて、ついポロっと言葉が漏れてしまう。
お互いに好意で結ばれているのなら、素晴らしい事であった。
「……キオ」
「あれ、ダメだった?」
「こういうのは、もう少し繊細に扱わないといけないわ」
そうなのか、難しいな。キオは首を捻る。
「えっと、あの。その……」
見れば、コレットは可哀そうなくらいにうろたえて、あわあわと目線をあちらこちらに飛ばしている。
「すみません、また余計な事を言ってしまったようで」
「大丈夫ですよ、キオさん。言っている事は間違ってませんので」
そう言って間に入ってくれたのは、コレットの弟・ジュールだ。
「両想いなんです、とてもお似合いの二人なんですよ。早く僕もヒューズの事をお兄さんって呼びたいのに」
「ジュ、ジュール!!」
茶目っ気たっぷりに、少年が片目をつむる。
姉弟の微笑ましいやり取りを見て、キオは何度目かの安堵を覚えた。
ヒューズは、こんなに素敵な人たちと親しくしているのか。冒険者への道を歩んだ彼の事を心配していたが、どうやら杞憂であったようだった。
――とすると、さっきから店の外をうろついている『アレ』は、彼とは無関係なのかな。
キオはなんとはなしに、後ろを振り返る。
慌てたように立ち去る人影と、その足音を耳にして、フムと頷いた。
ヒューズはもう大人だ。立派な青年に成長した。だから、これは余計なお節介なのかもしれない。
「キオさん? どうかされましたか?」
「羽虫が入ってきたみたいですわ」
コレットの疑問に、しれっとジェニーが出まかせを返す。
言わずとも意図をくみ取ってくれるのが有難い。これが幼馴染の以心伝心というやつであろうか。
(……さて、どうしたものかな)
遠ざかってゆく『それ』をマーキングしつつ、キオはそんな事を思うのであった。




