番外編 「出会いは橋の下で」
2人の出会い編です。
今回は、直人視点にてお送りします。
その日、僕は、死ぬはずだった。
子供の頃から背が低くて、しかもコロコロと太っていた僕は、いわゆる‘チビデブ’というやつで。
そのうち成長期に入れば、背も伸びるだろうと思ったけれど、周りとぐんぐん差がついていく中で、僕には一向に成長期なんてものが訪れる気配もなく、高校2年になった今もまだ、‘チビデブ’のままだった。
運動もできないし、勉強も好きじゃない。
唯一、人に自慢できることがあるとすれば、パソコンくらいかもしれない。でも、それにしたって、‘オタク’って言われるだけで、誰に褒められることもない。
中学の頃からイジメが始まって、高校に入ったらそれもおさまるかと思ったけれど、全然ダメだった。
相変わらず、使いっぱしりのいじめられっ子ってやつ……。
親は忙しく働いていて、僕のことに何も気づかない。
教師も、暴力に発展していないイジメなんて、なんとも思わないらしい。
……何もかもが、嫌だった。
いじめるやつらも、子供に無関心の親や教師も。
何よりも、こんな自分が。
大嫌いだった。
死んで楽になれるなら、死んでしまおうって、そう思った。
……もう、疲れたんだ。
冬も山場を迎えていて、凍えるような冷たい風が吹いていた。
僕は最適な死に場所を目指して、コートを羽織ると、家を後にした。
遺書くらいあった方がいいだろうかとも考えたけれど、僕が死ねば、周りが勝手にその理由を解釈してくれるだろうと思って、やめた。
……大体、何を書いたらいいのかなんてわからない。
その女の子を見つけたのは、僕の家から割と離れた所にある、あまりきれいとは言いがたい橋の、その下だった。
僕は、橋から飛び降りて死ぬのもありかなって、川の深さを見に下りてきて、彼女に気づいた。
……すっごい美少女。
中学の制服にコートを羽織ったその女の子は、すっごくかわいい、人形のような子だった。
…………。
…………酔っ払いだったけど。
なぜかその美少女は一升瓶を抱えていて、僕に気づいて上げた顔は、明らかに酔っている顔。
顔も赤いし、目が据わってる。
「…………」
「…………」
…………見なかったことにしよう。
一瞬だけ見つめあって、僕はクルッときびすを返した。
あの子のためにも、関わり合いにならない方がいいと思ったから。
……なのに。
「おい、そこのチビデブ高校生」
うっ……!
今、痛いところを、グサッて、グサッて……。
直球で傷つけられながらも、おそるおそる振り向いた僕に、その美少女が据わった目でこっちを睨む。
「あきらかに、『見てはいけないものを見ちゃいました』って顔してんじゃないわよ」
「ご、ごめん……」
絡み酒か……。
「まったく。男なんてどいつもこいつも同じ。人の外見だけ見て判断しやがって……。あたしみたいなかわいげなのが、酒飲んじゃ悪いかっての」
……ダメだろ。かわいい云々の前に、中学生なんだから。
思わず内心で突っ込みながらも、彼女の言った言葉が気になって、立ち止まったまま、動けなくなった。
『人の外見だけ見て判断しやがって』
彼女が、そう言ったから……。
「あ、あの……君……」
「何よ?言いたいことあんなら、はっきり言えっ!」
「は、はい!……あの!なんで、こんなところで、お酒飲んでるのかなって」
先生に叱られた子供みたいに、つい返事をして聞いたら、美少女が呆れたようにフンッて笑った。
鼻で。
「ばっかじゃないの?家じゃ親の目があって、飲めないからじゃない」
……いや、そういう意味じゃなくて。
「なんで、お酒飲んでるの?」
「酔っ払いたいから」
そりゃ、そうだろうけど……。
「どうして酔っ払いたいの?」
「……忘れたいことがあるから。大人はそういう時に、やけ酒するんだって」
……やけ酒。
中学生が、やけ酒って……。
「嫌なこと、あったんだ?」
「まぁね」
そう答えた美少女が、何を思ったか、チョイチョイと僕を手招きする。
「?」
つい、その手招きに従って近づいたら、いきなり腕をとられて、彼女にグイッと引っ張られてしまった。
「うわっ!?……な、なにす……」
「座れ」
慌てて手をついて、彼女の横に膝をついた僕に、彼女がそう言う。
……いや、なんで僕が?
