第二十一話 血戦の戦果
4時32分。
軍用車両の中は、荒い呼吸と血の匂いで満たされていた。
雪を巻き上げて走る衝撃に合わせて、誰もがシートに身体を押し付けられる。
背後ではまだ銃声が散発的に響いていたが、混乱したロシア兵たちは追撃の隊列を組めずにいる。
司令官マリューチンを人質に取られている以上、無闇に撃ち込むこともできなかった。
アグリは背中を汗で濡らしながら、後部座席の仲間たちを振り返った。
サラは唇を噛み、手のひらにべっとりとついた血を拭うこともせずに俯いている。
ミカは震える指で携帯端末を操作し、ダウンロードしたデータの確認に没頭していた。
「……取れた。旧ウクライナに関する通信記録、暗号化されてるけど……確かにある」
その声に、一瞬だけ沈鬱な空気が揺らぐ。だが、誰一人として笑わなかった。
車両の床に押し込まれたマリューチン大佐と二人の将校は、縛られた手を後ろに組んだまま不敵な笑みを浮かべている。
その目には敗北ではなく、雪月花を侮る冷笑すら浮かんでいた。
アグリは何も言わず、ただ拳を握りしめた。
***
拠点に戻ると、アグリは数名の隊員と共に、マリューチン大佐と二人の将校を殺風景な部屋に押し込んだ。
縛られた手首には手錠がかけられ、二名の警備が交代で部屋を見張る。
マリューチンの目は依然として冷たく光っていたが、今は逃げることも、反撃することもできなかった。
アグリはちらりと彼らに目をやり、医療室へ足を進めた。
仮設の医療室はすでに負傷者で埋まっていた。
シノハラは医療班の中心に立ち、額に汗を浮かべながら止血処置を続けていた。
包帯を巻き、点滴を固定し、時に心臓マッサージを施す。
元自衛隊衛生官としての経験が、今この瞬間すべて求められていた。
他にも、元病院勤務の看護師や、医大を中退して戦線に加わった若者らが必死に動いていた。
血に染まった布を捨て、新しいガーゼを差し出し、次の負傷者の名を叫ぶ。
救えた命はわずか。だがそれでも、誰一人として手を止めようとしなかった。
シノハラたちが負傷者を手当てする傍ら、アグリは胸の奥に重石を抱えたまま立ち尽くしていた。
「……コムロ班、全滅です」
報告に来た隊員の声は震えていた。
アグリはしばし沈黙し、やがて低く呟いた。
「彼らは……最後まで俺たちを生かすために戦った」
その言葉を胸に刻み、アグリは医療室を離れた。
廊下を抜け、作戦会議室に入る。
そこにはミカ、サラ、タカノ、数名のメンバーが集まっていた。
机の上にはミカが解析中のデータが映し出されている。
暗号化されたファイルをいくつか解読し、断片的に現れる単語が翻訳されていった。
「……これは、“призраки”。ロシア側の呼び方だ。直訳すると“亡霊”」
ミカが解析結果を読み上げる。
アグリは静かに頷いた。
「亡霊か…。俺たちはその呼び方には従わない。ロシア軍にとっては亡霊でも、俺たちにとっては同じ敵と戦っている同志だ」
雪月花が国内で孤立して戦っているという感覚は、仲間を失った今なお胸に刺さっている。
だがそのデータの断片は、遠い地で同じ敵と戦う存在を確かに示していた。
ミカが続ける。
「ロシア軍が彼らを追跡するために傍受した周波数がある。逆に言えば、私たちもそこに信号を流せば……返事が返ってくるかもしれない」
タカノが腕を組んだまま呟く。
「ってことは……繋がれる可能性があるってことか?」
サラが息を呑む。
「でも、それは罠かもしれない」
アグリはゆっくりと頷いた。
「分かってる。だが試す価値はある。俺たちと同じように戦う者たちがいるなら、必ず道は開けるはずだ」
会議室に集まった者たちは、互いに視線を交わした。
犠牲は大きかった。
だがその血が示した道は、確かに次の希望へと繋がっていた。




