第16話 迷宮都市の朝
設定した時間きっかりに目を開き、体内の回路を始動させる。
程なくしてキオは起き上がると、窓をそっと開いた。朝日が差し込み、全身を照らす。それはとても心地良い感覚であった。
しばしその輝きを堪能していると、背後でもぞりと動き出す気配があった。
「おはようジェニー」
「……おはよう、キオ」
返事をしつつも、寝ぼけ眼でうつらうつらと少女は船をこぐ。ジェニーは寝起きがあまり得意ではないのである。
空気中の水分を凝縮して差し出すと、彼女は勢いよくざぶんと顔を浸す。十秒、二十秒、三十秒――ブクブクと泡が立てられた頃になって、ジェニーはようやく頭を上げた。
「ん、ありがとう。スッキリしたわ」
「どういたしまして。昨日は良く眠れたみたいだね」
ジェニーはこれで結構図太く、枕が変わった程度の事で睡眠の質を落としたりはしない。
野宿も雑魚寝も、なんでもござれ。初めての場所でもぐっすりと眠れるお得な女の子なのである。
「それって褒め言葉なのかしら」
「あれ? 僕、口に出してた?」
「ううん。なんとなくそう思っただけ」
恐るべしは幼馴染。以心伝心とはこのことか。
「さて、用意をしたら出かけましょ。お腹も空いたわ」
昨夜はあれだけ飲み食いをしたのに、彼女の胃には全くもたれていないらしい。
「そうだね。美味しいもの、いっぱい食べようね」
とはいえ、キオに疑問の余地は無い。
旅先という事もあり、いつもよりちょっぴり食への枷が外されているだけ。それだけの事である。
「……うん」
にっこりとほほ笑むジェニーを見て、キオは一日の始まりを実感するのであった。
☆ ☆ ☆
「おはよう、ジュールくん」
一階に降りて広間に顔を出すと、そこには床掃除にはげむ少年の姿があった。
「その声はキオさんですねっ! おはようございますっ!」
すると、少しの躊躇いもなく少年の視線がキオに向く。とても良いお返事だ。朝に相応しい清々しさである。
「おはよ、ジュールくん」
「はいっ! ジェニーさんもおはようございます!」
ジェニーの挨拶にも、元気いっぱいの声が返ってくる。
視界が変じている分、他の感覚が発達しているのだろう。声の主が誰か、まるで迷う様子が無い。
「ヒューズとコレットさんはもう、出かけたの?」
「はい、キオさん! 協会の方に向かったみたいです!」
元気が良くて、素晴らしい。
それに、ニコニコと笑う姿がとても可愛らしい。
昨日は獣人たちに絡まれていたせいもあり、少し内気に見えてはいたが――本来の性格はこっちのようだ。
「えっと食事は確か」
「うん、迷宮の方で取らせてもらうつもりだよ。この都市の名物なんでしょ?」
キオの問いかけに、ジュールは笑顔のまま頷いた。
「屋台もいっぱい出てますよ! 冒険者さん以外でも、あそこに寄って食べ歩く人は多いです!」
「今の時間でも大丈夫かな?」
「はいっ! 朝から晩まで開いてますよ!」
それは良かった。ジェニーの食欲と興味の両方を満たせそうである。
お礼を言って出かけようとしたその時、ジュールが言いよどむようにしてうつむいた。
「あ、その……えっと」
「ん? どうしたの?」
見れば、彼はもじもじと恥ずかしそうに身をよじらせている。なにか言いたいことがあるのだろうか。
思考を探るのは簡単だが、そういった手はなるべく使いたくない。便利さを追及して手段が雑になるのを、なによりジェニーが嫌がるからだ。
だからキオはゆっくりとしゃがみ込み、視線を合わせた。
すると、白濁した瞳孔がこちらをピタリと捉える。
「えっと……その……昨夜の、お話。また今夜も聞かせてくれますか?」
「天使のお伽噺のことかな?」
「はい! そのオトギバナシです!」
これは重畳。どうやら彼はキオが語るあの話を気に入ってくれたらしい。
「もちろんだよ。是非とも聞いて欲しい」
そして出来れば、お客さんとかに広めてくれると有難い。
あの優しい物語が、この世界でも語り継がれていくならば、何かが救われるとキオはそう思うのだ。
顔を輝かせる少年に手を振って、店の外へと出る。
朝からとても気分が爽快だ。幸先が良いとはこのことか。キオがそう浮かれた気持ちでいると、指先に触れるものがあった。
「ジェニー?」
「良かったね、キオ」
やはり幸先が良い。良すぎる。旅行というのはかくも素晴らしいものなのか。
キオの想いを読み取ったかのように優しく微笑む幼馴染を見て、改めてそう実感する。
「うん、ありがとう」
キオはその言葉が大好きである。お礼を言うのも言われるのも、気持ちが良いと思えるからだ。
だから、それを伝えられる相手が傍にいてくれる事が、とても幸せで嬉しい。
――今日も良い日になりますように。
祈りと願いを込めて、キオは彼女の手をそっと握り返すのだった。