「お兄さん、あたしの失恋話、聞いてくれるんでしょ?」
……別に、そんなつもりはなかったんだけど。っていうか、失恋したんだね?
「聞くんでしょ?」
「え?」
「聞・く・ん・だ・よ・ね?」
「あ、はい……。聞きたい、です」
さらに念を押されて、その迫力に思わず頷いたら、彼女が『よし』って、ニコッと笑った。
その顔がかわいくて、つい見とれてしまう。
そして、こんなかわいい子でも失恋することがあるんだということに、興味を引かれた。
「お兄さんも、飲む?」
「いや、僕は……」
彼女が、カバンから新しい紙コップを取り出して、僕が断るのを無視してなみなみと日本酒を注ぐ。
「飲め」
「はい……」
笑顔で強制的に渡されて、無理やり乾杯もさせられて、仕方なくそれに口をつけた。正月くらいしか飲むことのない日本酒特有の香りが、口の中に広がる。
ものすごく冷たくて、一瞬身震いした。
でも、なんか、おいしいかもしれない……。
「大人はね、失恋したらやけ酒するんだって。この前、ドラマで見たの。でも、確かに気持ちいいよねぇ〜、お酒って」
誰もが失恋=やけ酒じゃないと思うけど……。
アルコールで赤くなった彼女が、ほぅっと気だるげにため息をつく。
その顔が、中学生とは思えないくらい大人っぽくて、ドキッとさせられた。
「そ、それで?君みたいなかわいい子が、なんで失恋なんてしたの?」
ごまかすように尋ねたら、彼女の顔がム〜ッとしかめられた。
「……かわいくないから」
「へ?」
何を言ってるんだ、この子は?
さっきは自分でかわいいって言ってたじゃないか……。
やっぱり、酔っ払いだから、わけわからないんだろうか?
「あたしね、付き合ってる人がいたの」
僕の疑問を無視して、彼女が話し始めた。
「同じクラスの人で、結構かっこよくて、サンタっていうの。トナカイ連れてそうな名前だけど」
サンタクロース……。
「半年前に向こうから『付き合おう』って言ってきて、あたしもうなずいて。で、付き合うことになったんだけど……。大人から見れば、おままごとみたいでも、あたしたちは結構楽しく恋愛してたと思うんだ。一緒に海に行ったり、買い物したり、手をつないで……」
ちょっと懐かしむみたいに、彼女がクスッと笑った。
でも、一瞬でその笑みは消えてしまう。
「でもね、でも……。終わっちゃった」
うつむいた彼女の瞳が、濡れていることに気づく。
僕が来るまで、ずっと泣いていたのかもしれない。
「……なんで?」
僕は、紙コップに入った酒を半分ほど飲み干して、彼女に聞く。
だんだん、体が熱くなってきた。
「サンタが、浮気したから」
浮気、ですか……。
「他の子と、手をつないでたの。すっごく、仲良さそうに……。キスしてたわけじゃないけど、それでも、浮気は浮気だもん」
キ、キスって……!?
……僕にはまだそんな経験、ありませんが。
サラッと言っちゃうあたり、彼女はサンタと経験済み……なんだろうなぁ……。
勝手にドキドキしてるのを気づかれないように、お酒を飲み干した。
彼女がすかさず、僕のカップにお酒を注ぐ。
「それでね、あたし、ムカついちゃって」
「うん。そりゃあ、ムカつくだろうね」
……悲しかっただろうね。
「ね?だから、二人が手をつないでるのを引き離して、『浮気者!』って。……そこにあった辞典を投げてやったの」
あはははは………………こわっ。
「ちゃんと、当たらないように投げてあげただけ、自分でもえらいって思うけどさ。でも、たとえ当たっちゃったとしても、サンタが悪いんだもん。少しくらい痛い思いしても良かったんだ……」
「結構激しい人なんだね、君って……」
外見がどうとか言ってたのが、わかった気がする。
見た目はとてもそんなことをするような女の子には見えないから。泣いて、『浮気するなんてひどいよ』って、逃げ出しちゃいそうな子に見えるから……。
「そう、かもしれない。……でも、あたし、間違ったことしてない。怒って当たり前だって、今でもそう思うもん」
まぁ、確かに。
悪いのは男の方だと、僕も思う。
「それで?」
先を促したら、彼女がちょっとつまった。
「?」
「………………サンタに、『お前って、かわいいの見た目だけだよな』って言われた」
あ〜……。
まぁ、確かに、僕も彼女は激しい人だと思ったけど、でも、いくらなんでも、それはひどいんじゃないだろうか?
半年付き合って言うセリフがそれって……。
彼女が泣くのも、無理はないよなぁ。
そう思って、同情気味に彼女へ目をやったら、彼女がコブシを握り締めて、空を睨んでいた。
あれ?
「あたし、ムカついて!だって、それって、性格悪いって言われたんだよね?半年も付き合ってきて、あたしって顔だけだったわけ?ふざけんなって、思うでしょ!?」
「う、うん……」
「だから、殴ってやったの!」
…………。
…………強いね。
「……そっか。殴ってやったんだ」
「うんっ」
勢いよくうなずいて、コップに残っていた酒を飲み干した彼女に、なんだか、無性におかしくなって、思わず笑ってしまった。
「君って……かっこいいね」
本当に、そう思った。
死のうとしてる僕から見たら、彼女の強さは輝くみたいにかっこいい。
「そう?」
「うん」
コップを空にした彼女に、今度は僕がお酒を注いであげた。
「ふぅん……。ま、ありがと」
「うん」
ついでに僕の分も注いで、チビリと飲む。
僕も、大分酔っ払ったみたいだ。
風の冷たいのが気にならなくなってきていた。
「そういえば、お兄さんは、なんでこんなところにいたの?あたし、誰もいないところを探してきたから、人が来てびっくりしたんだけど」
一通り自分の愚痴を言って、多少は気が晴れたらしい。
そんなあっけらかんとした彼女の、今さらながらの問いかけに、僕は、なぜか意外なほどあっさりと答えていた。
「うん……。まぁ、死のうと思って」
と。
どんな反応をするだろうと、彼女を見れば、驚いたように目を丸くしている。
そりゃあ、驚くよな。
「なんで?」
「……なんか、疲れてしまったんだ。学校ではいじめられるし、勉強も運動も、何をやってもうまくいかなくて。何もかも、嫌になって……。疲れて。楽に、なりたくて」
お酒のせいもあるんだろうけど、スルスルッと言葉が出てきた。
こんな話を聞かされて、彼女はいい迷惑かもしれない。
……でも。
彼女は、『死んだらダメだよ』って、止めてくれるだろうか?
止められたら、今日はやめてもいいかもな……。
「ふぅん……。じゃ、死ねば?」
…………。
…………あれ?
当然止める言葉が出てくるんだろうって思ってた僕は、彼女の発した言葉を理解するのに、数秒の時間が必要だった。
今、死ねばって、言った?
「これ飲んでるから、少しは苦しくなく死ねるかもよ?やってみたことないから、わかんないけど」
これ、と指差されたのは一升瓶。
ああ、お酒飲んでから死ぬ人がいるって聞いたことある、けど……。
「あぁ、冥土の土産に、あたしの愚痴なんか聞かせちゃってごめんね。きれいさっぱり忘れてくれていいから。何にも気にせず、どうぞ、いってらっしゃい」
それは、いいけど……って、いってらっしゃいって、何!?
……いやいや、そうじゃなくて!
「えっと……。止めないの……?」
「なんで、あたしが止めなくちゃいけないの?」
即答した彼女に、それもそうか、と妙に納得させられてしまう。
「そうだよね……」
僕と彼女は赤の他人で。
お互いの名前も知らなくて。
僕が死のうがどうしようが、彼女には、全然、まったく、これっぽっちも関係なくて……。
……なんでだろう。
そう考えたら急に、死にたかった気持ちが、揺れ始めた。
「……聞いても、いいかな?」
「ん?」
チビチビとお酒を飲み続けている彼女に、無性に聞いてみたくなった。
「君は、死にたいと思ったことはないの?」
彼女みたいに強い人は、そんなことを考えたこともないのかもしれない、そう思ったから……。
「あるよ、それくらい。今だって、ちょっと思わないでもない」
あるんだ、彼女のように強い人でも……。
「じゃあ、なんで実行しないの?」
生きることが嫌になるから、死にたいと思う。
死ねば、楽になるだろ?苦しみから、解き放たれるじゃないか……。
彼女が、肩をすくめて僕に言う。
「だって、死んだら楽になるって、誰が決めたの?」
「え?」
「死んだ人がそう言った?自殺した人が、ああ、死んでよかったなって言った?」
「…………」
……目からウロコ、それはこういう時のことを言うんだと、初めて知った。
死んだら楽になれる。
ずっと、そう思っていたから……。
「確かに、苦しい今からは逃げられるかもしれないよ?でも、その後にもっと苦しいものが待ってたらどうするの?ほら、昔から言うじゃない?天国と地獄があるとかって。あたしも、それを信じてるわけじゃないけど、もしそんなのがあるなら、地獄に行くのなんて真っ平ごめんって、そう思うんだけど」
「地獄……」
子供らしい発想といえば、そうなのかもしれないけど……。
「あくまで例えだよ、例え。死んだらただ、何にもなくなって、自分がいなくなる。それだけならいい。でも、もしそうじゃなくて、もっと苦しい世界が待っていたら?それがわからないから、あたしは死ぬのは嫌だなって思うの。……っていうか、そういう風に考えたら、少しでも楽しいことがあるこっちの世界の方がいいって、思えるじゃない?」
美少女がニコッと笑う。
「お兄さんが死ぬのは自由。あたしは止めないよ。これはあくまであたしの考え方だもん。だけどね、一つ言わせてもらえるなら……」
「なに?」
「お兄さん、ダサい」
顔を思いっきりしかめて言われた言葉に、グッサリと傷つく。
「ダ、ダサい、かな?僕……」
彼女が、かわいくアクビをしてから、うなずいた。
……ものすっごく、他人事。
「うん。だって、運動できないのも、勉強できないのも、その体型だって、自分の責任でしょ?僕は何やってもダメなんだ〜って、あきらめちゃってる人が、なにかをできるようになるとは思えないもん。ダメダメな自分を全部何かのせいにしてるお兄さんはぁ〜、かっこ悪い!」
「う……」
「あたしだって、勉強は嫌いだよ。でもさ、勉強をがんばったおかげで、楽しい未来の可能性が増えるなら、あきらめたくないなって思う……」
抱えた膝に顎を乗せて、まっすぐに前を見つめる彼女が、すごくかっこよかった。
ちょっと、眠そうだったけど。
「…………」
彼女は、どこまでも前向きで、強くて、かっこよくて。
今までは、そういう人を見ても、『僕とは違うから』って、そう思ってた。できる人が言うことだって、初めから僕には無理だとあきらめてきた。
でも。
……僕も、彼女のようになれるかな。
初めて、そう思った。
これだけかわいくて、なのに恋人に振られちゃったと泣く彼女が、一升瓶を抱えて目を据わらせている彼女が、僕にも少し、身近に感じたからかもしれないし、お酒の力もあったのかもしれない。
でも、それでも。
せめて、彼女にダサいと言われないような男になれたら……。
もしかしたら、僕にも楽しい未来が待っているんじゃないかって。
今、ここであきらめてしまうのは、もったいないんじゃないかって。
彼女がそうしたように、顔をあげて、まっすぐに前を見つめてみる。
……よし!
「僕、頑張ってみるよ!」
一大決心で、横を向いて、彼女へそう言ったら……。
…………。
…………ありえない。
「寝てる……」
寝ちゃってるよ、この子!
「君?えっと……ねぇ……!」
立てた膝に顔をうずめたまま、彼女はやすらかな寝息をたてていた。
軽く揺すってみたけど、まったく起きる様子のない彼女に、困ってしまう。
一度寝入ったら、ちょっとやそっとじゃ起きないタイプか。しかも、今は酒入りだし……。
彼女が抱えていた一升瓶は、半分以上なくなっていた。
あ〜、もう。どんだけ飲んだんだよ……。
話し方は、結構しっかりしてたから、油断した。
やっぱり、泥酔状態だったんだね……。
「なんか、名前と住所のわかるものは……」
全然起きない彼女をこのまま放っておけば、確実に凍死する。
そんなの冗談じゃないから、彼女には悪いけど、勝手にカバンを漁らせてもらったら、学生証が出てきた。
‘2−5 15 各務麻由’
かがみまゆ……。
ありがたいことに、彼女の住所もわかった。ここからそんなに遠くない。
タクシーを呼ぶことも考えたけど、僕らは未成年の上にかなり酔っ払っているし、それはまずいだろうと思って、彼女をおぶっていくことにした。
幸いに僕はお酒に弱い方ではないらしくて、彼女をおぶってもフラフラすることはなさそうだ。
「よいしょっと……」
僕におぶわれても目を覚まそうとしない彼女に苦笑しながらも、彼女を落としてしまわないよう、気をつけて歩いた。
……各務麻由。
僕の命の恩人である、その名前を忘れないように、彼女の家に着くまで、繰り返しつぶやいた。
僕の背中に伝わる彼女の熱は、とても暖かくて……。
勇気が湧いてくる気がした。
僕、がんばってみるよ。
いつか、もし、君にまた会えたら。
せめて、ダサいって言われない男になっていたいな……。
……また、あの人は。
待ち合わせ時間に少し遅れて到着したら、彼女が、今日は3人の男に囲まれているのを見て、頭を抱えたくなる。
ツカツカと足音高く近づけば、僕に気づいた彼女がニコッと愛らしく微笑んだ。
か、かわいいっ……とか、思ってる場合じゃない。
「僕の連れに何か用かな?」
3人の男たちから彼女を守るように抱き寄せて睨みつけたら、男たちがひきつった顔を見合わせた。
……あの日から10年余りの月日が流れて、遅れてきた成長期のおかげで、僕の身長は180cmを越えている。気を緩めれば太ってしまう体質も、気をつけて太らないようにしていた。
少なくとも、今目の前にいる3人の男たちには負けない自信があった。
あの日、死のうと思っていた僕は、もういない。
もう一度、彼らを見下ろすように睨んだら、今度は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
……どうやら僕の睨みは、かなり怖いらしいので。
「やっぱり直くんの睨みが一番利くよね〜」
クスクスと楽しそうに笑う彼女に、大きなため息が出る。
なんでそんなにのん気なんだ、君は……。
「ま〜ゆ〜……。なんでもっと強く言って蹴散らさないんだ?君にはできるだろ?」
各務麻由。
僕の恩人で、今は僕の大切な、恋人。
……だけど、困った恋人だ。
「だってぇ〜、直くんがそろそろ来ると思ったんだもの。それなら、ひと睨みで蹴散らしてもらった方がいいかな〜って」
小首を傾げてそう言った彼女は、かわいい。ものすごく。
そりゃ、昔もかわいかったけれども。
僕と再会するまでの間に、彼女は自分の心を守るための鎧を身につけるようになっていて。今は、僕や友人の前では外してくれるようになったけれど、それでもまだ他の人にはあまり外さない。
それでもって、この鎧というやつがやっかいで。
麻由のかわいさに磨きがかかって、男どもが寄ってくる、寄ってくる……。
……そして、麻由もそれを楽しんでいる節があるから、たちが悪い。
じぃっと麻由を見下ろしていた僕に、彼女が膨れた。
「そんなに怒んなくてもいいじゃない。ナンパなんて、そのうちにされなくなるよ」
麻由がそう言う。
……君の場合、30を過ぎても普通にされてる気がするよ、僕は。
「直くん?」
特大のため息をついた僕を、麻由が顔色を窺うように見上げた。
「あ〜、もう……。僕が嫌なんだ」
「うん?」
「麻由が、他の男に言い寄られているのを見るのが」
困り果てて、癖で顔を撫でた僕に、麻由がクスクスッと笑った。
笑い事じゃないんだけどなぁ、僕的には……。
「実は、やきもち焼きさんだよね?」
悪かったな。その通りだよ。
前に、麻由を怒らせようと‘独占欲の固まりな僕’というやつを演じたことがあったけれど、今になって、あれはまんざら嘘でもなかったんだなって、思わせられてる。
できることなら、麻由を閉じ込めておきたいくらいなんだから……。
「……嫉妬深い僕は、格好悪い?」
昔の君に言わせたら、ダサい?
せめて、君にダサいと言われない男になりたいと思っているんだけどな。
その問いに、僕をまっすぐに見上げた麻由が、何を思ったか、チョイチョイッと手招きする。
「?」
それに誘われるように頭を下げたら。
……麻由が、いきなり、小さな背を精一杯伸ばして、僕にキスをした。
「ま、まゆっ!?」
人がたくさんいるのに!
驚いた僕の、真っ赤になっているだろう顔を見た麻由が、いたずらっぽく笑う。
「直くんは、かっこいいよ」
「!」
…………ははっ。
参った。
僕は、口元が緩んでしまうのを隠すために。
彼女を抱きしめて、キスを返した。
……やっぱり、君にはかなわない。
― END ―
ここまでお付き合い下さいまして、誠にありがとうございます。
「出会い編」いかがでしたでしょうか?
この後、暁の方でも、番外編を載せられたらと思っています。
できるだけ早めに、とは思っていますので、よろしければ、また、訪ねてみて下さいね。
ありがとうございました。
注)未成年者の飲酒は、法律で禁止されています。この話はあくまでフィクションなので、お酒は20歳になってからにしましょうね。